【映画】「リー・ミラー 彼⼥の瞳が映す世界」感想・レビュー・解説

「リー・ミラー」という名前を初めて知ったのは、映画『シビル・ウォー』の中でだった。主人公の戦場記者が、「彼女に憧れて戦場記者を目指した」みたいな話の中でリー・ミラーの名前を出していたのだ。というかそもそも、『シビル・ウォー』の主人公のモデルがリー・ミラーらしい。そうだったのか。

戦場記者と言えば、ロバート・キャパとか渡部陽一ぐらいしか知らなかったので、「そうかこんな人がいたのか」と感じさせられた。

少し前に、ロバート・キャパの写真展を観に行ったのだが、その中に、「ドイツ兵と親しくしていたために丸刈りにされた女性」を映した写真があった。そして本作にも、リー・ミラーが撮ったらしいまったく同じ状況を映した写真が登場した。まったく同じ場所にいたかどうかは分からないが、ロバート・キャパとリー・ミラーは、同じようなタイミングで同じような場所にいたのだろう。ロバート・キャパのことは知ってるんだから、その流れで、どこかのタイミングでリー・ミラーの名前を耳にしていてもおかしくない気がするのだが、どうして今まで彼女の名前を聞いたことがなかったのか、不思議だ。

さて、映画を観る前の、たぶん予告の段階で知ったのだけど、リー・ミラーは元々モデルだった。『VOGUE』誌などで活躍した人物で、実に華やかな世界にいたのである。本作でも冒頭では、「優雅な交友関係」みたいな場面から始まる(そこで、後に夫となるローランドと出会い、すぐに恋に落ちるのだ)。彼女は、「酒とセックスと写真が得意で、その3つしかしていなかった」と語っていた。そう、昔から、写真を撮ることも得意だったようだ。彼女は、「撮られるより、撮る方が好き」みたいに話していたほどだ。

本作は、1938年から始まるリー・ミラーの生涯のパートと、1977年の晩年のリー・ミラーの語りで構成されている。記者らしき男性が、リー・ミラーにインタビューを試みているようで、その中で語っている話を回想して振り返る、というような構成の作品である。

それで、その回想が1938年から始まるのだ。この時点で彼女が何歳だったのかよく分からなかったが、ネットで生年を調べると1907年と出るので、31歳ということだろう。後に彼女は、イギリスの『VOGUE』を訪れるのだが、そこでセシルといういけ好かない男(だが、とても有能らしい)から彼女は、「年増のモデルは採らないよ」みたいに言われていた。彼女がモデルとして最も活躍していたのがいつなのか分からないが、既にこの時点では全盛期は過ぎていたということだろう。

とはいえ、モデルから報道写真家への転身というのはなかなか異例である。一体、何があったのだろうか?

リー・ミラーはそもそもアメリカ人なのだが(これも物語的には非常に重要なポイントである)、1938年にはフランスにいた。友人の多くがパリにいたようだ。しかし彼女は、ローランドに付いてイギリスへと渡ることに決める(ローランドは元々イギリスの人だったようだ)。そしてその後、欧州ではひたひたと戦争の足音が、それはつまりナチスドイツ、ひいてはヒトラーの足音ということだが、そんな足音が聞こえるようになっていったのだが、イギリスは少し離れていることもあり、状況はよく分からなかった。

ローランドからは、「パリの仲間は皆地下に潜った」と聞かされていた。友人たちはそんな中でも、レジスタンスに参加するなど色々活動を続けていたそうだが、リー・ミラーはパリに戻ることもなく、また、写真家として身を立てようと『VOGUE』に売り込んでみたもののそう簡単な話ではなかった(戦時下で、次号が出せるかどうかも分からないみたいな状況だったから仕方ないだろう)。

このような環境にいたリー・ミラーは、「自分は役立たずだ」と自信を失っていったそうだ。それまで自信満々で華やかな世界に君臨していた時とは別人である。

そんな中で彼女は、『VOGUE』誌のカメラマンとして戦場を撮影することに決めるのだ。「自分も何か役に立てることをしたい」という気持ちが強かったのだろう。さらに言えば、「パリにいる友人がどうなっているのか知りたい」という気持ちもあっただろう。イギリスにいては、戦況はまったく分からない。だから、記者として戦場に潜り込むことを考えたのだ。

しかしそれは簡単な話ではなかった。イギリスでは、女性を従軍記者とは認めなかったからだ。ある場面でリー・ミラーは、タッグを組むことになった『LIFE』誌のデイヴィッド・シャーマンに、「あんたが戦場に行けるのはタマがあるからだ」と言い放っていた(フランス語も喋れないのに、デイヴィッドはフランスへの派遣が決まったのだ)。リー・ミラーは、単に「女性だから」という理由で、戦場に立つというスタートラインにすら立つことが出来なかったのだ。

しかし彼女は諦めない。あの手この手でどうにか戦場へと潜り込み、今もその名を知られる戦場記者となったのだ。

僕は全然知らなかったのだが、彼女が撮った最も有名な写真は、「ヒトラーと愛人が自殺した日に、ミュンヘンのヒトラー宅の浴室で撮ったセルフポートレート」である。本作『リー・ミラー』のメインビジュアルの写真がそれだ(もちろんこのメインビジュアルの写真は本物ではないが)。リー・ミラー自身が裸で浴室に座り、奥に白黒のヒトラーの写真が配されている。

