【映画】「1980 僕たちの光州事件」感想・レビュー・解説
作品全体としては、割とコメディタッチで展開されるのだが、やはり、描かれている現実は酷いものである。
なんだかんだ僕は、この時代を描く韓国映画を結構観ている。『ソウルの春』『タクシー運転者』『1987、ある闘いの真実』『KCIA 南山の部長たち』などである。
いきなり作品の話から少しズレるが、韓国が軍事政権下を描いたり、ドイツがホロコーストを描いたり、アメリカが奴隷制度を描いたりするのはとても健全だなと思う。しかもそういう作品が、メジャーなエンタメ作品として作られることで、「過去の過ちと向き合い、未来に活かそう」という意思を感じる。もちろんそれは作り手だけの話ではなく、観る側もである。観ようと思う人がいるからこそ制作されるわけで、国としての民度の高さみたいなものを感じる。
で、翻って日本だが、こういう「過去の過ちを描くメジャーなエンタメ作品」というのはあまりない気がする。もちろん、まったく無いなどとは思っていないが、外国映画でホロコーストや奴隷制度を扱った作品にこれだけ出会うのだから、日本に生きる日本人としては、そういう日本の作品にもっと出会っていなければおかしい気がするのだ。
こういう作品に触れる度、個人的には少し、日本という国への残念さみたいなものを感じさせられる。
さて、僕は『ソウルの春』も『タクシー運転者』も観ているので、本作で描かれる「光州事件」がどういう流れで起こり、一体どんな出来事だったのかは、本作を観る前の時点で大体知っていた。で、そういうことを知らない人からすれば、本作を取り巻く外枠の情報を理解することはなかなか難しいだろう。本作でも、冒頭からしばらくの間は、実際の映像を使いながら、本作の物語が始まる1980年5月17日までにどんな出来事があったのかがざっくり描かれるのだが、何も知識がない人だと、それを観てもよく分からないだろう。
というわけで、その流れを僕が理解している限りざっくり書いてみると、まず1979年に当時の大統領パク・チョンヒが中央情報部の部長に暗殺されるという事件が起こる(この事件を描いたのが『KCIA 南山の部長たち』である)。その後、国内のゴタゴタに乗じて、陸軍内に「ハナ会」という秘密組織を張り巡らせていたチョン・ドゥファンがクーデターを起こし大統領に就任する(この事件を描いたのが『ソウルの春』)。そして年が変わり、3月4月と学生が抗議活動をするようになり、そして、後に「光州事件」と呼ばれるようになる出来事が起こる5月になるのだ。ちなみに、「光州事件の現場まで、外国人ジャーナリストを乗せたタクシー運転者」を描くのが『タクシー運転者』である。
「光州事件」そのものには詳しくないが、「軍事政権下にあった韓国で、民主的な政治を求めて活動を続ける学生らの抗議活動を、軍が武力によって制圧した」という出来事だと思う(ただ、ソウルから300km離れた光州でどうして抗議活動や軍による鎮圧が起こったのかは知らない)。そして本作『1980 僕たちの光州事件』は、そんな光州で「中国料理 和平飯店」を営むある一家の物語である。冒頭で「実話を基にしたフィクションだ」と表記されるのだが、エンドロールの背景に実際の人物だろう写真が使われていたので、「飯店を経営していた一家」が実際にいたのだろう。そして、基本的にはただただ平和に暮らしていただけの彼らが、酷い状況に巻き込まれていくのである。
物語の主人公的な存在は、5月17日にオープンさせたばかりの和平飯店の社長の長男の嫁である(ちょっと役名が分からないが)。長男のサンウォンは、跡継ぎにも拘らず家にいない。ソウルの大学を出た彼は実は、抗議活動に積極的に関わっており、身を隠しながら生活しているのだ。そんなわけで、サンウォンの妻が調理以外全般を見て店を回している。ちなみに彼女は今、2人目を身ごもっており、もうすぐ生まれそうという状況である。
サンウォン夫妻の長男はチョルス。まだ子どもで、祖父から「いつかはこの店を継いでくれ」と言われても「中国料理の店なんか嫌だ」と断っている。ひとつ屋根の下の隣人である美容院の娘ヨンヒとは幼馴染であり、彼らは家族ぐるみで仲良くしている。
家には他にも、サンウォンの弟サンドゥと、その妻になる予定のアモーレ、さらにサンウォンの妻(チョルスの母)の妹も一緒に暮らしている。サンドゥは次男だから家を継げないことにぶつくさ言っているし、チョルスは父が家にいない理由が分からないし、ヨンヒの母は軍人である夫からのよく分からない連絡に不安を募らせている。
物語は基本的、和平飯店と隣接する家の中で繰り広げられ、その周辺で起こっていることには首を突っ込まない。時折、軍人が飯を食いに来たり、屋外での乱闘が店内に押し寄せてきたりするが、基本的には「抗議活動は自分たちとは関係ないこと」として、普段通りの日常を過ごそうと努力している。
