【映画】「こどもかいぎ」感想・レビュー・解説

これはなかなか面白い映画だった。マジで子育てしている人はみんな観た方がいいんじゃないかと思う。

【ぼく、人類を増やしたいと思って生まれてきたんだ】
【東京ドームシティから生まれた】

自分が生まれた時のことについて、子どもたちはこんな風に答える。

【保育園はつまらない。飽きた】

卒園を前にそう口にする子どもがいるかと思えば、

【友だちがいないからヤダ】

と、保育園の嫌なところを聞かれてそう答える子どももいる。「友だちがいない」と言った子は、保育園で仲良くしている友だちはいるのだが、彼の中では「友だち=家に行って遊ぶ」ということだそうで、そういう子がいないからつまらない、ということのようである。

【なんでおじいちゃんおばあちゃんになったら死ぬの?】
【お花はなんで水しか飲まないんだろう?】
【どうして死んだら心臓が止まるんだろう?】

こんな疑問をするっと口にする子どももいる。

彼らは、ある保育園に通う園児だ。理由はよく分からないが、どの保育園なのか、具体的な名前は出て来ない。コロナが蔓延する前の2018年に、1年間密着した記録だ。

そしてこの保育園では、その春から試験的に「こどもかいぎ」を開くことにした。「こどもかいぎ」とは、年長組の子どもを中心に6人ほどに参加してもらい、大人のファシリテーター(保育園の先生)と一緒に様々な話をするという場だ。先生から与えられるテーマは様々で、

【雨が降ったらどんな気分?】
【みんなは大人になったら結婚したいって思う?】
【ケンカ(戦争)はどうやったら終わるんだろうね?】

など様々だ。子どもたちはまだ就学前であり、誰かの話を落ち着いて聞くことが難しい子もいる。あるいは中には、先生が「これほど喋らない子も珍しい」と言うほどの子もいる。話を最後まで聞いてもらえずにかんしゃくを起こす子や、映画ではそういう風に説明はされなかったが、僕が見て「明らかに大人の反応を予測して喋っているような気がする」と感じられる子もいた。

とにかく、「聞いてみなければ、子どもが何を考えているのか分からない」と、強く実感させられると思う。観客のほとんどは、映し出される園児たちの普段のパーソナリティを知らないので、「発言内容」と「普段の様子」とを比較することはできない。しかし、先生の反応などから、「この子たちがこんな風に考えていたなんて」と感じさせる発言をしていることが伝わってくる。

僕は既に、幼稚園の記憶どころか、小中高大学の記憶はほぼないし、なんなら20代の記憶も大分薄れている。これぐらいの頃になになにがあった、みたいなことをまったく覚えていられないので、自分が幼稚園に通っていた時どんな感じだったのかなど、まったく分からない。しかしやはり、「先生」が多くの場面で介入するのが当たり前の環境だったように思う。

この保育園では違う。例えば園児が給食をこぼした時も、先生が率先して拭いたりしない。「どうしたらいいか?」みたいなことを聞いて考えさせたり、周りの子にも意見を言ってもらったりしながら、どうしたらいいかを本人に考えてもらう。投げて遊んでいた帽子が屋根に載ってしまった時も、大人は率先しては助言せず、子どもたちに考えさせている。そしてその結果、何故か園庭の掃除大会が始まるという面白い展開になったりもする。

もちろん、時と場合によっては、園児同士のトラブルに大人が介入することもあるが、それが回避できる限りにおいては基本的に関わりを最小限にしている。これはなかなか面白い試みだと思う。園長は、

【ただ見ているのではダメで、「見守る」というのが重要。子どもたちが何をしたいと考えているのか想像しながら見る】

みたいなことを言っていた。確かに、そんな感じのやり取りが展開されている。

「こどもかいぎ」でも同じで、先生が明らかに答えを知っている話題でも、答えを言わない。重要なのは「知識を得ること」ではなく、「自分が考えていることを言葉にすること」だからだ。

そんなわけで、「こどもかいぎ」もなかなか面白かったのだが、僕がより見事なシステムだなと感じたのが「ピーステーブル」と名付けられたシステムだ。

例えば保育園で園児同士がケンカになったとする。大人が入らないとマズいと感じる状況でなければ、ケンカしている子たちが(大体2人)は、この「ピーステーブル」に座らされる。そしてそこで、「どうしてケンカになったのか?」「何を考えて殴ったのか?」「あの時の行動で自分はこう感じた」みたいなことを2人で話させるのだ。

凄いのが、本当に「2人」でやり取りをしているという点だろう。例外もあったが、基本的にそのテーブルの周りに大人はいない(もちろん、ちょっと離れたところで見守ってはいるだろうが)。そしてやり取りを2人に託すのだ。

当然のことながら、園児同士のやり取りでは問題が解決しないこともある。そしてこの保育園の面白い点は、「解決することが目的ではない」と明言している点だ。ケンカが収束しなくても、仲直りできなくても、まあいいじゃないかと思っているのである。これはなかなか凄いスタンスだと思う。それよりも、「自分が何を考えているのか吐き出すこと」の方が重要だという想いが貫かれているのだ。

言うのは簡単だが、実践はなかなか難しい。「こどもかいぎ」の司会を務める2人の内の男性の方が、「こどもかいぎ」が終わった直後に「はぁ」と短くため息をつく場面が映画の中に収録されているが、その短い描写に、「『大人が極力関わらずに、子どもたちが考えていることを吐き出してもらうこと』の難しさ」が凝縮しているように感じられた。

大人の世界には、「相手の意見を一方的に決めつけた上で、その決めつけた仮想の『相手の意見』を糾弾する」とか、「相手の言動の一部分だけを切り取って、さもそれが全体であるかのように非難する」みたいなことが当たり前に行われている。なかなかクソみたいな現実だと思う。

たぶん、それもこれもあれも全部、「大人になったら『本心を隠すこと』こそ美徳である」みたいな謎の風潮に支配されているからな気がする。もちろん、なんでもかんでも本音を言えばいいわけではない。ただやはり、「私はこう考えている」というやり取りを起点にしなければ物事はまともに進んでいかないと思う。

大人になると本心が言えなくなるのは、「心理的安全性」が確保されないからだろう。いや、それは子どもの世界も変わらないか。特にSNSが生まれたことで、余計その傾向が強くなったと言えるだろう。「こんなことを言ったら炎上するかも」「こんなことを考えてるって知られたら嫌われるかも」みたいな思考が邪魔をして、自分の頭の中身を外に出すことが怖くなっていく。で、その状態が、「相手の考えていることが分からない」という状況を生み、一層「心理的安全性」が薄れてしまうという悪循環に陥ってしまうことになる。

大人もこんな風に、「おとなかいぎ」が出来たら面白そうな気がする。それこそ、SNS上で実現できそうな気がする。どこの誰だか分からない5人とマッチングして、6人であーだこーだ喋る、みたいな場があったら、普段言えないようなことも口にできるかもしれない。

子どもにとってこの「こどもかいぎ」はとても良い試みだと思うが、なんだかんだ大人のほうこそ「おとなかいぎ」を必要としているんじゃないかと感じた。

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