【映画】「原爆スパイ」感想・レビュー・解説

これは実に興味深い映画だった。やっぱりドキュメンタリー映画は面白いな。しかし、本作で描かれていることは正直、全然知らなかったなぁ。「原爆の情報をソ連に流した人物がいる」という話はもちろん知ってたけど、それは、本作でも描かれるローゼンバーグとその妻エセルのことだとなんとなく思っていた。映画『オッペンハイマー』でも確かローゼンバーグとエセルの話が出てきたけど、正直、ちゃんとは理解できなかった気がするんだよなぁ。

というわけで、本作『原爆スパイ』で描かれるのは、「戦時中の最高機密情報」と言っていい「原爆の秘中の秘」をソ連に渡した天才物理学者テッド・ホールである。彼は1999年に亡くなったそうで、本作では、その妻ジョーンが語り部としてメインで登場する。また、生前に撮られたテッドの映像や、テッドと共にソ連への情報流出に関わった親友・サヴィの娘と息子、あるいは「『爆弾発言』の著者」(と紹介されていた気がするけど、タイトルはちょっと違うかもしれない)など様々な人物のインタビューを通じて「テッド・ホール」について深堀りする作品である。あと、こういうドキュメンタリー映画では結構珍しい構成だが、テッド、ジョーン、サヴィの大学時代から大人になって以降までの物語を、俳優を使って再現する映像も流れる。かなりちゃんと作られた劇映画パートで、かなり力が入った作品という感じがした。

さて、1つ先に書いておくべきだろう、本作では冒頭で「謝罪の文章」が表示される。正確には覚えていないが、ざっくり次のような内容だった。「『原爆投下後の様子』として組み込んだ写真は、実は、長崎や東京の大空襲後の写真でした」。国防総省だかどこかの専門機関から提供(あるいは確認)を受けたものだけど、後で調べたら間違っていたことが判明したということのようだ。ミスはどんな場合でも起こり得るものだが、戦争を扱った作品、しかも日本が多大な被害を受けた出来事であるので、日本人としては少し残念だったなと思う。

さて、まずはテッドがどれぐらい天才だったのかについて紹介しておこうと思う。彼は原爆開発に関わっているのだから、当然、マンハッタン計画に組み込まれているわけだが、マンハッタン計画における最年少のメンバーだったようだ。ハーバード大学に在籍している時に、国が優秀な学部生を探しているということで18歳のテッドが選ばれ、始めはウラン235の物理特性を調べるチームに組み込まれた。そしてそこで大きな成果を挙げ、19歳の頃にはより重要な部門、つまり原爆の開発部門に移ることになったのだという。彼はまさに、原爆の核心部である「爆縮」の理論に明るかった人物であり、だからこそソ連に正確な情報を流出させることも出来たのである。作中である人物は、「彼がスパイ行為をしていなければ、どれだけの功績を残しただろう。驚異的な知性の持ち主だった」と話していた。

ちなみにだが、妻ジョーンもかなりの天才肌である。なんと、15歳の時に飛び級でシカゴ大学に入学したのだそうだ。そしてそこでテッドと出会ったという(公式HPでテッドの略歴を読むと、第二次世界大戦後にシカゴ大学に入学したようだ)。ジョーンは、18歳から10年間、28歳までは独身を楽しむ、と決意していたのだが、テッドと出会ってしまいその決意を捨てることにしたという。「彼を手放すなんてあり得なかった。二度と出会えないような人よ」と、その存在を絶賛していた。

ジョーンがテッドのスパイ行為を直接知らされたのは、なんと「結婚しよう」というプロポーズの直後だったそうだ。彼は「マンハッタン計画に参加していた」という事実すら口外してはいけないとされているにも拘らず、ジョーンに「ソ連に情報を横流しした」と告げ、「今ならまだ結婚を止められるよ」と言ったそうだ。そしてその時のことを回想して、ジョーンは「彼を手放すなんて~」と口にしたのである。

