【本】落合陽一「日本再興戦略」感想・レビュー・解説
やっぱりべらぼうに面白いな、落合陽一。
でも、落合陽一の本を読むと、ちょっと凹む。
なにせ、僕より4歳も年下なのに、「日本の新しい戦略を提示するのは僕の義務だ」なんて言うのだ。
【そうした新しい戦略を日本のみなさんに伝えることは、今の僕の義務だと思っています。なぜなら、普段から、国立大学法人で教育に携わって、自分の企業を経営して、アーティストとして芸術作品を生み出し、国際会議や論文誌で研究を発表し、プロダクト作りに関わるテクノロジーとデザインに詳しい人間は、日本に僕を含めて数人程度しかいないからです。各分野の専門家はいるのですが、教育と研究と経営とアートとものづくりとをどれもやっている人はとてもレアです。】
そもそも他に「数人」もいるんだろうか?って感じだけど、ホント、凄いもんだなと思う。僕はあまり「この人になりたい」と思うことはないけど、落合陽一が見ている世界は見てみたいと思う。僕とは全然違う世界を生きていることだろう。
さて、本書は、まさにタイトルの通り、日本を再興するにあたってどうすべきか、という提案だ。そしてその提案のほとんどは、個人に向いている。国の偉い人や、地方公共団体の首長などへの提言ももちろんあるが、落合陽一の一番の目的は、「意識改革」だ。方向性が見えていても、解決策が分かっていても、多くの人の意識が変わらなければ日本は変わっていかない。そこに著者はアプローチしていく。
本書の大雑把な構成を書こう。
まず著者は、「日本ってそもそもどんな国だったっけ?」という話をする。これは、歴史や宗教の話をふんだんに盛り込んでいく。「大化の改新」「神話の創造」「徳川的地方自治」「士農工商」「百姓」など、様々な事柄を取り上げながら、日本(東洋)の本来的な精神性みたいなものを非常に分かりやすく概観していく。
どうしてそんな必要があるのか。それは、日本の問題の多くが、「日本(東洋)らしさを捨てて、欧米の考えに染まっているからだ」と指摘するためだ(そもそも著者は、「欧米」などというものは存在しない、つまり欧州と米国はまったく別物だ、と書いているのだけど)。「ワークライフバランス」「グローバル」「幸福観」「愛」「個人」など、もともと日本には存在しなかった概念が幅を利かせるようになったことで問題が起きている。本来の日本人は、我々が今頑張って(あるいは無意識的に)追いつこうとしている欧米の概念を知らなかったし、知らないままで長い歴史を重ねてきたのだから、日本は日本の在り方で良いと著者は言う。
例えば、本書に書かれていてなるほどと感じたのは、西洋では、言葉や概念は「みなが理解する権利がある」と考えるという。だからこそ、西洋的な思想は言葉の定義が明確なのだ。また西洋では、何か理解できないことがあれば、「わかりやすくインストラクションしないお前が悪い」という発想になるのだ、という。欧米人が議論に強い理由が分かりますね。
一方東洋は、「わかりにくいものを頑張って勉強することで理解する」という価値観だ。「禅」などまさにそうだろう。そういう文化にいるのだから、西洋とは違って言葉の定義は明確ではない。そしてそれでいいのだ、と著者はいう。西洋のルールで思考や議論をする必要はない。東洋には東洋の考え方の枠組みがあり、我々が使っている言葉も当然その枠組みの中に存在する。だから、欧米的な思考や議論が合うわけがないのだ。
また本書を読んで、今まで意識したこともないと感じたのが、「平等」と「公平」についてだ。
【平等とは、対象があってその下で、権利が一様ということです。何かの権利を一箇所に集めて、それを再分配することによって、全員に同じ権利がある状態を指します。それに対して、公平はフェアだということです。システムの中にエラーがないことや、ズルや不正や優遇をしないということです】
この文章を読んだ時は、正直まだしっくり来てなかったのだけど、本書には各所でこの「平等」と「公平」の話が出てくるので徐々に理解できる。
欧米では、「平等」であることに重きが置かれるようだ。しかし日本は逆で、「公平」であることに重きが置かれる。例えば、江戸時代の「士農工商」は、インドのカースト制度のようなものだが、これは明らかに「平等」ではない。しかしこの「士農工商」は、日本人には合っている。一方で、代官(裁判所)にはフェア(公平)にジャッジしてほしいと思う。
本書の中で著者は、「日本はフランス的な男女平等を目指すのではなく、男女比率を状況に応じて可変できる仕組みにしておくほうが馴染む」という主旨のことを書いているが、なるほど、という感じだ。「平等」に重きが置かれる欧米では、男女比率を可変にするような仕組みは作れない。しかし、普通に考えて、男女比に偏りがあった方が良い状況はある(本書では、化粧品メーカーのマーケティングなどが例に挙がっていた)。「公平」でありさえすれば「平等」にはさほどこだわらない日本だからこそ、柔軟に対応可能だ。
