【映画】「侵蝕」感想・レビュー・解説

なるほど、これはよく出来てるなぁ。物語としてメチャクチャ面白かった。全然設定を知らなかったから、「20年後」に話が飛んだ時はびっくりしたし(子ども時代だけで終わるんだと勝手に思い込んでた)、その「20年後の物語」がよく出来ていて、「なるほどなぁ」という感じだった。

さて、本作は何となく「ホラー」的な作品に見えているかもしれないが(僕も、鑑賞前はなんとなくそう思っていた)、結構違う。「ホラー」というのはなんとなく「変化で驚かせる」みたいな要素があると思うのだけど(いなかったはずの人がいるとか、無音からいきなり大きな音がするとか)、本作では「変化」には焦点が当てられない。何故なら、「娘の奇行が日常になってしまった時点」から物語が始まっているからだ。

というわけで、その辺りのことを説明するためにも、まずは内容の紹介から始めようと思う。

水泳インストラクターとして働くヨンウンは、常に疲れた顔をしている。そして時々、どこかからの連絡によって日常が破られてしまう。7歳の娘ソヒョンが、何かやらかしているのだ。飼い犬が死んでいたり、幼稚園で友達に危害を加えていたり。

ヨンウンは、「またか」と思う。娘を精神科に通わせてはいるが、どうにもならない。夫は、娘を恐れて出ていき、既に離婚が成立している。ヨンウンは離婚時、「どうにか育ててみせる」と意気込んでいたそうだが、既にもうその気力はなさそうだ。

ヨンウンは出来る対策はしている。自宅のキッチンの戸棚には南京錠を付けているくらいだ。包丁を取り出して何をするか分からないからだ。あるいは、近くの養鶏場で「鶏を絞めさせてほしい」と頼む。店主には「もちろん私が」と伝えるが、実際にはソヒョンにやらせるのだ。そういう「殺戮」を時々やらせてガス抜きになれば、と思っているのだろう。

しかしそれでも、ソヒョンの「ヤバさ」は止まらない。母親から「人を傷つけることはやっちゃいけない」と言われると、彼女は「だったら好きなことが何もできない!!!」と言って癇癪を起こすのだ。

ヨンウンはどうすべきだろうか? 出来ることなど何もないように思える。そしてある日……。

というような話です。

さて、先程の「変化」の話を続けましょう。

もし本作が「ホラー」であれば、「普通の子どもだったはずのソヒョンがどんどんとおかしくなっていく」という「変化」に焦点を当てるだろう。しかし、本作はそのような構成にはなっていない。母親のヨンウンは娘の異常さに気づいており、しかも、もう長いことその酷さに振り回されているのだ。

だからヨンウンの心は全然動かない。

以前観た『ニトラム』という映画のことを思い出した。この映画は、オーストラリアで実際に起こった銃撃事件の犯人を主人公にした物語で、その犯人は事件を起こす前から奇行を繰り返していた。そして両親は、そんな息子の扱いにほとほとうんざりさせられていたのだ。

中でも印象的だったシーンは、息子が父親をボコボコに殴っているシーン。その場には母親もいたのだが、母親は何もしない。止めても無駄だということが、長年の経験から分かっているのだろう。「息子による凄まじい暴力の状況に対して、一切何もせず、表情も変えない」みたいな描写によって、「長い長い間こんなやり取りがずっと続いてきたのだ」と実感できるような場面だった。

そして本作『侵蝕』にも似たような印象を受ける。ヨンウンはもちろん、悪いことをした娘を叱るのだが、しかしその言い方からは「どうせ言っても通じないよな」という諦めが漂っている。疲れ切った表情を動かしもしないし、諦めきってしまっている。

そんなところから物語が始まるのである。

だから観ながら、「ここからどんな風に物語を展開させるんだろう?」と思っていた。映画『ニトラム』の場合は、実話を元にしているわけだから、事実に沿った描写をすればいい。しかし本作はそうはいかないし、「他者を傷つけることを躊躇なく行える娘」と「娘の奇行への対処を諦めてしまった母親」を主軸にしながら、話をどう展開させていくんだろうな、と思っていたのだ。

だからまず、「20年後」に話が飛んだ時に、「なるほど、そうなりますか」と思った。そしてさらに、その「20年後の物語」がよく出来ているのだ。こちらについてはどんな話になるのかここでは触れないが、物語が後半に近づくにつれて、多くの人が「なるほど、よく出来てる」みたいに感じるんじゃないかと思う。

さて。そんなわけでここからは、「ソヒョンの行動」についてもう少し深堀りしてみたいと思う。

以前、『イノセンツ』という映画を観た。大友克洋の『童夢』をオマージュした作品だそうだ(『童夢』は読んでいない)。この物語は、「突如超能力的な力を手に入れた子どもたちが、その力を無邪気に使って大変なことになる」みたいな話である。

で、『イノセンツ』を観た時に、「『善悪』をちゃんと判断できない子どもがこんな力を手に入れてしまったら、そりゃあこうなるか」と納得させられた。「バッタの脚をもいでしまう」みたいなレベルの「残虐さ」を子どもは持ち合わせているものだと思うけど、恐らくそれは「『そうしてはいけない』ということを知らないだけ」だと言っていいだろう。もちろん、「してはいけない」と理解した後もそういう行為を止めない子どももいるだろうが(後に殺人で捕まったりするような人にそういう話が多かったりもする)、大体の場合は、「それが『悪いこと』だと分かれば止める」みたいになることが多いんじゃないかと思う。

