【映画】「ROPE」感想・レビュー・解説

なかなか面白い作品だった。個人的には結構好きな映画だったなぁ。「よく分からない描写」のバランスが結構良くて、「分かりやすすぎる」という感じでもないと、かと言って「何だこりゃ、意味分からん」というわけでもない。絶妙な感じで余白を残しつつ、「リアルに感じられる人間関係」を色々詰め込んでいる作品で、こういう作品は結構好きだなと思う。

というわけでまずはざっくり内容の紹介を。

冒頭、男が友人らしき男に滔々と話をしている。「祖父や父がいかにして成功の目前で死んだか」という話である。しかし、平岡というこの男は、一体どうしてそんな話をしているのか。それは、少し前に仕事を辞めたからだ。彼は鳶職で働いていたのだが、少し前に主任への打診があった。普通なら喜ばしいことだ。しかし、祖父も父も、良いところで死んでいる。ということは自分も、主任になる直前に死んでしまうのではないか。恐らく、そういう「理由」があったのだと、友人に伝えたいのだろう。

もちろん、すべて言い訳である。平岡はどうも、仕事が長続きしない性格のようだ。だから、全然金もない。友人が経営するバーでもツケでビールを飲んでいるし、というか、その友人からは色々と金も借りている。家賃も滞納中だ。まずは一旦、この現実をどうにかしなければならない。

そんな時に見つけたのが、「行方不明者の貼り紙」である。彼はどうやら不眠症らしく、寝れなくて暇なのだろう、街中に貼られている様々な貼り紙を見るともなしにテキトーに剥がしていたのだが、その日はたまたま、貼り紙の1つに載っていた顔写真と同じ人物を見つけたのだ。

線路脇で、男にバットを振り下ろしていた。なんかヤバそうな奴である。

しかし、その女(小川翠)を見つけると謝礼が10万円もらえるそうだ。乗らない手はない。なにせもう、対象の女を目にしているのだ。後は、バットで殴られていた男から話を聞けばいい。

それで平岡は、10万円の女に殴られていた男が働く喫茶店へと向かうのだが……。

というような話です。

本作は冒頭からしばらくの間、割と訳わからん感じで展開されるのだが、その訳の分からなさはほとんど、「平岡のおかしさ」から生み出されていると言っていいだろう。友人のバーで知り合った初対面の女性から金を借りたり、元カノ(結)の家に言って彼氏と電話で揉めてる元カノから電話を借りたりする(金が無さすぎて電話を止められているのだ)。あるいは、殴られ男が働く喫茶店で、読みもしない本を盗んだりするのである。正直、平岡はなかなかいけ好かない奴である。

が、本作の面白いのは、この平岡の印象がどんどん変わっていくことだろう。と言っても別に、平岡自身が変化するわけではない。平岡は最後まで、思考・行動のスタンスを変えない。だから、普通なら「いけ好かない奴」という印象のまま変わらないはずなのだ。

ただ、2つの理由から平岡の印象は変わっていくことになる。

1つは、「平岡よりもいけ好かない奴が出てくること」である。まあこれは分かりやすいだろう。平岡は確かに「なんか嫌な奴」なのだが、「より嫌な奴」の登場によってその「嫌な部分」が薄まる。また、そういう「より嫌な奴」と比較すると、平岡は「単に自分の感覚に素直なだけ」であり、状況にもよるが、「まあそれならしょうがないか」みたいに感じる人もいるだろう。「繕わないこと」による悪い部分が強調されると「嫌な奴」に見えるが、良い部分が強調されれば見え方もまた変わってくるというわけだ。

そしてもう1つが、「小川翠と話をする平岡が結構良い」である。

小川翠については、平岡が彼女と話すようになってから一層情報量が増えるのだが、そこに至るまでも断片的にはあれこれ描かれる。そしてそういう断片的な描写だけからも、「小川翠はなかなか面倒な人間」ということが伝わるだろう(一応書いておくが、僕は基本的に「変人」が好きなので、限度はあるが、「面倒な人間」は決して嫌いではない)。

