【映画】「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序」感想・レビュー・解説

エヴァンゲリオンって、ホント、なんで面白いんだろうなぁ、と、観る度に思う。やっぱり、面白いよなぁ。

僕の不確かな記憶では、中学生の頃、夕方にエヴァンゲリオンのアニメが放送されていた。急いで学校から帰るとギリギリ観れる、みたいな時間だったからら、全話ちゃんと観れたわけじゃない。たぶんその後も、TVアニメ版は全話ちゃんと観たことないんじゃないかな。しかし、僕が中学生ってことは、今から25年近く前。たぶん今ほど「アニメ」が市民権を得てない時代だっただろうし、「アニメは子供が観るもの」みたいなイメージだったはずだけど、そう考えると、あの夕方やってたアニメは、基本的には子供向けに作られた(少なくとも表向きは)ってことだよなぁ。TVアニメ版、全部観てないわけだけど、それにしたって、「子供向け」っていうには無理のある内容だったよなぁ、と思う。よくもまあ、あの時代に、あんなアニメが流れてたものだ。

それから、劇場版は公開される度に観てる。今回も、新作が公開されるタイミングだから、映画館で「序」「破」「Q」が期間限定で公開されるから、観ていこうと思う。

とりあえず改めてエヴァンゲリオンを観てて思うのは、「音楽が染み込んでるよなぁ」ということ。エヴァンゲリオンには、「危機的状況になり始めたぞと伝える音楽」とか「次回予告の音楽」とか、とにかく印象的で、映像がなくても耳で音楽を聞くだけで体のエヴァンゲリオン受容体が反応するみたいな、そんな感じがある。セロトニンに反応する受容体があるみたいに、エヴァンゲリオンの音楽に反応する受容体が後天的に出来たんだろうなぁ。なんか、身体のテンションが勝手に上がっちゃうんだよなぁ。

あと、たぶんTVアニメ版ではそこそこ(それでも「そこそこ」だと思うけど)描かれてただろう全体の設定が、劇場版ではとにかく全然描かれない。碇シンジは、訳もわからないまま連れてこられて、説明もほぼなされないまま、エヴァンゲリオンという人造兵器に載せられるのだ。TVアニメ版とかゲームとかコミックに一切触れないまま劇場版を観た人は、とにかくまったく意味不明だろう。

でも、たぶんそれでも面白く観れちゃうんだよなぁ、エヴァンゲリオンって。

たぶんそれって、「この物語には、その奥にメチャクチャ深い設定があるんだろうな感」みたいなのを誰もが感じちゃうからだと思う。これは、ジブリ映画にも同じことが言える気がするんだけど。アニメ全般に詳しいわけじゃないから結構テキトーなことを書くけど、普通アニメって、世界観の設定が最初は謎めいていても、物語の展開と共にそれが徐々に明らかになっていくものが多いんじゃないか、と思う。でも、エヴァンゲリオンもジブリ映画も、大体、なんのこっちゃ分からないまま始まり、終わる。でも、「たぶんこの物語にはメッチャ深い設定があるはず!」という感じは、否応無しに伝わる(たぶん)。だから気になっちゃう物語に仕上がってるんだろうなぁ、と思う。

さらに、そういう設定の深さみたいなもので物語を引っ張ろうとするわけじゃなくて、エヴァンゲリオンって結構ポップに物語が展開していく。ミサトさんとの生活だったり、綾波レイとの邂逅のシーンだったり、何故かちょいちょいある「ちょいエロシーン」みたいな、物語や設定の上では特別必要ではない部分が結構あって、そしてそういう部分が観ている人をシンプルに画面に惹きつける感じになってる。「ポップに展開する楽しい映画だけど、奥深そう」みたいなイメージが、映画全体を面白くしてるし、何回観ても飽きない要因なんだろうなぁ、と思う。

さらに、碇シンジの主人公性が特殊で面白い。エヴァンゲリオン以前のアニメのことに詳しいわけじゃないけど、碇シンジみたいな内向的で後ろ向きでメンタル不全みたいな主人公ってあんまりいなかったんじゃないかなぁ。今は碇シンジみたいな主人公は別に普通にいると思うけど、それまでの「主人公感」とは真逆な感じだっただろうから、そういう意味で中学生ながら印象的だったんだと思う。

碇シンジの特異な点は、確かに「エヴァンゲリオンに乗って戦って世界を救う」っていう事象に対しても思い悩むんだけど、でもそれと並行して、ほぼ同等に近いような悩みとして「父親との確執」がある。もちろん、「父親との確執」は別にあっていいんだけど、それが「世界を救う闘い」と同列に扱われている感じがするのが、メチャクチャ異様な気がしてしまう。エヴァンゲリオン以前のアニメの主人公なら、「正義や未来のために俺は戦うぜ!」みたいな感じが普通だった気がするけど、碇シンジの場合、正義とか未来とかはどうでもよくて、「エヴァンゲリオンに乗って戦う理由は、父親に認められるため」だったりする。現実的には「エヴァンゲリオン」なんてものは存在しないわけだから想像するしかないけど、もし自分が碇シンジと同じような立場に置かれた時、「父親との確執」と「世界を救うこと」がほぼ同列になるような想像が出来なくて、ちょっとそこに驚く。まあ僕の場合、「家族的なもの」に対する感覚が非常に薄いから、それもあって同列には感じられないのかもしれない。もっと一般的な感覚の人(つまり、家族とかをちゃんと大切にする人)であれば、「父親との確執」と「世界を救うこと」が同列になることに共感できるのかもしれない。うーん、どうなんだろう。

いわゆる「セカイ系」と呼ばれる作品が2000年代に流行ったけど、まさにエヴァンゲリオンがその走りなんじゃないかな。主人公の存在や奮闘が、主人公のいる世界全体の成否に関係する、という物語が「セカイ系」って呼ばれるはずなんだけど、まさにエヴァンゲリオンは、碇シンジの精神状態が、世界の救済に関係してくる。まるで、世界全体が、碇シンジの神経と接続したかのような歪さみたいなものが、エヴァンゲリオンの魅力だよなぁ、と思う。

しかし、久々に観たから全然覚えてなかったけど、「序」ではアスカって出てこなかったんだなぁ。綾波レイは、やっぱりいいなぁ。あの感情が欠落してる感じが素敵。「どういう顔をしたらいいか分からない」に対して碇シンジが「笑ったらいいと思うよ」って言った時の反応とか、素晴らしいですね。

いいなと思ったら応援しよう!

長江貴士 サポートいただけると励みになります!