【映画】「涼宮ハルヒの消失」感想・レビュー・解説
さて、そんな人間は世の中に1人もいないと思うのだが、僕は「涼宮ハルヒシリーズ」に本作『涼宮ハルヒの消失』しか触れていない。原作のラノベも読んでいないし、アニメも観ていない。1週間限定で劇場公開された本作『涼宮ハルヒの消失』しか観ていないのだ。だから、よく分からないことは多々あったのだが、でもメチャクチャ面白かった。
と、この感想を書く直前までそう信じていたのだが、念の為、自分が過去に書いた感想の記録を検索したところ、なんと僕はラノベの1巻目である『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んでいるようだ。マジか。2007年だそうだ。発売が2003年のようなので、発売から4年後に読んだのか。
とまあ、どうやら読んでいたらしいが、もはや20年も前のことで、まったく覚えていない。が、以前働いていた書店で文庫の担当をしていたこともあり、「涼宮ハルヒシリーズ」のことはよく覚えている。まあ、ムチャクチャ売れたからだ。新刊が出る度に、とんでもなく売れるシリーズで、そういう意味でとにかく印象的だ。
さて、実は原作を読んでいたようなのでこういうことを書いてもあまり意味はないが、僕は本作『涼宮ハルヒの消失』を観る前の時点で、なんとなくネタバレ的なことは知っていた。ストーリーのというわけではなく、設定に関してのである。実際には原作を読んでいたからそれで知ったのだと思うが、有名作なので、未読・未視聴でも何かしらでそういう情報が届いていてもおかしくはない。
さて、僕はエヴァンゲリオンと同じように、涼宮ハルヒに関しても「もはやネタバレとか関係ないだろ」と思ってはいるのだが、涼宮ハルヒシリーズの設定に関してはやはり、これから触れる人には「知らない方がいいこと」だと思うので、この記事でも触れないことにしよう(まあ、『消失』の内容を紹介する上では、その点に触れなくても全然問題ないが)。
というわけで内容紹介をするが、「(原作のことはすっかり忘れているので)『消失』の内容しか分からない」「SOS団を取り巻くネタバレ的な設定には触れない」という前提で読んでほしい。
さて、とりあえず、物語の超ベースとなる設定だけ書いておこう。涼宮ハルヒという高校生が学内に「SOS団」という部活(なのか?)を作った。「(S)世界を (O)大いに盛り上げるための (S)涼宮ハルヒの団」の略である。活動内容は色々で、『消失』の物語では涼宮ハルヒが「クリスマスパーティーをやろう!」と意気込んでいた。
そう、時は12月。8日後にクリスマスイブを控えた16日のことである。SOS団の部室でクリスマスイブの予定が確認され、何をしようかが話し合われる(話し合いというか、ハルヒの一方的な報告なのだが)。メンバーは、キョン、長門有希、朝比奈みくる、小泉一樹の計5人。そしてその翌日には、ハルヒが買い込んできた大量のグッズを眺め、サンタコスプレをさせられた朝比奈さんを眺め、足りなくなった飾り付けのモールの買い出しをキョンが命じられ、そうして1日が過ぎていった。
こうして、問題の12月18日を迎える。キョンはいつものように、寒さに震えながら起き、登校した。その途中、前日の体育の授業で「クリスマスイブはデートだぜ!」と意気込んでいたクラスメートに会う。どうやら風邪を引いたらしく、「クリスマスイブまでには治さないとな」と声を掛けると、「昨日も風邪で体調が悪くて体育は見学していたし、クリスマスイブの予定なんかねぇよ」と言われてしまう。しかしキョンは、「どうやら彼女と別れてしまって傷心なのだな」と理解して、気にも留めなかった。
教室につくと、風邪で休んでいる人が目に付く。昨日までみんな元気だったのに。しかしクラスメートから「1週間ぐらい前からずっと風邪が流行ってるよ」と言われる。どうもおかしい。しかしそれまではまだ、深刻に捉えずに済んでいた。
そして、どうにも看過できないことが起こる。キョンは、後ろの席も空いていたので「涼宮ハルヒでさえウイルスにやられるんだな」と思っていたのだが、午後になって、なんとその席に朝倉涼子がカバンを掛けたのだ。おい待て、ここは涼宮ハルヒの席だろう。
しかし、クラスの誰に聞いても涼宮ハルヒのことを覚えていないようだった。あんな異次元にイカれた人間、忘れたくても忘れられるはずがないのに。
どうやら、世界は”また”おかしくなってしまったようだ……。
というような話です。
さて、詳しい展開には触れないが、本作『消失』では、『涼宮ハルヒの憂鬱』(原作の1巻、アニメシリーズ28話)で描かれた内容を再利用する(良い表現が思いつかなかった)形で物語が展開していくので、当然、『憂鬱』に触れている方が面白い。作中ではキョンが、「あの時はああだったよな」とか「あの時のあれか」みたいな形で色々説明してくれるので、「全然さっぱり分からない」ということにはならないが、もちろん『消失』では「『憂鬱』の時に何があったのか?」が詳しく描かれたりはしないで、どうしてもよく分からない部分は残る。まあそれはどう考えても「『消失』だけ観る」なんてことをしている僕が悪いのだが。
