【映画】「マリア・モンテッソーリ 愛と創造のメソッド」感想・レビュー・解説
なかなか興味深い映画だった。
僕は「モンテッソーリ教育」という名前はもちろん聞いたことがあるが、それがどんな教育なのかは正直よく知らない。そして本作でも、その点についてはそこまで詳しく触れられない(作中でところどころ、どんな教育なのか触れられるぐらい)。そんな本作は、マリア・モンテッソーリという1人の女性が、「女性である」というだけで凄まじい苦労をさせられ、それ故に厳しい決断を迫られるに至った7年間を描く物語である。
物語は、リリ・ダレンジという高級娼婦(「高級娼婦」だということは、鑑賞後に内容紹介を読んで理解した)が、自分の子どもをマリアの元へ連れて行くところから始まる。ある日リリの元に親族(おそらく兄)が現れ、母の死を伝えてきた。「それなら手紙でも良かったのに」と口にするリリに対して親族は、「お前の財産をそのままにしておくと思うか?」と言って、女の子を連れてきていた。リリの娘ティナである。
リリは元々フランスで踊り子として有名だったのだが、ティナに障害があることが分かり、娘を置いてローマへと逃げ出していたのだ。そして母の死に伴って、再び自分の娘と向き合わざるを得なくなったというわけだ。彼女にとっては、社交界に潜り込み金持ちの男性と関わることが何よりも大事であり、だから「コブ付き」なんて知られるわけにはいかない。そこで彼女は、知り合いから話を聞き、「教育学研究所」を立ち上げていたマリアの元へ娘を連れてきたのである。
リリはそのままティナを預けてしまいたかったのだが、マリアから「寄宿生には空きがないから通って」と言われ、昼間に娘を通わせることにした。
マリアは、公私共にパートナーであるジュゼッペ・モンテサーノと共に教育学研究所を立ち上げ、教授や出資者らから「こんなことに意味があるのか?」と言われながらも、障害を持つ子どもたちへの教育に力を入れていた。当時、「障害児に教育などしても無駄で、精神病棟に隔離しておけばいい」という考えが主流だったようだが、マリアらは「障害児でも学ぶことは可能だ」と主張し、日々実践の中で新たな教育法の開発に勤しんでいるのである。
しかしそんなマリアは、ある秘密を抱えながら働き続けていた。子どもを遠くの農園の乳母に預けているのだ。父親はジュゼッペである。にも拘らず、マリアとジュゼッペは息子マリオと一緒に暮らしていない。
そこにはマリアのある信念が関係していた。マリアは、ジュゼッペから求婚されているにも拘らず、結婚しないことを選択していたのである。1900年当時、婚姻は「男の所有物になること」を意味していた。マリアは両親の姿を見ながら結婚制度の残酷さみたいなものを身にしみて理解しており、だから「結婚だけはしない」と決めているのである。ジュゼッペはマリアを思いやる紳士的な男性に見えるが、それでも、「愛なんて気まぐれなものに身を委ねること」を避け続けているのである。
2人が結婚しているなら、マリオと一緒に暮らしていても何の問題もない。しかし2人は結婚していないのだから、2人の間に子どもがいると知られるのは大変マズい。そのため、マリアは「我が息子こそ人生そのもの」という感覚を抱いていながらも、遠くの農園に預けて時々しか会えない関係に甘んじているのである。
娘にまったく関心を持たなかったリリは少しずつ変わっていき、また、マリアとジュゼッペの教育法開発も順調だった。しかしマリアは、「我が子といっしょに暮らせない」という不満をずっと溜め込んでいく。教育への理想のため、それでも日々奮闘を続けるマリアだったが……。
というような話です。
冒頭からしばらくの間、特にマリアの置かれた状況が全然理解できなかったので、「どこに問題があるのか?」を把握するのに少し時間が掛かった。もちろん息子マリオに関係することだとは分かっていたが、「何故一緒に暮らさずに乳母に預けているのか」が分からなかったのだ。普通に考えれば、「マリオはマリアの前夫の子ども」みたい捉えれば分かりやすくなるが、途中で「マリアの父親はジュゼッペである」と明かされるので、やはり分からなくなった。
そうして明らかになる状況は、なかなかに歪んでいるだろう。「結婚しないことを選択したからこそ、実の子と一緒に暮らせない」というわけだ。本作ではマリアが、「私が医学部に入学した時は、女子生徒は1人もいなかった」みたいにも語っていたが、このような「本作で描かれる様々な問題」は、現代ではかなり遠のいている(まったくないとは言わないが)と言えるだろう。
そして、そういう時代を先陣を切って切り開いていったのが、まさにマリアのような女性なのだと思う。
マリアはある場面で、たくさんの女生徒を前にして、「女性は無気力と無知の闇から抜け出さなければならない」と力説していた。別の場面では、マリアらを取材する記者が彼女に、「あなたは若くて美しいのに、男性並みの活力はどこから来るのだろう? 大半の女性は家庭に入り役割を弁えている」みたいなことを言っていた。とにかく「女は家にいればいい」みたいな考えが支配的だった時代であり、そういう時代性そのものを打ち破ろうとしてマリアは奮闘していたと言っていいと思う。
しかしそれにしても、マリアの信念の貫き方はなかなか凄い。「医学部唯一の女性学生として闘った」「息子と一緒に暮らせなくても、教育の発展のために奮闘した」みたいなことも凄いが、映画の最後に字幕で表示された事実にも驚かされた。それが何なのかは触れないが、これこそまさに「信念」を貫き通そうという覚悟がなければまず不可能な決断だったはずだ。「女性の社会進出の機運を切り開いた女性」というのは各国に色々有名な人がいるのだと思うが、マリアは間違いなくその1人なのだろう。時代が孕む偏見のすべてと闘い、自らの信念を灯りとして勇敢に前進していった女性なのだなと思う。
こういう作品に触れると、「この時代に男として生きていたら、自分はどう振る舞っただろう?」みたいに感じてしまう。現代の視点からすれば、この時代を生きる男は大体クソだなと思う。ジュゼッペはかなり紳士的に見えたが、それでもやはり「時代の常識」に逆らってまで何かを成そうとは思っていない。マリアは、「大半の女性は家庭に入る」と言った記者に、「女性が変われば男も変わらざるを得ない。そして、変われない男性が取り残されていく」みたいなことを言っていた。まさに彼女は、「自分の変化、そして自分を含めた女性の変化によって、社会全体を変革しよう」と考えていたのだし、そういう視点を持って生きられることは素晴らしいなと思う。
先駆者は常に苦労するものだが、それにしてもマリアは、「本来的にはする必要のない苦労」をさせられていたなと思う。とはいえ、これはあくまでも結果論に過ぎないが、「不自由な時代だったからこそ、逆に『モンテッソーリ教育』が広まることにもなった」とも言えるかもしれない。恐らくだが、マリアが何の問題もなく「教育学研究所」で奮闘を続けていたら、我々が「モンテッソーリ教育」という名前を耳にすることはなかったかもしれないのだ。だからまあ、何が良かったのかは何とも判断しにくい話ではあるが、しかし「息子の母親でいたい」というのを「マリアの最大の希望」と捉えるなら、やはり彼女にとっては「最悪な環境だった」と言わざるを得ないだろう。
そんな、凄まじい苦労の末に、現代まで広く知られる教育法を確立した女性の凄まじい奮闘を描き出す物語である。
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