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【本】森博嗣「EXPERIMENTAL EXPERIENCE 実験的経験」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。


と思うのですけど、やっぱり内容には入らないことにしようと思います。
なんというか、楽しい作品です。


本書を読んで僕は、なんだか森博嗣に感謝したい気分になりました。それはどういうことかというと、よくもまあ出版という不合理な世界で活動を続けてくれたものだな、ということです。


恐らく森博嗣にとって、出版業界というのは、まったく理解不能な業界だったことでしょう。


恐らく、時間当たりの効率が凄くいいとか、結構労なくお金を稼ぐことが出来る、というような理由で『出版』というものと関わり続けてくれたのだろうけど、いやはやホントありがとう、という感じになりました。


ありとあらゆることに共通することだけど、どんな物事にも『前提』は存在する。『納豆を食べる』であれば、『臭いのは当たり前』という前提が存在するはずだし、『死ぬのが怖い』であれば、『長生きしたと思うのは当然』という前提が存在するはずだ。


そういう前提に、森博嗣は敏感だ。


森博嗣は、明文化されていない、なんとなくそういうことになっている事柄について、納得出来ないような思いを抱いていることだろう。もちろん、納得しなければいけない理由はない。森博嗣は、自らの考えでは掴み切れない『出版』というそのものについて、諦めたり距離をおいたりすることもできたはずだ。これほど、不合理な世界もないと、呆れ返ってほったらかしにすることもできたはずだ。


でも、森博嗣は、何らかの理由によって作品を発表し続けてくれたし、今でも書き続けてくれている。なんというか、それに対して凄く感謝したくなる作品だ。


本書は、説明不能だけど、森博嗣の価値観が全開に放出されている作品だ、という印象がある。


が、もう少し説明が必要だろう。『森博嗣』とは誰なのか、について。


ここで言及している『森博嗣』は、現実の、どこかで庭園鉄道を作り、作品を発表し、時々バナーナさんとかウミノチーカさんと会ったりしている実在の『森博嗣』ではない。そうではなくて、これまで小説やエッセイなどを通じて森博嗣が構築してきた、あるいは読者の側が勝手に構築してきた『森博嗣像』のことを、『森博嗣』と表現している。


実際の森博嗣としては、本書で言及している様々な事柄については、特に言及する必要を感じることもないほど自明なことだろうし、特別言葉に置き換えて発表するものではない、と考えていることだろう。しかし、そのようにして放出された様々なものは、これまでの作品を通じて形成されてきた(あるいは形成されたきたと想像できる)『森博嗣像』をくっきりとさせるみたいな印象があった。小説ではなかなか明言されないし、エッセイに書くほどでもないと森博嗣が判断した様々なことがらが、親父ギャグやトリッキーなショートショートなどに載せられて描かれていく。

現実の森博嗣が、本書で描かれているような主張をしたいわけではないだろう。きっと森博嗣としては、自明のことであるし、言葉を介して伝えなければならないのであれば、言葉を介しても恐らく通じないだろう、なんて風に思っているのではないかなぁ、と想像する。それでも森博嗣が本書のような作品を物したのは、小説と虚構、エッセイと創作、現実と非現実と取り混ぜることで、形成され続けてきた『森博嗣像』をうまく利用して補完することが出来ると考えたからではないか。


と書いているけど、自分でも何を言っているのかよくわかってなかったりする(笑)。


本書はどんな作品かというと、やっぱり説明不能で、ただ敢えて努力して説明しようとすれば、

『小説というものに必然的に付随する様々な前提に挑戦してぶち壊していく』

という感じではないかと思いました。


僕がまっさきに連想したのは、東野圭吾の「名探偵の掟」です。


「名探偵の掟」は、ミステリの「お約束」をパロって描くミステリです。ミステリ作品って、密室の場合はこんな感じになるよね、ダイイングメッセージの場合はどうしてもこんな風になるよね、というようなお約束を覆したり馬鹿にしたりしながら、メタ的な感じでミステリを料理していく作品なんだけど(まあ、全然イメージできないでしょうけどねぇ)、本書も凄い近いイメージを感じる。


本書の場合、『ミステリのお約束』ではなくて、『小説、あるいは小説読みのお約束』という感じだ。小説というのはこういう前提に支配されていて、だからそれを崩してみる。あるいは、小説読みというのはこういう前提と共に本を読んでいるから、それを少し逸らしてみる。そういう意味で、とても「EXPERIMENTAL」な作品だという感じがします。

