【映画】「#拡散」感想・レビュー・解説

これはなかなか面白い作品だったなぁ。「ワクチンを打った妻が死んだので、夫が抗議する」という冒頭の始まりからはちょっとやばそうな雰囲気を感じるかもしれないが、そんなことはない。いや、もちろんヤバさは描かれるのだが、「こういうの、ヤバイよね」という提示のされ方なので大丈夫だ。僕としても、かなり予想外の展開の物語で、かなり楽しめた。

さて、少し僕の話(というか父親の話)をするが、父親は「テニスのサーブを打とうとして倒れ、そのまま死んだ」らしい。父親は地域のテニスクラブのコーチ的なことをやっていて、その最中の出来事だったようだ。血圧は高かったようだが(母親から血圧を測れと言われてた気がする)、持病らしい持病はなかったんじゃないかな。テニスがちゃんと出来るぐらいには健康だったはず。死因は「致死性不整脈」だそうだ。まあ、突然死の類なのだろう。

で、僕はよくこんなことを考える。もし父親が、亡くなる前日、あるいは当日、あるいは1週間ぐらい前でもいいか、もしもワクチンを打っていたとしたら、親族の誰かが「ワクチンのせいで死んだ」と言い出しただろうな、と。本作中に、「人は案外突然死ぬ」というセリフが出てくるが、そうだよなと思う。原因が分からない死なんて、いくらでもあり得るだろう。

ただ、何か分かりやすい理由があると、結びつけたくなる。別にワクチン接種じゃなくたって、「したこと」はいくらだってあるだろう。りんごを食べた、久々にちょっと走った、履き慣れない靴で歩いた、パンツを履き忘れた……などなどだ。しかし、そういうことは「死」とはあまり結びつけられない。「分かりやすくない」からだ。一方で、「ワクチンを打った」というのは分かりやすい。理屈をちゃんと説明できなくても、「ワクチンが何か悪い影響を与えた」と思いやすい。

そうやって思い込みが積み重なっていく。

もちろん僕は「コロナワクチンがまったく悪影響をもたらさなかった」などと主張したいわけではない。そういうケースはあるだろう。しかし、「コロナワクチンのせい」だと思い込んでいるものの中には、「全然関係ないもの」だって紛れ込んでいるはずだ。そういうことが上手く捉えきれない人はいるよなぁ、と思ったりする。

もちろん、そういうこととは別に、「大切な誰かを亡くした悲しみ・辛さを誰かにぶつけたい」みたいな感情は分かるつもりだし、そういうことまでひっくるめて否定しているつもりはない。ただ、「それ、全然論理的じゃないよなぁ」と感じることはよくある。

みたいなことを、本作『#拡散』を観始めた時には感じていた。「コロナワクチンの是非」みたいな話には触れないが、いずれにせよ、「ワクチンを打った直後に死んだからワクチンのせい」というのはやはり短絡的だよなー、と。

しかし物語は中盤(というか、結構終盤に差し掛かってたかな)なかなかの急展開を見せる。それまでの物語の構造をガラッと変える、なかなかの大転換である。そこで、関係者全員の熱量や動機や関係性みたいなものが一旦すべてリセットされる。それは結構終盤なので、そこからさらに大きく展開、なんてことにはならないのだけど、みんな「振り上げた拳をどうする?」みたいになって、そのカオスな感じはなかなか面白い。

「正しい」とか「間違ってる」みたいな言葉は基本的に、「範囲」を決めなければ成立しない。例えば「日本に住んでいる人」なら日本の法律を守るべきだが、アメリカに住んでいる人は大抵の場合日本の法律を守る必要はないだろう(税金とかはよく分からないが)。A社で働いている人はA社の就業規則を守る必要があるが、B社で働く人がA者の就業規則を守る必要はない。もっと言えば、「絶対的に正しい」とされる数学でさえ、「ZFCという公理系の範囲内では正しい」だけであり、「ZFCという公理系」を採用しない数学が宇宙のどこかに存在すれば、僕らが正しいと思っている数学が正しくなくなるかもしれないのだ。

だから、「正しい/間違っている」と言う時は、そもそも「どのような枠組みを想定しているのか?」がお互いに諒解されていなければならない。その外枠の理解なしにあーだこーだ言ってても何の意味もないだろう。

