【映画】「クイーンダム/誕生」感想・レビュー・解説
非常に面白い作品だった。今年観た中では一番かも(今年は今のところちょっと不発なこともあるけど)。やっぱりドキュメンタリー映画がいいな。面白い。
本作の主人公はジェナ・マービン。祖父母からは「ゲンナジー」と呼ばれていたので、「ジェナ・マービン」は恐らくアーティスト名だと思う。ロシアの田舎マガダンで生まれ育った、撮影当時21歳の若者だ(1999年生まれと紹介されたので、2020年頃から密着が始まったということだろう)。彼は自身を「ノンバイナリー」と認識している。これは「性自認が男性でも女性でもない」という状態で、LGBTQ+の「Q」に相当する「クィア」という表現の方が一般的かもしれない。
モスクワの美容系の大学に通う彼は、スカートに厚底のハイヒールを履き街を歩く。時にはもっと過激な服装なこともある。割と冒頭の場面で、彼が誰かと買い物をしている時に、店員か警備員かに呼び止められ、「下着で買い物をされたら困る」と注意されていた。本人は、「このどこが下着なんだ」と憤慨していたが。
そしてそんな奇抜な格好で街を歩く彼の行動は、ある意味では「抗議活動」でもある。というのもロシアでは、LGBTQ+に関する活動や表現が法律で禁じられているからだ。ドラァグクイーンのような存在は、許容されていないのである。
そんなロシア社会で、奇抜なファッションに身を包みながら静かに抗議活動を行うのが、ジェナ・マービンである。
しかし、彼ははっきりと「自分はプロパガンダ活動をしているわけではない」と言っていた。「政治的なメッセージを発しているつもりはない」ということだろう。あるいは、彼は「ジェナ・マービン」について「『存在』という感じ。『人物』という感じじゃない」とも言っていた。恐らくだが、「何か主張を持つ人格」みたいなものとしてではなく、「ただそこにいるだけの存在」として自身のことを捉えているのだと思う。
彼は祖父母に育てられた(両親がどうなったのかよく分からないが、祖父が「母親は路上で死んだ」と言っていたし、国の登録情報には「18歳以上の孤児」と記録されているらしい)。そして彼は祖父からある場面で、「スカートやハイヒールにこだわる理由は何なんだ? 金のためか?」と聞かれる。祖父母(というか祖父か)は孫の表現やパフォーマンスを一切理解せず、恐らく「ノンバイナリー」「クィア」という概念のことも分からず、だから全然彼のことを受け入れようとしない(祖母いわく、「おじいちゃんも頑張ってる」らしいのだが)。
そしてこれに対してジェナはこんな風に返していた。
【僕にとっては普通のことだし、生活上必要なものだ。身につけることで、自分が完成する感じがする。】
この感覚が、彼の活動・表現を最もよく言い表しているものだと僕には感じられた。つまり、「自分にとっての『当たり前』が何者にも制約されないこと」こそが彼が望んでいることだというわけだ。
ジェナがファッションモデルのオーディションに挑戦し絶賛を浴び、そのままショーに出演するというシーンがある。そしてそこで、そのショーのトップ(というか、デザイナーか)が彼にこんな言葉を掛けていた。
【君にはこの国のタブーを破る力がある。
君のアートは決して大衆向けではないが、しかし本質的な力があるよ。
「誰もが自由に生きられる世界を」っていう君の想いは、必ず届くと思う。】
このデザイナーは、ジェナのインスタを見てこういう風に言っていたのだが、この「誰もが自由に生きられる世界を」というのが、彼の願いの本質だろう。別に、政治的なメッセージを発しているつもりはないし、プロパガンダのつもりもない。彼は、「ただそこに存在する」ということによって世界を広げようとしているのだ。「誰も排除されない世界」を願っているのだ。
本作の後半、具体的な状況には触れないが、彼はまさにそのような世界にいる。そしてそこで彼は、
【こんなに居心地が良いと感じるのは、生まれて初めてだ。】
と言っていた。まあそう感じるのも当然だろうなという状況である。
さて、彼の「パフォーマンス」は、概ね「奇抜な格好をして街を歩く」というものだが、時折そうではないものも映し出される。インスタ用に撮影しているのだろう、「ヘドロの中を這いつくばる」とか「針金を身体に巻き付けて街中を歩く」みたいなものもあった。そしてそういうパフォーマンス全体を踏まえて、「不自由な状態であることの提示」あるいは「不自由な状態からの脱出」みたいに感じられた。
