【映画】「七人の侍」感想・レビュー・解説
映画のことは詳しくないので、「七人の侍」がいつ頃の映画なのかも分からないし、その当時の映画表現の標準がどんなものだったのかも知らない。
今回、映画館で「七人の侍」を観て僕は、現代の映画みたいだな、と感じた。僕のささやかな知識では、黒澤明は他の多くの映画監督に影響を与えた人物であるようだ。とすると、「七人の侍」を現代の映画と同じように感じたということは、つまり、「七人の侍」が現代の映画の枠組みの多くを作り出したということではないか、と僕は解釈している。
大学の講義の中で、「戦艦ポチョムキン」という映画を観たことがある。どんな映画だったのかや、何故この映画が映画史に残っているのかなどは全部忘れてしまったが、少し調べると「戦艦ポチョムキン」というのは、モンタージュ理論を実践した映画として有名であるらしい。
モンタージュ理論というのは、複数の異なるカットを組み合わせることで映像的な意味を見出すというような技法のことであり、現代では映像表現の中に当たり前に使われているものだ。モンタージュ理論には二種類あるようで、「戦艦ポチョムキン」は、別撮りしたカットを組み込むことで意味を持たせるようなモンタージュ理論の技法が使われているという。
一方で「七人の侍」ではもう一方のモンタージュ理論が使われている。こちらは、何台ものカメラを同時に置き、一つのシーンを複数のカメラで押さえることで臨場感を生み出す技法だそうである。ネットによると、こちらの技法は撮影費用が掛かりすぎるという理由で敬遠されていたが、「七人の侍」のもの凄い臨場感を観た多くの映画監督が影響され、アメリカでの映画のスタンダードになったのだという。
確かに、戦闘シーンの臨場感は凄かった。あの場面がもし、カット割られずにワンシーンのような形で撮られていたら、全然違う作品になっただろう。現代ではごく一般的に使われている技法だろうが、「七人の侍」からこの映像表現が広まったというなら、その凄さが改めて理解できる。
とりあえず先に内容をざっと書いておこう。
相次ぐ戦乱により野武士がはびこり、村を襲っては暴虐を尽くすことが頻発していた時代。ある山村も野武士に目をつけられた。たまたま野武士たちの計画を耳にした村の男はそれを村に伝え、麦の刈り入れ後にやってくるはずの野武士に対してどう対処するか村で議論が繰り広げられる。
長老の決断は、侍を雇って戦う、というものだった。
そこで村の男4人が町へ出て、村を守る役目を引き受けてくれる侍を探しに行くことになった。しかし気位の高い侍は、ただ飯がいっぱい食えるというだけのことではなかなか引き受けてはもらえない。
そんなある日、子どもを人質に立て籠もった強盗を、見事に押さえ込んでひっ捕らえた侍を見かけた。村の者は、島田勘兵衛と名乗るその男に頼み込み、難しいと渋る男の首を縦に振らせた。しかし、少なくともあと6人は侍がいないと無理だという。苦労して侍を見つけ出して彼らは村へと戻り…。
というような話です。
まず驚いたことは、3時間40分という上映時間の長さ。現代では考えられないだろう。これだけ長ければ、物語をじっくり描けるだろうな、と思った。実際に映画では、一つのシーンが実に贅沢に描かれている。合戦のシーンは非常にスピーディーだが、それ以外の場面ではじっくりと描かれる。現代の映画であればどんどんカットが変わってしまうだろうなという場面でも、ゆったりと描かれていく。ストーリーとしては、村を守るために寄せ集めの7人と村人が奮闘する、というただそれだけの話なのだけど、トータルの上映時間の長さとワンシーンワンシーンでの贅沢な時間の使い方が、物語を重厚に見せていると感じました。
観ていてちょっとしんどかったのか、声が聞き取りづらかったこと。これは、元からそうなのか、デジタルに変換したことで変わってしまったのか、その辺りのことは全然分からないのだけど、全体の1/3ぐらいのセリフが全然聞き取れませんでした。音が割れちゃってるという感じ。当時の録音技術の問題なんだろうか。そういう中でも、声が聞き取りやすい役者というのもいて、役者の発声の問題なんだろうか、と思ったりもしました。
メインの物語の合間合間に様々な事柄が挟み込まれていって、それもなかなか面白かった。その筆頭が、七人の中のムードメーカーの侍です。度々問題行動を起こす男なのだけど、結果的にいい働きになったりもする。熱い男で真っ直ぐで、こうと決めたことに対する情熱が誰よりも強い。途中で彼が百姓出身であることが判明する場面があるのだけど、そういうバックグラウンドを持った上での行動に納得させられることもある。
一番年下の侍の恋の話もある。村の女と恋に落ちるのだけど、これはこれで色んな波乱を引き起こすことになる。「侍の家に生まれたかった」という村の娘の呟きが、この村の、そしてその当時の日本の様々な村の百姓の言葉を代弁しているんだろうと感じました。
そして、これは印象的なラストとも関わる話だけど、侍と百姓の違いみたいなものも、随所で描かれていると感じました。ラストシーン以外で一番それを感じさせるのは、百姓が隠し持っていた鎧や槍が出てきた時のことでしょう。侍と百姓の関係が一瞬険悪になりながら、ムードメーカーの侍の持つ芯がその場を収めることになった。まるで違う生き方をしている両者が交わることはなかなか難しい。ラスト、島田勘兵衛が「また負け戦だったな」と呟く場面は、多くが語られるわけではないが、百姓の強かさと侍の弱さみたいなものをうまく対比させていると感じました。
戦闘シーンで凄いなと思ったのが、馬です。本当の戦闘ならともかく、撮影なのだから、馬を傷つけることは絶対に出来なかったんじゃないかと思うんです。その中で、あれだけ竹槍と刀が入り乱れている中で、馬がよくもまあちゃんと動くものだと思うし、馬を傷つけないで撮影が出来るものだなと感じました。
映画自体の長さを除けば、現代の映画とさほど違いを感じない作品で、それはつまり、現代の映画の枠組みを作った作品だからということなんだろうと思います。迫力のある映画だったなと思います。
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