【映画】「新凱旋門物語」感想・レビュー・解説
これはなかなか面白い作品だったなぁ。ってか、あらゆることをまったく知らなかった。
どれぐらい知らなかったかというと、本作のメインとなる「新凱旋門(グランダルシュ)」の存在すら知らなかった。僕は、本作の予告を観た時点で、「新凱旋門なんてパリにはないはずだから、きっとこのプロジェクトは頓挫したんだな」と思っていたし、本作も最初からそういうスタンスで観ていたので、最後完成したことを知ってビックリした。ホントに、まったく知らなかったなぁ、この建築物の存在。そんなに有名なのか。
ってなわけで、それぐらい何も知らずに観たのだが、なかなか面白かった。僕は、建築そのものにはさほど興味はないのだけど、「建築思想」とか「建築家の人生」とかは割と興味がある。で、本作にはそういう要素が詰まっていて、見応えがあった。
しかし、予告でも使われていた、「新凱旋門」(作中では「キューブ」と呼ばれる)の建築家が決まったシーンは印象的だったなぁ。本作のド頭のシーンで、ミッテラン大統領がコンペの発表の場にやってきて、審査員が決定した建築家を発表する場面だ。シュビロンという官僚が「ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン」と受賞者の名前を読み上げるのだが、誰も知らない。まあ、デンマークの建築家だからフランスでは知られていないのかもしれない。応募要項には住所しか書かれていなかったため、「受賞を直接知らせたい」という大統領の求めに応じてシュビロンがデンマーク大使館に電話を掛けるのだが、そこでもオットーの名を知る者は誰もいなかったのだ。
その後、受賞したオットーの記者会見が開かれる。記者から、「まずあなたは誰なのですか?」と聞かれ、「コペンハーゲンで建築を教えています」と返した。さらにこれまで建ててきた建物を聞かれ、「自宅と、教会4堂です」と答えたのだ。新凱旋門はフランス革命200周年を祝う新モニュメントとして建設が構想されたもので、当然、フランスを挙げての一大事業である。で、そんな大プロジェクトを、デンマーク出身のまったく無名の建築家に託すことになったのだ。
この辺りのフェアネスみたいなものが、まずシンプルに素晴らしいなと感じた。ちなみに本作は実話がベースになっていて、冒頭で、「1983年から1987年に掛けての出来事を元にした実話だ」と表記される。ちなみに、結構珍しいが、それに続けて、「妻の役割と生活は創作である」とも表示された。もちろん他にもフィクションの部分はあると思うが、こういう「ここの部分は創作だ」と表記するケースは記憶がないぐらいレアケースである。まあ、本作を最後まで観ると、「なるほど、確かにそういう表記は必要かもしれないな」と感じた。
で、普通こういうコンペには、「デザイン案」以外の要素もどうしたって関わってくるだろう。別に「出来レース」みたいなことを言いたいわけではなくて、「フランスのモニュメントを作ってもらうんだから、やっぱりフランスの建築家がいいよな」とか、「知名度のある建築家の方が国民も納得しやすいよな」みたいな判断が生まれ得るように思う。しかし少なくとも新凱旋門のコンペに関しては、完全にデザインのみで決められたのだろう。そうじゃなければ、デンマークの無名の建築家が選ばれるはずがない。さすが、芸術とかアートには厳しい印象のあるフランスという感じである。日本だと、まあこうはいかないだろう。
で、僕は完成すると思わずに観ていたわけだが、キューブはちゃんと完成した。が、まあそこに至るまでが大変だったのだ。で、その困難さを一言で表現するなら「理想と現実の衝突」と言えるだろう。
オットーには明確な理想があった。細部に渡り、メチャクチャこだわっていたのだ。そのこだわりの一端を紹介しよう。オットーはアンドリューという建築家と組んでキューブ建設を目指す。設計したのはオットーだが、それはあくまでも概念・思想の部分であり、構造計算とか施工の手順などなど、実際に建てるとなると凄まじい実務が出てくる。そしてそんな実務全般を担ったのがアンドリューである。
で、オットーがイタリアまで大理石を観に行っている時、アンドリューからFAXが届く。柱の図面だ。直後に電話が掛かってきて、「すぐにサインして送り返せ」という。明日から工事を始めるというのだ。キューブは、フランス革命200周年の日である1989年7月14日に落成するとミッテラン大統領は決めており、とにかく工期が短かった。だから少しでも前に進めていく必要があったのだ。
しかしアンドリューからのこの電話に、オットーは「サインしない」と返した。理由は「柱の曲線を変えたから」である。確かに、オットーに許可なく設計を変えるのは良くないかもしれない。が、この柱は構造全体を支えるもので、地下部分に当たる。当然、キューブにやってくる人からは見えない。だからいいじゃないか、とアンドリューが考えたのは理解できるし、工期が限られていることを考えると妥協すべきポイントであるように思う。しかしオットーは、「地下にあるから誰にも見えない」と説得しようとするアンドリューに「神には見える」と返して電話を切るのだ。
