【映画】「アニマル ぼくたちと動物のこと」感想・レビュー・解説

さて、先にこれを書いておきましょう。映画を観に行ったら、「エティーク」というブランドのシャンプーとコンディショナーをもらいました。シャンプーとコンディショナーですが、液体ではなく個体です。石鹸みたいな感じで、これによってプラスチックボトルの削減をしましょう、ということのようです。もちろんまだ使ってないのでどうか分からないけど、「なるほどこんなものがあるのかぁ」と思ったし、映画のテーマと絡めて「行動の第一歩を踏み出させる」という意味でもとても良い試みだなと思いました

さて、本作で扱われているのは「気候変動」「環境破壊」「動植物の絶滅」である。そして、どんな内容なのかに触れる前にまず、一番グサッと刺さったシーンの話から始めよう。

インドで、海岸に流れ着くプラスチックごみの回収を行っているアフロズという青年がとうじょうする。彼の活動によって、3年間で9000トンものプラスチックごみが回収されたそうだ。そのお陰で、100匹のウミガメの卵が孵ったりもした。また彼は自治体にも働きかけ、彼が住む地域でプラスチックの使用を規制する法律が制定されたそうだ。地域に存在したプラスチック製造工場80ヶ所も、すべて閉鎖されたという。

さて、そんな人物が、「とにかく行動しろ」と何度も繰り返し語るのだ。作中には2人の16歳が登場し、世界中様々な人物の会うのだが、彼らは「発信したり広めたりすることも大事だと思う」とアフロズに小さく反論する。しかし彼は、「行動しないなら発信するな。発信するなら行動しろ」と明確に主張していた。

その理由もまた明白だ。

多くの人が、「海洋プラスチックごみが凄まじい量になっている」という事実を知っているはずだ。カメが餌だと間違えてプラスチックを食べてしまうとか、マイクロプラスチックを食べた魚が我々の食卓に載っている、なんて話だって、大体の人が聞いたことがあるだろう。

そう、多くの人が既に「知っている」のだ。しかし、行動を変えようとはしない。プラスチックの使用を制限するような生活に切り替えようとは思わないのである。そしてだからこそ、「行動」が必要なのだと彼は語っていた。

彼は様々な人を動員して海岸の清掃を行っているのだが、「これは単なる清掃ではない」という。現実を知った彼らは、家に帰ってから自らの行動を少し変えるはずだ、というのだ。また彼らは有権者なのだから、環境破壊にならないような方向に一票を投じるはずだ。彼が「プラスチックの規制」を勝ち取れたのも、恐らく周辺住民の意識の変革を行ったからだろうと思う。

さて、正直なところ、この点に関しては痛し痒しと感じで耳が痛い。

僕も、知識はかなり持っている方だと思う。環境問題に関係するような映画や書籍には触れる機会が多いし、気候変動デモを先導し一躍その名を知られるようになったグレタ・トゥーンベリのドキュメンタリーも観たことがある。現在、地球が「史上6度目の大量絶滅期」を迎えており、その最大の原因が「人間」であることも知っているのだ。確か以前何かで読んだ本に書いてあったと思うが、主に「人間」に起因する今回の生物の大量絶滅は、過去類例を見ないほどのスピード・規模で進行しているそうだ。つまり、恐竜を絶滅させた隕石以上に、我々「人間」が地球に悪影響を及ぼしているのである。

さて、そういうことをもちろん知った上で、しかし僕はやはり、「プラスチック製品を使用する」という行動を変えることが出来ないでいる。選択肢があることは知っている。例えば、欧米でも広がりつつあるようだが、「量り売り」が見直されている。店に容器を持ち込んで、必要な分だけ購入することで、プラスチックの使用を減らそうというのだ。しかしやはり、「うーん、めんどくさいな」という気持ちが勝ってしまう。

僕は割と「便利さに身を置き過ぎない」というスタンスで生きれるタイプの人間だと思っている。これは環境のことを考えているとかではなく、単に「便利なものに慣れてしまうと、仮にそれが無くなった場合に適応できなくなるし、人間としての能力も失ってしまう」と考えているからだ。なるべくエスカレーターではなく階段を選ぶとか、冷暖房を極力使わないとか、そのような「不便さ」は別に全然大丈夫だったりする。

しかしプラスチックはなかなかそうはいかない。日常のあらゆるものにプラスチックが使われているからだ。もちろん、「だからこそ使用量を減らさなければならない」わけだが、あまりにもプラスチックに囲まれすぎていて、「これを使い捨てない生活なんか、無理だろ……」と感じてしまうのだ。

だからたぶん、僕の行動は変わらないのだと思う。どうしたら自分の行動が変わり得るのかと考えてみるが、正直、「そういう街を作り、そこに住む」ぐらいしか思いつかない。確かトヨタ自動車が、「自動運転車を使う日常を試す街(ウーブン・シティ)」を静岡に作るという話を昔聞いたことがあるが、そういう感じだ。「プラスチックを使い捨てない街」みたいなのを作り、プラスチックを使い捨てなくても不便でない環境が整備されれば、きっと僕の行動も変わるだろう。しかし、そうじゃないと変わらないだろうなぁ、とも思ってしまう。