以前、「理不尽な国ニッポン」という、日本の在住歴の長いフランス人が書いた本の中に、興味深いことが書かれていた。日本では、満員電車の痴漢対策として、「女性専用車両」が登場したが、恐らくフランスではこれは「差別だ」と問題になるだろう。しかし日本では、女性はこの解決策にまったく憤っていないように見える、というものだ。正直僕は、最初何を言っているのか分からなかったが、要するにフランスでは、「男女が同条件の元で痴漢対策がなされなければならない」という「平等」の意識が強いため、「痴漢対策のために女性だけ車両を分ける」という「不平等な」対策は許容されない、というのだ。しかし本書を読んで、日本では「平等」よりも「公平」が重視されることがその背景にあるのだろう、と感じた。
また、日本人に馴染まないものとして「個人」を挙げ、今欧米では、人間の権利を最大化することによっては、より良い全体を構築出来ないことが浮き彫りになっている、と指摘する。その上で著者は、こんな提案をする。
【では、僕らはどうすべきなのでしょうか。一番シンプルな答えを考えましょう。
「個人」として判断することをやめればいいと僕は考えています。(中略)個人のためではなく、自らの属する複数のコミュニティの利益を考えて意思決定すればいいのです。】
この視点もそうだが、なんというのか落合陽一は、基本的に他者を信頼しているんだな、と感じる。これはどういう意味かというと、一般的にインフルエンサーや著名人、声が大きな人というのは、基本的に他者を信頼していない印象を僕が持っているということだ。自己啓発的な本をあんまり読むことはないが、基本的に「自分(やその仲間)」と「それ以外」という考え方をする人が多い印象がある。テレビなどに出る時の落合陽一の発言などからも感じるが、彼は、自分の仲間というわけではない他者を基本的に信頼するところに自身の立ち位置を決めている印象があって、そのスタンスが、驚異的に頭が良い人間には珍しい印象がある。
さて、色々と脱線をしたが、とにかく著者は、日本(東洋)の本来的な考え方・来歴みたいなものを提示し、欧米(は存在しないのだが)の考え方に合わせる必要はない、日本に昔から存在して今も通用する考え方は取り入れていこうと提案する。
で、そんな日本(東洋らしさ)を踏まえた上で、じゃあどんな風に考え方を変えたらいいのかという話が展開される。興味深かったのは、「士農工商」「ワークアズライフ(百姓)」「拝金主義からの脱却」の三つだ。
著者はまず、「士農工商」というのは、順番も含めて良い考え方だ、と言う。「順番」の話は後にして、まずカースト制度との類似の話をしよう。
【カーストというと、悪いイメージがあるかもしれませんが、インド人にとっては必ずしも悪ではありません。僕はインド人によく「カーストってあなたにとって何なの?」と質問するのですが、多くの人が「カーストは幸福のひとつの形」と答えてくれたことがありました】
意味が分からないでしょう。その理由は、確かにカーストは職業選択の自由はないが、その一方である意味の安定が得られるというのだ。どういう人と結婚するかや、未来において自分の子供がどんな仕事をしているのかが分かる(=保証されている)ことが安心なのだという。
(ちなみに余談だが、本書を読んで納得したのは、何故インドでIT産業が盛り上がったか。カースト制というのは、生まれながら職業が決まっている、ということだが、ITの領域は、どのカーストが担当するという領域が決まっていなかったから、カーストの抜け穴として様々なカーストの人が参入したから、だそう)
インドのカーストは、生まれによって規定されているのでそのまま日本には向かないが、流動性のある形でカーストのようなシステム(士農工商をちょっとアップデートする感じ)になれば、それは日本に合うだろうと著者は言う。
【我々は、幸福論を定義するときに、つい物質的価値を求めてしまいますが、実は、生業が保証されることこそが幸福につながります。「その生き方は将来にもあるだろう」という前提で未来を安心して考えられると生きやすくなるのです】
で、「順番」の話だが、本書の中で僕が一番共感する箇所だ。それは、「商は価値を生み出していないから一番低い」という話だ。
「士」はクリエイティブクラス、「農」や「工」は何かを作る人、そして「商」は商人、今で言う企業のホワイトカラーや金融を扱う人のことだ。著者は本書の中で繰り返し、「商は価値を生み出していない」と書く。僕もそう思う。どうして金融業界の給料が高いのか、よくわからない。トヨタでは、工場の技術者の方がホワイトカラーよりも給料が高いことがあり、それは正しいと言う。そうだろう。どう考えても、「何かを作り出す」方が価値が高いはずだ。
