【映画】「ロマンチック金銭感覚」感想・レビュー・解説

さて、今日は僕的には「ロマンチック日和」で、というのも、午後に「われわれなりのロマンティック」という演劇を観に行ったからなのだけど、今回の記事は「ロマンティック」ではなく「ロマンチック」、映画『ロマンチック金銭感覚』の話である。

なかなかおもしろい映画だった。いやしかしホント、最初はどうなることかと思った。冒頭から20~30分ぐらいは正直、「えっ? 大丈夫、この映画?」みたいに思いながら観ていたので、ちゃんと興味深い映画になってくれて良かった。

さて、先に書いておくと、今日僕が観た回「金銭感覚上映」という名前だったようで、「上映後にあなたが映画代を決めて支払って下さい」という仕組みだった。僕はオンラインでチケットを予約したのだが、恐らくシステムの都合上だろう、会計金額が「100円」となっており、その際に「上映後に金額を決めて下さい」みたいな注意書きが表示されたのだ。つまりオンラインで予約した人は、「100円+現地で支払った現金」が映画代となるというわけだ。

劇場に入る前にガチャガチャのカプセルを渡され、「最後にこれに現金を入れて」という形だったので、現金以外の支払いは出来ない。僕はオンラインで予約したし、そもそも普段から現金を持ってるからどうにでもなったけど、「普段完全キャッシュレスの人が、劇場でチケットを購入した場合」は、ちょっと対応出来なかったんじゃないかな、という気もする。そういう人がいたかどうかは分からないが、そういう場合の想定もしていたはずだから、どういう対応をするつもりだったんだろうな、と思う。

さて、僕がいくら支払ったかはここでは書かないが、僕なりに「作品の趣旨に合っているだろう支払い」をしたつもりである。まあ、制作側の人に喜んでもらえているかは何とも言えないが。

というわけで、内容に触れていこうと思うが、しかし本作はとにかく内容の紹介がすこぶるしにくい。観れば全然難しさは感じないが、言葉で説明しようとするとややこしすぎる作品である。まあ、なんとか頑張ってみよう。

さて、そもそもだが、僕は本作を「フィクション映画」だと思っていたので、オンラインでチケットを取る際、劇場のHPに「ドキュメンタリー」と書かれていて「ん?」と感じた。ただその時には、「まあ何かの間違いだろう」とスルーしていた(そもそもどうして「フィクション映画」だと思い込んでいたのかも判然としないが)。

で、映画が始まって、「やっぱりフィクションだったじゃん」と思った。どう見ても、ドキュメンタリー映画じゃない。そんなわけで、それからもそのままフィクションだと思って観ていたのだけど、途中から「そうか、これってドキュメンタリー映画なのか」という理解に変わるのだ。まあ変な映画である。なかなかこんな構成の映画は観たことがない。

というわけで、まずは「フィクション部分」の説明から始めよう。

夫婦なのだろう緑茶麻悠と佐伯龍蔵は、「お金を貯める」ために都会から地方へと移り住んで来た(ちなみにややこしいが、本作の監督・脚本・主演は「緑茶麻悠」と「佐伯龍蔵」である。彼らは現実では夫婦ではないと思うが、本作では夫婦という設定になっている)。しかしお金は一向に貯まらない。どちらも「無駄遣い」をしてしまうからだ。夫はレコードを集めており、また、レコードの掃除のためと言って100円ショップで同じ消耗品を大量に購入する。一方妻は、フリマで安かったからと木彫りの鳥を5体も買ってきたり、「風呂用の塩」を買ったりする。お互いがお互いの「金遣い」を「無駄だ」と感じており、それで口論になることも多い。

で、夫は映像作家であり、お金がないのに次に撮る映画の構想を考えている。そのため、妻に言われた「洗濯物干し」を忘れたりして、それで怒られたりもする。なんだか生活が全然上手く回っていない。

そこで2人は、こういう生活上の問題をがちゃんと合わせて、「お金に関する映画を撮ろう」と考えるのである。

さて、これが「フィクションパート」の設定である。

ではここに「ドキュメンタリーパート」がどう絡んでくるのか。ややこしくなるのはここからである。

彼ら夫婦は、「こんな映画を作ろうよ」という映画の構想について自宅で話をする。そして、これはフィクション映画の「回想シーン」なんかによくあるやり方だと思うけど、「登場人物が過去について話し始めると、映像が回想シーンに切り替わり、回想シーンが終わると登場人物の過去を振り返る会話も終わる」みたいなパターンがあるだろう。それと同じで、彼らが映画の構想について話し始めると映像が「フィクションパート」から切り替わり、「フィクションパート」に戻ってくるとその会話が終わる、みたいな構造なのだ。