のだが……。
こういう話はホントに、「その時その場所にいたのが不幸だった」としか言いようがないのだが、それにしてもやり切れないなと思う。本作のメインビジュアルには、真ん中に「ねぇ、なんで――?」という言葉が記されているのだけど、本当にその通りだろう。恐らくこれは、チョルスの言葉として書かれているように思う。本作は概ねチョルスの視点で物語が進んでいく感じがあり(もちろん、チョルスがいない場面も描かれるので、あくまでも「概ね」だが)、子ども目線で「どうしてこんなことが起こってるの?」みたいに問いかける内容になっていると言えると思う。
本作を「光州事件の映画」として観ると、ちょっと期待外れになるかもしれない。というのも、「光州事件そのもの」は別に描かれていないからだ。本作において「光州事件」というのは「自分たちとは関係ないところで起こっている出来事」であり、そういうスタンスで生きていた家族でさえも混乱に巻き込まれてしまった、という点こそが重要なのだと思う。
そしてその中で重要になってくるのが、「抗議活動の中心にいるらしいチョルスの父親」と「夫・父親が軍人である隣人」の存在だろう。この2者が、複雑な感情を誘発する物語に仕上げていると思う。
チョルスの父親については、町の住民の評価は悪くないようだ。「ソウルの大学を出た」というのはかなり評価されているようだし、「ソウルの大学を出たのに」という表現を使う人もいたが、「抗議活動」に関わっていることも「勉強して偉くなった人間が必要だと考えたからやっているんだろう」みたいに受け取られているようである。
そんな中で、チョルスの父親に複雑な感情を抱いているのが、次男のサンドゥである。祖父は飯店を、孫のチョルスに継がせようと考えているし、それを公言している。それは、「サンドゥが次男で、チョルスが長男だから」みたいな理由が大きいのだと思うが、しかしサンドゥはどうも、それだけではない理由を感じているようだ。つまり、「兄貴は優秀だったのに、俺は不出来だからダメなんだろ?」みたいな劣等感を常に抱えながら生きているようなのだ。
このことは、作中の随所でさざなみを立てる要素として浮き彫りにされる。何の決定的なきっかけになる、みたいなことはあまりないのだが、作品の背後でずっと重低音で響いているみたいな要素として存在しているというわけだ。
一方、「夫・父親が軍人である隣人」の存在は、軍による市民への弾圧が酷くなるに連れて、作品の重要な要素として浮上してくることになる。これは、実に残酷な状況だなと思う。当時の軍人の態度・振る舞いは相当酷く(まあそれは、クーデターによって大統領の座を勝ち取った人物が組織した軍なのだから当然と言えば当然なのだが)、その片鱗は作中の随所で描かれる。そして物語が進むに連れてその酷さは増していき、最終的には「そんなのあり得ないだろ」という振る舞いにまでなっていくのである。
そして、そんな軍人が隣家にもいるのである。まあ、実際に家にいるのは妻と娘だけなのだが、町の住民としては当然怒りは収まらない。そんな風にして、「光州事件」という歴史的大事件が「隣家の問題」として浮き彫りにされるのである。
そんな風にして、「歴史的大事件」を「家族視点」で描き出す作品であり、そういう意味で本作はとても興味深いと言えるのではないかと思う。
本作ではとにかく、妻として嫁いだチョルスの母親(役名が分からないのは不便だな)が全体的に気丈に振る舞っていて、「和平飯店の大黒柱」が祖父だとしたら、「一家の大黒柱」が彼女という感じがした。夫は家におらず、自身は身重な状態で、様々なトラブルが巻き起こる。そういう状況でも、家族や隣人が穏やかに生活出来るように気を配っているのだ。凄いものだなと思う。
またやはり、状況をちゃんとは理解できないチョルスが、幼馴染であるヨンヒとの関係に上手く行かなさが募っていく感じなんかは、ホントに残酷だなと思う。「光州事件」はどう考えても軍がおかしかったわけで、抗議活動をしていた者たちの是非については僕にはなんとも判断出来ないが、少なくとも、本作で描かれているような「光州に住む一般市民」に非はまったくなかったはずだ。そしてその中でもやはり、子どもこそまったく悪くないはずだろう。にも拘らず、人生が大きく変わってしまうような状況に直面させられるわけで、本当に嫌なものだなと思う。
そんなわけで、メチャクチャ面白かったというわけではないものの、「歴史的大事件に翻弄される一市民」の姿を丁寧に描き出す作品であり、興味深かった。
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