【本】村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」感想・レビュー・解説
扉を開けたい、と僕は思う。
きっと僕は、扉を開けなくてはいけないのだ。宿命的に、僕にはそれが課せられている。どんな意味があるのかわからないが、太古の昔から定められ紡がれてきた物語のように、それは予言的に僕に訴えかけるのだ。
恐らく、僕は扉を開けることが出来るだろう。ノブに触れることも出来るし、それを回すことも出来る。鍵が掛かっていれば、どこからともなく、魔法のように鍵を取り出すことが出来るだろう。僕には扉を開けるための資格があり、そうするだけの意味が与えられているはずだ。僕が決めたことではない。定められていることだ。
しかし、僕の目の前には扉がない。僕は宿命的に扉を開けなくてはならないのに、僕の目の前には扉は現れない。それが現れれば、僕には間違いなくそれとわかるはずなのだ。僕が開けなくてはならない扉なのだと直感できるはずなのだ。
しかしそれは、僕の目の前から完全に損なわれてしまっている。ただの一度も、僕はその存在を確認していない。
いつだって僕は、扉のことを考えている。それは、僕と世界とを正しく繋ぐ扉であるはずなのだ。どこでもない世界と、誰でもない僕とが、意味のある繋がりを満たすことのできる唯一の接点であるべきなのだ。その扉を開けることで、僕は世界とより親密に結びつくことができるはずなのだ。
扉を開けると、そこには何があるだろうか。僕はいつだって考えている。観念の支配する抽象的な世界だろうか、僅かに歪んだ現実に似た世界だろうか、冷たく凍りついた時間のない世界だろうか。
あるいは、ウサギが飛び出してくるかもしれない。死の形をしたウサギだ。ピンと耳が立って、ふわふわと温かで、小動物的な臭いのする、あのウサギだ。死の形をしたそのウサギは、僕が扉を開けると同時に飛び出して来て、こんなことを言うのだ。
「服の趣味も、思考のセンスも、靴音も、まあまあ悪くない。そこそこ上等の人間だね。でもあなたはどうも、存在が過去的だね」博物館にいるのがお似合いじゃないかな、そんなことを言うのだ。
博物館、と僕は思った。
博物館は僕の中で、死の匂いを放っている。死の塊りのような場所だ。あらゆる死がそこに集められている。実際的な死も観念的な死も、暖かな死も寒々しい死も、完全な死も不完全な死も、皆そこに集められている。そこは、完全に過去に支配された場所であり、死の集う場所である。
僕がそこに含まれていることを考える。死の塊りのような博物館の中で、僕はじっとしている。僕はそこでは死んでいるのだろうか?あるいは、博物館にいるということ自体が死を意味するのだろうか。喩え生物学的に死が訪れていなくても、博物館という場所が、生命の死を決定するのだろうか。
死の形をしたウサギは、ピョンピョン跳ねながら扉の周りをぐるぐる回っている。時々僕の方をじっと見つめ、時々耳を折り曲げ、時々意味のない鳴き声を上げる。しばらくすると、僕にはそれがウサギではなく死そのものに思えてくる。死の形をしたウサギでも、ウサギの形をした死でもなく、完全な死。それ自体が死であるという、自己完結的な死に思えてくる。
突然僕は、デジャヴのようなものを感じた。いつだったか、前にもこんなことがなかっただろうか。扉と死の形をしたウサギと僕。いつしか、そうつぶやくような声が聞こえてくるような気がする。扉と死の形をしたウサギと僕。扉と死の形をしたウサギと僕。
気がつくと、僕の目の前には扉があった。材質はわからなかった。木でも鉄でも石でもないようだった。あるいはそれは、扉という観念そのものが材質になっているのかもしれなかった。観念によって生み出されたその扉は、形を変えることなく、しかしゆらゆらと揺らめきながら、僕の目の前に存在した。
扉に手を伸ばし、触れてみる。その瞬間、僕の存在は観念的になった。実際には、扉に触れた手から伝っていくように、ゆっくりと全身が観念的になっていった。僕という観念そのものが僕の構成要素になっていった。
それは、心地よい感覚だった。僕は、僕に包まれていると感じた。同時に、僕ではない、何か悠久の時を経た大きな何かによっても包まれているように感じた。それは、今まで経験したどんなことよりも心地よく暖かだった。
扉は、いつの間にか開いていた。顔を覗かせたのは、やはり死の形をしたウサギだった。死の形をしたウサギは僕に、博物館がお似合いだ、というようなことを言って、死の形を保ったまま、どこかに消えてしまった。
そろそろ内容に入ろうと思います。
一応その前に、ここまで書いてきた文章は一体何なんだということだけど、別に意味のある文章ではありません。なんというか、言葉で説明するなら、僕が本作を読んで受けた印象から書いてみた小説的なもの、ということになるのだけど、そんな大層なものではなく、いつものように駄文なわけで、そこに何か意味があるとか、何らかの比喩が潜んでいるとか、まあそんなことはまったくないので、何を書いてるんだこいつは、と思ってくれたらいいと思います。
久しぶりに村上春樹の長編を読んだ気がしますが、やっぱりよかったです。僕の好きな方の村上春樹の作品でした。
「羊をめぐる冒険」から4年。1983年3月。ディズニーランドがあと少しで開園という時期。僕(この記事の書き手)が生まれた月。物語はその1983年の3月の東京から始まる。
