【映画】「スノーデン」感想・レビュー・解説

僕は、スノーデンを正しいと思う自分でありたい。

(一応先に書いておく。この映画はフィクションだが、事実に基づいている。だから、この映画の中のすべての発言を、事実として扱ってこの感想を書く)

スノーデンは、NSAというアメリカの諜報機関のスタッフであり、そこから盗み出した超極秘機密を世界中に暴露した。それは、「アメリカは、世界中の通信を傍受している」というものを含む、驚くべきものだった。

スノーデンはアメリカからスパイとして告訴され、パスポートを失効させられた。スノーデンは現在も、モスクワに住んでいる。

スノーデンは、CIA時代の彼の指導教官だったコービン・オブライアンと議論をする。アメリカは、世界中を覗き見している。それは正しいことなのか、と。コービンはそんなスノーデンからの問いに、こんな風に答える。

『大多数の米国人は、自由よりも安全を望んでいる。
安全に遊びたかったら、“入場料”を払って当然だ』

コービンは、米国人の安全を確保する代わりに、「自由を手放す」という代償があるのは当然だ、と答える。スノーデンは、国民はそのことに納得しているわけではない、と返すと、コービンは、たった一人にでも知られたら敵にも知られる、と言って議論を終わらせる。

また、こんなふうにも言う。

『第二次世界大戦から60年。未だに第三次世界大戦は起こっていない。何故かわかるか?我々が世界のために尽力してきたからだ』

確かにそうなのかもしれない。この点については僕は判断できないが、そういう一面があることも事実なのだろうとは思う。

コービンは、CIAに入りたてだった者たち(スノーデンを含む)に、こんなことを言う。

『また9.11が起きたら、君らの責任だ。
前回は私たちの責任だった。そう感じて生きるのは辛いぞ。』

コービンが国を想う気持ちに、きっと嘘はないのだろう。彼は、自分がしていることが、アメリカを、そして世界中を救う行為だと信じているのだ。

この映画で描かれる“傍受”は、僕らの想像を遥かに超える。例えば、起動していないパソコンのカメラだけを起動させ、室内を見ることが出来る。非公開にしているSNSや世界中の通話も、エックスキースコアと呼ばれるシステムで収集出来る。スノーデンは、その事実に愕然とする。

まだある。スノーデンは、日本でも働いていたことがある。その際、送電網やダムにトラップを仕掛けたという。

『もしも日本が同盟国でなくなったら、日本は終わりだ』

これらは決して、過去の話ではない。つい最近ニュースで、アメリカ(確かCIAだったと思う)が、盗聴などの技術を1000以上開発していたという情報がウィキリークスを通じて暴露されたという。スマートテレビの電源がOFFになっていると見せかけて起動させ室内の音を拾う、というような技術が、実際に使われているかどうかはともかく、既に開発されているという。

スノーデンは、それらの事実を知り、大いに悩む。一度は、CIAを退職したほどだ。

これらを、「テロの脅威に対抗するため」という理由で、僕らは許容することが出来るだろうか?

スノーデンの素晴らしいと感じた点は、自分自身で善悪を判断しなかった点だ。スノーデンは、高給や愛する人や家族をすべて捨て、アメリカが行っていることを暴露する決意をした。スノーデンと接触したジャーナリストの一人は、『これまで多くの偉人に会ってきた。しかし君は…』と言って声を詰まらせた。それらの行為をひっくるめて「素晴らしい」と称してもいい。僕の中にも、そういう気持ちはある。しかしもう一方から見れば、彼は情報を盗んだ犯罪人だ。その視点も、決して忘れてはいけない。彼の行動そのものをどう評価するかというのは、なかなか難しい問題だ。

しかし僕は、彼のスタンスは賞賛してもいい、と感じている。スノーデンは、機密を暴露した理由をこう話しているのだ。

『議論を深める情報がなければ、僕らは迷子です』

彼は、「アメリカによる監視は悪だ」と主張するため機密を盗み出したのではない。彼は、そのことを知らない世界中の人に、このことを議論してもらうために機密を暴露したのだ。

『その上で、僕が間違っているのか世間が間違っているのか判断して欲しい』

『それより、国民に監視の是非を判断して欲しい』

このスタンスは、賞賛に値すると思う。彼の行為の是非は、どの側面から見るかによって判断が分かれるだろうから、一面から切り取って彼を手放しで賞賛することは難しいかもしれない。僕は、スノーデンの行為も正しいと思いたいが、そう思わない人がいることも理解する。しかし、彼のスタンスは手放しで賞賛できるのではないか。自分の正しさやアメリカの間違いを主張するのではなく、情報は渡すから皆さんで判断して欲しい、というスタンスは素晴らしいと感じた。

『自分の国を非難したくない』

ブッシュ大統領に対するデモが行われている中を恋人と歩いている時、スノーデンは恋人に対してそう言う。

『他人の命を背負う気持ちが君に分かるのか?』

情報機関でテロとの闘いに明け暮れ、心身ともに疲労しているスノーデンが恋人にそう声を荒げてしまう。

スノーデンは、国を良くしたい、守りたいという気持ちを強く持つ男だ。恐らくスノーデンにとって、機密を世界中に暴露するという決断は苦渋のものだっただろう。しかし、彼は決断した。彼は、それがアメリカを良くすることに繋がるはずだと信じたのだ。

