「名前が付かない関係」だけでいい
昔からずっと、「名前が付かない関係」を求めてきた。「家族」「恋人」「先輩/後輩」みたいな「名前が付く関係性」ではないものに惹かれ続けてきたのだ。「他に呼びようがないから『友達』と呼んでいる」みたいな関係も含め、「名前が付かない関係」が僕にとっては理想である。
関係性に名前が付くと、どうしてもその「関係性の名前」の方に関係そのものが引っ張られてしまう。「既存の型に埋め込まれてしまう」と言えばいいだろうか。そういう「『型』を演じる」みたいな状態が好きな人もいるだろうし、別にそれ自体を否定するつもりはない。でも、僕には向いていなさそうだ。
関係性に名前が付くと、まず「しなかったこと」に焦点が当たる。「したこと」ではなく「しなかったこと」にだ。「家族/恋人/後輩”なのに”◯◯してくれなかった」みたいな話が出てくるだろう。外枠が決まっているからこそ、「したこと」以外のことが「しなかったこと」として認識されてしまうのだ。これはとても窮屈だなと思う。どう考えても、「したこと」に焦点を当てて関係を築いていく方が良いと思うんだけど。もちろん、「子育て」とかが関わってくるとそうも言っていられないだろうけど、そういう状況でもなければ「したこと」を重視した方がいいはずだ。そして、関係性に名前が付かなければ、そもそも「しなかったこと」が浮き彫りになることもない。
また「したこと」に関しても制約が生まれる。関係性に名前が付くとどうしても、「しちゃいけないこと」が決まってくるからだ。「浮気」みたいなことだ。こういう制約も好きじゃない。というか、「しちゃいけないこと」なんて、相手との間で決めればいいはずだ。なのに、関係性に名前が付くと、外野からも「そんなことしちゃいけない」とかとやかく言われる。
ダルい。
結局、「家族/恋人/後輩なんだから当然~~」みたいな話って、「型を演じている」だけで「相手のことを見ていない」よなって思う。それでいいのか? 不思議だ。僕は型よりも、相手に興味がある。
とはいえ、名前が付かないことのデメリットもある。一番難しいと感じるのは、「『当然のように会う』という前提が共有されないこと」だ。家族や恋人であれば、前提として「会うのが当たり前だよね」みたいな感覚が共有されるはずだが、関係性に名前が付かないとなかなかそうはならない。この点に関してはやはり、「関係性に名前が付く方が便利だよな」と思ったりはする。ま、すべてが理想的な状況になるなんてことはないから仕方ないけど。
ちなみに、「『家族』や『恋人』みたいな形でしか他者の関係性を捉えられない人」はちょっと、僕には「思考をサボっている」ように見える。もっと色んな可能性があるもんだよ。
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