コロナワクチンから考える「正しい情報」の集め方
あんまりこういう記事を書かない方がいいかな、と思っているんだけど、ちょっときっかけがあったので書いてみる。
家族LINEでのやり取りの中で、家族の一人(一応本名でやってるnoteなので誰なのかは書かない)が「コロナワクチンを打つつもりはない」と返した。まあ、別にそれはいい。ただその後、「今回のワクチンは陰謀論もあるし」と言ってきて、いやさすがにそれはマズい、と感じた。
先に書いておくが、僕は、「今回のコロナワクチンは安全だからみんな打つべき」などと主張するつもりはない。僕自身は、順番が回ってくれば打つつもりだが、他人に強要するつもりはない。
「コロナワクチンを打つつもりはない」という判断は全然いい。しかし、その理由を聞くと、「本当にそんな根拠を判断にしてていいのか?」と感じてしまう。コロナワクチン云々ではなく、「情報収集の仕方」に問題があると感じる。
というわけで、この記事では、コロナワクチンの話をテーマにはするが、書きたいことは「情報収集の仕方」である。
その後、その家族が、「コロナワクチンは危険だ」と主張する、医師だという人物の動画を送ってきた。11分程度のその動画をすべて見たのだが、専門的な知識を持たない僕でも「それはおかしいだろ」と感じる箇所がいくつかあった。
僕が感じた疑問点をそれぞれ挙げて返信をしたが、その後その家族から、「自分が疑問に感じるのは、ワクチンを打ったほうがいいはずなのに、反対する人がいるってことなんだよね」と返ってきた。
正直、これにも驚いた。普通に考えれば、それがどんなものであれ「反対する人」は必ずいるはずだ。ワクチンだろうが政策だろうがルール変更だろうがなんでもいいが、「全員が賛成」なんてことがあるはずがない。だから僕は、「もし世界中で誰一人、コロナワクチンに反対する人がいなかったら、その時は陰謀論だと思うことにするよ」と返信した。
ここまでの流れを踏まえて、僕が言いたいことは以下のことだ。
◯「陰謀論」と判断するのは、他のあらゆるすべての選択肢を排除してからにしよう
◯世の中には「自分が望む情報」は必ず存在するから、その中から「客観的に正しいと思われる情報」をどう集めるかを考えなければならない
◯「全員賛成」や「100%安全」を求める姿勢は止めた方がいい
である。
まず「陰謀論」だが、まさか家族の中からそんな単語が出てくると思わなかったので、正直動揺した。マジかよ、と。僕は「100%あり得ない」という主張はしたくないので、「陰謀論だってあり得る」という立場を取るつもりだ。しかし、それは、「他のありとあらゆる選択肢がダメだった場合」だろう。なぜ最初から「陰謀論」に飛びつくのか、僕には理解できない。
二番目は後回しにして、「100%安全」の話に移ろう。この「100%安全を求める態度」は、特に医療や科学が関係する事柄に関しては問題を引き起こす。
何故なら、科学者は”絶対に”「100%安全」とは言わないからだ。そんなことを言う科学者がいたら、その人物は科学者として失格だと思う。
科学の世界に「100%」は存在しない。しかし、このことを理解していないと、「100%安全と断言しないから危険もあるんだ」という捉え方になってしまう。
もしその主張が成り立つとすれば、科学が社会に貢献するのは不可能だ。「私は科学を一切信じない」と主張するのであれば別に構わないが、天気予報も薬局で売っている薬も車の運転も、すべて科学無しには成立しない。「科学を一切信じない生活」を望むなら、山奥にでも引っ込むしかないだろう。
少しでも科学に頼った生活をしているのであれば、科学に「100%」を求めることは諦めなければならない。科学は、そんなことを保証する学問ではないからだ。
それでは、二番目の「客観的に正しいと思われる情報の集め方」の話に移ろう。
情報が膨大に存在する世の中では、人間の頭の中に思い浮かぶような考え方は必ず存在すると言っていい。「こういう情報があるかも」と思った情報は、必ず見つかる時代だ。
だから、「こういう情報があるかも」と思って検索して、その情報が見つかったからと言って、その情報が正しいとは限らない。まず、この点を理解しなければならない。
しかし、若い世代であればあるほど、「あると思って探した情報が見つかった場合、その情報を無条件で信じてしまう」ような印象がある。まあこれは世代に関係なく、個人個人の問題かもしれないが。
望んだどんな情報も検索で引っかかる時代だからこそ、「その情報がどの程度正しいのか」を判断する基準や軸を持つことが大事だ。その基準や軸は、個人個人それぞれ自由に決めればいいが、やはり土台となるのは「知識」だ。
人類はこれまで、様々な知見を積み上げてきた。最新の情報は真偽が確定していないものも多いだろうが、ある程度時間の審査を耐えてきた情報は、それなりに正しさが強いと言っていいだろう(もちろん、長い間正しいとされてきた知識が覆ることも多々あるが)
だからこそ、少なくともそういう「時間の審査を耐えてきた情報」は大雑把にでも知っておく必要がある。それが、「教育」だろう。
「知識」という土台が無ければ、目の前に現れた情報の正しさを判定する方法がない。その危険性に、やはり若い世代は気づいていないような気がしてしまう。「ググればどんな情報だって出てくるんだから知識なんて覚える必要なんてない」という態度は、「ググった情報の正しさを判定できる」という前提を必要とする。その前提に、気づいているだろうか?
というようなことを、家族LINEから考えた。
繰り返すが、この記事は、「コロナワクチンは打つべきだ」という主張ではまったくない。それは各人が決めればいい。しかし、「コロナワクチンは打つべきではない」という主張の判断基準がおかしいと感じることが多く、その点には疑問がある。間違った判断基準を持っていれば、間違った判断をする可能性が高くなる。
という記事でございました(バーっと書き上げたので、何か変なところがあれば指摘して下さい)
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