【映画】「THE ORIGIN OF ULTRAMAN」感想・レビュー・解説
なかなか面白い作品だった。いつもの如く、僕は別に「ウルトラマン」そのものには別に興味はないのだが、クリエイターが語る話には興味があるので、こういう作品は観るようにしている。
ちなみに、庵野秀明が関わった『シン・ウルトラマン』は観ているみたいだが、全然記憶がない。というわけで、僕が触れた最も印象的なウルトラマン関連のものは、『ウルトラマンが泣いている』という本だ。現在円谷プロには、円谷一族は誰も関わっていないのだが、そのぶっ飛んだ顛末が記されたノンフィクションである。メチャクチャ面白かった。円谷プロはとにかく放漫経営だったようで、作品は評価されても会社の経営という意味では全然ダメだったらしい。なんとも残念な話である。
本作『THE ORIGIN OF ULTRAMAN』のラストには、「2025年、円谷英二は米国の視覚効果協会で日本人として初めて殿堂入りを果たした」と紹介されていた。また作中では、ギレルモ・デル・トロが「ウォルト・ディズニーや宮崎駿に匹敵する重要人物」と、そしてニコラス・ウィンディング・レフン(だったと思う)が「カール・ドライヤー(映画監督らしい)やリュミエール兄弟のような巨匠と同じレベルの存在だ」と評していた。そんな人物が立ち上げた会社がメチャクチャなことになっているという事実はとても残念である。
ちなみに、全然関係ないが、松岡圭祐という小説家が円谷英二をモデルにした『ヒトラーの試写室』という小説を書いているのだが、こちらもメチャクチャ面白いのでおすすめである。
さて、本作は、先程名前を出した映画監督に加え、庵野秀明、是枝裕和、小島秀夫、樋口真嗣と言った様々な人物にインタビューをし、「ウルトラマン」というコンテンツがいかに素晴らしいかが明らかにされる構成になっている。庵野秀明は「ウルトラマンは呪縛」と、小島秀夫は「無宗教だが、神がいるとすればウルトラマン」だと言っていた。相当大きな存在だということが伝わってくるだろう。
さて、「ウルトラマン」のTVドラマシリーズは1966年に始まったそうだが、ギレルモ・デル・トロは「4歳の時には観ていたから、1968年か遅くとも1968年にはメキシコで放送していた」と、そしてニコラス・ウィンディング・レフンは「1978年、8歳の時にデンマークからNYにやってきた時にウルトラマンに触れた」と話していた。かなり早い段階でウルトラマンは海外進出していたんだなと思う。ギレルモ・デル・トロの記憶が確かなら、日本での放送からたった2年でメキシコに届いていることになる。当時どこまで日本のコンテンツが海外に出ていっていたのか知らないが、かなりレアケースなんじゃないかと思う。
そして当然だが、本作に出てくる人たちは、様々な側面からウルトラマンを絶賛する。印象的だった指摘は、まずデザインだ。ギレルモ・デル・トロは「最も素晴らしいデザイン」「ポップカルチャーのトップ」と絶賛していた。「シンプルなデザインであればあるほど、少し違うと大きくバランスが崩れる。ウルトラマンは実にシンプルな構成で、『これしかない』という配置になっている」と言っていた。またニコラス・ウィンディング・レフンは初めてウルトラマンを見た時に、「女性よりも美しい存在を初めて知った」という感覚になったのだそうだ。
そんなウルトラマンのデザインを生み出したのが、美術総監督を務めていた成田享。ギリシャ彫刻に造形が深く、また自身も彫刻家としての顔も持っていたという。後で触れるが、この「ギリシャ彫刻に造形が深い」というのが非常に重要なポイントである。
成田享は、ウルトラマンのメインライターだった金城哲夫にウルトラマンのデザインを頼まれたのだが、その時に言われたのが「未だかつてない、かっこよくて美しい宇宙人」だったそうだ。それだけの情報からウルトラマンを造形したのだ。
ウルトラマンが放送されていた当時は、ソ連とアメリカの宇宙開発競争が連日報じられていたそうで、だからだろう、小島秀夫が「当時は銀色と言えば宇宙服だった」と言っていた。成田亨が同じ連想で銀色を採用したのかは知らないが、まあありそうな話だろう。
で、本作には成田亨の息子・成田カイリも出てくるのだが、彼が面白い話をしていた、前段として、評論家みたいな人が「ウルトラマンはアルカイックスマイルだが、それは、古代ギリシャのアルカイック時代と呼ばれる頃に作られた神々の彫刻の表情につけられた名前で、成田亨はそれを参考にしたのではないか」と推測を語る場面がある。
