【映画】「ヴァージン・スーサイズ 4Kレストア版」感想・レビュー・解説
ストーリーが好き、みたいなことでは別にないんだけど、全体的には好きな映画だった。なんか良かったな、この映画。
どうしてこの映画を観ようと思ったのか覚えていないが(観ようと思った映画をメモしておいて、公開直前にそのメモを見ながらどの映画を観るか決めているので、「メモした時」のことは覚えていない、という意味)、劇場が結構埋まっていて、そのことにも結構驚いた。まあ、「4Kレストア版」が作られるぐらいだから、有名な映画なんだろうけど。
あと、鑑賞後に知ったが、本作の原作は『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』らしい。未読だけど、タイトルは印象的だったので覚えてる。なるほど、これが映画化されたのか。
さて、本作の物語はざっくり3つのパートに分けられる。「末娘の自殺未遂&自殺(or事故)」「四女ラックスの恋」「母親による軟禁」である。そして一番のメインは真ん中、「四女ラックスの恋」である。
正直個人的には、この「四女ラックスの恋」はさほど好きではない。確かにラックスはなかなか魅力的な少女で、色んな人を振り回しながら、結局自分も振り回されていくという、ラックスの振る舞いはなかなか興味深かった。ただ、ラックス以外にはさほど興味が持てなかったし(特に、ラックスに恋をするトリップは、僕には面白い人間には見えなかった)、だからこそストーリーにも惹きつけられなかった。
普通に考えれば、作品のメインとなる「四女ラックスの恋」のストーリーに興味が持てなかったのだから、映画全体の評価も辛くなっておかしくないように思うが、どうしてかそうはならなかった。なんだろうなぁ。自分でもちょっと不思議である。
原作がそうなっているからだと思うのだけど、本作は基本的に「5人姉妹が気になっている少年たち」視点でも物語が進んでいく。もちろん、リスボン家(5人姉妹一家)だけのシーンもあるので、すべてが少年たち視点というわけではない。ただ、全体としては、「何が起こっているのか分からないけど、気になるからずっと追いかけている少年たち」視点で5人姉妹を見ていくことになる。
そしてだからだろう、5人姉妹はずっと「よく分からない存在」として描かれる。冒頭で自殺未遂を起こす末娘のセシリアと、トリップとの恋が描かれるラックスが中心になるとはいえ、その2人の雰囲気に残りの3人も離れずについていけているわけで、概ねこの5人は似たような雰囲気の中で生きているのだと思う。
彼女たちの言動すべてが理解できないなんてことはないが、よく分からない部分も多く、そしてそれが良かった。そして最後の最後まで、まともな理屈をつけずに、「よく分からない存在」として描いていたところも良かったなと思う。
まあ僕のそんな感覚にはたぶん、「動機」という言葉への嫌悪感みたいなものも関係しているんだろうな、と思う。
昔何かで、「世間の人が『殺人犯や犯罪者の動機』を知りたがるのは、『自分は違う』と思いたいから」みたいな話を読んだことがある。「自分はそんな動機を持つことはない、だから犯罪者になることはない」と考えて安心したい、というわけだ。この理屈はなるほどと思うし、確かにその通りだなと思う。
しかし、決して「犯罪」に限る話ではないが、「動機」なんてほとんど「後付け」でしかないと思う。確かに、どんな行動をするにしても「明確な動機」をもって臨む人もいるだろう。しかし、すべての人がそうではないし、すべての状況がそうというわけでもないはずだ。「どうしてそんなことをしたのか」という「動機」を持たないまま行動し、その理屈を事後的にしか説明できないような状況というのは、いくらだってあると思う。
だからそもそも僕は、「どんな行動にも『動機』が存在するはずだ」という発想が嫌いである(もちろん、犯罪の場合、「裁判で必要」になるので、それが仮に事後的な説明であれ「動機」の解明は必要だと思っているが)。
よく分からないが、多くの人は「『動機』が存在しないのに行動が起こる」ことに耐えられないんだろうか?そりゃあ、「再発防止」などの観点から「動機を解明しようとする努力」は常に行われるべきだと思うが、僕には「そこに『動機は存在しなかった』という選択肢が存在していない」ように感じられているのだ。「動機を解明しようとする動機」は「動機を見つけること」であり、「動機は存在しなかった」という結論は受け入れられない、みたいなスタンスを多くの人が持っているように感じられてしまう。
そういう世の中は嫌だなと思う。
僕も昔「死のう」と思ったことがあるが、今振り返ってみると、あの時は「頭がおかしかった」ような気がする。つまり、「まともな思考など出来ていなかった」というわけだ。まともな思考も出来ないのに、「動機」もクソもない。日本語には「箸が転んでもおかしい」みたいな表現があるが、それで言えば「箸が転んでも死にたくなる」みたいなことは全然あり得る。
そして、「そんなはずがない」なんて言い切れる人はたぶん、幸せな人生を歩んできたんだと思う。常に「動機」の存在を意識できるぐらい、ずっと正常な頭で生きてこられたということだからだ。
僕は、自分の命を断つことだって、誰かの命を奪うことだって、結構紙一重だと思っている。だから、「『動機』がないからそんなことするはずがない」なんて、全然安心できない。「動機」なんか無くたって、っていうかむしろ、「動機」がないからこそあっさりと、その壁を超えられちゃうなんてことは、全然あるだろう。
なんてことを普段から考えているから、本作の物語も割とするっと受け入れられたんだろうなという気がする。逆に言えば、「えっ?動機は?」みたいに感じる人には、ちょっと向かないかもしれない。ってか向かないよ。
「自分はあいつとは違う」って思いたいというだけのために「動機」を欲している人は、むしろ危ないと自覚した方がいいかもしれない。「動機」なんかなくたって、いつでもするっと「そっち側」に行けてしまうのが人間なんだから。本作を観ながら、改めてそんなことを強く思ったりした。
あとは、ホント、この母親嫌いだわー。ホント、こういう人は無理。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただけると励みになります!