【本】「our house Magazine issue#1 Forms of Our Romance & Love」感想・レビュー・解説
まずは、本作「our house Magazine issue#1」とはまるで関係ない話から始めようと思う。少し前に、他人と会話していて驚かされた話である。その発言をした当人がこの記事にたどり着く可能性は限りなく低いと思うが、念の為状況はぼやっとさせたまま説明しようと思う。
お互いに初対面だろう人が多い場で、「性的同意」が話題になりました(まあなかなか想像しにくい状況でしょうが)。その時にいた人たち(10人弱)は基本的には「取れる状況なら性的同意は取った方がいいよね」というスタンスだったのですが、その中で細部のことについてあれこれ話していたという感じです。
そしてその中で僕が、「アセクシャル(他者に性的に惹かれない人)みたいな人もいるし、でもそういう人だって恋愛的な関係になりたいって思うはず。それに、案外そういうタイプの人は世の中にいるものだから、そういう意味でも性的同意は取った方がいいと思う」みたいなことを言った際に、参加者の1人の男性(恐らく30代前半だろう)がこんなことを言ったのです。
「でも、それって詐欺じゃん」
意味が分かるでしょうか? 要するに、「性的な関係を築きたくないのに好意を抱く相手と恋愛的な関係になろうとするのは、詐欺的な行為じゃない?」という意味である。この発言はちょっと僕の予想もしなかった反応だったので「(うわ、マジか)」ってなったし、反論したい気持ちにもなったのだが、ただ、どう考えてもその時の話の本筋からはズレていたので、「これはサラッと流すしかないな」と思って深堀りしなかった。この発言に対して他の人たちがどんな風に感じたのかを確かめる機会もなかったので、この話はこれでお終いである。
しかしホント、「それって詐欺じゃん」って発想が、さも常識的な意見であるかのように出てきたことに、僕はちょっと驚かされてしまった。いやいや、詐欺のわけないだろ。と僕は思うのだが、そう考えるのにはやはり「恋愛とセックスが結びついている必要はない」という発想が僕の中にあるからだろう。そして、そう思わない人、つまり「恋愛とセックスは不可分だろ」と考える人からすれば、「詐欺」という発想になるのだろう。
いわゆる「マジョリティ」の人がこの発想に共感するのかどうか僕には何とも判断できないが、もし共感するのであれば、「多様性なんて夢のまた夢だな」という感じがする。「世の中には『見せかけの多様性』が蔓延っている」と僕はよく感じるのだが、この話もそんな一端として捉えられるのかもしれない。
で、どうしてこんな話から始めたのかと言えば、「our house Magazine issue#1」のテーマ(の一部)がそういう話に繋がるからだ。そしてさらに言えば、このエピソードは「僕がどんなスタンスの人間なのか」を伝えるのにも適していたという判断もある。少なくとも、「『それって詐欺じゃん』に違和感を覚える人間だ」ということは伝えられていると思うし、そのように認識してもらうことは、本書についてあーだこーだ書こうと思っている人間としては書きやすくなる気がしている。
というわけで、恋愛やら友情やらがテーマになっている「our house Magazine issue#1」を紹介しようと思うのだが、その前にもう1つ、僕がどうして本書に行き着いたのかという話もしておきたいと思う。
きっかけは、友人と飲みに行ったことだった。その友人は、かつて同じ職場で働いていた同僚(と言っても20歳ぐらい年下)で、時々飲みに行く。そして彼女が「この後後輩が来ますよ」と言って、彼女が今働いている会社の新入社員を呼んだのだ。それから会話の中で、その新入社員がZINEを作ってたりポッドキャストをやってたりという話になった。喋ってて実に興味深い人だったので、じゃあまずはポッドキャストでも聞くかと思って調べて出てきたのが「in our house」である。
まずは最新話を聞いて、「うわ、この会話の雰囲気メッチャ好きじゃん」となって、それで最初から全部聴き通すことにした。で、「やっぱり面白い人たちじゃん」と思ったので、そのポッドキャストなどからZINEの販売サイトにたどり着き、注文してみたという感じである。