みたいなことをそれなりに誇張して、でも誇張しすぎているというほどでもなく描く、なかなか興味深い作品である。

内容に入ろうと思います。

浅岡信治は、動画配信で稼ごうとする妻・明希に無理やり動画に出演させられたりしながらも、それなりに平穏な日々を過ごしていた。地方で介護士として働く、ごく一般的な人間だ。

しかしある日のこと。推しのライブに行くためにコロナワクチンを接種(3回接種が義務だったらしい)した妻が亡くなってしまった。浅岡は、ワクチンを打った高野のせいだと糾弾するが、高野はワクチンを打っただけだ。因果関係も不明である。しかし浅岡は「高野が妻を殺した」と考え、妻の遺影をサンドイッチマンのように身体の前後に挟んで無言のまま高野クリニックの前に立ち続けるという抗議を行っていた。

その姿をたまたま目にしたのが、東京から地方紙へと移ってきた記者の福島美波である。不本意に地方へとやってきたのだろう、何か返り咲くネタを探していた彼女は、奇妙な格好で病院の前に立つ男を見て、これは記事になると考えた。無理やり編集長を説得し、記事にした。

すると浅岡は、本人の知らないところでバズっていた。彼は元々SNSをやっていなかったのだが、職場の同僚から「今やるべきですよ」と言われアカウントを作ると、一気に2万人弱のフォロワーを獲得した。街中で声を掛けられるようにもなり、一躍時の人となった。

そしてそれに伴って高野医師へのバッシングは激しくなっていくのだが、ここで思わぬ出来事が起こる。夜中突然浅岡の家にやってきた青年が、とんでもないことをしでかしたのだ……。

というような話です。

前半から中盤にかけては、「反ワクバンザイ」みたいに見える作品で、個人的には結構不快感の方が強かった。でも、ある大転換を経て、その前半の不快感が一気に逆転する感じが面白い。壮大な前フリが利いているみたいな感じだろうか。

しかしまさか、あの状況から真逆の方向に一気に転換するルートが存在するなんて思わなかったので、「なるほど、そう来ますか」という感じだった。個人的には結構好きな展開である。

改めて書くが、「正しい」とか「間違っている」というのは、「共通の枠組みを有している者同士」でしか通用しない言葉だ。枠組みを共有しないまま「正しい/間違ってる」と主張したところで、それは水掛け論にしかならない。正しさなんか究極「人の数」だけあるものだし、お互いの正しさを言い合ってたって何も解決しないし進展もしない。

本作では、物語の展開上「ある1つの正しさ」によって状況が一変することになるのだが、普通そんなことは起こらないだろう。だから「枠組み」を共有出来ない者同士はもう、「関わらない」という選択をするしかないと思う。映画『エディントン』を観た時もそんなことを感じたが、本作『#拡散』でも近いことを感じた。

「陰謀論」と言われるものを信じていても別にいい。最近観た映画『ブゴニア』が印象的だったが、結局のところ「何が正しいか」は誰にも分からない。明らかに間違っていることが正しいことも、明らかに正しいことが間違っていることも、世の中にはいくらでもある。

だから僕は「正しい/間違っている」という言葉を使う時はかなり慎重になるようにしているし、なるべく使わないようにしているつもりだ。

さて、物語的な点で言うと、ラストは正直よく分からなかったなぁ。あんなラストにする必然性はあったんだろうか? 僕が意味をちゃんと汲み取れていないだけかもしれないが、ラストはちょっと不満だったなぁ。

あと、「SNSの投稿を、室内に実際に投影する」みたいな演出は面白かった。あんまり観たことない演出だし、視覚的に結構新鮮な感じだったなと思う。

で最後に。エンドロールを観て、「そうか、沢尻エリカか!」となった。観ている時は「誰だっけ?」と思うこともなく(つまり、見覚えがあるなみたいなことも思わなかった)、何の意識もしなかったのだけど、沢尻エリカと言われれば「確かに!」となる。あんまり人の顔を認識出来ないのだけど、沢尻エリカに気づかなかったのは自分でもちょっとビックリだった。

というわけで、結構面白かったなぁ。好き嫌いは結構分かれそうな作品だけど。

いいなと思ったら応援しよう!

長江貴士 サポートいただけると励みになります!

この記事が参加している募集