『私は、明日を心配せずに済む自由を手に入れたのです。
心の声に従ったから』

モスクワからスノーデンはそう言葉を発する。ロシアから一人では出国できない身分になりながらも、スノーデンはそこに「自由」を見る。世界中のありとあらゆる情報にアクセスできる時には感じられなかった「自由」を。

内容に入ろうと思います。
2013年6月3日。スノーデンは香港にいた。ローラ・ポイトラスとグレン・グリーンウォルドという二人のジャーナリストと接触するためだ。スノーデンは29歳。直前の身分は、NSAの契約スタッフだ。
彼は、NSAから盗み出した膨大なデータを世間に公表するために彼らと接触した。
軍隊での過酷な訓練により、足を粉砕骨折したスノーデンは、別の形で国に奉仕しろと言われてCIAを志望する。スノーデンの趣味は、インターネットだ。スノーデンを面接したコービンは、平時であれば不合格だが、有事(9.11のテロが起こった後だ)の今は君のような人間の力がいる、と言ってスノーデンにチャンスを与えた。
「ザ・ヒル」という名の訓練校で、スノーデンは抜群の成績を示す。5時間以内にやれと言われた課題をたった38分でやり終えた。その後、ジュネーブや日本など様々な地で仕事をするが、そこで目にする事実に、スノーデンは悩み心を痛める。恋人のリンゼイに、アメリカがあらゆることを監視していると伝えたいが、それを言えばリンゼイを巻き込むことになり言えない。スノーデンが抱えている最大の悩みを、最も近くにいる恋人にも伝えることが出来ない辛さの中で、それでもスノーデンは、自分の仕事が国を守ることに繋がっているのだと信じて、体調を崩しながらも無理を続ける。
しかし徐々に、スノーデンはこの現状を許容できなくなっていく…。
というような話です。

非常に面白かった。僕はこの映画を見る前に、「シチズンフォー スノーデンの暴露」という映画を見ている。ローラ・ポイトラスが実際に撮った映像を元にしたドキュメンタリー映画だ。ドキュメンタリー映画だから、臨場感はやはり凄かった。しかし、「映画」として見た場合、魅力があるかと言われれば答えに窮するという感じもあった。

「スノーデン」の方は、実話を元にしたフィクションだ。だから、臨場感という点ではやはりドキュメンタリー映画には及ばない。しかし、どちらの方がより真に迫っていたかと聞かれれば、おかしな話ではあるが、フィクションである「スノーデン」の方だったかもしれない、という気がした。

それはやはり、スノーデン自身が暴露するために捨ててきたものも、「スノーデン」の方では描かれているからだろうと思う。

ドキュメンタリー映画では、スノーデン自身が喋っていることと、当時のニュース映像などで構成されている。だからこそ、映画全体がスノーデンからしか描かれていない印象を受けた。しかし、フィクションの「スノーデン」では、恋人であるリンゼイとの関わりや、彼が一緒に働いている情報機関のスタッフとの関わりなど、彼が機密を暴露することで失ってしまうものも描かれている。そこが一番の違いだったと感じた。

『僕の暴露がどう評価されてもいい。しかし、ハワイでの恵まれた生活や高給、愛する人や家族など、僕はすべてを失いました。何のためにすべてを捨てると思いますか?』

スノーデンは、カメラに向かってそう問いかける。その通りだ。彼には、現状を知った上でそのまま生きるという選択肢もあった。しかし彼は、すべてを捨てる覚悟をして暴露した。彼が失うものは、あまりにも膨大だ。その膨大な、失われてしまうものが、「スノーデン」では描かれていた。そこがより、スノーデンの決断の凄さを際立たせていると感じた。

僕たちは、自分がどういう世界に生きているのか、もう一度見つめ直さなければならないだろう。

僕は、SNSの類を使っていない。LINEも、ごく限られた形でしか使っていない。しかし、Gmailはメインのメーラーとして使っている。ヤフーやグーグルの検索も使っている。クレジットカードも頻度は低いが使っている。電話も頻繁にではないが使う。名前を出してはいないが、ブログもやっている。それらから、漏れ出る情報は当然あるだろう。映画を見終わった僕は、とりあえず、自分のパソコンのカメラ部分を、ガムテープで覆ってみた。知られて困るような情報などないが、「見られているかもしれない」という感覚は、やはり嫌なものだ。

少し前、「虐殺器官」という映画を見た。スノーデンが暴露したのとはまた違った形でだが、「虐殺器官」の中でも、先進国の人びとが「安全」に「便利」に生きることが出来るように、他者の「安全」や「便利さ」を脅かす構造が描かれていた。僕たちは本当に、今僕らが享受している、“過剰”とも思える「安全」や「便利さ」を必要としているだろうか?それらを享受することで、どこかの誰かが命を落としているかもしれないと考える時、どう感じるか?

個人で立ち向かえるレベルの話ではない。しかし僕は、そういう事柄に対して、鈍感にはならないように生きたいものだ、と感じる。

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