僕も普段から、この意識だけは常に持っている。つまり、それがお金になるかどうかは一旦置いておくとして、常に何かを生み出す自分で居続けよう、ということだ。僕は、物質的な意味でのモノを作ることはほとんどないが、こうやって文章を書いたり、パズルを作ったりといった、自分の頭の中にあるものを何らかの形で外に出す、という意識は常に持っている。それを日々やり続けて、いつでも何かを自分の中から生み出せるようにしておかないといけないな、と思っている。
【欧州では、アーティストや博士はとても尊敬されています。それは社会に価値を生み出しているからです。アーティストというのは、人類が今まで蓄積してきた美の最大到達点をさらに更新しようとしている人たちです。博士というのは、人類がそれまで蓄積してきた知の領域をほんの少しだけ外に広げる人たちです。だからこそ、社会的価値がとても高いのですが、日本ではそうした認識がありません。
(中略)
今の日本では職人に対してリスペクトがあまりに少ない。】
AIが仕事を奪う云々の議論が出る前からそう思っていたが、本書で著者は、「商」の仕事はこれからAIに置き換わる、と言っている。まあそうだろう。AIの登場によって、まさに「士農工商」の順番になっていくだろうと思う。ちなみに著者は、AIと仕事の問題の本質は、「我々はコミュニティをどう変えたら、次の産業革命を乗り越えられるか」であって、どの職業が食いっぱぐれるかなんてのは本質的な問題ではない、と一刀両断している。
「ワークアズライフ(百姓)」については、「百姓」というのは「100の生業を持つ」という意味だ、という話に集約される。「ワークライフバランス」が議論されるが、そもそも日本人は、生活の一部として仕事をしていた。だから、仕事と生活を分ける必要はない。ストレスを感じていないのならば、別にいくら残業してもいい。オンとオフを分けるという発想そのものが、日本人にはあまり向いていないのだ、という。ストレスがなければオンとオフを分ける必要はないし、オンとオフを分けても生活にストレスがあるなら意味がない。「ワークライフバランス」ではなく「ワークアズライフ」で考えるべきだ、と著者は言う。
「拝金主義からの脱却」については、テレビやトレンディドラマなどの影響を受けすぎ、という話をしていて、ホントその通りだと思う。
さて、さらにその上で著者は、これからテクノロジーが変えていく社会に、日本がどうアダプトしていくべきか、という話を展開していく。ここで最も面白かったのは、「人口減少社会はむしろチャンスだ」という話だ。
どういうことか。著者は理由を3つ挙げているが、僕が面白いと思った一番の理由は、「仕事を機械化することへの抵抗がない」というものだ。産業革命の時には、人間の仕事を機械が奪うと言って暴動が起きたりした。今も、アメリカの話として、トランプ大統領はアメリカの労働者に仕事をもたらすと言って労働者階級から支持されている、という話を聞いたことがある。確かに、労働力が不足していない状態では、いくらAIが進歩しようが、仕事が機械化されることへの抵抗は免れないだろう。
しかし日本は、今も、そして今後ますます労働力不足に陥ることが明らかであるので、機械化への反対が起きにくい。
【おそらくほかの国であれば、機械化にあたって、大企業とベンチャーの対立が起きると思いますし、その構図でしかものを見られないでしょう。しかし、日本は、大企業が業態変換しても誰も文句を言わないでしょう】
また、人口減少から話はそれるが、日本はテクノロジーが好きな国なので、ロボットフレンドリーな国になれる可能性がある。この話は僕も、別の本で読んだことがある。ドラえもんや鉄腕アトムなどが国民的アニメとして親しまれている日本は、ロボットに抵抗がない、と。
【一方、僕の印象として、西洋人は人型ロボットに限らず、ロボットがあまり好きではありません。西洋人にとって労働は神聖なものなので、それをロボットに任せることに抵抗があるのです。AIについても似たことがいえます。西洋の一神教支配の国にとっては、AIは人類の根幹、彼らの精神支柱に関わるようなものになります。西欧の国は統治者に人格性を強く求めるので、AIに対する反発は強いでしょう】
アメリカでも、グーグルなど様々な企業がAIやロボットに手を出しているはずですが、著者は、シリコンバレーは一般的なアメリカの感覚ではない、と書いている。シリコンバレー的にOKでも、アメリカ全土でそれがOKかはまた別の話だという。
また、ここでも「平等」の話が登場する。「平等」という概念は、「誰かから与えられた権利を再分配する時の考え方」であり、つまり一神教的な発想、もしくは統治者がいる国の考え方だと著者はいう。しかし、日本は一神教ではないし、日本では「天皇」という統治者と「官僚」という執行者に分けるという考えが大化の改新から続いているから、強大な権力を持つ統治者もいない。だからこそ「平等」に重きが置かれない。そしてそういう国だからこそ、