で、続けて成田カイリが、「自信に満ちた人間が窮地に陥った時、どんな表情をすると思う?」と父から聞かれたエピソードを話していた。彼が中学生ぐらいの頃だったそうだ。彼は「気合を入れたような表情をするんじゃない?」と返すと、成田亨は「たぶん、薄っすら笑ってるんだと思うんだよね」と言っていたという。そしてさらにこの話の背景として彼は、吉川英治の『宮本武蔵』を挙げていた。父が何度も繰り返し読んだ本らしく、で、その中に、宮本武蔵が数十人の敵と1人で対峙するシーンがあるという(たぶん有名なエピソードなんだろうが、僕は知らなかった)。で、成田亨はこのシーンの宮本武蔵について、「たぶん薄っすら笑ってると思うんだよな」と言っていたと話していた。
そういうことが色々と合わさって、ウルトラマンのあの表情が出来上がったというわけだ。
さらに成田カイリは父親から、「人間の鼻と耳は、機能としては素晴らしいが、美的にはダメだ」と言っていたそうで、だからウルトラマンの鼻と耳をどうするかはかなり悩んでいたとも話していた。耳に関しては言及がなかったが、鼻については「それで、頭から1本線を入れる、みたいなデザインにしたみたいだ」とも言っていた。
で、当時の風潮(社内なのかテレビ局なのか世間一般なのかは不明)として、「子ども向けなんだから(怪獣のデザインなんか)そんな真剣にやらなくても」みたいな雰囲気があったそうだ。でも成田亨は、「何を言ってるんだ。子どもたちにこそ本物を見せなきゃダメだろう」と、実際に口にしてもいたそうで、それで彼は「怪獣3原則」という制約を自らに課し、「ほぼ毎週新しい怪獣を登場させないといけない」という過酷な状況下で、斬新なデザインを生み出していったというわけだ。
で、ウルトラマンシリーズにおいてはやはり「怪獣」の存在が大きい。ギレルモ・デル・トロは『パシフィック・リム』という映画(だよな)の中で、「KAIJUU」という存在を出している。で、本作では、是枝裕和とギレルモ・デル・トロが対談しているのだが、是枝裕和が「怪獣とモンスターでは何が違いますか?」と聞くと、「アメリカのモンスターは、単にデカい昆虫ってだけだが、怪獣には個性がある」と話していた。この「ありきたりではない怪獣の存在」に関する言及は、SF作家のパット・キャディガンもしていた気がする(具体的な表現は忘れたが)。
ギレルモ・デル・トロはウルトラマンについて「陰と陽」という表現を使っていた。「善と悪」ではなく「陰と陽」であり、ウルトラマンと怪獣は「宇宙のバランスを保つために闘っている」と解釈しているようだ。また、制作側の誰かだったと思うが、「ウルトラマンがコスモス(秩序)で、怪獣がカオス(混沌)である」と話していて、やはり「善と悪」という捉え方ではないようだ。
そしてそれ故だろう、ウルトラマンシリーズに関しては「怪獣」への愛着を持つ人が多い。というかそもそも、「ウルトラマン」の前身は「ウルトラQ」というドラマで、これは「一般人が毎週不思議な怪獣に出くわす」という物語だった。それで、日本に怪獣ブームがやってきたのだ。しかし、「一般人が毎週怪獣に遭遇する」というのは不自然ではないかという話になったのだろう、それで「科特隊」という組織を登場させ、さらに「ウルトラマンという宇宙人と闘わせよう」という発想になっていったのだそうだ(この辺りの設定は、メインライターの金城哲夫が考えたようである)。
で、そんな「怪獣に対する愛着」の根源について、是枝裕和がギレルモ・デル・トロに質問していたのだが、その返答がなかなか興味深かった。彼は、「メキシコも日本と同じように、万物に魂が宿ると考えている」と言っていたのだ(日本もメキシコも、カトリック信仰が入ってきた時に、古来の神話と習合が行われたとも言っていた)。「すべてのものが神になり得る」という感覚を持つからこそ、多様な個性を持つ怪獣に愛着を抱くのではないか、というわけだ。そしてその返答を受けて是枝裕和が「それは『人間の知性や能力が及ばないものがある』という感覚ですか?」という形でまとめていた。
さて、「『善と悪』ではない」という話に戻ろう。この点に関しては、誰かが興味深い話をしていた。
ウルトラマンシリーズの制作に関わっていた人たちというのは1930年代生まれが多いそうで、そしてそういう人たちは幼少期に戦争を体験している。金城哲夫もまさにその1人で、爆撃によって母親の足が吹き飛ばされたのを目撃したという(ただ一方で、彼は周囲の人間に一言も戦争の話をしなかったそうだ)。で、終戦を迎えると、今まで軍国主義だったものが一夜にして民主主義に変わった。つまり彼らは、「信じているものは本当に正しいのか?」という問いをリアルに突きつけられていたというわけだ。だからこそ、子どもたちに向けて、そういう認識の重要さを伝えるべきだと考えてウルトラマンを作っていたのではないかと指摘していた。