というわけで、僕には、本作中で「悪い側」として描かれている人たちにとやかく言う権利は無いように感じられてしまう。行動せずに発信しているからだ。しかし、何もしないよりは発信した方がマシだろうという言い訳をして、あれこれ書いてみたいと思う。

さて、まずは本作がどのように展開していくのかを説明しておこう。本作には、ベラとヴィプランという2人の主人公がいる。ベラはイギリス、ヴィプランはフランスに住む16歳であり、共に環境保護活動を行っている。と言っても、デモやストライキをして主張するぐらいが関の山である。ベラは冒頭で、「子供時代を丸々捧げているのに、何も変わらない。費やした努力が成果に見合っていない。やり方を変えなきゃ」と話していた。

そんなある日、どういう繋がりがあったのか不明だが、フランス人監督(本作の監督)が2人に連絡を取り、映画の出演を打診したそうだ。そして、その監督の手配で、科学者や専門家、あるいは動物学者などと会えることになり、彼らに話を聞き、質問をし、そうして「未来をどうしていくべきなのか」について映画を通じて訴えたいと考えているというわけだ。

さて、映画の中盤ぐらいで、2人が監督から「ここまで色んな人に話を聞いてみてどうだった?」と問われるシーンが収録されている。その中でベラが、「ちょっとガッカリした」と話していた。その理由はこうだ。

【「先駆者の話を聞けば解決策が見つかるはず」だし、後はそれを映画を通じて伝えるだけだと思ってたから】

これ以上の言及はなかったので後は僕の想像に過ぎないが、恐らく彼女は、「世界は既に解決策を持っている。ただ、自分を含めた世界の人がそれを知らないだけだ。だから、それを広めさえすれば、気候変動の問題は解決する」と考えていたのではないかと思う。しかし残念なことに、そんなことはなかった。誰も、その「解決策」を持っていないのだ。

ちなみに、それを聞いた監督が、「私も、この仕事を始めた時はそう思っていた」と言っていたので、決してベラの認識が甘かったわけではないと思う。実際、「科学の世界では当たり前だけど、まだ世間には知られていない」みたいなことは山ほどあるはずだし、気候変動に対してもそのような考えを持っていてもおかしくないと思う。

そして、このインタビューを前後に、全体の方向性が少し変わっていく感じがある。その辺りも説明しておこう。

インタビュー前は、「現状がどうなっているのか」について知る旅だった。例えばベラもヴィプランも都会に住んでいるので、「実際の環境破壊」をその目で見たことはなかったはずだ。だから、様々な国を巡っては、そんな現実を実際に見てみる。あるいは、「大人の汚い世界」を少し垣間見ることで、「偏った民主主義が問題の根本にあるのだ」と考えてみたりするのである。

しかし、様々な現実を目にしたことで、彼らは少し考えが変わる。それを言語化していたのはヴィプランだ。彼はこんなことを言っていた。

【僕たちは、今のシステムを止めるために環境保護活動をしている。でも、その後のことが示されていないことに気づいた。】

そうなんだよなぁ。結局のところ、これこそが根本原因なんだよなぁ、と思う。確かに、「現行のシステム」はマズいと思うし、そのシステムのまま未来に進んでしまえば地球はよりヤバくなるだろう。ある学者が、「過去50年間で50%の野生動物が減った。だから、次の50年で、残りの50%もいなくなるだろう」と発言しており、今のシステムのまま進めばきっとそうなるのだろうと思う。

ただ、「じゃあそれに変わるシステムって何があるわけ?」という問いに対して、誰も答えを見出せていない。そのことにこそ、最大の問題があるのだろうと思う。そしてインタビュー後は、「その『何か』を探し出せないか」という動機で探究が続けられた感じがある。

「現行のシステム」というのは概ね、「『経済成長』こそ最も重要な指標と捉えるやり方」のことを指している。しかし、作中に登場する経済学者が面白いことを言っていたのだが、今世界では「『経済成長』以外の指標がどんどん悪くなっている」というのだ。

例えばアメリカは、経済成長率が年3~4%あるのに、国民の寿命は短くなっているという。また、カリフォルニア州は特にGDPが高い(世界4位と言っていた気がする)が、それと引き換えに「居住に適さない地域」になっているという。その説明に被せる形で、カリフォルニア州で起こった大火事の映像が映し出された。

人によって考え方は異なるかもしれないが、多くの人はたぶん「『幸福』のために『経済成長』を目指している」と考えているはずだ。しかし実際には、「経済成長」以外の幸福に関わる指標はどんどん悪化しているのである。だったら何のために「経済成長」を目指しているのかという話になるだろう(もちろん、「経済成長」を相当上流で牽引している人たちは相当の恩恵が得られるのだと思うが)。その経済学者は、「幸せの条件は『健康』と『社会的つながり』だ」と言っており、「『経済成長』ではなく『健康』『社会的つながり』を追う社会変革をしなければならない」と語っていた。