そしてその「彼らが撮ろうと話している映画の構想部分」こそが「ドキュメンタリー映画」なのである。

伝わるだろうか? 伝わっている気がしないので、今度は、僕が勝手に想像した「本作の制作過程」を説明しよう。

まず本作では、「ドキュメンタリーパート」が撮られたはずだ。そして「それらが『フィクションパート内で話す映画の構想』になるように、フィクションパートを後付けで撮っていく」という流れだったんじゃないかなと思う。この説明で伝わりやすくなった気はしないが、どうだろう、何となく意味が分かっただろうか?

まあとにかく変な映画である。ただこの構成は、案外良かったなと思う。というのもやはり、「ドキュメンタリー映画」というのはあまり観られないからだ。

僕はドキュメンタリー映画が好きで(というかむしろドキュメンタリー映画の方が好き)よく見るのだが、劇場に足を運ぶ人は明らかにドキュメンタリー映画の方が少ないと思う。最近で映画、『どうすればよかったか?』というドキュメンタリー映画が超絶話題になり満員御礼状態だったが、そんなことはまずない。やはり「ドキュメンタリー」というだけでちょっとハードルの高さを感じさせてしまうのだと思う。

しかし本作は、僕自身もそう思い込んでいたように、なんとなく「フィクション映画」っぽいし、実際にそういう感じで始まっていく。だから、普段ドキュメンタリー映画を観ない人にもかなりとっつきやすい気がするのだ。本作で描かれているテーマ的は、結構色んな人の関心を惹き付けるだろうと感じさせるもので、だからこそ間口は広い方がいい。そういう意味で、この異色の構成は結構良かったかなと思う(ただ正直なところ、フィクションパートは全体的にもう少しレベルが底上げされてほしいなという気はしたが。演技・ストーリーなど色んな部分で、ちょっと見劣りする感じはどうしてもある)。

というわけで本作のメインとなるのは「ドキュメンタリーパート」なわけだが、じゃあそこでは一体何が描かれているのか。それは「お金とは何か?」である。そして、ここで取り上げられる話が実に興味深かった。「『ゆーる』という地域通貨」の話も面白いのだけど、それは一旦後回しにして、個人的に一番刺さった「ユーモ」というサービスの話から始めよう。

「ユーモ」というのは「自分で通貨を作れるサービス」らしい。作中では、「ユーモ」で作られた実際の通貨として「フェアトレードコイン」が紹介されていた。これはその名の通り「フェアトレード」に賛同する人・店の間で使用可能な通貨で、作中ではフェアトレードコインでオリーブオイルを買うシーンが映し出されていた。

そしてこのサービスを作った2人(関わっている人はもっといるかもしれないが、本作で取り上げられていたのは2人)へのインタビューがメチャクチャ興味深かったのだ。

まず初めて知ったこととして「『ファイナンス』の語源」がある。「ファイナンス(Finance)」の語源は「終わりにする(Finish)」なんだそうだ。元々「通貨」は「知らない人同士の間でも交換を可能にするため」に生まれたものであり、だから通貨は使えば使うほど人との関係が終わっていくものとしてそもそも存在しているのだそうだ。

でもやはりそれは何かおかしいんじゃないか。そういう思いから「ユーモ」を生み出した代表の人は、「使えば使うほど人と繋がれるような、そういう設計が出来ないかと思って考えた」と話していた。その具体的な仕組みの1つとして「『ユーモ』で作った通貨は3ヶ月で消えてしまう」というものがある。「3ヶ月で」としか言っていなかったが、恐らくこれは「手に入れてから3ヶ月」ということだと思う。「ユーモ」で作った通貨は「貯め込むこと」が出来ないのだ。だから常に、「手持ちのお金をどう使おう」と考えることになる。だから「行動が自然と利他的になるんですよね」と話していた。

なるほどな、と思う。

さて、この話を聞いて思い出したのが、以前読んだ『年収150万円で僕らは自由に生きていく』(イケダハヤト)である。この本の中に、「お金とは、人とつながらないための『免罪符』」という言葉があり、同じことを言っているなと感じた。「人とつながるのが嫌なら、今まで通り、お金を払いましょう」「近い将来、孤独でいることは、金持ちの道楽になっていくはずです」とも書いており、まさにこれは「ユーモ」が目指している経済圏を予見しているような主張だと思う(『年収150万円で僕らは自由に生きていく』は2012年出版の本である)。