この写真、「カメラマン」の発想じゃないよな、と思う。何せ、自分が被写体になっているんだから。これは本当に、「モデルとして名を馳せたことがある写真家」だからこその発想と言っていいんじゃないかと思う。「有名かどうか」で言えば、彼女が撮った写真にはもっと有名なものはあるかもしれないが(歴史的な価値で言えば、ダッハウ強制収容所の写真などが最も有名かもしれない)、公式HPによると、この浴室の写真は、「20世紀で最もアイコニックな写真の一つ」らしい。まあ確かにそうだろうな。「戦争を伝える写真」として、これほど特異なインパクトをもたらす写真はなかなかないように思う。

さて、本作では「女である」という点に焦点が当たるポイントが多くある。浴室で撮ったセルフポートレートも「リー・ミラー自身が裸で映っている」という部分が印象的だし、「ドイツ兵と親しくしたから丸刈りにされた女性」も、女性にとってとても大切な「髪」を切られてしまっている。また先述した通り、リー・ミラーは「女性だから」という理由で戦場に行けなかったりしたのだ。

しかし、個人的に最も印象的だったのは、「女性ばかりが集まる避難場所」での描写である。リー・ミラーは、配給のパンをいくつも持って走る女性に注目し後を追いかけると、薄暗い建物の中に大人も子どもも女性ばかりが集まっていた。詳しい状況は分からないものの、後にリー・ミラーが別の場面で話していたことを踏まえると、「『女性である』という理由で辛い目に遭った者」が肩を寄せ合っている空間だったのだと思う。

その中に入ろうとしたリー・ミラーは、女性たちの視線を感じて、まず帽子を取った。髪の長さを見せて「私も女性だ」とアピールしているのだ。しかしそれでも、軍服を着たリー・ミラーを怖がる少女の姿が映し出される。僕には、このシーンがもっとも印象的に感じられた。というのも、「女性であるリー・ミラーが、女性から受け入れられていない場面」に思えたからだ。

リー・ミラーは、「男性社会の中で受け入れられない」という状況に対しては「ナニクソ!」という気持ちで奮起して、決して屈せずに闘い続けられた。しかし、「女性に受け入れられない」という状況にはかなり戸惑ったんじゃないかと思う。特に、後に彼女が『VOGUE』誌の編集長であり友人であるオードリーに語っていた話を踏まえると、余計にその状況は受け入れがたかったんじゃないかと思う。リー・ミラーは、目の前にいる彼女たちと同じ側にいるつもりのはずだし、彼女たちに何かを届けたくて『VOGUE』誌のカメラマンをやっているみたいなところもあると思うのだが(それは中盤ぐらいの場面で「あなたの仕事は世の中を教えてくれます」と言われた場面からも伝わるだろう)、彼女を突き動かしているそんな信念が崩れてもおかしくないような場面だったんじゃないかなという気がする。

リー・ミラーにはずっと、ローランドから「(戦場から)戻ってほしい」という手紙が届いていた。しかしリー・ミラーはそれを振り切り、デイヴィッドと共により悲惨な場所へと向かっていく。フランスで、多くの人が”消えて”いることを知ってしまったからだ。共産主義者、同性愛者、黒人など様々な人が、ある日突然消えてしまう。そんなことがフランスでは日常茶飯事だったのだ。もちろん、ナチスドイツの仕業である。そして、そんな実態を知らずに「戦争終結!」と浮かれている人たちの話を全無視して、リー・ミラーは「絶望」の奥深くへと入り込んでいくのだ。

「一度見たら、記憶から消し去ることは出来ない」と彼女は言っていた。本作では、彼女が撮った写真を再現した写真が作中で多数登場するのだが、「ホロコースト」という言葉を既に知っている僕らでさえ衝撃を受けるような惨劇が映し出されている。世界でまだほとんどの人が「ホロコースト」など知らなかった時に、真っ先にそんな惨劇を目にしてしまったリー・ミラーは、その時何を考えていたのだろうか?

そして、言葉にも出来ないし感情としても表すことが出来なかったそんな溜まりに溜まった「何か」を吐き出すようにして、あの浴室の写真が撮られたのかもしれない。その撮影の後、撮影を手伝ったデイヴィッドが号泣しているシーンは、観ている時にはちょっと不思議だったのだが(「何故今なんだ?」と思った)、今こうして自分で感想を書いている中で少しずつ納得感が出始めている。あの浴室の撮影でリー・ミラーがその「何か」を吐き出したように、シャッターを押したデイヴィッドもまた、「何か」を吐き出さずにはいられなかったのだろう。

そして、映画のラストにはちょっとした驚きが用意されている。なるほど、この構成は上手いなと思う。映画のラストで字幕で表記された事実を、映像的に的確に視覚化している感じがあって、なるほどなぁという感じだった。

映画を観ててよく分からなかったのが「AH」なんだけど、これは「A.H.」で、どうも「アドルフ・ヒトラー」のことのようだ。まあ、言われてみればそうかという感じだけど、観てる時には分からなかった。みんな分かるんかな、これ。「ヒトラー」で覚えてるから、「アドルフ」とか咄嗟に思いつかないわ。

劇場は結構混んでて、僕の普段の感触だと、そこまで集客力のある作品には思えないから、SNSか何かでちょっと話題になってたりするのだろう。どういうきっかけだろうと、こういう作品に触れる機会があるというのはとても良いことだと思う。「女性の物語」としても「戦争の物語」としても、あるいは他の物語としても、様々な捉え方が出来る作品で、素晴らしかったと思う。実に興味深い生き様だった。

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