ちなみに、以前観た『日の丸~それは今なのかもしれない~』という映画には、金城哲夫が脚本を手掛けた「ウルトラセブン」の「ノンマルトの使者」のエピソードが出てくる。これも「善悪」や「正しい/間違ってる」では語れない話で、なかなか興味深い。
また小島秀夫は、「父が軍隊に入る直前で戦争が終わった」ようで、だから「その世代の人は、『兵器や戦艦は大好きだけど反戦』みたいな人が多い」と言っていた。そしてそういう人たちが映画やらアニメやら特撮やらを作っていたわけで、そういう複雑な感覚も作品に影響しただろうという話だった。
さらに是枝裕和は、ウルトラマンの何かのエピソードについての言及だったと思うが、「『子ども向けだから単純な勧善懲悪でいい』とは思っていない大人が作っているんだな」ということは子どもながらに分かった、みたいなことを言っていた。
さて、内容の話で言えば、「時代を先取りしている」という指摘も興味深い。1966年に放送されたウルトラマンには「万博の会場で展示するために怪獣をヘリで吊って移送していたが、暴れたので切り離して空から落としたため、凶暴な怪獣になってしまった」みたいなエピソードがある。そしてこれについて是枝裕和が、「1960年代の時点で万博へのアンチテーゼ的なものを提示しているのはとても早い」と言っていた。「万博=最先端の科学技術」みたいなイメージでいいのだが、1970年代に入ると公害の問題が社会問題化してきて、「単なる技術礼賛ではいけない」みたいな感覚も出てくるが、それを1960年代にやってるのは凄いというわけだ。
また別の人物も、「話すのをためらうような社会問題が扱われていて、その時代を先取りしている感じが素晴らしい」と話していた。「子ども向けの番組だ」ということを考えると、なおのことこのようなスタイル・構成には驚かされるだろうし、そういう骨太の背景を持つからこそ、現代に至るまで人々を惹きつける作品になっているということなのだろう。
あと、僕は全然知らなかったのだが(まあウルトラマンを観てないので当然だが)、「ハヤタ隊員とウルトラマンの関係」についての言及も面白かった。パット・キャディガンは当初、「1つの身体の中に2つの人格がいる」と解釈していたそうだが、編集者(恐らく英語版のウルトラマンのノベライズの担当者だろう)から「違う」と指摘されたという。「ハヤタ隊員とウルトラマンは一心同体」なのだそうだ。
実際のウルトラマンの映像も流れるのだが、ウルトラマンというのはどうやら、「地球にやってきていた宇宙人であるウルトラマンが、ハヤタ隊員の乗る飛行機(?)にぶつかり死なせてしまった(瀕死の怪我を負わせた)ため、ウルトラマンが自らの命を差し出すようにしてハヤタ隊員と一体となり、ハヤタ隊員の命を救う」というところから物語が始まるようなのだ。パット・キャディガンは、「高位の存在(ウルトラマンの種族は何千年も生きられるし、たぶん技術も地球より高い星から来てるということだと思う)が自身の命を投げ出して、自分と比べれば蜉蝣ぐらいの長さしか生きられない人間と一体になる」という設定に感動したそうだ。「私がやったことだから、私が報いる」というウルトラマンの判断に心を打たれたのである。
で、最終回では、ウルトラマンが自ら死を選ぶ形でハヤタ隊員と分離する。庵野秀明は「出会いと別れが描かれているのが良い」「夢のままで終わらせないで現実に戻してあげるのが(制作側の)大人の責任」みたいな表現をしていた。また、是枝裕和は、金城哲夫が沖縄出身だったことに惹きつけて、「『生と死が交換される』という状況から、ニライカナイを連想した」みたいなことも言っていた。そういう色んなことを考えさせる深さのある物語というわけだ。
というわけで最後に、ニコラス・ウィンディング・レフンが口にしていた印象的な言葉を紹介して終わりにしよう。
【ウルトラマンは、「自分の中により良い自分がいる」と教えてくれる。「自分らしくあれ」「自分を信じてかくあれ」と信じさせてくれるのだ。だから今も、若い人たちに響いているんだと思う。】
というわけで、やはりクリエイターたちの話や語るエピソードは非常に興味深いなと思う。しかしウルトラマン、凄いな。最近のマンガ・アニメももちろん世界中を席巻していると思うが、今から60年も前の子ども向けの作品が今もこうして語られているという事実はちょっと凄いなと思う。僕は「同じ日本人として誇らしい」みたいな表現があまり好きではないので使わないが、とはいえ、「こんな日本人がいたんだな」という驚きはあるし、改めて円谷英二を初めとしたクリエイター・スタッフたちの凄まじさを感じさせられた。
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