そしてもう1人の関係者が、元銀行マンだという男性。彼は銀行員時代も、その後自ら立ち上げた会社でも「資産運用業」を行っていたそうだが、彼はずっと「なんか違う」という感覚を抱いていたそうだ。そもそも「資産運用」というのは、「既に持っている人のお金を増やすこと」は出来るが、「今持っていない人」のためには何も出来ないというもどかしさもあった。

しかしそれ以上に、「『お金』が目的化してしまう」という問題意識も持っていたようだ。「『お金』そのものに価値はない」と誰もが理解しているはずなのに、それでも皆「お金」を大切にしてしまう。それは何か間違っているんじゃないかという感覚があったそうだ。

本当に価値があるものは、お金の背後にある。しかしそれが「お金」の存在によって隠れてしまう。ではその「価値」とは何から生まれるのか? 彼はそれを「コミュニティ」だと考えているようだ。だから、「関わり合うこと」に価値が生まれるような「お金」のあり方を模索していて、それで代表の人と共に「ユーモ」を作ることになったのだろう。

個人的に凄いなと思ったのは「『ユーモ』で作った通貨は、日本円との交換が可能」という点だ。交換比率は不明だが、普通「地域通貨」と呼ばれるものは不可逆的な存在(地域通貨から日本円には交換不可能)なはずなので、そんな仕組みを実装しているのは凄いなと思う。やはり、「ある程度広く使ってもらえるためには、日本円と交換できないというのは厳しい」という発想があったそうだ。そもそも「ユーモ」は「お金なんか無くても生きていける社会」を目指しているのだそうで、「ユーモ」はそこに至るまでの過程で使ってもらいたいサービスという位置づけなのだと思う。

まったく知らない話だったので、実に興味深かった。ちなみに上映後には、緑茶麻悠と佐伯龍蔵によるトークイベントがあったのだが、その際に、呼ばれて客席から壇上に上がった女性がいる。彼女は「ユーモ」を使って作られた通貨をベースにしたあるコミュニティの運営に関わっているそうで、トークでは彼女の話がかなりなされていた。9/27・28で下北沢でイベントをやるそうなので気になる方はどうぞ(たぶん以下のリンク先のイベントだと思う)。

さて、本作でもう1つメインで取り上げられるのが「『ゆーる』という地域通貨」である。「ユーモ」もそうだが、「ゆーる」も恐らく「ユーロ」を意識したネーミングではないかと思う(メインの意味は「ゆるゆるな通貨」ということのようだが)。

「ゆーる」を発行しているのは個人である。本業(なのかは分からないが)は万華鏡作家のようで、あとはカフェみたいな場所を運営しているようである。彼もまた「貨幣経済への疑問」みたいなものを感じていたようで、だから、自らの実践によって「貨幣経済からの脱却」を目指そうとしたようだ。

「ゆーる」は既に、地域内で100万ゆーる(つまり100万円相当分)が流通しているそうだ。地域内の特定の店舗では「ゆーる」での支払いも可能である。「ゆーる」ではもちろん、彼が作っている万華鏡を買うことが出来るが、それだけでここまで広まらないだろう。どうやら色々工夫をしているようだ。

まず、「ゆーる」の発行はガチャガチャで行っている。500円玉を入れると、550ゆーるとか1000ゆーるなど色んな金額のものがランダムに出てくるようだ(見た目はビックリマンチョコみたいな感じである)。「ゆーる」の場合、地域外の通貨が流出することがないので(そもそも使えない)、日本円との交換比率を若干変動させても帳尻が合うように設計できるのだと思う。

また彼は、「ゆーる」を発行する以外の形でも「脱・貨幣経済」を実現しようとしている。彼が運営しているカフェは、ギフト(寄付のことだろう)で成り立っているというのだ。恐らく、「値札」みたいなものがなく、「好きな金額を払って(しかも、おそらく「ゆーる」で)くれればいいですよ」という仕組みになっているようだ。

どうしてそんなやり方で運営できているかと言えば、コストを最低限まで抑えているからだ。電気は太陽光発電、水は川から引いているようだ。さらに、客の便・尿を肥料に出来るようにトイレを設計しており、それで野菜などを育てている。こうしてコストを抑えることで、ギフトでの運営を可能にしているというわけだ。