そして興味深いことに、実際にそのような転換を行っている国があるという。2019年に、3つの国と1つの地域(すべて女性が指導者だそうだ)で、「成長を追わない」という方針が示されたという。ニュージーランドやフィンランドなどで、ニュージーランドでは史上初めて「幸福予算」が組まれたという。その名の通り、「『幸せ』を目指すための国家予算」である。

このような考え方が少しずつ広まることで、「経済成長」という呪縛から人類が解放されれば、環境問題にも何か大きな変化が生まれ得るかもしれないと思う。

さて、この辺りの話に関連して思い出したことがある。以前読んだ『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)に書かれていた話だ。

それは確か、「人類が『言葉』を得たことで大きく変わったこと」として紹介されていたように思う。「言葉」を得たことで、人類は「抽象的なこと」についても考えられるようになった。そしてそれによって、「神話」を生み出せるようになったのだ。ここで言う「神話」とは「ギリシャ神話」などのことではなく、「多くの人が共通に抱いている幻想」みたいなイメージでいいだろう。例えば、「単なる紙でしかない1万円札に『1万円』の価値がある」と考えていることも「神話」と捉えていいだろう。

そして人類は、他の生物には不可能な「変化」を遂げられるようになった。普通生物が何か「変化」をもたらすには、DNAを変化させるか、体内微生物を変えたりする他ない。そして当然それは時間が掛かるし、意識的に実行することも難しい。しかし人類は、「社会の『神話』」を変えることで、大きな変化を一時に成し遂げることが出来るようになったのだ。極端な例で言えば、戦時中は「人を殺せ」と言われていたのに、戦争が終わると即座に「人を殺すな」と言われる、みたいなことだ。そして、このような変化が可能だからこそ、人類は発展・成長してきたと指摘されていた記憶がある。

そしてそうだとするならば、「『経済成長』こそが善である」という「神話」を変えられさえすれば、まだ可能性はあると言えるのではないか。そんな風なことを考えた。

さて、後はいくつか、印象的だった話に触れて終わろうと思う。

まず、本作中に登場するデータで最も衝撃的だったデータから。現在、地球上に存在する「哺乳類」の96%は「人間」か「家畜」であり、野生動物は4%しかいないというのだ。もちろんこれは「哺乳類」に限った話なので、魚とか昆虫は含まれないわけだが、それにしたって凄まじい話だろう。この割合は、ちょっと異常だと感じられた。

また、本作には「環境分野のノーベル賞」と言われるゴールドマン環境賞を受賞したクレールという女性が登場するのだが、ベラとヴィプランが彼女に様々な質問をする中で、クレールが2人を子ども扱いしていない感じがとても良かった。まあこれは、本作全体を通じて言えることではあるのだが、それが一番印象的だったのがクレールなのだ。

なんとなくだが、日本の場合、「高校生が専門家の元に質問にやってきて、それがカメラに撮られている」という状況では、「ちょっと取り繕った受け答え」をしてしまう状況も散見されるように思う。しかしクレールは、「大人の世界の汚い部分」についても隠し立てすることなく話していく。そのような姿が印象的だった。

あと、後半で紹介されるコスタリカには驚かされた。コスタリカは、1950年代まで国土の70%が森林だったそうだが、1980年代にはそれが20%まで低下してしまったという。しかしそこから対策を行い、今では森林割合が50%まで回復したそうだ。コスタリカには、世界中に生息する生物種の5%が存在すると言われ、また、樹木の種類だけでも3000種あるという。作中では、「中央アメリカでも特に大きな『地球の肺』」と紹介されていた。

というわけで、なかなか興味深い作品だった。環境問題は正直、僕自身も行動に踏み出せていないし、多くの人の行動の変容無しには解決し得ない問題だろうから、相当難しいだろうと思っている。しかし現実的に、地球は少しずつ「限界」に近づいているはずだ。少なくとも、人間は地球に対して何の恩恵ももたらしていない。作中では、「アリが地球からいなくなったら、生物は生存出来ない」という話が出てくるのだが、その話の流れで、「例えば今日人間が地球からいなくなったとして、アリはそのことに気づくかな?」という話が出てくる。これはもちろん、「今日アリが地球からいなくなったら、人類を含めたすべての生物種はすぐに困窮する」という事実の裏返しである。

我々は「邪魔者」なのだという意識を持って、何をすべきか考えるべきだろう。

さて最後に。メチャクチャどうでもいい話なのだが、エンドロールを見ていて、ベラとヴィプランの名前の上に「avec」と表記されて「アベック?」と思った。調べてみると、フランス語で「~と一緒に」という意味のようなので、「協力者」ぐらいの意味の表記なのだろう。いや、ホントにどうでもいい話なのだけど。

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