では、彼は何故そのようなことをしたのだろうか? 彼の判断の是非はともかくとして、「広島・長崎に原爆を投下する以前の時点でそんな先のことまで見通していたのか」と思わされるという意味で、彼の判断と行動力には目を瞠るものがあると思う。

テッドは、「アメリカがこの兵器を独占するのか危険だ」と考えたのだという。彼は原爆の開発の中心にいたし、それに、砂漠で行われた実験の様子も直接目にしている(彼は、実験が成功して浮かれている仲間たちの反応に違和感を覚え、その後のパーティーには出席せずに、独りで音楽を聴いていたそうだ)。まさに異次元の威力であり、1つの国が独占的に保有するのはあまりにも危険だと考えたのである。

彼の想像は後に現実のものとなる。まだソ連が原爆の開発に成功する前のこと。アメリカはいくつかの国とイランの石油利権を分け合うことを考えていたのだが、当初組み込む予定だったソ連を外すことにしたのだそうだ。その決断に怒ったソ連がイランの国境付近に軍を派遣したところ、当時の大統領であるトルーマンが「48時間以内に軍を退避させなければ爆弾を落とす」と通告したそうだ。ソ連には、この「爆弾」が「原爆」のことだとすぐに理解できた。そのためソ連は、24時間で軍を引き上げたのだそうだ。

「原爆」という、何ものも対抗することなど不可能な破滅的な兵器を一国が所有することによって、世界のパワーバランスがあまりにも不均衡になってしまうことの分かりやすい例と言えるだろうし、そしてテッドは、そのような未来を早くから見抜いていたのである。実際に戦後アメリカの経済人は、「原爆の力によって世界の覇権を握ろう」と画策していたそうだ。ソ連が原爆の開発に成功しなければ、その不均衡なパワーバランスによって世界の構図は激変していたかもしれない。

いやもちろん、ソ連が原爆を開発したことで「冷戦」という緊張状態が長く続くことにもなったわけで、どちらが良かったのかみたいな話は難しい。結局僕らは、2つ以上の未来を同時には体験できないからだ。テッドがソ連に情報を横流ししなかった世界の方がもしかしたら良い世界になっていたかもしれないし、そうではなかったかもしれない。その点はなんとも言えないが、とにかく、少なくともテッドはそのように考えて行動を起こしたのである。

ちなみに、映画を観ていて「なるほど、そうだったのか」と感じたことがある。これは単に、僕の近現代史にかんする知識が激薄だというだけの話に過ぎないのだが、「戦時中、アメリカはソ連に対して友好的だった」そうなのだ。全然そんな印象を持っていなかったので、この点はちょっとビックリした。

当時のアメリカにももちろんソ連を批判する人は一部にはいたのだが、多くの一般市民はソ連のことを「英雄」だと思っていたのだという。「ドイツの脅威からヨーロッパを守り、ドイツと直接闘い世界を守るヒーロー」みたいな捉えられ方だったそうだ。

だから、マンハッタン計画に参加する物理学者の中には「どうしてソ連と情報共有しないんだ」という意見も多くあったという。あのニールス・ボーアもそのような主張を先導的に行っていたそうだ。当時は同盟国だったのであり、であれば、原爆開発の情報を共有するという発想になっていてもおかしくはないように思う。だから、そういう当時の世相を踏まえれば、テッドの思考は決して「イカれたもの」ではないとも捉えられるのではないかと思う。

さらにもう1つ意外だった話が、「アメリカが日本に原爆を投下したのは、ソ連を牽制するためだった」という話である。もちろんそれだけが理由ではないが、そういう側面もあったそうである。

