【映画】「この世界の片隅に」感想・レビュー・解説

「幸せ」は、与えられるものではない。決められるものでもない。
決めるものだ。
僕はいつもそんな風に思っている。

この映画の良さは、すずが「目の前には存在しない幸せ」を追い求めないことにある。

『お前だけはこの世界で、普通でまともであってくれ』

「普通」の連続を、僕たちは「日常」と呼んでいた。
呼んでいたはずだった。
「日常」が退屈に思えるのは、当たり前のことだ。
だってそれは「普通」がただ連続しているだけなのだから。
人間はずっと、そういうことを当たり前だと思って生きてきたはずだ。

どこかでそれが、少しずつ変わってきてしまったのだろう。
僕たちは、「日常」って退屈だ!と、声高に主張するようになってしまった。
それは、カラスって黒い、と言っているぐらい、当たり前のことなのに。
なんでそんな風に思うようになってしまったんだろう。

『ワシはいつの間にか、人間の当たり前から外れてしまったんじゃのぉ』

昨日と今日と明日が同じであることに、少しずつ人間は耐えられなくなってきている。
10年前と今と10年後が変わっていないことが、不幸だと感じるようになってしまっている。
「普通」の連続が「日常」であり、それ故に「日常」が退屈であることを、何故僕たちは忘れてしまったのだろう。

「幸せ」が与えられるものでも決められるものでもなく、決めるものであるというのは、「幸せ」というのが、「日常」の中から何を見つけ出すかという、その人の意志の積み重ねによってしか生まれないものだからだ。

『しみじみニヤニヤしとるんじゃ』

すずの強さは、そこにある。

『うちも強うなりたいよ。優しくしぶとうなりたいよ』

すずは、生活に対して強い。毎日毎日絶えることのない雑用をこなしながら、少しでも生活を良くするための工夫をこしらえる。生活の合間合間で、絵を描いたり何かを観察したりしながら、ちょっとした楽しいことを拾っていく。

『何でも使うて暮らし続けるのがうちらの闘いですけえ』

すずを取り巻く環境は、決して楽ではない。日本国民全員が等しく苦しい状況に置かれている時代だったからこそ、ふてくされずに前を向けたのかもしれない。そういう意味で、現代とは環境は全然違うだろう。
しかし、自らの意志によってある程度の生活は保障されている現代と比べれば、すずの生きた時代の方が遥かに厳しかっただろうと思う。


戦争は最悪だ。戦争を経験したことはないが、出来るだけ経験せずに死にたいと思う。しかし、戦争だから不幸だった、というのはやはり違うように思う。すずは、たまたま戦争の時代に生きた。しかし、すずのような心持ちを持つことが出来れば、どんな時代環境であっても、そこでの生活に何らかの幸せを見つけ出すことは出来るだろう。

僕たちはどうだろうか?
「幸せ」は、今自分がいるこの場所以外のどこかにあって、私はまだそれに出合えていないだけだ、と考えてしまいがちな僕らは、別の時代で生きることは出来るだろうか?

この映画は、そういう問いを投げかけているのだと僕は感じる。

『ぼーっとしたうちのままで死にたかったなぁ』

すずは、「幸せ」であるために、かつての自分を捨てた。すずは少しずつ理解していったのだ。「幸せ」は自分で決めることなのだ、と。そして、この苦しい環境から「幸せ」を取り出すために、ぼーっとしているわけにはいかないと気づいたのだ。

『お前はホンマに普通やのぉ』

それでも、すずの強さの芯は、「普通であること」にある。
当時、そういう「すず」が、日本中にいたことだろう。そういう「すず」が体現する「普通」が、戦時下の生活を成り立たせていたのだろう。
そういうことこそ、僕らは憶えておかなければいけないのだと思う。


