【映画】「ミッキー17」感想・レビュー・解説
これは面白かった!「肉体も記憶も何度でも生まれ変われる」という、よくあるっちゃある設定から、「なるほど、こんな話になるんだ!」みたいな展開を用意していて、よく出来てるなぁという感じだった。広く誰もが楽しめるエンタメ作品じゃないだろうか。
物語は、ニフルヘイムという惑星から始まる。少し未来の話である。ミッキーはこの時点で、17回目の生まれ変わりを果たしており、そしてまさに今死の危機に瀕していた。氷のクレバスのようなところに落ち、上がれなくなってしまったのだ。このままだと、このニフルヘイムに住んでいるらしい謎の生物(クソデカいダンゴムシみたいな奴)に喰われてお終いだろう。そうなれば、ミッキー18として生まれ変わるだけだ。
ではそもそもミッキーは、どうしてこんな境遇に置かれているのだろうか? すべての始まりは、友人のティモが、「これからはバーガーではなくマカロンの時代だ」と言ったことにある。それを真に受けて、2人は金貸しから金を借り店を開くが失敗。強欲な金貸しであるダリウス・ブランクに追われていた。彼は既に大金を持っているため、「貸した金が返ってくること」ではなく、「金を返せなかった者が死んでいくのを観ること」に興味がある。捕まった2人は目の前で、モンゴルに逃げていたという別の借り主が殺される様を見てしまい、どうにかしなければと考えた。
そこで飛びついたのが、ケネス・マーシャルが陣頭指揮を取る植民計画である。2度選挙に負けているという彼は、新たな星で自らの帝国を築こうと植民計画を推し進めていた。そしてミッキーは、地球から脱出するためそれに応募したのだ。
しかしただ応募したのでは上手くいかない。というのも、マーシャルには熱狂的な支持者がたくさんおり、彼を崇拝する者たちが大挙して申請にやってきていたからだ。そこで彼はエクスペンタブルに応募することにした。肉体と記憶を何度でも再生できる「人体プリンティング」の技術を使い「死んでも大丈夫な身体」になった者がそう呼ばれている。ミッキーはとにかく必死だったので、受付係から「書類はすべて読みましたよね?」と聞かれ、読んでいないのに「読んだ」と答えてしまった。だから、それがどれほど過酷な仕事なのか知らずにいたのだ。
さてこのエクスペンタブル、技術的には以前から確立していたものの、倫理的・宗教的な問題で議論が噴出したため、「地球では禁止、地球以外の宇宙空間でのみ許可する」という話に落ち着いた。そのためミッキーは、「宇宙空間での宇宙放出線症(死に至る病気)の進行状況を知る」とか、ニフルヘイムに辿り着いた際には「致死性のウイルスがないか、あるならそのワクチン製造」など、死を前提としたメチャクチャ使い捨ての仕事に従事させられているのである。
さて、地球からニフルヘイムまでは4年半の旅路なのだが、その宇宙船の中でミッキーは、ナーシャという女性とすぐに仲良くなった。ナーシャはエリートエージェントとして乗船しており、兵士兼警官兼消防士というスーパーウーマンだった。どうして彼女が自分なんかを好きになってくれたのか分からないが、彼らは、「エネルギーを消費するから」という理由で禁止されているセックスに励み(4年半の間、食料の供給を保たせるためには、エネルギー消費を最小限にする必要がある)、また、過酷な仕事に従事させられているミッキーの傍にナーシャが常に寄り添う形でお互いを支え続けてきた。
そんなわけで、過酷だが死なない身体を手に入れたミッキーだったが、しかしそんな彼でも「死」に直面する可能性がある。それが「マルティプル」である。「マルティプル」とは、1人が複数の肉体を持つことを指す。現在のルールでは、「前の肉体が死に至ってから人体プリンティングを行う」と定められており、それに違反し「マルティプル」状態になると、重大な法律違反とみなされ、保存してある記憶がデリートされてしまうのだ。記憶が保存されていなければ、身体だけプリントしても再生は出来ないため、「マルティプル状態になることで記憶がデリートされること」が、エクスペンタブルにとっての死を意味することになるのである。
そしてニフルヘイムにやってきてから過酷な仕事に従事していたミッキーはある日、思いがけないことに「マルティプル」状態になっていることに気づき……。
というような話です。
とここまで書いてみて、Filmarksでざっくり本作の感想をざっくり観てみたのだけど、そうか、そんなに評判良くないのか。メチャクチャ面白かったけどなぁ。
まずは何よりも、設定が良く出来てるなぁ、と思う。ただ「使い捨てワーカー」を描くだけだとなかなか物語は発展しないようにも思うが、本作ではそこに「マルティプル」という禁忌を組み込むことによって面白い展開を生み出している。
個人的に「なるほど」と感じたのが、「マルティプル」になってからの「死」の捉え方の違いである。自分の存在がずっと1人だった時には、「死んでも別の肉体に移るだけ」という感覚であり、つまり「自分は生まれ変わっている」という感覚になれた。しかし自分が2人になると、状況は変わる。「ミッキーA」と「ミッキーB」がいる場合、「ミッキーA」が死ぬと、「ミッキーB」が残ることになる。「ミッキーA」と「ミッキーB」は、本人たちの自覚では「別人」なのだから、もし「ミッキーA」が死んだ場合、「ミッキーA」は「自分が死んで『ミッキーB』が残る」という感覚のまま死んでいくことになる。そしてそれは「生まれ変わる」という感覚をもたらさないというわけだ。確かにその通りだなと思う。
普通は本作でミッキーが置かれたような状況について考えを巡らすような機会はないわけだが、言われてみれば確かにその通りという感じで、この自覚はとても興味深いなと感じた。
しかし、僕の記憶では、キリスト教では「生まれ変わり」的な発想は禁じられているはずで、だからミッキーが語るこの感覚は、東洋的な発想なのかなという気がする。まあもちろんこれは、監督がアジア人であるポン・ジュノであることを知っているからこそそう思うだけかもしれないが。
まあそんなわけで、物語的には「マルティプル」になって以降の方がより一層展開していくことになるのだけど、個人的には、そもそもの設定の部分が凄く良く出来ていると感じたし、「設定勝ち」という感じの作品に思えた。
さて、本作にはもう1つ、「ケネス・マーシャルとその妻・イルファがムチャクチャやっている」という要素もあって、これもなかなか面白い。マーシャルはとにかく「権力への強欲さ」が凄まじく、さらに妻のイルファは「ソース作り」に熱中しているようで、後半のある場面で、「どう考えてもそんな状況じゃないよね」という時にも「これで斬新なソースが作れるわ!」みたいなことを言っていた。2人ともなかなかイカれていて、でも、ニフルヘイムにやってきた移住者の多くは彼の”信者”なのであり、だから彼の存在がそのまま放置されている。
そしてだからこそ、最後の「ムチャクチャな展開」がもたらされもするわけで、面白かった。「マルティプル状態のミッキー」と「マーシャル夫妻のムチャクチャさ」によって、視覚的にもなかなか壮大な展開になっていて、見事だったなと思う。
そんなわけで、個人的にはかなり楽しめる作品だった。まあそりゃあ、『パラサイト』の方が面白かったと思うけど、本作『ミッキー17』も十分面白いと思う。個人的には観てよかった。しかし、公開2日目の土曜日なのに、僕が行った映画館は結構ガラガラで、そのことに驚かされた。少し前に観た『教皇選挙』は満員だったのに。どう考えても、話題という意味では『ミッキー17』の方が上だと思うんだけど、どうなんだろう。
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