またキャラクター的な意味でも、本来的には「『憂鬱』ではこうだったのに、『消失』ではこんな風になってる!」みたいな変化を楽しむ作品だと思う。よく分からない理由で発生してしまった「世界の改変」によって、キョン以外の人物は皆別人レベルに変化してしまったわけで、「あの人が、こんな風に!?」みたいな楽しみ方が本来的なのだろう。
ただ、僕は全然楽しめた。「時間さえあれば、『憂鬱』のアニメ全部観たいな」と感じたぐらいには良かった(今の僕の日常では、どうやっても28話もあるアニメを観る時間は取れないが)。
さて、本作全体を貫くテーマ的な部分もなかなか面白い。タイトルに「消失」とあるように、本作は「涼宮ハルヒが(キョンの前から)いなくなってしまった」という点に力点が置かれている。そして、「そんな急激な変化に、キョンが何を感じるのか?」がメインで描かれていくのだ。
『涼宮ハルヒの消失』のリバイバル上映の公式HPにトップに、「俺は、ハルヒに会いたかった」というセリフが表記されているが、作中、キョンがまさにこう口にする場面がある。これも『憂鬱』を観ていないとちゃんとは受け取れないものだと思うが、要するにキョンは、「馬鹿騒ぎばかりしている涼宮ハルヒにいつも振り回され、『やれやれ』と呆れていたはずなのに、いざそんな涼宮ハルヒがいなくなったら、自分はあいつを恋しいと思っている」みたいに感じているのである。そして、自分がそんな風に考えていることに、キョン自身が驚いているというわけだ。
改変されてしまった世界では、涼宮ハルヒがSOS団を結成していたりすることはなく、涼宮ハルヒに特異的な形で関わる特異的な人物もおらず、猫が喋ったりすることもなく(これも『憂鬱』を観ていないので意味不明だった)、日々が平和に過ぎていく。しかしそんな平和な日々を、キョンは愛せない。涼宮ハルヒとの「刺激的な非日常」を体験してしまった彼には、「平和」などクソみたいなものなのだ。
しかし同時に彼は、そんな風に考える自分を否定したいとも思っている。何故なら、「涼宮ハルヒが織りなす非日常を積極的に肯定してしまえば、自分はこれまでのような『やれやれ』なんて立場でいられなくなってしまう」と分かっているからだ。
それまでは「全然やりたくもないけど、ハルヒがそう言うなら仕方なくやりますよ」という無気力スタンスでいられた。「巻き込まれちゃったからしょうがなく」というのが、キョンの基本スタンスだったわけだ。しかし世界の改変の後、彼には「元の世界に戻るかどうか」の選択肢が提示される。このままの世界にも留まれるし、涼宮ハルヒが大暴れする少し前までの世界にも戻れる(可能性がある)というわけだ。
キョンとしては、ここで「元の世界に戻る」を選択するのは多少の抵抗がある。「巻き込まれちゃったからしょうがなく」というスタンスでいられなくなってしまうからだ。しかし、ハルヒのいない数日(というか、1日ちょっとか)を過ごした彼は、「あー、こんな世界無理!」と感じている自分に気付く。そして、「巻き込まれちゃったからしょうがなく」というスタンスを手放すことになっても元の世界に戻る決断をするのだ。
こういう「陰の主人公であるキョンの、主人公としてのスタンスの大改変」みたいなことをやっているわけで、結構面白いなと感じた。
あとはやっぱり、長門有希が最高だよなぁ。明らかに綾波レイっぽいキャラクターで、綾波レイが好きな僕としては、長門有希にも反応せざるを得ない。しかも『消失』では「長門有希っぽくない長門有希」が見れるわけで、その辺りも見どころになるだろう。
あとはエンドロールの話に少し触れて終わりにしよう。まず、「製作」の中に「SOS団」という表記があったのが面白かった。「『SOS団』という名前の会社が存在し、それが製作に関わっている」という解釈もできるかもしれないが、恐らくそうではなく、「作中の『SOS団』」を指しているのだろう。遊び心というやつだろう。
あと、「Special Thanks」として「All Fans」と書かれているのも良かったなと思う。エンドロールではあまり見かけない表記な気もするが、アニメだとしばしばあったりするんだろうか?
163分もあるかなり長い物語だが、全然退屈しないし、メチャクチャ面白かった。すぐには無理だが、いずれアニメも観たいなと思う(しかし、アニメ放送20周年を記念して『憂鬱』の再放送が決定しているから、まさに今観るべきなんだよなぁ。TVerで観るか)。
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