【映画】「ジョン・レノン 音楽で世界を変えた男の真実」感想・レビュー・解説

僕は別に、ザ・ビートルズにもジョン・レノンにもさほど興味はない。ただ、「人物の過去」には興味がある。世界中、恐らく知らぬ者などいないだろう人物が、どのような来歴で頂点へと上り詰めたのか、その軌跡には関心が持てる。

ジョン・レノンの名が世界に知られるまでの歴史は、なかなか興味深いものだった。何よりこの映画では、「音楽」に関わる話が少ないのが印象的だった。僕はジョン・レノンが、リヴァプール・カレッジ・オブ・アートという芸術大学で美術コースに所属していたことも初めて知った。カリカチュア(風刺画)が特に上手く、学生時代には同級生をモデルにカリカチュアをよく描いていたそうだ。

ジョン・レノンの人生を語る上で外せないのが、その複雑な幼少期の家庭環境についてだ。

18世紀、じゃがいもの病気被害が深刻なため、多くのアイルランド人がリヴァプールに逃れてきた。ジョン・レノンの祖父もその1人。当時リヴァプールはペストの街であり、「アイルランドの墓/病院」と呼ばれるほどだったそうだ。

この町で、ジョン・レノンの両親であるアレフとジュリアは出会う。1939年に第二次世界大戦が始まったことで、生活は激変する。ロンドン空襲では、リヴァプールでも4000人ほどが命を喪ったという。そんな中、1940年にジュリアが第一子となるジョンと出産する。

父親のアレフは従軍商船の船員として、長く家を空けていた。当時はその仕事に就くしか選択肢がなかったのだろうと語られる。より良い稼ぎを得ようと船を変えたことが、アレフにとって最悪の結末を迎える要因となってしまった。アメリカで、不法移民として逮捕されてしまったのだ。

父親の収入が途絶えることを覚悟したジュリアは、2軒のパブでアルバイトを始めた。そしてそこで、不倫相手であるボビー・ダイキンズと知り合う。アレフがリヴァプールに戻ってきた時には、ジュリアは不倫相手との間に子供をもうけていた。

その後、ジュリア、ボビー、ジョンの3人での生活が始まる。ちなみに、アレフは離婚を拒否していたので、ジュリアとボビーの関係はずっと不倫のままだった。ジュリアが母親として不適格だとアレフが児童福祉局に通報したことで、最終的にジョンは、ジュリアの姉であるミミとその夫ジョージに育てられることになった。アレフは1度ジョンを旅へと連れ出し、そのままオーストラリアへの移住を計画したのだが、色々あって断念、その後姿を消したという。

映画には、ジョン・レノン本人の肉声が使われることはほとんどなかったが、子供の頃のことを振り返って、「父母に欲されなかった。そのことは事実。とても大きなトラウマになった」みたいに語る場面が使われていた。

映画には、学生時代の友人たちも数多く登場した。ダヴデイル・ロード小学校時代からの友人であるアイヴァンは、後にザ・ビートルズにとって重大な役割を果たすことになる。ジョン・レノンとポール・マッカトニーを引き合わせたのだ。11歳で受ける「イレブンプラス」という試験で好成績を取ったジョン・レノンは、クオリー・バンクという評判の良い公立中学校に入学する。1年目は「天使期」と呼ばれるほどの優等生だったようだが、その後5年目までに成績は最低の最低まで落ちたそうだ。

学校でのジョン・レノンは、多くの人に嫌われていたと様々な人物が語っていた。好かれるか嫌われるかの2択しかない、と評する人物もいた。カリスマ的な存在感はあったが、嫌悪感を抱く者も多く、というかそういう人の方が大半だったという。

さらに中学時代、敬愛していた叔父・ジョージが急死してしまう。ジョン・レノンは、有名になるまでに多くの死を経験することになるが、彼が最初に衝撃を受けた死がジョージのものだった。ある人物はその死を境にした変化についてこんな風に語っていた。

【ジョンの世の中に対する怒りが、叔父の死によって決定的になってしまったのだと思う。14歳にして気持ちが振り切れて、すべてのことに対する興味を失ってしまった。
その怒りの一部は教育制度にも向けられた。権威嫌いであり、「何かしろ」と言われるとすぐに天邪鬼になる】

