見出し画像

【本】村上春樹「海辺のカフカ」感想・レビュー・解説

まずこれだけは書いておこう。


本作は素晴らしい。どんなことがあっても絶対に読むべき作品だと思う。僕が読んだことのある村上春樹のどの作品よりも素晴らしく、そして僕が読んできたかなりの数の作品の中でもかなり上位になる作品だ。


是非とも読んで欲しい。


僕等が、実体として世界に存在している、というのは一体どういうことだろうか?


僕たちは、生きているということに対して比較的疑問を持つことが少ないだろうと思う。歩き物を食べ排泄し睡眠を取り息を吸う。そうした一連の、身体的な機能維持を生きている状態と呼ぶし、考え悩み嘆き喜びといった精神的な活動を生きている価値とみなして、そのことに基本的な信頼を置きながら生きているのだろうと思う。


でも、世界はそんなに安定したものではないように思う。


こうだって考えられる。この世界は誰かの妄想、あるいは夢の中であって、その夢を見ている主体以外の存在は全て、その主体の作り出した幻想だ、と。


あるいはそれは、自分自身が見ている夢かも知れないけれども。


どこにも絶対などないし、自分の存在を確固たるものとして保証してもくれない。ただ僕たちは、ある意味暴力的にこの世に生み出され、境界の曖昧な善悪に満ちた世界の中で、生きていることの正確な意味や価値を知ることもなく生き続け、そうしてあるとき、また暴力的な死にその人生を掬い上げられていく。


そんな、迷宮のような人生を、皆誰もが、大方疑問なく、ある意味仕方なく、こなしている。


生まれる前に誰かが教えてくれたっていい。


子供のうちに誰かが与えてくれたっていい。


大人になる前に誰かが押し付けてくれたっていい。


きっと、そうした運のいい人だっていることだろう。だけど、そうでない人がたくさんいるからこそ、宗教だってはびこるし、哲学だって深まるし、科学は先へと進むし、人間は多様化する。


結局善悪は曖昧だ。


15歳の少年にとって、そんな世界は、そんな人生はどう映るだろう?


僕も15歳だってことはある。その時のことをちゃんと覚えているわけじゃないけど、でも僕なりにいろいろあって大変だった。生きている限りほぼ間違いなく仕方なしに属さなければならない環境に僕は馴染むことも浮き出ることもできずに、毎日必死で、自分と世界との帳尻をなんとかうまく合わせながら、騙し騙し精一杯頑張っていたと思う。


家出をしようと思ったことも何度かある。


僕はタフな15歳の少年ではなかったから、実際に家出という形に落ち着くことはなかったけど、未遂という形で何度か考え半分実行した。


今から考えればということだけど、あの頃の世界は僕には歪に見えた。世界と世界の繋がりで自分をうまく切り替えなければならないような、そんな不連続感があったような気がする。逃げ出すことも前進することも、あるいは目に付く全ての「進むべき道」から消えてしまうことも出来ずに、ただ「前進しているように見せかける術」を自力で学ぶだけの時期だった。


いろんな15歳がいる。


僕のような15歳もいただろうし、全然違う15歳もいたはずだ。そして、本作に出てくるような、タフな15歳も。


内容についてどこまで書こうか、村上春樹の作品の場合いつも悩む。


どこか一部を切り取って全体に見せかける、というようなあらすじを、村上春樹の作品の場合書くことはほぼできない。全体は細部につながり、細部は全体に繋がっている。無関係という関係ですら結ばれた様々な事象を、うまく切り離して文字に出来るようなきりとりせんを、残念ながら見つけることができない。


だから、内容の紹介がひどく簡潔になる。


本作は、15歳の少年田村カフカと、文字の読めない老人ナカタさんの物語である。


田村カフカは、故あって15歳の誕生日の日に家出をすることに決めた。とにかくここにはいられない。そう思っての家出であり、彼はそのうち、図書館に寝泊りすることになる。


