【映画】「死ねばいいのに」感想・レビュー・解説
面白かったといえば面白かったけど、そこまででもなかったかなぁと言う感じ。奈緒と伊東蒼は良かったなぁ。
さて、本作は京極夏彦が書いた同名小説が原作で、で、「原作たぶん読んでるはずだよなぁ」と思って自分の過去の記事を調べたら、やっぱり読んでた。でも、まったく何も覚えてないんだなぁ。自分が書いた感想には「メチャクチャ傑作だ」って書いてあるんだけど。まあ、読んだのは16年も前のことだからするっと忘れてても不思議じゃないけど。
ただ、原作の感想を読み返して分かったのは、原作とは結構変えてる部分があるってこと。原作では主人公が男だったけど、映画では女性(奈緒が演じてる)になってる。また、原作は連作短編集で、「ある事実」は最後に明かされる構成になってるんだけど、映画では中盤で明らかになってた。この構成の変更はなかなか上手いなと思う。「ある事実」を先に明かすことで描けることも増えてくるし、さらに奈緒演じる女性の狂気みたいなものも際立ってくるので。
というわけで、内容の紹介をしようと思う。
鹿島亜佐美という女性が亡くなった。誰かに殺されたと思われるが、犯人はまだ捕まっていない。警察は関係者を当たっているようだが、全員容疑は晴れているようだ。
そして渡来映子という女性が、そんな亜佐美の関係者の元を訪ね、「亜佐美のことを聞かせてもらいたいんだけど」と言ってくる。亜佐美と不倫していた会社の部長、偶然隣人になった高校時代の先輩、亜佐美と付き合っていたヤクザの彼氏。「友達なのか?」と聞いても「友達じゃない」と言う。ややこしい関係にあった彼らを責めているというわけでもなさそうだが、じゃあ何なのかよく分からない。
映子は「亜佐美のことを知りたい」とずっと言っていたのだが、彼らが語るのは自分のことばかり。
果たして鹿島亜佐美には何があったのか? 映子は何故亜佐美のことを聞いて回っているのか?
本作の面白い点は、「『当たり前』がするりと入れ替わっていく」ということだろう。
本作に出てくる主要な登場人物はそれぞれ「パッと見のイメージが分かりやすい」という特徴がある。渡来映子だけは終始イメージを掴みきれないのだが、その他の人は「こういう人だろう」ということがイメージしやすい。本作には部長・先輩・恋人と、死んだ亜佐美と関わりのあった人物が映子に詰め寄られるのだが、彼らは結構ステレオタイプ的に描かれる。「こういう人だよね」みたいなことが捉えやすいのだ。また、途中から出てくる弁護士もまた似たような感じだと言っていいだろう。
さらに、それはある意味で亜佐美にも言える。先の3人とはまた違ったニュアンスではあるのだが、やはり「分かりやすいイメージ」の人物と考えていいだろう。
ただ、そういう「分かりやすさ」が、映子の存在によってバタバタとひっくり返っていく。「善悪」とか「正しい/間違ってる」みたいな感覚がどんどんと反転していくのだ。
特に、中盤以降の映子の「屁理屈」は面白い。いや、「屁理屈」じゃなくて「正論」とも言えるのだが、映子が「これが当たり前ですよね?」みたいに口にする、世間一般的には全然当たり前じゃない感覚が、「確かにそう言われたらそうかー」みたいな印象を引き連れてくる。で全部ではないが、その中には僕が普段から考えてることも含まれたりしてて、「いや、ホントそうよな」って思ったりもした。
またそんな「反転」は、『死ねばいいのに』というタイトルに対しても感じられるだろう。作中では何度もこの言葉がセリフとして出てくるのだけど、映子がどんな意図でこの言葉を口にしているのかを知ると、言葉の印象が違って見えてくる。
それは特に、亜佐美に対して向けられた「死ねばいいのに」に顕著なのだが、「まあ、理屈は通ってるんだよなぁ」って感じだし、だから個人的にはメチャクチャおかしいとは思わなかった。が、一般的には「イカれてる」と判断されるだろう。
で、そんな「イカれてる」亜佐美を、伊東蒼が絶妙に演じてて素晴らしかった。「こういう人、いてもおかしくないよなぁ」という雰囲気が見事で、リアルな存在として演じるのが難しいだろう亜佐美を成立させてたなと思う。
さらに、映子は映子でやはり狂気的な存在であり、それを奈緒が良い感じに演じていた。この2人の存在感がなかなか良かったので観れたなという感じだった。
あと、「先輩役が髙橋ひかる」だとは気づかなくて、彼女もなかなか良かったなぁ。部長を演じた前原滉はやはり安定して上手い。弁護士役の人は、奈緒と対峙するにはちょっと弱かったかなぁ、という感じだった。
というわけで、ズバッと良かったわけではないのだが、悪くはなかったかな。「夜の草原」みたいな場所に切り替わっていく演出は結構好きだった。
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