広島市で海苔の養殖を営む一家に生まれたすずは、絵を描くのが大好きな女の子。ぼーっとしてるしおっちょこちょいだけど、ちびた鉛筆でも持たせればなんだって描いた。
決して裕福な暮らしではないけど、身近な人との関わりと日常の中のちょっとした変化を楽しみにしながら、すずもその家族も幸せに暮らしていた。
やがてすずに縁談の話が舞い込む。呉に住む北條家だ。お相手の男性の周作さんとはかつてどこかで会ったような気もするけど、ぼんやりしているすずはうまく思い出せない。
年老いた義父と足を患った義母の代わりに、北條家ですずは懸命に働く。周作さんの姉・径子さんとちょっとうまくいかなかったり、その子どもである晴美さんと仲良くなったりしながら、すずは少しずつ北條家に馴染んでいく。
自分から望んだ縁談ではないけれど、どんな風に生きていくのか、どんな風に生きていきたいのか何も考えないで大人になったすずは、ここ呉で生きていくんだという想いを、様々な経験を経ながら少しずつ固めていく。
やがて呉では、空襲が頻発するようになっていく。


例えば僕らは、現代の戦争のことをニュースで知る。
軍人が大挙し、砲弾が降り、瓦礫が山となり、片脚のない子供が地面を這う。僕たちはそういう映像を見る。
そういう映像しか、見ることが出来ない。

例えば僕らは、過去の戦争のことを教科書で知る。
「◯◯年に××」「△△年に□□」 僕たちは、そういう記述を読む。
そういう記述でしか、知ることが出来ない。

共通しているのは、その時最もインパクトがあった出来事だけが末端まで伝わる、ということだ。
現代の戦争でも過去の戦争でも、そこに何らかの形で記録者がいる。記録者は、自らの意志で目の前の戦争のどこを見てもいい。しかしその記録者は、ただそこにいるわけではない。恐らく報じるためにそこにいる。それ故、報じる価値があるもの、報じる価値があると大勢の人が信じているものを見ようとする。報じる価値がないと判断されたものは、記録者の視界に入っても、末端まで届くことはない。

ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する ジャーナリズムの現場で私が考えたこと」という作品を読んで、遠い他国の現実がどのように報じられるのかを知った。僕たちの日常ではない現実が、どんなフィルターを通って僕らの元に届くのかを知った。

メディアというフィルターを通った情報には、「生活」の匂いはない。

この映画は、メディアというフィルターを通ったらすぐに取り除かれてしまうものだけで出来ている。
「生活」の物語だ。

『すぐやってくるか思うた戦争じゃけど、今はどこでどうしとるんじゃろ』

「生活」から見た場合、戦争というのはほとんど見えない存在だ。見えるのは戦艦だったり、演習だったり、出兵する若者でしかない。それらは、戦争というものを取り巻くもので、戦争そのものではない。

戦争そのもののが見えない中で、うっすらと戦争の気配を感じるだけの日常。そこにははっきりした覚悟や明確な意志が求められる場面は少ない。軍港である呉に住みながら、すずのようなぼーっとした女の子であっても何とか生きていけてしまう、そんな日常だ。


とはいえもちろん、「生活」には大きな影響がやってくる。配給が少なくなる、砂糖の値段が高くなる、食べられる草は摘む、交換できる服は売る、少ないお米の分量を増やす工夫をする。戦争の陰で生活する者たちは、何かが「ない」状況を嘆く余裕を与えられないままに、厳しい生活を迎え入れざるを得なくなる。

しかし、彼女たちの毎日は、何故だか楽しそうだ。

『空襲もう飽きた』

彼女たち自身の目には見えない戦争は、なかなか意識されない。それよりは、モノが少ない中でどう工夫するかという前向きさがそこにはある。ないものはない。みんなない。嘆いたところで何かが変わるわけでもない。誰もがそういう気持ちを共有していたからこそ、厳しい状況でもみんなで前を向くことが出来たのだろう。

その日常を、僕らが「不幸だ」と決めつけることは出来ない。冒頭で書いたように、「幸せ」とは決めつけられるものではないからだ。

『みんなが笑ろうて暮らせりゃええのにねぇ』

もちろん辛いこともある。哀しいこともある。やりきれないこともある。でもそれは、いつのどんな時代にもある。

『あっけのう人はおらんようになる。姿が見えんようになれば、言葉は届けん』

しかしだからこそ、大事に出来るものもある。いつ失われるか分からない、いつ消えてしまうか分からない。だからこそ、未来ではなく今を大事にする。そういう生き方を自然と選択できる。