先述した通り、戦時中アメリカ国民はソ連に対して友好的な感覚を持っていたのだが、指導者たちは第二次世界大戦後を見据えていた。「世界の覇権を握る」という目的において、やはり脅威あるいは邪魔になるのはソ連だろう。そしてソ連は、日本への侵攻を検討していた(んだよな、たぶん)。もしそれが実現すれば、終戦後の覇権争いでややこしいことになる。だからアメリカは、「日本を降伏させるのはソ連ではなく我が国の原爆だ」と考え、もはや降伏寸前だった日本に対して無慈悲にも原爆を投下したのである。どんな理由であろうとも、日本人としては「原爆投下」を許容できないが、しかし、「そんなことのために多くの日本人が犠牲になったのか」と思うとやるせなくなる。

ちなみに、マンハッタン計画に参加していた科学者は、トルーマン大統領に宛てて手紙を書いていた。そこには「日本への原爆投下には不同意です」と書かれていたそうだ。また、「日本の軍人を砂漠に呼び、実験を見せるべきだ」という提案もなされていたという。つまり、「実際に使用するのではなく、実験を見せてその威力を体感させれば、すぐにでも降伏するだろう」という考えだったのだろう(まあ、当時の日本人の発想は「一億玉砕」だったわけで、それはあまり意味のある選択肢ではなかったかもしれないが)。その手紙は、マンハッタン計画の主導者であるグローブス(オッペンハイマーは科学者のまとめ役であり、全体の指揮をこのグローブスがとっていたのだと思う)に渡したのだが、グローブスはその手紙の内容に賛同しなかったため、手紙がトルーマンの手に渡ることもなかったそうだ。まあ、作中である人物は、「(仮に手紙が届いていたとしても)トルーマンの考えを変えることは出来なかっただろう」と話してはいたのだが。

さて、テッドはソ連に「長崎型の原爆の図解」も渡していたそうで、もちろんそういう情報も重要だっただろう。しかし、彼が最初にソ連側に流した情報は「マンハッタン計画に参加している数人の物理学者の名前」だったそうだ。それが誰なのかは示唆されなかったが、恐らく名の知れた物理学者の名前を伝えたのだと思う。

そんな情報が何の役に立つんだ? と感じたのだが、その後の説明でなんとなく理解できた。当時ソ連はお財布事情がなかなか厳しく、「成果の出ない計画に資金を拠出することは出来ない」という状況だったそうだ。しかし、「アメリカがこれほどの物理学者を集めて研究を行っている」という事実を知って、ソ連は原爆開発に大金と投入することに決めたのだそうだ。ある人物は、「テッドの情報によって(この「情報」が何を指すのか具体的には分からないが)、ソ連の原爆開発が5年は早まったことは確かだと思う」と話していた。

さて、少し話を戻すが、テッドがソ連に情報を流出させたことは、果たして世界にとって正しかったのだろうか? この判断は難しいが、テッドと共に流出に関わったサヴィの息子は「2人は間違った行動をしたと思う」と話していた。「父もテッドも、歴史や政治には詳しくなかった」そうで、息子はどうも「2人はソ連に肩入れしすぎていた」と感じているようだった。

同じようなことは別の人物も指摘していた。テッドもサヴィも共産党に入っていたようで、恐らく一般の人以上に「ソ連」を良く捉えていたのだと思う。しかし、スターリンが国内で虐殺などを行っていることは、当時から知っている人は知っている事実だった(のだと思う)。そして、テッドもサヴィも、そういう情報を知らない状態でソ連に情報を流したようである。ジョーンもこの点に関して次のように言っていたと思う。

【テッドは、ソ連の残虐な行為を知っていたら恐らく、情報を渡さなかったでしょう。】

しかしそれに続けて、「でも、彼が情報を渡さなかったら、それもまた世界の不幸だと思うけど」と付け加えることを忘れなかった。

さて、テッドもサヴィもしばらくの間疑念を持たれることなく過ごせていたのだが、1951年2月に初めてFBIから尋問を受けたという。当時、ソ連の機密文書をアメリカが解読した「ヴェノナ文書」と呼ばれるものが出てきて、その中に「テッド・ホール」に似た名前のスパイ名が記されていたのである。テッドがまさに「爆縮」の研究を行っていたこともあり、FBIに目を付けられてしまったのだ。

