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雑に扱われたい

決して「すべての人に」というわけではないのだが、僕は割と「雑に扱われたい」なと思って生きている。いや、「雑に扱われたい」というよりは、「ちゃんとは扱われたくない」というのが正確だろうか。特に、「関わりたい」と思える人に対してはそう感じる。ただし、「相手が僕を雑に扱ってくる」という要素が「この人と関わりたいな」という気持ちを高めるみたいなこともあるので、「『関わりたい』と思えるからこそ、その人から『雑に扱われたい』」というだけの単純な話でもないのだけど。

大学時代の友人と話していて、「年下は年上を敬うべきだ」みたいな話になったことがある。僕にはまったく理解できないが、「後輩は先輩を立てる振る舞いをすべきだし、自分はそういう扱いをされたい」みたいなことを言っていた。この文章を書いている時点で僕は42歳だが、今でも僕にはこの感覚はさっぱり理解できない。

というのも、「敬う」「立てる」「気を遣う」みたいな振る舞いは「その人自身」から離れたものだからだ。

僕は常に、「その人自身」に興味がある。相手が何を考え、何を感じ、どんな経験をしてきて、どんな価値観を抱いているのか。そういうことにしか興味がないと言ってもいいだろう。そしてだからこそ、そういう要素を覆い隠すような振る舞いは、僕にはまったく好ましく感じられないのである。

そんなわけで僕はなるべく、「こいつには何を言っても大丈夫だ」と相手が感じてくれるような振る舞いを心がけているつもりだ。僕は仲良くなった人にはよく、「自分がいかに『男』として見られないようにするか頑張っている」みたいなことを話すのだが、そういう「否応なしに付きまとってしまうラベル」も含めたすべての「先入観」を可能な限り外そうと努力している。もちろん、僕自身も相手を「ラベル」で捉えないような意識を持っているつもりだ。だから、「普通なら他人に話したりしないだろう」という話を聞けたり、「年齢・性別・趣味などに共通項がまったくない人」と割と仲良くなれたりもするのだと思う。先日も、僕が誘ってある場所へ出かけた際、後で「途中で飽きちゃった」みたいな話をされて、メチャクチャ良いなと感じた。「本当のこと」を聞きたい僕には、「嘘でもいいから『楽しかったです!』と言ってほしい」みたいな感覚はまったくない。

量子力学では、「量子(原子など)は、観測しなければ『波の状態』を、観測すると『粒子の状態』を取る」とされている。つまり、「原理的に『波の状態』を観測することは不可能」というわけだ。そして、人間にも近い部分があるだろう。「1人でいる時の状態」と「他者といる時の状態」は別物のはずで、カメラなどの機器の使用や覗きなどの行為を排除すれば、「『1人でいる時の状態』を他者が観測すること」は不可能である(観測するためにはその場にいなければならず、それは「他者といる時の状態」になってしまうから)。

でも僕は、その不可能を可能にしたい。僕と一緒にいる時、相手が「『1人でいる時の状態』でいても大丈夫だ」と思ってくれたら本望である。

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