それはある意味で幸せなことだろう。

僕たちはもう、「生活」に対してあまり不安を感じずに生きられるようになった。それは、とても素晴らしいことだ。「生活」に対して不安を感じるような時代に戻りたいとは思わない。
しかし、「生活」に対して不安を感じないからこそ、人は別のことに不安を求める。おかしなことだが、何故か人間はそういうものらしい。SNSやスマホを手放せない人を見ると、僕はいつもそんな風に感じてしまう。彼らは、SNSやスマホがなくなると何を失うと考えているのだろうか?

人間は、どれだけ満たされていてもそこに不安を見つけ出すことが出来る。そういう生き物だ。だからこそ、もの凄く逆説的なことだが、「生活」に対して不安を感じるほどに、人は「生活」を大切に感じられるのではないかと思う。

衣食住が満たされた現代の僕らの不安は、大体「未来」の中にある。だから「未来」を大切にしたがる。でも「未来」はどうなるか分からない。どうなるか分からないものを不安がって、それに対処しようとする。そんな生き方をしてしまうから、なかなか「生活」から「幸せ」を取り出すことが出来ない。

改めて書くけど、決して戦争時代を良かったと言うつもりはない。そうではなくてこの映画は、どんな「生活」からでも「幸せ」を取り出すことが出来るのだ、というメッセージを感じる。僕らが生きる現実も、戦争ほどではないが、決して素晴らしいと絶賛出来るほどではない。しかしそんな人生でも、そんな人生なりの「幸せ」を手に入れることが出来る。

それを描き出すために、この作品は「戦争」を舞台にしているのだと思う。そういう意味でこの映画は、「戦争映画」では全然ない。

この映画は「居場所」の物語でもある。

『誰でもこの世界で、そうそう居場所はなくなりゃせんのよ』

すずは、慣れ親しんだ広島を離れ、呉へと嫁ぐ。知り合いもいない中、懸命に「生活」することで、少しずつ馴染んでいく。元来ぼーっとしているすずには、どこかに馴染んでいくことはさほど難しいことであるわけではない。

しかし、やはり「戦争」という環境が、すずを振り回していく。
すずは何度か、呉で生きていくことを悩む場面に遭遇する。久々に実家に帰った後で、かつての旧友が北條家まですずを訪ねて来た後で、そして右手を失った後で。
私は、ここにいていいんだろうか、と。

すずにとっての本来の居場所は、やはり生まれ育ったあの広島の家だ。ずっとそこに対する郷愁の念がある。普段意識することはない。しかし、消えることもない。北條家の人間になったつもりでいても、ふとした瞬間に「ここは自分のいる場所ではないのかもしれない」という意識が忍び寄る。

しかし、すずが「居場所」だと思っていた場所は、原爆投下により「居場所」ではなくなってしまう。

『やっぱりここへ置いてもらえますか?』

すずがそう言ったタイミングに、僕は救われた。すずにとってそれは、ギリギリのタイミングだった。もう少し遅ければ、すずは永遠に「居場所」を失っていたかもしれない。あの場面は、とてもホッとした。良かったと思った。

『呉は私が選んだ場所ですけぇ』

すずは流れるように、流されるようにずっと生きてきた。自分の意志でこうしたいと動いたことはほとんどない。それでも、戦争という厳しい環境をくぐり抜けることで、すずはこれまでの人生をひっくるめて、自分で選んできた道だ、と思えるようになった。それを「成長」と呼ぶのは少し違うのかもしれないけど、その変化が物語をグッと締めているように感じた。

『この先うちはずっと笑顔の入れ物なんです。晴美さんはいつでも笑っていたので、笑って思い出してあげようと思います』

そしてすずは、誰かの「居場所」になってあげようという決意をするようになっていく。これは「成長」と呼んでみても、いいのかもしれない。

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