このシーン、どちらが正しいかは、観る人によって印象が変わるだろうなと思う。クリエイターに近い人であればあるほど、オットーに共感するだろう。しかし、いわゆるプロデューサー的な立ち位置にいる人ほどアンドリューに賛同するんじゃないかと思う。
そして、本作ではそういう現実が山のように描かれる。その中でもオットーがこだわっていたのがガラスと大理石で、本作でもこの2つについてはかなり詳細に描かれる。
では、まずはガラスから。オットーは「ファサードを完璧に平らにしたい」と主張するのだが、アンドリューは「それは不可能だ」と口にする。その後オットーはミッテラン大統領にガラスの悩みを相談するのだが(大統領からは「いつでも進捗を報告しに来い」と言われている)、すると「ペイに会え」と言われる。このペイという人物、全然知らなかったが、本作中に「ルーブル美術館の入口にあるガラスのピラミッドに関わっている」という描写があり、調べてみるとイオ・ミン・ペイという有名な建築家のようだ。で、そのペイが「ガラスをシリコンで接着すればいい」とアドバイスをくれた。実際にボストンでその手法を使った高層ビルを建てていて、その写真も見せてもらった。これで完璧だ。
と思ったのだが、シュビロンとアンドリューはやはりそれは不可能だというのだ。というのは、フランスの法律で使用が認められていないからだという。安全委員会という独立した組織の許可をもらわないと建設できないのだが、そこがそのシリコンの使用を禁じているのでフランスでは出来ない手法なのである。
まあ、これは法律の問題なので仕方ないかもしれない。で、もう1つが大理石だ。
オットーはそもそもミッテラン大統領から、「バラ色になる大理石がいい」と要望を受けていた。で、それをイタリアで見つけたのだ。あのミケランジェロがピエタの大理石を切り出したのと同じ石切場だそうで、硝酸塩を多く含むため、夕暮れの光が当たるとバラ色になるのだそうだ。オットーはサンプルを持ち帰り、ミッテラン大統領にプレゼン、そしてやはりこれが素晴らしいとお墨付きを得てオットーの中では大理石は決まった。
しかしシュビロンとしては容易に承認できない話だった。というのも、大理石の値段だけでとんでもない金額が必要になるからだ(シュビロンは、こういう公共建築は普通入札をするものだと憤っていた)。さらに、その大理石は床材としても使用する予定で、シュビロンから「君の大理石は滑りやすい」と難癖をつけられる。おぉ、だったら実験してみようじゃないか、というわけで、工事現場の一角に大理石を敷き詰め、水で濡らし、雨の日を再現した状態で歩いて滑るか確かめようというのである。
で、なんとその最中、現場を視察しにミッテラン大統領がやってきた。そしてなんと、その「大理石を歩く実験」を大統領自ら試すことになったのだ(さすがにこれが本当のエピソードとは思えないが、どうなんだろうなぁ)。
で、この実験を経て、やはりミッテラン大統領からのお墨付きが与えられるような形で大理石が決まったのだが、しかしその後ある事情からまたしても一筋縄ではいかない状況になってしまい、大理石の問題が浮上してくるのだ。
というような感じで、オットーは自ら理想とするキューブを作ろうと奮闘するのだが、様々な事情からそれが果たせなくなってしまう、という状況が描かれていく。
さて、もしもオットーが「自分の理想のため」だけに奮闘していたのだとしたら、あまり強くは共感できなかったかもしれない。しかし、決してそういうわけではない。もちろん彼の中には強い理想や信念があり、それを曲げようとはしない。しかしそれに加えて、「顧客こそ最も大事だ」とも考えているのだ。
この場合の「顧客」とは、ミッテラン大統領である。そして、「顧客の理想を実現することが求められているはずだ」と彼は強く考えるのである。
もちろん、「オットーがミッテラン大統領を上手くそそのかして、自分の理想をミッテラン大統領の希望であるように見せかけた」みたいな捉え方も出来るだろうが、本作での描かれ方的には、ミッテラン大統領には彼なりの審美眼みたいなものがちゃんとありそうだったし、単にオットーの意見に流されたという感じには思えなかった。
そしてだとすればやはり、「ミッテラン大統領が望んだものを作る」というのがやはり1つ重要なポイントになってくるだろう。オットーは割と最後の最後までこの感覚を持ち続けていたので、確かに彼は細かなこだわりで周囲を翻弄したりもするが、「顧客第一主義」という意味では評価できるなと思う。
で、もちろんだが、実務を担ったアンドリューやシュビロンも頑張ったと思う。彼らには「お金の使い道を決め、作業工程を考え、期日までに建築物を完成させる」という実際上の課題と向き合わなければならないわけで、オットーの主張する「理想」のすべてを実現するわけにもいかない。予算や工期は努力でどうにかなるかもしれないが、「法的に禁じられている」という状況をどうにかするのは不可能だ。だから、「可能な範囲で最大限理想に近づけるにはどうするか」を考えなければならないし、実際に彼らは最大限それを考え続け、実行し続けたと思う。