「ゆーる」はどうしたって日本円には交換不可能なので(まあ、「交換してもいいよ」という人がいれば別だが)、この店主が日本円を必要とする場合(例えば税金を払うにしても日本円は必要になるだろう)どう対処しているのかはよく分からなかったが(彼の万華鏡を「ゆーる」以外で買う人も当然いるだろうから、それで賄えているということかな)、その辺りが上手く回るのであれば、これはとても良い仕組みだなと感じた。

あと「ゆーる」に関して笑ってしまったのが、「煩悩」が書かれたバージョンがあるという話。全部で108枚の「煩悩ゆーる」が流通しているそうで、「煩悩は早く手放した方がいいからより流通する」「地域通貨で初めて悟りを意識した」みたいな話に思わず笑ってしまった。メチャクチャ面白いじゃないか。

さて、「ドキュメンタリーパート」で描かれていることはまだある。それは、緑茶麻悠と佐伯龍藏が地域通貨を発行しようという試みである。映画冒頭で、「彼らが『クワガタ』という名前の通貨を発行している」という話が出てきて、全然意味が分からなかったのだが、「ドキュメンタリーパート」を追っていくと理解できるようになる。彼らもまた、地域の中で「通貨を介さない経済活動」を実践し、それをドキュメンタリーとして収めているというわけだ。

まあそんなわけで、こんな風に「お金とは何か?」という話が深堀りされていくのである。

さて、個人的には他にも興味深かった話がある。「石ラジオから流れる昆虫の話」である。「石ラジオ」については僕にもちょっと設定の意味が分からなかったので説明はしないが、とにかく「石からラジオのように音声が聞こえる」という謎設定があり、その中で語られる話がメチャクチャ面白かったのだ(ただ、全然「お金」の話には関係がない)。

例えば「ゲレンデ」の話。エンドロールで、このラジオの声を担当しているのが「小松貴」という昆虫学者だと表記されるのだけど、彼の実感として「かつてはゲレンデを憎んでいた」そうだ。要するに、「人間の都合で自然を壊している」みたいな理由からである。しかし考えが変わったそうだ。そしてその理由が興味深い。なんと、「草原に棲む昆虫にとっての最後の生息地がゲレンデだ」というのだ。

日本にはかつて、放牧地などのような「草原」がちゃんと存在したが、今は無くなっている。だからどんどんと「草原に棲む昆虫」がいなくなっているそうなのだ。そしてそんな昆虫にとっての最後の避難先が「夏のゲレンデ」だという。日本にほぼ唯一と言っていいぐらい「ちゃんと存在している草原」だからだ。結果的にではあるが、「ゲレンデ」は昆虫の生息のために重要な寄与を果たしているというわけだ。

あと、「中規模撹乱仮説」の話も面白かった。これは、「自然環境は、乱され過ぎても、乱されなくても、生物の多様性が失われる」という仮説である。乱され過ぎた場合、その過酷な環境で生き残れる生物種だけが残るし、乱されない場合は、競争に強い種だけが残る。だから、「適度に乱される環境」ぐらいが最も生物の多様性が保たれる、ということのようである。

で、昔の日本は、薪を作るのに木を伐採したり、あるいは技術的に自然災害に対処出来なかったりと、「それなりに乱される環境」が整っていたため、生物も割と多様性を保てた。しかし今は、薪も使わないし、枯れ葉を肥料にしたりもしない。また、山肌をコンクリートで固めたり、川の護岸工事を行ったりと自然災害によるダメージを抑える対策が取れるようになった。そのため、環境があまり乱されることがなく、結果的に生物の多様性が失われている、ということらしい。この話もまったく知らなかったので、実に興味深かった。

まあそんなわけで、最終的には結構面白く観られる映画だったのだけど、冒頭でも書いた通り、最初は「おいおい大丈夫か?」という感じだった。そんな冒頭の展開からは想像も出来ないような内容で、さらに「フィクションとドキュメンタリーを組み合わせる」というかなり異色の構成で、なかなかチャレンジングな作品だなと思う。そして、そんな本作で描かれる「脱・貨幣経済」の話は、現代を生きる多くの人にとって結構関心を惹き付けるテーマではないかと思う。

上映している劇場はかなり少ないが(僕が観た「新宿ケイズシネマ」では、9/12金までの上映)、自主上映なんかも申し込めるようなので、興味がある方は色々調べてみてほしい。

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