彼は自分で「人を怖がらせるためにパフォーマンスをしているんじゃない」と言っていた。そしてそれに続けて、「僕が経験したことの方がもっと怖かった」とも口にしていたのだ。「かつてどんな怖いことがあったのか」についての話はなかったが(本作は基本的に、「ジェナの現在を撮る」というスタイルで、「過去を振り返るインタビュー」みたいなものはない)、ロシアに生まれ育ったということを想像すればなんとなくイメージ出来るかもしれない。
ただ、本作を観ながら、僕は少しだけ場違いな感想も抱いた。それは、「ロシアって、案外自由な国なんだな」ということだ。正直、もっとヤバい国だと思っていたのである。
ジェナは当然、「自由がない」という想いを背景にパフォーマンスを行っている。そのパフォーマンスの中には「かなり裸に近い格好で外を歩く」というものもあり、正直、日本で同じことをしても、警察から職務質問をされる程度には不審者扱いされるだろうという感じだった。
で、僕は「ロシアなんか日本と比べたら全然ヤバい国なんだから、こんな格好で歩いてたら、難癖つけてテキトーに逮捕されるんじゃないか」みたいな偏見を持っていたのだが、全然そんなことはなかった。
本作では、ジェナが裸に近い格好で電車に乗り、ある公園を目指すというシーンがある。その公園ではその日、「空挺軍の日」というイベントが行われており、中も周辺も警備が厳重になされていた。ジェナは公園の入口で警備員に止められ中には入れず、その後、敷地の外で立っていた時に、周辺の警備をしていた警察(あるいは警備員)が彼に話しかける。
しかし警察は、結構穏やかなものだった。「ここでは空挺軍のイベントが行われていて、過激な思想を持つ人もたくさん集まっている。事件を誘発しかねない。だから君はここから離れた方がいい。君自身の安全のために言っているんだ。もちろん、僕も助かるしね」。ロシアの警察なら「無理やり排除する」ぐらいのことは当たり前にやるのかなと思っていただけに、このシーンは僕には「思ってたよりロシアは自由なんだな」と感じさせるものだった。
しかし、それはあくまでもウクライナ侵攻の前までの話である。そう、本作の密着中にロシアがウクライナに侵攻し、そのことによってジェナはかなり厄介な状況に置かれてしまうことになる。
本作では、「ロシアがウクライナに特別軍事作戦を実行した」と伝えるニュース映像がテレビから流れる場面があり、その中で、「偽情報の拡散や抗議集会などは法律で禁止され、最大で15年の禁固刑となる」という話も伝えられていた。そしてそういう状況になってからも彼は、「奇抜な格好で外を歩く」というパフォーマンスを続けていたのだ。そしてこのタイミングではやはり警察の対応もそれまでとはまるで変わっており、彼はすぐに拘束されてしまうことになる。本作ではそんな、ロシアという国家の変化も垣間見える。彼は最初の方で、「巨大な監獄のようなロシアでの生き方はちゃんと身についている」と話していた。恐らく、「これぐらいのラインなら問題になることはない」みたいなことが理解出来ていたのだと思う。しかし、結果的に拘束されてしまった際のパフォーマンスの直前、彼は「怖い」と口にしていた。恐らく、「ロシアの変化を踏まえると、これからしようとしていることが自分を危うくする」ということが理解出来ていたのだと思う。
さて、本作ではそんな「アーティストとしてのジェナ」にも焦点が当てられるのだが、それとは別に「祖父母の孫としてのジェナ」も映し出される。
祖父母とは主に電話でやり取りをすることが多いのだが、とにかく祖父が頑なで、ジェナの振る舞いどころか存在すら認めていない感じがある(対面で話している時はそうでもないのだが、電話の時はちょっとキツい気がする)。祖父はジェナに、「SNSのいいねに価値なんかない」「22歳になったんだ、いい加減大人として分別のある選択をしろ」「頼むから早く目を覚ませ」などと言っていた。最後の方では、「ふざけた撮影を止めないなら、お前を殺すしかない」とまで言っていたのだ。
個人的に印象的だったのは、ジェナが「ヴォーグ・ロシア」での撮影があったと報告した時のことだ。祖父が「報酬は?」と聞くので、ジェナは「報酬はないけど、雑誌に載って多くの人に知ってもらえる」と返す。国内で最も影響力のあるファッション雑誌なわけで、ジェナからすれば報酬なんてもらえなくても十分価値があるという判断なのだろう。しかし祖父はそう考えない。「資本主義社会なら労働には対価が支払われるはずだ」「タダ働きなんてクソだ」と言っていた。そもそも、「知ってもらえたから何なんだ?」とも言っており、祖父にはとにかく「無報酬で雑誌に載ること」の意味が理解できないようだった。