しかしテッドとサヴィはあらかじめ、そのような事態を想定してどのように受け答えするのかを検討しており、どうにかFBIからの追及を乗り切った。しかしその後もずっと、FBIからの嫌がらせのような監視は続けられたという。もちろんその不愉快な監視状態をジョーンも経験することになったわけだが、2人で力を合わせてどうにか乗り切った。

テッドは嘘をつかない人だそうで、同じく嘘をつかないジョーンは「こういう夫婦関係はたぶん珍しいと思う」と言っていた。そしてそんなテッドが、人生で唯一ついた嘘が、FBIから尋問を受けた際のものだったとジョーンは考えているそうだ。そんな人物だからこそ、テッドは何度か「本当のことを話したい」という欲求に駆られたという。特にそれが強く現れたのが、ローゼンバーグとエセルに死刑判決が下った後である。テッドは、「2人を救うために真実を話したい」とジョーンに相談したが、彼女は「絶対にダメ」と言ってテッドを抑えた。テッドはとにかく、ジョーンの意見には素直に従っていたようである。

そんな2人は、ローゼンバーグとエセルの死刑が執行されるまさにその日、どうしても断れない上司からの誘いでパーティーに出席することになっていた。車で上司の家まで向かう間にシンシン刑務所があり、さらにユダヤ教の戒律(って言ってた気がする)により日没までに死刑が執行されると決まっていることもあり、2人が上司の家に向かっている時には既に死刑が執行された後だったのだと思う。車内で2人は無言でいて、パーティーも失礼にならない程度に早めにあがったそうだ。彼らとしては口を噤む以外の選択肢はなかったと思うが、それにしてもやはり、ある意味では自分たちの「身代わり」として命を落としたと言ってもいい2人に想いを馳せると、やるせない気持ちになってしまったのだろうと思う。

そんななかなか壮絶な人生を歩んだテッドとその妻の生涯を追いつつ、「原爆の情報がソ連に流出した真相」について深堀りしていく作品である。全体としては「家族の物語」という感じで、「原爆スパイ」というタイトルから連想されるほどには堅苦しい作品ではないと思う。

映画の最後に、インタビュアーがテッドに「結局、(原爆の情報をソ連に流した)動機は何だったんですか?」と質問している場面が使われている。彼はしばらく考えた末に、「いちばんは思いやりかな」と答えていた(「後から答えるとするならね」と続けて言っていた)。さらに、別のインタビュー映像だが、テッドが「後世の人に何か伝えることは?」と聞かれて、こんな風に答えていた(いつ撮られた映像なのかはよく分からないが、かなり古そうな画質の映像だった)。

【後世の人たちは、認識しなければならない。世界は、大惨事が起こる寸前のところまで来ているということを。】

僕たちはもう、「ロシアとウクライナの戦争」「パレスチナとイスラエルの紛争」「北朝鮮がミサイルを飛ばし続けていること」「アメリカがイランの各施設を爆撃したと発表したこと」などを日々ニュース等で目にするし、それが当たり前になってしまった世の中に生きている。だからもう麻痺してしまっていると思うのだが、確かに僕らは「大惨事が起こる寸前」、というか「大惨事がまさに起こっている」世界を生きているのだと思う。テッドの行為は、世界の悪化を遅らせたのか早めたのか、それはなんともよく分からないが、僕としてもなんとなく「核兵器をアメリカだけが所有している世界」の方がもっと嫌な世の中だったんじゃないか、という気がする。まあその是非について議論するつもりは別に無いのだが、「同じ立場にいて、『このように行動すべきだ』と考えたとしても、きっと、テッドのように行動することは出来なかっただろう」と思うと、やはり凄い人物だなと感じさせられる。非常に興味深い作品だった。

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