理由がなくても、死にたくなることはある

※このnote全体の索引は以下より
<索引>【乃木坂46】【本】【映画】
https://note.com/bunko_x/n/naf1c72665742

プロレスラーで、「テラスハウス」に出演中だった木村花さんが亡くなった。この文章を書いている時点では死因は発表されていないようだが、「ネット上での誹謗中傷・いじめがあった」という報道が多くなされている。そしてそれに対して、芸能人を中心に多くの反応が上がっている。

僕は、木村花さんの名前は今回の報道で初めて知った。なので彼女については何も知らない。また、僕はSNSをほとんどやっていない。だからネット上の誹謗中傷についても実情を知らない。

そういう状況で、何を書くつもりなのか。それは、「理由がなくても、死にたくなることはある」ということだ。

これは、今なされているような、ネット上の誹謗中傷を批判する報道への抑制を狙ったものでは決してない。木村花さんの死因がなんであったかに関わらず、ネット上の誹謗中傷は無くなるべきであり、それに関する議論は行われるべきだ。そして、それとはまったく別に、今回僕は自分の主張をするつもりだ。

僕は、ここ10年ぐらいは心は安定していて、死にたいと思うことはほとんどなかったと思う。一応書いておくが、病院で「うつ病」などと診断されたり、精神を安定させるような薬を飲んでいたことはない。あくまでも、自分の認識の中で不安定だったと自覚していたかどうかという話だ。ここ10年は割と平穏だ。

しかしそれ以前は、死にたいと思うことは度々あった。実際に死のうと思ったことも一度ある。とてもしんどかった。

そして僕は、今振り返ってみても、何か特定の理由があって死にたかったわけではない、と思う。

客観的に見れば、僕が置かれている状況は、特にしんどいものではなかった。正直に言って、死にたくなる要因を、僕の生活から見いだすことは不可能だったと思う。僕の生活をすべて「見える化」しても、マイナスの要因を見つけることは無理だっただろう。

それでも、切実に「死にたい」と思っていた。その気持ちに対して、僕なりの説明を色々と付けることは出来るだろう。しかしそれは結局、「当事者が自らの言葉で説明する解釈」だ。僕が仮にそれを説明したところで、その「解釈」が、外側から見える客観的な「何か」と対応することはない。

だから、仮に僕が自殺し、自殺であったことが明らかにされた場合でも、僕が自殺した理由を見つけ出すことはほぼ不可能だっただろう。

もちろん、こういう批判はありうる。僕は結局、「自殺しなかった人間」だ。だから、外側に見える「何か」は現れなかったのだ。実際に「自殺してしまった人間」は、表に現れる「何か」はあるはずだ、と。

こう反論されれば、「自殺しなかった人間」である僕には何も言えることはない。しかし、「自殺してしまった人間」は何も言うことは出来ない。遺書を残すことはできるが、問われて何か答えることは出来ない。だから、「自殺しなかった人間」の主張にも、一定の価値はあるだろうと考えている。

冒頭に書いた、「理由がなくても、死にたくなることはある」というのは、より正確に言えば、「理由がないように見えても、死んでしまうことはある」ということだ。

僕は、「自殺するには理由があるはずだ」という捉え方を、少し緩和した方がいいだろう、と考えている。何故なら、そういう捉え方は結果的に、「しんどい人」を追い詰める社会を生む可能性があると思っているからだ。

「自殺するには理由があるはずだ」という捉え方は、「死にたい」と感じている当事者に、「分かりやすい、目に見える理由がなければ理解してもらえないかもしれない」という感覚を与えうる。そして、そう思えば思うほど、しんどさを表に出すことがしにくくなる。

客観的には捉えにくい理由で死にたいと思っている場合、その本人が周りに打ち明けない限り、そのことが可視化されることはない。しかし、「自殺するには理由があるはずだ」という見方が“強すぎる”場合、本人がそれを誰かに打ち明けにくくなってしまう。そして結局、誰にも話せないまま、命を落としてしまうということになりかねない。

もちろん、冒頭で書いたことを繰り返すが、今回の木村花さんの件については、彼女が「ネット上の誹謗中傷を理由に自殺したかどうか」に関わらず(この文章を書いている時点では、自殺とは明確に断定されていないと思う)、ネット上の誹謗中傷が無くなるよう、社会全体として方向づけをしていくべきだ。しかしその一方で、どんな方が亡くなった場合であっても、「自殺するには理由があるはずだ」という一辺倒の捉え方をしてしまうことは、今まさにしんどさを感じている人を追い詰める要因になりうる。

僕は、木村花さんという方をまったく知らなかったので、そういう方の死に触れて、定型文のように「ご冥福をお祈りします」と書くのは好きじゃない。とはいえ、彼女の死を伝える記事を非常に多く見かけるので、広く愛されている方だったのだなと思う。そういう意味で、今回の死もまた、これまでにあったどんな死と同様に、残念なことだと思う。しかし、どんな方が亡くなった場合であっても、「◯◯だから自殺してしまった」というシンプルな捉え方をしてしまうことが、誰かを追い詰めうるということは、一方でまた理解しておいていいことだと僕は思う。

いいなと思ったら応援しよう!

長江貴士 サポートいただけると励みになります!