そんなわけで、祖父はとにかくジェナを受け入れず、そして僕にはその感覚は好きになれないなという感じだった。生きてる時代も国も違うから仕方ないのだけど。ただ、冒頭の方で誰か(最初の方でジェナに付き添っていた女性が結局誰か分からない)が、ジェナが生まれ育ったマガダン州についての説明をしており、それを踏まえると「多少は仕方ない」と感じられるかもしれない。
マガダン州は、そもそも田舎(モスクワから1000km離れているそうだ)だから、都会よりも古い考えの人が多いということもあるのだが、さらにここにはかつて刑務所があったという話が出てくる。さらに、ロシア(というか、ソ連か?)には昔「密告制度」があり、その時代を生きた人は「扉をドンドンと叩かれて、そのまま収容所送りになってしまった」みたいな状況を実際に見聞きしているというのだ。そういう土地柄だからこそ、余計にジェナのようなタイプに厳しい目が向けられるのだろうということだった。
そんなわけで、僕は祖父のスタンスがあまり好きになれないのだが、とはいえ、「大学・勉強に関する言及」には「仕方ないだろうな」と感じた。ジェナは学生で、アルバイト的なことをしているのかは知らないが、学費を含め生活費は基本的に祖父母の援助でなりたっている。祖父母は既に仕事を引退している(と思う)ので、年金と補助金でジェナのお金を捻出しているようだが、ある場面で「それももう底を尽きそうだ」と話していた。かなり無理してジェナのためのお金を工面しているようだ。そしてそうであれば、「学業に専念しろ」とジェナに強く迫るのは、まあ仕方ないだろうなと思う。
しかしそんなジェナは結局、大学を退学させられてしまう。この点に関してはまず前段として、ジェナが弁護士(だったはず)に電話で相談する場面があった。質問の主旨は「大学から『抗議活動に参加したら退学』という書類にサインさせられたが、抗議活動に参加したら大学は僕を処分出来るのか?」だった。そしてこれに対して弁護士は、「そんな書類にサインしても、大学に出来ることは基本的にない。また、抗議活動に参加することで罰金刑になるかもしれないが、罰金刑が退学の根拠になることもない」と言っていたのだ。
しかしその後、抗議活動に参加したジェナを大学は速やかに退学処分にした。ジェナは、「審議会が開かれる予定で、僕はそこで話をするはずだったのに、それより前に退学処分が決まってしまった」と話していた。大学側の退学処分の理由は「連邦法違反」であり、「これによって本学の名誉を傷つけた」だった。ではジェナはどんな罪を犯したというのか。それは、「ロシア国旗を不適切な形で使用した」である。
実はこの時ジェナは、自身の全身を「白・青・赤」に塗り分け、ロシア国旗を模した格好で街を歩いていたのだ。そしてこれが「連邦法違反」だと指摘されたのである。まあ、何とも言いがかりという感じがする。
さて、結果として退学処分になってしまったことは良くなかった。それは、先程も書いた通り、祖父母から援助してもらっているからだ。ただジェナは、あらかじめ弁護士に相談し、大丈夫だという判断の元行動している。だから、結果的には想定外の自体になってしまったわけだが、そのこと自体を責めるのも酷だろうなと思う。
さて、祖父母との関係性で言えば、印象的だったのが、ジェナが電話で「2人とは他愛のない話をしたい」と言っていたことだ。彼は「味方がほしかった」と心情を吐露していた。彼らは3人しかいない家族であり、しかしジェナは電話する度に存在を否定されるようなことばかり言われ続けてきた。そういう状態は苦しかったと、映画のラスト付近で語っていたのである。
彼にとっては、自身の振る舞いすべてが「自分らしく生きるために必要なこと」なのだが、そのことは祖父母にはなかなか伝わらない。祖父は祖父なりの正しさを押し付けるだけで、ジェナは「理解されている」と実感できる機会がなかった。お互いに苦しかったことだろう。祖父がノンバイナリーやクィアを理解する日はきっと来ないだろうが、それでも、「ジェナのようにしか生きられない人もいるのだ」ということを許容してほしいものだなと思う。
非常に興味深く面白い作品だった。
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