僕は、「羊をめぐる冒険」での出来事の後、深い混乱から抜け出せずに、社会から自分を切り離して生活をした。金銭的な問題は特になかった。とにかく、自分を一度立て直さなくてはならなかった。飼っていた猫のいわしが死に、それを土に埋め終えると僕は思った。社会に戻るべきだ、と。
今の社会の中で、仕事を見つけることはさほど難しいことではない。それから3年と少し、僕は半端な物書きとして仕事をした。意味はないが、誰かがやらなくてはならない仕事だ。文化的雪かき。
電話局に勤める女性と、割り合い良好な関係を築きもした。彼女とは、友人と呼べるような関係だったが、頻繁に寝た。しかし、その関係も終わってしまった。理由は簡単だ。僕は、彼女をそこまで求めていなかったのだ。
そうして今。僕はよく夢を見る。いるかホテルの夢だ。僕は、そのいるかホテルに含まれている気がする。そして、誰かが僕を呼んでいる気がするのだ。
彼女だ、と僕は思った。いるかホテルで、彼女が、あの高級娼婦である耳の綺麗な彼女が、僕を呼んでいるのだ。
僕は、いるかホテルにいかなくてはいけない。それはもう、明白なことだった。締め切りのある仕事を急いで片付け、仕事の依頼者には一ヶ月ほど仕事を休むといい、そうして僕は、いるかホテルのある北海道へと旅立った。
僕はそうして、いろんな人に出会うことになる。羊男、美少女、娼婦、片腕の詩人、映画スター。そのどれもが運命であり、また必然でもあった。運命が複雑に絡み合い、またそれに流されるようにして僕は過ごした。逆らわず抗わず、何かが起こるのを待った。人が何人か死んだ。それでも僕は待った。彼女が、僕を呼んでいる彼女が、僕をどこかに連れて行ってくれることを信じて…。
というような感じですけど、まあいつものように、村上春樹の小説の内容紹介はまあ不可能なんで、全然ないよう紹介になっていません。
僕は、「羊をめぐる冒険」の内容をかなり忘れているので、本作と「羊」がどう繋がっているのかなかなか思い出せないのだけど(たぶん、キキと呼ばれる耳の形のいい女性といるかホテルは出てきたんだろうと思うんだけど。羊男はさすがに覚えていたけど)、それでも全然問題なかったですね。十分に楽しめました。
村上春樹の作品は、どこが面白いとかそういう部分を切り取って説明しづらい作品なので、あれこれ感想を書くのがなかなか難しいです。
村上春樹の作品を読んでいて思うのは、僕は村上春樹の作品に出てくる人々のような会話が出来るな、ということです。正確に言えば、村上春樹の作品の登場人物のような人間がいれば、僕はそういう会話が出来るだろうな、ということです。なんというか、彼らの会話は、どことなく現実離れしていて空想的なんだけど、でも不思議と本質的な気がします。だからこそ、僕らのいる現実の世界ではなかなかありえない会話なわけです。僕らは普段、本質的な言葉のやりとりなんかしないわけで。
でも、思考の方向性みたいなものは、すごく似ているなという風に感じます。特にそれを感じるのは、僕とユキという13歳の少女との会話を読んでいる時ですね。僕のユキに対する物言いには、かなり近いものを感じます。もちろん、普段そんな会話はしないわけだけど、こういう会話のできる人が現実にいたら素晴らしいだろうな、と思います。
村上春樹の作品には、魅力的な登場人物がたくさん出てくるんだけど、本作でも結構いました。ユキという少女、五反田という映画俳優、メイという娼婦、ドルフィンホテルの受付嬢、羊男。なんというか、それぞれ非現実的でありえないような存在感なんだけど、その違和感のある存在を許容するだけの世界を村上春樹は作り上げているので、全然不自然に感じないし、むしろ好感を抱きます。特に気に入っているのは、やはりユキですね。印象としては、「名探偵コナン」に出てくる灰原哀を連想させますね。ああいう感じはとても好きです。
村上春樹の作品は、その物語の筋がなかなか見えない作品も結構あるのだけど、でも本作は割とわかりやすい方ではないかな、と思います。いるかホテルというとっかかりも、そこから様々に繋がる部分も、いくつかの殺人も、なんというか、きちんと要素として把握できるというか、筋の中に組み込めるというか、そういう割とわかりやすい物語で、いいと思いました。
というわけで、僕の拙い日本語と理解力では、村上春樹の作品をきちんと論じるなんてことはまあ出来ないのだけど、でも読んでいてすごくほっとする作品です。どこがというのは説明できないのだけど、読んでいると、非現実というものに包まれてゆったり出来ているような、そんな気分になります。普通の小説を読んで感じられないようなことを感じることができます。それが、村上春樹の作品の力だと思うし、魅力だと僕は思います。
一応三部作の完結編なようで、たぶん「風の歌を聴け」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」の三部作なんだと思うけど、でも別に前二作を読んでなくても問題ないと思います。まあ僕も忘れているだけなんでなんとも言えないですけど、単体でも充分に楽しめる作品でしょう。是非とも読んでみて欲しいと思います。
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