もちろん、平岡も事前にそういう印象を抱いていたはずだ。しかし平岡は、初対面の小川翠とかなり良い感じに喋る。この「良い感じ」というのは説明しにくいが、僕が「温度の低い会話」と呼んでいるタイプのやり取りである。ざっくり書くと、「初対面だと、人は普通ちょっとテンションを上げがちだけど、仲良くなっていくと次第にそのテンションは最初の段階からは下がって安定する」みたいな状態を「温度の低い会話」と捉えていて、そして僕は、「初対面の時点で『温度の低い会話』が出来る方がいいよね」と思っている。

で、平岡と小川翠の会話はまさにそういう感じ、つまり、「長いこと関わりがあるかのような温度の低さ」があったのだ。僕はこういう関係性が結構好きである。

そしてこういうやり取りは、「先入観丸出しで相手を捉える」とか「自分を良く見せようとする」みたいなスタンスでは成立しない。そして平岡は、小川翠に対して先入観を持っていたはずなのにそれを出さず、さらに「俺、今貧乏な奴としか話したくないんだわ」みたいな言い方で「『自分を良く見せようとは思っていない』ことを伝える」みたいな振る舞いもしていて、「なるほど、こういう感じだったら、初対面でも『温度の低い会話』が成立しそうだよなぁ」という説得力に溢れていた。

で、小川翠とのそんなやり取りを見ていると、それまでの平岡の振る舞いに対する印象も上書きされていくような感じがあった。誰に対しても、打算もないし虚勢も張らない。「自分が今どうしたいか」を最優先にしつつ、「その範囲内で、相手がしたいことがあるなら全然許容する」みたいなスタンスを常に貫いている感じがあった。個人的にはこんな風に、物語の展開とともに平岡の印象がガラッと変わったし、さらに「そこに至るまでの展開が凄くリアルに感じられたこと」も凄くよかったなと思う。

さて、というわけでもう少し平岡について書くが、例えば彼はある場面で、「そんなことより、彼女との話と運転に集中しろよ」と口にする。どんな場面なのか具体的には説明しないが、この場面では多くの人が、「お前が言うなよ」と感じると思う。「どの立場でそんなこと言ってるんだ」と、割と苛立ちを喚起する場面だと思う。

しかし、平岡の印象が変わった後で振り返ってみると、確かに「お前が言うなよ」という印象は変わらないのだけど、同時に「良いこと言ってるよな」という風にもなる。確かに、主張の内容だけ取り出してみたら、平岡の言っていることは正論である。だからこれも、「取り繕わないこと」の「良い部分/悪い部分」のどちらをより強く捉えるかという話なんだと思うけど、平岡に関してはこういう「良くも悪くも取れる言動」が結構あり、それが「平岡の存在感」を絶妙に揺らがせていたなと思う。

そしてそういう「なかなかヘンテコな人物」が物語を駆動する存在として機能しているからこそ、本来は本作全体から放たれるはずの「奇妙さ」みたいなものも良い具合に薄らいでる気がする。平岡がもう少しまともな人間だから、物語全体が有する「違和感」がもう少し強くなり、「リアリティを感じにくい」みたいな捉え方になったかもしれない。本作は本当に、「平岡の造形」が物語全体を左右するような気がしたし、その上で、脚本上の「平岡」も、演技の上での「平岡」も、「絶妙」としか言いようがない雰囲気だったのが凄く良かったなと思う。

で、そんな平岡にトーンを合わせるかのように、他の登場人物たちも少しずつヘンな部分があって、そしてだからこそ、そんな人物たちが織りなす人間関係がなかなか面白かったなと思う。特に、個人的には、平岡と元カノの距離感が結構好きだなぁ。この2人こそ「温度の低い会話」という感じで、まあそれは元恋人同士だから別に普通なんだけど、ただ「恋愛関係を解消した者同士」なわけで、「『温度の低い会話』が出来てしまうこと」は世間的には良くないことだったりもするんだと思う。でも2人とも、「別に世間とかはどうでもいい」みたいな雰囲気で、だから懸念すべきは「結が今付き合ってる彼氏」なわけだけど、2人ともそこにはちゃんと配慮してる。みたいな絶妙なやり取り(さながら、棋士同士の感想戦のような)が、個人的には凄く良い雰囲気だったなと思う。