【意思決定にAIなどのテクノロジーが入ることにも違和感がありません】
ということになる。
また、AIを社会に実装していくためには、通信が欠かせないが、ここにも実は、日本人が重視する「公平」の考え方が関わっている。日本は、4Gの接続率が他国と比べてかなり高いという。というのも、「公平」を重視する日本人は、自分が住んでいる地域で4Gが使えないとクレームを入れるので、そういう国民性が4Gの回線を日本全国津々浦々に配させた、ということになる。
これは、4Gではコストが掛かって効率が悪いだけのことだったが、すでに4Gの携帯電話網が全国に拡がっているお陰で、5Gが一気に広がりうる。つまり、「平等」ではなく「公平」を重視する日本だったからこそ、どこでも5Gが使える国に世界で一番乗りに達することが出来るかもしれない、というのだ。
人口減少と、ロボットへの親和性によって、仕事の機械化への抵抗が少ない。さらに、AIに欠かせない5Gは日本人の気質によってすぐに全国へ広がりうる。それは、これからのにほんの強みになるだろう、と著者は主著する。これは非常に分かりやすく、納得感があり、かつ、悲壮感に沈んでいる感じのする日本へのリアルな明るい兆しと捉えられる話ではないかと思う。
また、一神教や統治者と無縁、つまり、中央集権的ではない日本は、同じく中央集権的ではないブロックチェーンや、ブロックチェーンを基盤とした仮想通貨と相性がいい、という。詳しく触れないが、仮想通貨をベースとした信用創造によって地方が財源を確保し、中央からある種独立的に運営していくようなモデルが、これから実現していくのではないかと書く。
また、本書を読んでて「なるほど」と思うことは多々あるのだけど、その中でも非常に面白いと思ったのが、「ホワイトカラーおじさん」の扱い方だ。大企業の業績を悪化させているのは、特に仕事はしないけど給料の高い「ホワイトカラーおじさん」であると指摘し、その上で、そんな「ホワイトカラーおじさん」をどう活用するかという提言をする。それは、「複数の企業で、事務処理的な作業をやってもらう」というものだ。
【世の中には、人手が足りずに、名刺の整理や経費精算のためのレシート整理やクレーム処理といった事務処理がこなせない企業がたくさんあります。こうしたルーティーンはいずれAIがやってくれるようになるでしょうが、それにはまだ時間がかかりますし、コストもかさみます。当面は人に頼んだほうが効率的です。つまり、AI時代への過渡期には、ルーティーンを担当する人がいないと事業が成り立たないのです。
しっかりメールが打てて、電話の受け答えができて、お礼の手紙が掛けて、事務作業を効率的にできて、新人を育成できる―そうした人材はとくにベンチャー企業に足りません。だからこそ、「ホワイトカラーおじさん」たちは、兼業してベンチャーで働けばいいのです。1社5万円でも10社やれば50万円稼げます】
この提案は非常に面白い。具体的かつ非常に有効だろうなと感じる。
さて、色々書いたので、最後に、より広い包括的な視野で見た時、個人はどういう動き方をするべきかに触れた文章をいくつか引用して終わろうと思う。
【つまり、我々が持っている人間性のうちで、デジタルヒューマンに必要なものは、「今、即時的に必要なものをちゃんとリスクを取ってやれるかどうか」です。リスクをあえて取る方針というものは、統計的な機械にはなかなか取りにくい判断です。ここをやるために人間がいるのです】
【よく学生さんにアドバイスを求められるときに言うのですが、これからの時代は、「自分とは何か」を考えて、じっくり悩むのは全然よくありません。自分探し病はだめな時代です。それよりも、「今ある選択肢の中でどれができるかな、まずやろう」みたいなほうがいいのです】
【「自分がそれをしたいのか」、それとも「自分がそれをできるのか」「するべきなのか」の区別は絶対につけたほうがいい。
なぜなら、自分ができることから始めないと、何がしたいのかが明確にならないからです。】
【読者のみなさんにあらためて言いたいのは「ポジションを取れ。とにかくやってみろ」ということです。ポジションを取って、手を動かすことによって、人生の時間に対するコミットが異常に高くなっていきます。
ポジションを取るのは決して難しいことではありません。結婚することも、子どもを持つことも、転職することも、投資をすることも、勉強することも、すべてポジションを取ることです。世の中には、ポジションを取ってみないとわからないことが、たくさんあります。わかるためには、とりあえずやってみることが何よりも大切なのです】
がんばろ。
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