この頃、母ジュリアとの関係が回復したジョンは、共に音楽が好きだったこともあり、音楽に触れる機会が増える。万年金欠だった彼は、新聞配達のアルバイトをしていた友人宅でレコードを聞き、最新の音楽に触れていたのだ。

よくつるんでいた仲間4人の内3人がアメリカへ旅行することになった。ジョンがなぜ一緒じゃなかったのか、その人物はもう覚えていないと言っていた。彼らはアメリカであるレコードに出会う。後で知ったそうだが、アメリカでは発売して2日しか経っていなかったという。同じレコードをイギリスで手に入れる場合、9ヶ月待たなければならなかった。3人はそのレコードを買い、戻ってからジョンに聞かせた。3人はジョンがどんな反応をするだろうかを見ていたのだが、彼はまったくの無反応だった。あまりの衝撃に呆然としていたのだ。その数週間後、ジョンはギターを買ったという。

そんな風にして生まれたのが、バンド・クオリーメンである。このバンドの結成が、後のザ・ビートルズに繋がっていくことになる。

彼らは度々、呼ばれて演奏をした。教会主催の園遊会での演奏が決まったのだが、その日1957年7月6日は世界にとって記念すべき日になった。ジョン・レノンとポール・マッカトニーが初めて顔を合わせたのだ。

2人を会わせたアイヴァンは、ジョンたちとは1つ下の代で、彼自身も「イレブンプラス」を突破して、クオリー・バンクに入学してまた仲間内でつるみたいと考えていた。しかしアイヴァンの両親が、ジョン・レノンと同じ学校に入学させたくないと考えたそうだ。どれだけジョン・レノンが嫌われていたか分かろうというものだ。そこでアイヴァンは、リヴァプール学院へ進学した。そして彼はそこでポール・マッカトニーと仲良くなったのである。

そして園遊会での演奏の日、アイヴァンがポール・マッカトニーを連れてきてジョン・レノンと会わせた。その日までクオリーメンのバンドはお遊びに過ぎなかったが、その日からバンドは真剣なものに変わった。5ヶ月後には、クオリーメンの結成メンバーはジョン・レノン以外全員が抜け、幾度も名前を変えながら、やがて「ザ・ビートルズ」として知られるようになっていく。

不真面目な学生時代を過ごしたジョン・レノンだったが、ミミの尽力により、リヴァプール・カレッジ・オブ・アートに入学することが出来た。ここで彼は最初の妻であるシンシアと出会っているのだが、もう1人重要な人物と邂逅している。スチュワート・サトクリフ。ザ・ビートルズに詳しい人なら知っているのだろうが、僕はこの映画で初めてその存在を知った。初期の「ザ・ビートルズ」のベーシストである。

スチュワートは指導教授たちから、アートの世界で大成する人物だと考えられていた。非常に良い画家だったからだ。だから彼がミュージシャンになると聞いて怒っている人もいたほどだそうだ。

彼らは、自身の運命を決する旅に出た。ハンブルグの赤線地帯にあるナイトクラブで演奏を始めたのだ。ある人物はその当時のザ・ビートルズについて、演奏は他のバンドより下手だったと語っていた。しかし、週6日、1日6時間の演奏をし続けたことが彼らの血肉となり、バンドは大きく変わったそうだ。しかし、そんな演奏漬けの毎日を送るために、ジョンは薬と酒に頼らざるを得なくなってしまった。

ドイツから戻った彼らを迎えた者たちは、スチュワートの不在に驚く。なんとスチュワートは弱冠21歳にして脳卒中で命を落としてしまったのだ。彼の死も、ジョン・レノンに大きな影響を与えた。

そしてもう1人。ジュリアも悲劇の死を遂げている。芸術大学時代に、ジュリアはなんと非番の警官に轢かれて命を落としてしまったのだ。その直前まで一緒にいたジョン・レノンの友人の話がとてもリアルだった。芸術大学の友人たちは、母親の死にショックを受け、殻に閉じこもってしまったジョンの様子について語っていた。

こんな風にして、「誰もが知るジョン・レノン」になる以前の彼の人生が深掘りされていく。特別ファンというわけではない僕でもかなり興味深く観ることが出来たし、「世界的スーパースターであるジョン・レノン」しか知らない人には、知らない話満載なのではないかと思う。個人的には、後に世界的スーパースターになる人物が、学生時代には周囲からかなり嫌われていたという話が面白かった。まあ、変人はなかなか受け入れられないから仕方ないよね。

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