あと、もちろん小川翠も凄く良かった。彼女は最後まで「よく分からない存在」として描かれるのだけど、本作では彼女を「理解」という箱に押し込めようとしていなくて、その感じも凄く好きだなと思う。「理解のための手がかり」みたいなものを散りばめるみたいなこともたぶんしてなくて、「よく分かんない存在ですよね」という雰囲気のまま提示している感じがした。

で、本作『ROPE』は、役者もスタッフもかなり若手で作ったようなのだけど、だからこそ本作には「若い世代の常識的な捉え方」が通底しているはずだと僕は思っている。そして、僕の若い世代に対する印象として、「多様性に対する関心・理解が高い」というものがある。で、僕はこの「多様性」を「理解できなくても否定しない」というイメージで捉えている。ただ、「多様性」なんて概念を突然突きつけられた(みたいに感じてるんじゃないか)年配の世代(まあ年齢的には僕もここに含まれるのだが)は、「多様性」を「許容するために理解しようと努力する」みたいに捉えているイメージがある。

「理解できなくても否定しない」と「許容するために理解しようと努力する」は、進んでる方向が全然違う。前者は「理解できるかどうかは関係ない」というスタンスだが、後者は「理解できないものは許容できないし、場合によっては否定する」という意味を含んでいるからだ。

で、本作『ROPE』での小川翠の描かれ方(だけから判断しているわけではないが)からは、「理解できなくても否定しない」みたいなスタンスが感じられて、個人的にはそのことも良かったなと思う。小川翠を「理解すること」はなかなか難しい。だから、「許容するためには理解できることが必要だ」と考えている人には、彼女を受け入れることは難しいだろう。

しかし恐らく若い世代ほど、そんな風には考えていない。若い世代はたぶんだけど、「理解できるかどうかは別に関係ない」と思っている気がするし、それが色んな描写に現れていた気がする。

加えて、僕が観た回には上映後にトークイベントがあったのだけど(というか、詳しくは分からないが、公開期間中かなりの回数トークイベントを行っているようだ)、その際のやり取りからも同じような雰囲気が感じられた。

今日は、プロデューサー兼主演を務めた俳優の樹と、監督の八木伶音が登壇していたのだけど(いつもは客席から質問を受け付けて答えるみたいなやり方をするそうだが、トークイベントの時間が短くなったようで、今回は質問に答える形式を止める、みたいなことを言っていた)、その中で、「良かったらSNSとかにも書いて下さいね」みたいな話をしていた。まあ、こういうトークイベントの際には必ず出る話である。

しかし、普段と違ったのは、「ダメなことを書いてくれても全然いいし、批判でも『意見の1つ』として嬉しい」みたいなことを言っていたことだ。これを聞いて、「僕らとあなたがたが違う感想を抱くなんて当然です」というスタンスがはっきり理解できたし、さらに「彼らはちゃんと『本当のこと』を伝えたいと思ってるんだなぁ」と感じられて、このことも凄く良かった。

「本心を伝えること」と「相手に『本心』だと思ってもらうこと」には大きな隔たりがある。そして、ただ「本心を伝える」だけでは、「『本心』だと思ってもらう」のは難しい。ただ、このことを理解していない人も結構いる感じがしていて、「仮にそれがあなたの『本心』だとしても、その言い方じゃ『本心』だと思ってもらうのは難しいよなぁ」と感じることも多い。

ただ、今日登壇した2人(特に樹さんの方)は、それが「本心」なのかどうかはともかく(個人的には、他人が何を考えているかなんてどうしたって分からないのだから、「本心かどうか」には興味がない)、「『これが本心なんだ』と相手に信じてもらいたいと思って話している」ことが伝わる感じがあって、凄く良かった。こういう振る舞いは、「『自分』と『自分以外の人』とでは絶望的に違う可能性がある」という自覚を常に持っていないと出来ないと思うし、それはまさに「理解できなくても否定しない」みたいなスタンスに繋がるように思う。