というわけで、何が言いたかったかと言えば、「普通に生きていたらきっとその存在を知ることはなかっただろう本(ZINE)」だということだ。そしてそんな本に書かれていた内容が、僕が普段から考えていたり、友人と話していることと親和性があったりしたので、「出会い方も含めて、凄く素敵な感じで読むに至った本だなぁ」と思っている。こういうことが起こるから、人と関わるのは面白いなと感じる。
というわけで今度こそ本当に内容の話に移ろう。
本作は、制作当時大学生だった2人の女性(現時点では、1人は社会人、もう1人は学生のようだ)が作ったインディペンデントマガジン(ZINE)であり、そのテーマは「恋愛」である。制作の2人ももちろん文章を書いているが、彼女たちは複数人の人に文章を寄稿してもらい(それに先立って行われたお話会で話した内容も収録されている)、「恋愛」に関する様々な価値観を収録している。
本書を紹介するポッドキャストでも本書中でも触れられているが、制作の2人は「恋愛に答えなんかない」「今恋愛をしている人にも、していない人にも、興味がない人にも関心を持ってもらえるように作ったつもり」「恋愛の価値観を押し付けるつもりはないし、100の関係があれば100の正解がある」みたいなスタンスを明確に持ちながら本書を作ったようである。ポッドキャストの中では確か、「キュンキュンするような話は全然ない」みたいに言っていたと思うが、それは確かにその通り、キュンキュンするような話は全然なかった。どちらかと言えば、多くの人にとって「なるほど、そういう考え方・価値観もあるのか」みたいに感じさせる内容じゃないかなと思う。
さて、冒頭の「それって詐欺じゃん」の話と絡めるような形で、僕が本書で一番好きな話に触れるが、それは、自身を「ロマンティック・アセクシャル(ノンセクシャル)」と規定する人が寄稿した文章である(ちなみにこの記事ではなるべく「彼」「彼女」みたいな表現を使わないようにしたいと思っている。文面だけでははっきりした性別は分からないし、さらに恋愛的な話の場合、身体と心の性が違うみたいな要素が絡んでくることもあると思うので)。
「ロマンティック・アセクシャル(ノンセクシャル)」というのは、この人物の文章を借りるなら「恋はするけどセックスはしたくない」ということのようだ。「ノンセクシャル」というのは初めて知ったのだが、調べてみると「アセクシャル」の一部みたいな認識のようである。「アセクシャル」は「恋愛感情の有無は問わない」ようなので、「アセクシャル」の中で「恋愛感情を抱く人」のことを「ノンセクシャル」と呼ぶ、みたいな感じなのだろう。
そしてこの人物はまさに、「『それって詐欺じゃん』的な視線」に絶望していると言っていいと思う。
いや、別に「それって詐欺じゃん」みたいな言葉を投げかけられているわけではない。ニュアンスだけで言うなら、それよりはもう少し穏やかなものだと言っていいだろう。本人も、ある状況に関して、「これに関してはどちらかと言えば私が悪いし、相手はこれっぽっちも悪くない」と書いている。客観的にも、発言だけをシンプルに捉えれば、「配慮が含まれた言い方」と捉えることも出来ると思う。
ただこの人物は、その発言を聞いて「だからこそ私たちの関係はここで終わりなのだということを悟った」のである。その感覚は凄く分かるなぁと感じた。
僕自身は、「アセクシャル」でも「ノンセクシャル」でもないのだが、全然別の理由から「なるべくセックスにならないと良い」と考えている。というのも、「セックスは終わりの始まり」みたいに感じてしまうからだ。どう説明したら伝わるかよく分からないが、セックスをすると、「あぁ、この関係は終わりに向かって進み始めたなぁ」という感覚になってしまう。そして実際に、長続きしない。恋愛経験は別に多くないのだが、何度かそういうことを繰り返した結果、「恋愛にしようと考えない方がいいな」という結論に達した。それからは、異性とはどうにか友達になろうと頑張っている。
ちなみにこの点に関しては近い感覚の発言があったので抜き出しておこう。
『私もそこ(性愛的なもの)の価値観が合わなくて仲良くできなくなるっていうのがすごく嫌なのよ。関係性をはっきりさせたくない理由もそこにあって。二人の関係に恋愛と名前をつけた途端に、そこの価値観が合わなかったら全部終わるわけ。どんなに精神的に馬が合っていたとしても、それが私は許せないよ。私が相手に抱いていた感情は、恋愛ではなかったのだろうかと不安になる。』
