【映画】「夢みる公立校長先生 子どもファーストな公立学校の作り方」感想・レビュー・解説

さて、この映画はホントに、「親、あるいは親になるつもりがある人」は全員観るべきだと思う。それは、「親でもないし、親になるつもりもない僕」が観てもためになったから、という理由もあるのだが、より実際的な理由もある。

それは、「親が『文句を言わない』なら、公立学校は何でもできる」からだ。

「文句を言わない」というのは、「実際に文句を言うかどうか」の話ではない。大事なのは、校長(あるいは学校)が、「保護者から文句が出るかもしれない」と考えてしまうかどうかだ。もちろん、この映画に登場する公立校長先生たちは、「文句が来るかもしれない」という恐れに立ち向かって改革を推し進めた人たちであり、それはもちろん素晴らしいことだ。しかし、世の中のすべての人がそうなわけではない。やはり、「文句が出てくる可能性があるなら、改革なんか止めて、今まで通りを維持しよう」と考えてしまう人も多いと思う。

だから、「文句なんか言わないと思っている」だけではダメで、もっと積極的に「学校に全権を委任するんで、もっと良いように変えて下さい」というアピールをすべき、だと僕は思う。

この映画を観れば、そのことがより実感できるのではないかと思う。だから僕は、「親、あるいは親になるつもりがある人」は全員観るべきだと感じる。

さて、この映画は、前作『夢みる小学校』の続編的な扱いである。『夢みる小学校』では、「きのくに子どもの村学園」という、チャレンジングな教育を行っている私立小学校をメインで扱っていたのだが、その中に、公立学校に関する描写もあった。そして今作『夢みる公立校長先生』は、その公立学校の部分をさらに膨らませたような内容だと言っていいだろう。

その主張内容は、前作と大きく変わることはない。とにかくこの映画で全開に主張されるメッセージは、

【公立学校の運営は、校長先生がすべてを決めることができる】

というものだ。これは、「学校教育法 第37条 第4項」で規定されているのだという。もちろん、「学習指導要領」というものがあり、それの要件を満たす必要はあるのだろうが、逆に言えば、「学習指導要領」さえ満たしてしまえば、後は自由だ。

日本の法律では、「通知表」も「時間割」も「宿題」も「校則」も、「無ければならないもの」ではない。それらすべてを無くしてしまっても、日本の法律には一切抵触しないのだ。僕はこの事実を、前作『夢みる小学校』を観るまでまったく知らなかったので、メチャクチャ驚いた。なんとなく、「宿題」や「校則」はともかく、「通知表」や「時間割」に関しては、法律やルールなどで何かしらの規定が存在していると思っていたのだ。

恐らく、多くの日本人も同じ認識ではないだろうか? 映画の中では、ある校長が、「こんなことは、校長先生や校長先生になろうとしている人はだいたい知っている」と言っていたが、逆に言えば、そういう立場の人以外にはまず知られていない知識だと言ってもいいだろう。

さて、そこで大事になってくるのが「保護者」である。もっと言えば、「保護者のクレーム」だ。映画に出てくる、茅ヶ崎市立香川小学校は、2020年に通知表を廃止した。児童数1000人を擁するマンモス校である。学校側は、通知表を無くすに当たって、すべての家庭に対して説明を行った。その上で、「記名アリで何らかの反応が返ってきた」のが100件ほどあったそうだ(賛成がどれぐらいで、反対がどれぐらいだったかという説明はなかった)。そして、それらすべてにきちんと対応した、と話をしていたが、もし「通知表を無くす」ということに対して、クレームがどっさり戻ってきたら、この改革はなかなか進まなかっただろう。

あるいは、世田谷区立桜ヶ丘中学校は、校則を廃止した。「法律を破らなければ」という条件の元、何をしてもいい。学校に、携帯やパソコンやハンモックなんかを持ち込んでもいいし、服装も髪型も自由。また、「生徒総会で決まったことについては、それを実現するために教師は全力でサポートする」という方針を打ち出したところ、ある年度に「定期テストを廃止してほしい」という要望が出たそうだ。元々定期テストに疑問を抱いていた校長は「よし!」と感じたそうで、それから定期テストも無くしてしまった。

桜ヶ丘中学校では、「登校しさえすれば、どこで何をしていても出席扱い」というルールにしているそうで、授業に出ずに図書館にいたり校長室にいたりしてもOKだそうだ。映画には、中学時代に不登校になってしまい、その後桜ヶ丘中学校に転校したという卒業生が出演していた。転校してからは、学校が毎日楽しくて、今では教師を目指しているという。もし桜ヶ丘中学校に転校しなかったら、今もまだ引きこもりだったかもしれないし、「学校なんて要らないよ」と思っていたかもしれない、とも語っていた。

公立学校であっても、「校長」に権限は絶大だ。ある校長先生は、「何かやってもほとんど(文科省から)怒られはしないし、怒られたら止めればいい」みたいに言っていた。通知表も時間割も校則も無くせてしまうんだから、本当にその権限は絶大だと言っていいだろう。