なのだが、オットーの高い理想には届かず、結局長く対立的な関係になってしまうのである。
これはホントに難しい問題だなと思う。僕はよく美術展やアートイベントに行くのだが、通常のアート作品の場合、お金やらスペースやら色んな制約はあるかもしれないが、それでもアーティストが1人で作業すれば完成させられるものなら概ね理想通り作れるだろう(というか、理想通り作れないと分かれば作るのを止めればいいだけだ)。しかし建築の場合はそうはいかない。自宅を作るとかでもない限り、基本的には「発注者」がいるわけで、だから何が何でも完成させなければならない。しかし同時に、よほどのことがない限り建築物は1人では作れないわけで、それ故にすべての理想を実現するのが不可能な状況も起こり得る。
建築とはそもそもそういうものであり、それが一般的なアート作品と大きく異なる部分だなと思う。
なのだが、オットーは今まで自宅と教会しか作ったことがなく、作中で彼が作った教会の1つにアンドリューと足を運ぶ場面があるが、そこで彼は「内装も含めてすべて自分でやった」と話していた。もちろん施工業者はいるだろうが、細部に渡り自分が望むように設計し、その通りに作らせたというわけだ。
そして、そういう経験しかなかったからこそ、キューブの建設に際しても彼は自身の理想を貫こうと奮闘した。
一方のアンドリューは、元々世界各国の空港などの建設に関わってきた。ある場面で彼は、「色々大変だったが諦めはしなかった」的なことを言っていたが、恐らく自分の理想を捨ててまで現実に合わせなければならない場面も多々あったのだと思う。だからこそ、「期日までに完成させる」という地点を「理想」とし、その中で最大限自分の理想を実現するにはどうするかを考えているのだと思う。
どちらがいいかは、なんとも分からない。もちろん、一般的にはアンドリューのやり方が正しいだろう。しかし、僕はちょうど、NHKスペシャル『山口一郎”うつ”と生きる』という番組を観たばかりだった。サカナクションのフロントマンである山口一郎がうつを患ってから、最新曲『怪獣』を完成させ2度目の紅白出場に至るまでを密着した番組だ。
そしてその中で、「山口一郎が『怪獣』の2番の歌詞を完成させられなかった」という話が出てくる。『怪獣』はNHKで放送された『チ。』の主題歌に決まっていた。で、主題歌として流れる1番の歌詞は完成していたのだが、2番ができていなかったのだ。所属事務所は、アニメ放送と同じタイミングでCDの販売を考えていたが、2番の歌詞が出来なかったのでそのプランは諦めた。
続く締切は、NHKで初めて『怪獣』をお披露目する番組収録である。しかしここにも結局間に合わず、収録は色々とアレンジを加えつつ、1番のみで行われた。
そして今度こそ絶対に破れない締切が待ち受けていた。「怪獣」という名を冠した全国ツアーを予定していたからだ。そのツアーの初日に歌詞が間に合わないとなると大変だろう。そして、結局歌詞が完成したのはツアー初日の前日だったそうだ。
さて、本作『新凱旋門物語』の話を踏まえるなら、「山口一郎は『チ。』の初回放送までに歌詞を書き上げるべきだ」となるだろう。アンドリューの「期日までに完成させるためにどうすべきか」というスタンスを評価するのであればそうなるはずだ。しかし、恐らくだが、サカナクションのファンは「『チ。』の初回放送までに書き上げろよ」なんてきっと考えないだろう。山口一郎が理想とする、「これしかない」という歌詞で曲を聴きたいからだ。そしてそれはオットーのスタンスと同じだと言っていいはずだ。
本作『新凱旋門物語』を観ると、オットーにはちょっと肩入れしにくいなという感覚がある。しかし、山口一郎のスタンスはきっと評価されるんじゃないかな。あるいはマンガの世界では、『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博は全然作品を描かないので有名だが、それでも彼のマンガを待つ者は「クオリティが低くても良いから毎週描けよ」とは思わないだろう。冨樫義博の最高の作品を読みたいと思っているはずだからだ。
こんな風に考えると、オットーの「やりすぎなぐらいの理想主義」も評価されていいように思うが、どうなんだろう。もしかしたらここには、「建築は創作(アート)だと思われていない」的な問題が潜んでいたりするのかもしれない。いや、分からないけど。シンプルに、オットーがちょっといけ好かない奴だったからかなぁ。どうなんだろう。
いやしかしホント、何もかもまったく知らない話で興味深かったし、「建築」というもののややこしさ・大変さみたいなものがまた一層理解できたようにも思う。あとそういえば、アンドリューを演じた役者、どこかで見たことあるんだよなぁ、と思ってたら、なるほど『落下の解剖学』か。
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