また友人女性が、「アセクシャル」でも「ノンセクシャル」でもないのだがそれに近いタイプであり、彼女からは色んな「恋愛未満」の話を聞くので、「ロマンティック・アセクシャル(ノンセクシャル)」の人の文章を読みながら彼女のことを思い出したりもしていた。彼女もやはり、基本的には「性的に惹かれない」というタイプの人で、だからこそ、特に異性との距離感で難しさを感じることが多いようだ。
さて、この人物の文章で、特に良かったものを抜き出してみたいと思う。
『服を着たままでも私は愛を伝えられると、同じ気持ちを抱える人たちのためにも何度だって言おう。好きになった人に対して性欲が湧いたことは一度もないけれど、確かに私はあの人たちが好きだった。』
凄く良い文章だなと思う。そして僕は、「こんなことを敢えて言語化しなくても済むような社会になればいいなぁ」と思う。今は、こういう感覚が「当たり前のものではない」からこそ言語化して表明しなければならないわけだが、これが当たり前になればそんな必要もなくなる。そしてそうなるのが「多様性」ってことじゃないかなと思ったりもするのだ。
さて、似たような文章は別の人物も書いていた。
『けれど「男性」「女性」として振る舞わないと恋愛における好意を伝えることはできないのだろうか。』
この感覚も凄く良いなと思う。
この人物は、「わたしが人を好きになる条件のうち最優先事項にあるのは、『女性』として観られていないという安心感があること」と冒頭で書いている。僕はこういう話を異性から聞くことが結構あるし、一般的にも「ハラスメント」的な文脈でそのような理解が浸透しているんじゃないかと思う。しかしこの人物の感覚は、ちょっと僕の想像を超えるもので、だからとても興味深いなと感じた。
この人物は、「車道側を歩いてくれたり、上着を羽織るときに小さなバッグを持とうとしてくれたり、必ずドアを開けて先に通してくれたり」というような、いわゆる「ジェントルマン」な振る舞いに対して「心が曇ってしまう」という感覚を抱くのだという。なるほど、これに関しては、全然マジョリティ側ではないが一応男である僕的にも「言ってくれないと分からないな」という感じがする。この人物のことを好きになる人はなかなか苦労するだろう(笑)。
ただ、程度の問題はともかく、
『相手が「ジェントルマン」として振る舞うことで、私は「女性」でなければならないことを再認識するし、「女性」として居ることを強いられている気がしてしまう』
という感覚は理解できるつもりだ。僕も、「男らしさ」的なものを求められる(求められている気がする)状況は苦手だし、はっきり言って「嫌だな」と感じることは多い。もちろん、「男であること」が意図せず僕自身にプラスに働くこともあるだろうし、そういう「恩恵」があるとして、それを拒絶しようと思っているわけではないからなかなか難しい話ではあるのだが、やはり理想としては、「性別を有する存在」としてではない形で関わりたいなと思うし、僕自身も相手をそんな風に捉えたいなと意識しているつもりだ。
さて、この「性別で捉えられたくない」という話に関しては、また別の人物も触れている。
『それからいくつもの春をこえたとき、わたしは他人から「女の子」らしく観られることを拒絶し始めました。きっかけは、ある男の子に恋愛感情を向けられたことでした。』
この話は恐らく、小学生か中学生ぐらいの話のようで、「今はさすがにそこまでのことは考えていない」的なことを書いていた。ただ恐らく、そういう感覚が自分の核の部分にあるという事実に変わりはないだろう。恋愛がどうとかって話ではなく、「自分という存在がどう認識されるか」という話であり、それが恋愛においては顕著に偏った形で浮き彫りにされるというわけだ。
さて、このように「女性として認識されたくない」という感覚を有するとしたら、「恋愛と友情はどう区別されるのか?」みたいな話にも繋がっていくだろうと思う。友情の場合、性別でどうこう区切られることはないが(つまり、「異性/同性としか友達になれない」みたいな状況に名称が存在しないはずだし、そういう状況をあまり見聞きしないということ)、恋愛の場合は「自分が好きになる性別」というのが基本的には存在するわけで、それによって「LGBTQ+」などの区分が存在する。このような状況を踏まえればやはり、「恋愛」と「性別」はなかなか分けて考えるのが難しくなるし、分けて考えないとしたら、やはりそれは「友情」に近接することになるんじゃないかと思う。