若い世代にとっては、今僕が説明したようなことは、「何をダラダラ言ってるんだ」と感じるような「当たり前すぎること」かもしれないが、こういう感覚は本当に、年齢が上がるにつれて絶望的に通じなくなる。僕はまだ、大きく捉え間違えてはいないつもりでいるが、このような感覚の差が、コミュニケーションを阻害するようなケースは多々あるだろうと思う。

とまあ、「小川翠の造形」の話からは大分飛んだが、そんなわけで、「小川翠がよく分からない存在のまま終わる」というのは全然良かったし、本作においては重要な要素だった気もする。

さて、本作は『ROPE』というタイトルであり、で、まさに「ロープ」がいくつかのシーンで出てくるのだけど、正直なところ、これが何だったのかはよく分からなかった。

まあ、解釈はいくらでも思いつく。例えば平岡は「母親が自殺しようとしていた」と冒頭で話していたから、その事実と何か関係があるのかもしれない。あるいは「その場から動けない(動きたくない)」という感覚を視覚的に表現しているのか。また同じような話かもしれないが、「これからしようとしている行動に対する躊躇」なんて捉え方も出来るだろう。

ただ、全体のテーマや展開を踏まえた上で、こういう解釈だと面白いかもなと思うのは「自縄自縛」という捉え方である。

本作における平岡の行動原理は実にシンプルだ。「10万円をゲットすること」である。平岡からすれば、「10万円が手に入ればいい」わけで、それ以外のことは大した問題ではない。まさにこの目的のために突き進んでいると言っていいだろう。

しかし、これを書くと少しネタバレになってしまうかもしれないが、「平岡は最終的に、『10万円をゲットすること』という目的を手放していたのではないか」という気がする。彼が実際に10万円を手に入れたのか、その描写はなかったのでどちらとも言えないが、可能性として、「平岡が10万円の受け取りを拒否している可能性」はあるんじゃないかという気がする。どうしてそう感じるのかは踏み込みすぎなので触れないが、「そうだとしたらいいなぁ」という個人的な希望も含む解釈である。

つまり平岡は、「『10万円をゲットする』という目的のためだけに猪突猛進しているにも拘らず、その目的達成のための行動が、結果的に『10万円をゲットする』という目的を遠ざけてしまっている」なんて解釈も出来るんじゃないかと思う。そしてそんな「自縄自縛」の状態を「ロープ」によって表現しているのではないか、というわけだ。

まあ、これはかなり我田引水的な解釈だし、制作側の意図とも違うかもしれないが、個人的には「そうだとしたら、それはそれで物語を綺麗に閉じれてる感じがする」みたいな感覚である。

あと、もう1つ。こちらについては解釈らしい解釈は出来ていないのだけど、「小川翠を探すための貼り紙が増殖している」という描写はちょっと謎だった。いや、一応、それに説明をつけようとするかのような描写は無くはないのだけど、個人的には「これで説明になってるとはちょっと思えないなぁ」という感じだった。何故なら、探し主は既に平岡から連絡をもらっているわけで、「貼り紙を増やす」という判断はその結果待ち(平岡はいつ行動するかも伝えていて、そしてそれはそう遠い未来ではない)でも別に良かっただろうな、という気がする。だから、「何か別の意図を含む描写なんじゃないか」という気がしてしまうのだけど、よく分からなかった。もし何かもう少し別の意図があるなら、この部分はもう少し要素としてあると(別に分かりやすい説明がほしいわけじゃないけど)良かった気はする。

というわけで、個人的には思いがけず結構面白く観れた映画で、観に行って良かったなと思う。分類としては恐らく「自主制作映画」ということになるんだろうし、公開館も、僕が本作を観た時点では新宿武蔵野館の1館のみだったのでなかなか観る機会はないかもしれないが、今後各地で公開するようだし、気になる方はチェックしてみるのもいいんじゃないかと思う。

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