とすれば、「学校の改革」を阻むものは一体なにか。もちろん、映画ではそのような示唆はほとんどなかったが、「良かれと思って改革したことが、明らかな逆効果として現れた」という事例が存在する場合は、それは「『学校の改革』を阻むもの」として受け取られるだろう。あるいは、校長先生がいかに柔軟であっても、実際に日々子どもたちと接するのは担任の先生なのだから、担任の先生の頭が固いままだと改革が進まないという現実もあるだろう。

しかしやはり、最もネックになるのは「保護者」だと思う。保護者がOKだというものを、担任の先生や校長先生が否定することは難しいだろう。そして、少しでも「保護者のクレーム」が危惧される状況であれば、やはり改革は進まない。とにかく、「いかに保護者が理解するか」こそが最大のポイントだと言える。

そういう意味で、今作の中で一番感心したのは、栃木県の日光市立足尾中学校である。

なんとこの中学校は、コロナ禍だった2020年、2021年に、修学旅行や運動会などのすべての学校行事を中止せず、すべて実施したのだそうだ。驚いた。ニュースなんか見てても、そんな学校のことが取り上げられたのを目にしたことがなかった。こういうのを取り上げられない暗黙の雰囲気みたいなのがあるとしたら、マスコミはやはり厳しい存在になっていくだろうなと思う。

コロナ禍では、政府から休校や黙食など様々な指針が出された。しかっし、足尾中学校の校長である原口氏は、自ら科学論文を読み漁り、あるいは自発的に大学の先生などにアポイントを取って、科学的な知見を十分理解し、その上で「保護者からの質問はすべて私が対応する」「何かあったらすべて私が責任を取る」と言って、すべての学校行事を止めない選択をしたそうだ。映画に登場する校長先生は、皆「革命家」や「戦士」といった感じがするが、中でも原口氏は、一番とんでもないチャレンジを行った人だなと感じた。

実際、足尾中学校では、(恐らく教師も含めてだと思うが)ずっと感染者はゼロだったそうだ。科学と、原口氏の勇敢さの勝利である。

さて、「保護者からの理解」とい点で最も恵まれていると言えるのが、長野県の伊那市立伊那小学校だろう。この学校はなんと、60年前から「通知表」「時間割」無しの「総合学習」を行っているのだ。ここは、特別区や実験校などではなく、ごく一般的な普通の小学校である。つまり、伊那小学校に出来ていることが、他の公立学校でやれない理由はない、というわけです。

では、何故伊那小学校が「保護者からの理解」に恵まれていると言えるのか。それは、考えてみれば当然ですが、「祖父母や両親の時代から、伊那小学校の教育スタイルが『普通』だったから」である。今伊那小学校に通っている子どもたちの親もまた、同じスタイルの教育を受けた人たちなのだ。そりゃあ、反対の声が出るわけもないだろう。最近では、「伊那小学校に子どもを通わせたい」という理由で移住してくる人も増えているようだが、基本は地元の人が通う小学校である。映画に登場した移住者は、「伊那小学校の教育が『普通』とみなされていることに、最初は驚いた」と語っていた。

色んな学校で様々な「総合学習」が行われているが、映画に登場した学校に共通しているのが、「生徒が『やりたい』と言ったことをやる」ということだ。ある校長は、「生徒の『やりたい』が無いと、授業が始まらない」と言っていた。和紙を作ったりなど色々だが、個人的に面白いと思ったのが、生徒発案で企画された「学校に泊まる」という学習だ。生徒が「やりたい」と言えば、最大限可能な範囲で教師がそれを実現できる環境を整え、その中で、生徒たちが自ら行動し進めていくのだ。

「当然だな」と感じたのは、「生徒の『やりたい』から始めれば、生徒が自らルールを作るし、率先して色々と考えるし、約束も守るようになる」という話だ。確かにそうだろう。「これをやれ」と言われたら、「いかにやらずに済ませるか」という方向に頭を働かせるだろうが、「自分が『やりたい』と言ったことをやる」のであれば、そんな発想になりようがない。

校長先生のキャラクターで面白かったのは、横浜市立日枝小学校の住田校長だ。彼の、

【校長が機嫌が悪いのは「犯罪」です】

という言葉は、見事だな、と感じた。彼は、「学校運営は『校長が機嫌よくしておく』だけでいい」「いつでも相談してもらえるように、暇そうにしておく」「校長になって私がしたことは、校長室の机を捨てたことだけ。あとは他の人がやった」などと口にします。こういう人がトップにいると、下の人たちは動きやすいだろうなぁ。

映画には、元文科省の前川喜平氏も出てきて、文科省のスタンスや法律的な話に触れていたのだが、とにかく文科省のスタンスは「現場の自由こそが教育にとって何よりも大事だ」というものらしいです。実際の文科省と公立学校の実態は僕には分からないけど、文科省がそういうスタンスを正しく打ち出しているのであれば、やはり萎縮しているのは学校側ということになるでしょう。

そして、その萎縮の理由には、「保護者」の存在があるのかもしれません。

だから、何度でも繰り返しますが、親、あるいは親になるつもりがある人」はとにかくこの映画を観て、「子どもにとって最高の環境を与えてあげるためには、自分が学校に対してどんなアプローチをしなければならないか」を考えて実行したらいいんじゃないかと思います。


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