【映画】「PERFECT DAYS」感想・レビュー・解説

良い映画だったなぁ。

しかし、何が良かったのか、正直よく分からない。最初から最後まで何も起こらないと言えば何も起こらないからだ。ある初老と言っていい男が、渋谷区のトイレ掃除をしながら、淡々とした日常を過ごすだけの物語である。

しかし、これが実に良い。なんというか、「沁みるなぁ」という感じの作品なのだ。ずっと観てられるなぁと感じたし、全然飽きなかった。

まあ、その最大の理由は、やはり主演の役所広司にあるだろう。もし平山を演じたのが役所広司じゃなかったら、また違った印象になっていただろうと思う。

本作を観る前、監督のヴィム・ヴェンダースが役所広司について、こんなことを言っている番組を観た。

【役者なら誰でも、平山を演じられたかもしれない。
しかし役所広司は、平山そのものだった。】

ホントに、この言葉がとてもピッタリ来る作品だった。まさに役所広司が平山そのものだったし、ちょっと他の人では作品が成り立たないような印象がある。

役所広司の何が良かったのか、上手く説明できないが、やはり「トイレの清掃員に見える」というのが強いと思う。本作には、三浦友和も出演しているが、もし三浦友和が平山を演じていたとして、「トイレの清掃員に見える」かと言われると、ちょっとなんとも言えない。映画の主演を張るような人はやはり「名優」と呼ばれる人が多いだろうし、そしてそういう人はやはり、「トイレの清掃員」にはなかなか見えないものだと思う。

また、平山はスカイツリーのお膝元、おそらく墨田区辺りに住んでいると思うのだけど(映画の中でよく登場するのは浅草が多いが)、そういう「下町」の雰囲気にも違和感なく溶け込んでいる。なんにせよ全体的に、「こういう人、いるだろうなぁ」という雰囲気が凄く強いと思う。

だからこそ、ほぼ口を開かない平山が主人公の物語でも「成立」するのだ。凄いものだと思う。

平山の「喋らない」という要素は、実はとても重要だ。そもそも、「平山が何故トイレの清掃員の仕事をしているのか」という説得力になっていると言えるだろう。詳しくは触れないが、平山はどうやら、そのような生活をしなくても大丈夫な境遇にいるらしい。しかし、ほとんど描かれないので具体的には分からないが、色々あったようだ。そして、「人とほとんど関わらずに出来る仕事」という意味で、トイレの清掃員はうってつけだったのだろう。

また、「喋らない」ことで、ある意味で人が寄ってくることにもなる。そのことをある種対比的に描くために登場するのが、平山の後輩であるタカシだろう。彼はお調子者で仕事はサボリ気味でとにかくよく喋る。しかし、「喋りすぎだから」というわけでもないのかもしれないが、思いを寄せている人からはつれない態度を取られてしまう。

一方平山は、とにかく喋らない。質問にも答えなかったりするレベルだ。しかし、人によっては、「喋らないことの心地よさ」みたいなものを感じるだろう。音楽テープのやり取りをするアヤとか、予期せぬ関わりとなったニコとか、平山が通う居酒屋のママとか、そういう人たちが、「平山の周囲に漂う『静かな雰囲気』」を求めて集まってくる、のだと思う。まさに「沈黙は金、雄弁は銀」と言ったところだろうか。

特に、ニコにとって平山は、とても大切な「逃げ場」として認識されたように思う。ニコについてもその背景はほとんど描かれないのだが、なんとなく察するに、ニコは自分が置かれている境遇に馴染めなさを感じているはずだ。そして同時に、平山の生活空間にこそ居心地の良さを感じている。

僕は別に決して、ニコに平山のような人生を勧めたいわけではないが、ただ、若い頃に色んな世界の存在を知ることが出来るのはとても良いことだと思う。恐らくニコの生活圏には、平山のような人はいない。だから、ニコが平山の元へやってくることなく大人になってしまったら、「平山のような世界がある」ということを知る機会さえなかったかもしれない。さらにニコは平山の部屋にあった短編集の中のある短編(確か、パトリシア・ハイスミス『11の物語』の「すっぽん」だと思う)に強く共感していた。この本もまた、ニコの生活圏では出会えなかったものだと思う。「すっぽん」の内容をざっくりネットで調べてみたが、なるほど、ニコがこのような状況にいてもおかしくはない、と感じるものだった。

人間は大体、何らかの「枠」に囚われているものだが、同時に、「囚われている」という感覚さえ持たないまま生きている。しかし何かの拍子にふと、その「枠」の外側に出たりすることがあり、その時に「自分は囚われていたんだ」と気づくことが出来る。ニコにとって平山との出会いはそういうものだったはずだし、それはアヤも、あるいは昼飯を食べる神社で日々顔を合わせる、結局関わりを持つことがなかったOLも、同じなのではないかと思う。

そして割と僕も、そういう存在、つまり、「僕と関わることで『枠の外』に出られた」と感じてもらえるような存在でありたいといつも思っている。そういう点で、僕にとって平山はある種の理想でもある。

世の中には、「一定の『枠の中』に押し込めようとする言説」が蔓延っている。「これが流行っている」「これを買うべきだ」「こうしないと危険だ」「あれは危ないから止めておけ」などはすべて、人々をある枠組みの中に閉じ込めようとするものだ。

そして平山は、そういう動きとは無縁だ。なにせ平山は、ガラケーこそ持っているがスマホは無く、家にはテレビもパソコンもない。フィルムカメラで木漏れ日を撮影し、家ではもっぱら本を読んでいるのである。ニコから「Spotify」の話が出ると、「ショップの名前」だと勘違いしたほどだ。

だから、平山と喋る(まあ、平山は黙っているので「喋る」はおかしいかもしれないが)ことは、そういう言説に疲れている人々にとっては、ある意味で癒やしになっているのだと思う。そういう感覚は、とてもよく理解できる。

また、「一定の『枠の中』に押し込めようとする言説」と無縁の存在として、作中にはホームレスも登場する。映画を観ながら途中で、「あぁ、田中泯だ」と気づいた。彼についても深く掘り下げられることはないが、平山はどことなく彼に共感を抱いているように見える。そしてそれは、「枠の外」にはみ出した者同士の連帯感みたいなものではないかと僕は感じた。ホームレスのその存在感と、田中泯が持つ存在感がダブるところもまた、面白いポイントだと思う。

平山が、「この世界は、色んなところで繋がっているようで、実は繋がっていない世界もあるんだ」みたいなことを言う場面がある。確か、予告でも使われている場面だったように思う。まさにその通り。そして、これは僕の印象だが、世の中の人の多くは、「その事実に気づいていない」か、あるいは「繋がっていない世界のことは攻撃しても良いと勘違いしている」かのどちらかであるように感じられる。

そうじゃないだろ。

僕は、平山のような人間がきちんと社会にも認識され、その状態のまま放っておいてもらえるような世界であることが望ましいと感じている。そして本作では、平山が恐らくかなり努力して作り上げてきたのだろう、そのような状態の日常が描かれていく。

平山は、これでいいのだと思う。同情も批判も不要だ。そのことが、役所広司の演技からじんわりと伝わってくる感じが、とても良かった。

良い映画だったなぁ。

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