ナカタさんは、ある事件を境に文字が読めなくなり、記憶もなくなった。猫と喋れるという能力のお陰で猫探しを頼まれるようになるが、そのお陰で奇妙な旅路へと足を勧めることになる。


これぐらいにしておこう。


この後何を書いていいのかわからないが、僕は本作中で、好きな登場人物が結構いる。なるべく話の筋がばれないように、登場人物について語りたいと思う。


まずは田村カフカだろう。彼は、世界で一番タフな15歳になるために家出をする。彼の行動はどこまでも的確で、とても15歳とは思えない。そして、彼が抱えているものも、そこらの15歳にはなかなかないものだろうと思う。

彼には、家を出れさえすれば基本的には後はどうなってもよかったはずだ。しかし、様々な人と出会い、助けられながらも、皆少しずつずれていて、一つ一つの些細なズレが、彼をとんでもないところまで導くことになる。


生きることや自らの存在について疑問を持ち、そして彼のいう呪いというものに取り付かれながら、彼は常に出来る限り真っ直ぐに生きようと努力し続ける。その姿勢は、なかなかに素晴らしい。


ナカタさんという老人もかなり素晴らしい。文字が読めなく、喋り方がちょっと特殊で、誰にも言っていないけど猫と話せる老人。中野区からはほとんど外に出ないように生活をし、補助と猫探しのお礼で生活している。


ナカタさんというのは、本作でもかなり重要な人物だ。そして僕はかなり好きだ。彼の生き方は、確かに不幸に満ちてはいるが、ナカタさんという存在はいつでも同じ形で存在している。邪推や悪意というものがなく、それが相手にも伝わる。記憶も何も空っぽでも、誰かに何かを与えることができる。
存在自体がかなり現実離れしてくることになるけれども、ナカタさんは同じ形で存在しているし、素晴らしい。


大島さんという、図書館に勤める人もなかなかいい。地面に対して垂直に立っている、という印象がある。自分なりの考えをかなりちゃんと持っていて、それをゆるがせない。善悪の基準を外に設けるのではなく、内に設ける、つまりちゃんと自分自身の判断で決断できる。


現実感の薄れていく物語の中で、この人はちゃんと世界と繋がっていると思わせる。碇のようなもので、なかなか心強い。


佐伯さんというのが図書館の館長だ。いつも部屋に籠って何か書き物をしていて、火曜日に希望者を募って図書館の案内をする。美しいけど謎めいている。


人生というものを考えたとき、佐伯さんという存在は、水で薄めたコーヒーのような感じがする。どこまで薄めても完全に透明にはならないし、コーヒーとしての価値は下がり続ける。ここからはもはやコーヒーとは呼べない。そんな瞬間を過ぎてなお生きてしまった存在のようで、悲しい。


ホシノさんというのが、途中からナカタさんと旅を共にする青年だ。ホシノさんもナカタさんも、共にそんなに頭のいいほうではないけど、でも彼等の間の会話は常に、何らかの示唆に満ちている。


ホシノさんという青年は、ナカタさんと旅をすることで悉く何かが変わっていく。いい青年であるし、ナカタさんにとってはいなくてはならない存在である。


もっと主要な人物がいたような気もするけど、それほど多くないことに気付く。それで、これだけの、壮大で素晴らしい物語を書いてしまうのだから、やっぱり村上春樹は凄いのだと思う。


村上春樹の文章は前から好きだ。本作での文章も、村上流とでもいうような独特のもので、その文章だけで異世界へ連れていかれるような気がする。やはり時折、僕には理解の及ばない文章も出てくるけれども、それはそれで仕方ない。


もう一度言おうと思うけど、素晴らしい作品だ。僕なんかが言わなくても誰もがわかっていることかもしれないけど、それでもまだ読んでいない人だって結構いると思うし、そういう人に是非読んで欲しい。世界でも評価が高い、というのもわかる気がする。


読むだけで何かが変わるような気がします。僕はきっといつか本作を読み返すことでしょう。是非とも、手にとって読んで欲しい一冊です。


いいなと思ったら応援しよう!

長江貴士 サポートいただけると励みになります!