さて、映画『イノセンツ』の場合は、「善悪」や「自身の行動が周囲に与える影響」なんかを上手く判断できない子どもたちが暴走してしまう話だったのだが、本作『侵蝕』はそれとは少し違う。というのも、ソヒョンは自分の行為を「悪いこと」だと分かっているからだ。正確に言えば、「ソヒョン自身はそれを『悪いこと』だと認識してはいないが、『それをすれば母親から怒られる』ことは理解している」という感じだろうか。

印象的だったやり取りがある。映画冒頭で、飼い犬のチョロンが死んでしまうのだが(はっきりとは示されなかったはずだが、恐らく、ソヒョンが殺した)、その亡骸を焼いて埋めた後で母親が「お母さんは悲しい。チョロンは家族だったから」と口にする。それに対してソヒョンは「犬はまた買えるでしょ?」と返すのである。

さてその後、鶏を絞め殺した日の夜のこと。寝る前にソヒョンは母親に、「チョロンも鶏もどっちも動物なのに、鶏は殺していいんだね?」と聞くのである。子どもはこういう言い方で親を困らせようとするものだが、僕の感触ではソヒョンにはそういう意図はなく、純粋に「どうして?」と感じているように思えた。ソヒョンには、本当に分からないのだと思う。

しかし確かに、「鶏は何故殺していいのか?」に答えるのは難しい。鶏だとちょっと考えるのが難しい場合は、「クジラ」に置き換えてみるのもいいだろう。欧米では、皆が皆そう思っているかは知らないが、シーシェパードのような団体が存在し、「クジラを殺すな」と主張している。日本人からすれば、「クジラを殺して何が悪いんだろう?」と感じるんじゃないかと思う。このように、国や文化によっても「動物を殺していい基準」は異なる。最近では日本でも、「熊を殺すな」みたいな抗議の電話が市役所に掛かってくるみたいな話があったりする(個人的には、何をアホなことを言ってるんだと感じるが)。同じ国、同じ時代を生きていても感覚は異なるのである。

だから、ソヒョンに「鶏は殺していいけど、犬は殺しちゃダメ」と納得させるのは困難だろう。そしてそうだとすれば、「人間を傷つけてはいけない理由」も説明が難しいはずだ。

僕らは、「法律で定められているかどうか」に関係なく、何となく「これはしてもいいこと、これはしてはいけないこと」みたいなことを理解する。ハラスメントやコンプライアンスなど、世代間によって認識に大きな差があるものもあるが、概ね、同じ社会に生きている者同士であれば、「善悪の大体の基準」は何となく理解できるようになるはずだ(まあ、こういう振る舞いは実に日本的だが)。

でも、それって外から見て確かめられるものじゃない。なんとなく「相手も同じ基準で生きているはずだ」と思っているだけである。で、それって、誰が相手であっても同じことが起こり得るよな、と思う。

ソヒョンの場合は、「残虐な行動」という形で彼女の思想が分かりやすく表に出てくるので、「明らかに違う基準で生きている」ことは分かる。しかし、逆に言えば、言動に表れなければその「違い」が見えることはない。そして本作は、「そういう人とどんな風に関わっていくべきなのか?」みたいな問いも突きつけているように感じられた。

そして、ヨンウンとソヒョンは「親子」なので、本人同士が望むと望まざるとに拘らず関係性は切れないし、だからこその難しさがある。これはキツいよなぁ。僕ならちょっと耐えられないだろう。真剣に「子どもを殺す」か「無理心中」を検討すると思う。

ソヒョンは、分かりやすく「サイコパス」と括ってしまえばなんとなく理解できたような気になれるかもしれないが、それもまたちょっと違うような気がしている。確かにソヒョンはサイコパスかもしれないが、それでも、「サイコパスとどう関わるか」ではなく「ソヒョンとどう関わるか」を考えなければならないからだ。

ラストシーンで、ソヒョンは自身の「理屈」について語るのだが、個人的には、「なるほど、ちゃんと理屈があるんだなぁ」と感じたし、ある意味では「なるほど」と感じさせるものでもあったので、共感は出来ないが納得はした。以前、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(桜庭一樹)の中で「正解できたらヤバいクイズ」が紹介されていたが、そのことを思い出した。心理学の世界では有名な、「猟奇殺人犯なら答えられるクイズ」なのだそうだ。

「理屈がなく行動している」というのも恐ろしいものだが、「まったく一般的ではない理屈に沿って行動している」というのもまた恐ろしいものだと思う。「理屈に沿って行動する」というのは非常に理性的な行動だからだ。「理性的なのにイカれた行動をしている」というのが、個人的には一番怖いなと思う(ホロコーストの主導者や、オウム真理教などは、そういうタイプである)。

まあそんなわけで、個人的にはなかなか楽しめる作品だった。「ホラー」だと思って観ると「ちょっと思ってたのと違う」という感じになるかもしれないが、そういう先入観抜きで観ると「うわっ」となるんじゃないかと思う。メインの物語は「20年後」だと思うので、僕の感想を読んでも全体像はまったく理解できないだろうけど、「20年後の物語」の方もとても良く出来ているので、是非観てみてほしい。

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