しかしこの点に関しては、「女性として認識されたくない」と書いていた2人がどちらも同じようなことを発言していた。
『(友情と恋愛は明確に違うのか?という問いに対して)感覚はね全然違う。頭では一緒だけど、体が感じ取ってるものが違う』
『私らにとって友情と恋愛があまりに同じものやから、そこを分けるものがそういう予感のほかにないよな』
2人とも「言葉で定義しようとすると、『友情』と『恋愛』は同じものになってしまう」と考えているようなのだが、しかし同時に、「『友情』と『恋愛』には明確に違う何かがある」と感じているようなのだ。
この点に関しては別の人物も指摘していた。
『基本は友達から好きになってたけど、好きになる人に対しては友達のときからちょっとだけ特別な感情はある。』
この点に関しては、僕は「ちょっとよく分からないなぁ」という感じだった。20代の頃は「恋愛にしたい」と思っていたのだが、それは「異性とは恋愛にしないと深く仲良くなることは難しい」という思い込みがあったからで、「恋愛的に惹かれていた」みたいなことではなかった気がする(まあ昔のことはどんどん忘れていくので、実際は違ったかもしれないが)。そして今では、「友達のままでも全然深く関われるな」と実感できるようになったこともあり、余計に「『友情』と『恋愛』を区別する」みたいな思考が失われ、それに対する感覚器官も一層鈍っていったんだろうなと思う。
僕の勝手な認識では、男の場合は特に、「異性とは恋愛にしないと深く仲良くなることは難しい」と考えて「恋愛」の道を進んでいくみたいな人が多い気がしていて(根拠はまるでないが)、「恋愛的に惹かれている」みたいな感覚は実は存在していないんじゃないかと想像している。ただ女性の場合は、「『恋愛になる異性』と『ならない異性』が明確に分かれる」みたいな話は聞くし、だから恐らく「恋愛的な惹かれ」みたいな感覚がちゃんとあるんだろうなと思っている。その辺り、性差があるのかどうか気になるところだなと思う。
あと、友情と恋愛の話に関して言えば、こんな発言も印象的だった。
『自分は恋愛と、結婚やパートナーが結びついてて、ドキドキワクワクする関係よりも、この人といると落ち着くとか、人として尊敬できるとか、この人だったらなんでも話せるっていう関係のほうが自分に合ってる。それが自分にとっての恋愛かなって最近は思ってます。』
この意見は個人的にメチャクチャ共感できて、そしてだから僕は、「だったら、友達と結婚するみたいな感じになれば最高じゃない?」と昔から思っている。「恋愛と結婚における人間の関係性って全然違う」って発言もあったりするのだが、本当にその通りで、僕は割と昔から「恋愛から結婚に至る流れってメチャクチャ不合理じゃないか?」と感じていた。結婚にドキドキワクワクを求めている人も中にはいるかもしれないが、多くの人はきっとそうじゃないだろうと思うし、であれば理屈で言えば、「友達から結婚に至る」という方が全然自然じゃない? と感じたりする(まあ、結婚には概ねセックスが関係してくるし、だから「友達と結婚する」という点に難しさがあることも当然理解はしているが)。
一昔前は「恋愛結婚」なんてものは存在しなかったわけで、「恋愛結婚」の歴史はかなり浅い。であれば「友情結婚」みたいな新しいルートが主流になっても別にいいと思ってるし、今の世の中の雰囲気を見ていると、「頭の固い上の世代」が人生から退場した後は、そんな社会がやってきても全然おかしくない気もしている。
というわけで、色々と書いたがこれぐらいにしておこう。他にも気になる話はあったが(「フランスでの恋愛の始まり方」とか「ブラジルの婚姻制度」など)、ひと繋がりの話としてまとめるとしたらこんな感じかなと思う。僕自身、「友情」とか「恋愛」とかについては様々な機会で考えることが多かったので、共感させられたり新たに思考するきっかけになったりした。
しかしホント、改めて書くが、ほとんど偶然みたいにして知り合った人が作っていたZINEが、割とダイレクトに刺さる感じの内容だったというのは凄く僥倖だなと思うし、良い出会いだなと感じる。「不用」をテーマにした第2号も出ているようなので、いずれ読んでみようと思う。
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