本書の中には色んな言及があるんだけど、「素人書評家」について書いている部分は、個人的にはとても耳が痛い。森博嗣はそもそも、「作品を読解する」とか、「意味を求めて読書をする」とか、そういう価値観について違和感を持っていたりするわけで、恐らく作品は個人で楽しめばいいじゃん、というスタンスなんだろうなぁ、という気がする。

だから、こうして僕みたいに、作品についてあーだこーだ言っている人間については、別に嫌いでもないだろうけど、無価値というか、時には若干マイナスみたいな捉え方なんだろうなぁ、という感じがします。まあ、言っていることはわからなくもないし、だから耳が痛かったりするんですけどね。


『小説』についても、様々な『前提』をあぶり出す。本書を読むと、僕達小説読みは、様々な「了解事」の元に小説を読んでいるのだな、ということが凄く伝わってきます。「小説」を読むには、ある一定以上の「お約束」を把握する必要があって、それを普段小説読みはなかなか意識しないでいる。ナチュラルに小説を読む人間にとっては当たり前すぎる様々な『前提』が崩される物語が物凄くたくさん収められていて、なんというかザワザワする。

そして本書を読むと、なるほど『小説が読めない人』というのは、こういう様々な前提を知らない人なのだろうな、という感じがする。知っている人たちで固まってワーワーやってるから、どんどん狭い世界になってしまうのかなぁ、という感じがしたりします。でも個人的には、そういう『前提』とか『お約束』がきちんと整った作品というものに魅力を感じてしまう部分もあるわけで、これはなかなか難しい問題だし、森博嗣が作中で提示しようとする様々ま問いは、決して簡単なものではないな、という感じがしました。

僕は、割と森博嗣の考え方や価値観に賛同できる部分が多かったりして、だから凄く森博嗣が好きだなと思う。森博嗣は、世間に流されて自分の意見を発したりしない。合理的でシンプルで、説明されればなるほど確かにそうかもしれない、という明快さを持つ意見を様々に繰り出す。


その最も顕著な例は、原発の話ではないだろうか。具体的にどんな言及をしているのかは書かないけど、森博嗣の原発に関するスタンス(あくまでも、『森博嗣像』が語る原発に関するスタンス、だけど)は、なんか凄く理解できてしまう。一般的な意見とはまったく違うし、森博嗣の意見に全力で反対する人もたくさんいるだろう。でも、なるほど確かにそういう見方をすれば、そういう風に捉えることも出来るのだろうなぁ、という感じがあって、やはり森博嗣の考え方は好きだなと思う。


小説の技法的な部分での様々なツッコミは、読んでいてなかなか面白い。僕達が普段そこまで強く意識しないで読んでいる『小説』というものを、一つひとつ『前提』というくびきを外すことで、新しい世界観を現出させているように感じる。そしてそれは、僕達がいかに『前提』というくびきに捉えられているのかということを、あらためて感じさせるものにもなる。

現実では絶対にしないけど誰が喋っているか明確にしなければいけないからという理由で行われる不自然な会話とか、神の視点や地の文に関する驚愕の展開、探偵小説で語られる『論理』がいかに論理的でないかという話など、確かにそう言われてみればそうだなぁ、という感じのする話が盛り沢山で、個人的には凄く面白かったと思う。


構成としては、作家であるモーリィが、編集者であるクーリッキの訪問を受けやり取りしつつ、クーリッキの潜在的な欲求をことごとく無視し続けトリッキーな作品を書き続けるという作品で、なんというか説明のしようがないのだけど、そういう感じ。


森博嗣の、なんとなく漂ってくる諦め、みたいなものも読みどころではないかな、という感じがします。基本的に他者に対する期待をしていない森博嗣の、主張してはみるけどきっと届かないんじゃないかなぁ、というような諦めみたいなものが結構如実に現れているような感じがして、個人的には面白かった。まあそうだよなぁ。森博嗣ほど合理的な人間であれば、世間の人々の不合理な判断は全然理解できないだろうなぁ、という感じがします。


結局内容にはほとんど触れませんでしたけど、ホント内容紹介とか無理です。ここまで実験的で意味不明な作品は、なかなか読む機会がなかったりしますね。でも、個人的には凄く面白かったです。爆笑しながら読んだし、感心しながら読みました。凄く変な小説で、小説なのかもなんとも言えなくて、人によっては放り投げたくなるかもしれないけど、僕は読んでほしいなぁと思います。ホントに。


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