【映画】「プラハの春 不屈のラジオ報道」感想・レビュー・解説
いやーーーーーーーーーー、これは素晴らしかった!歴史に無知な僕は「プラハの春」って名前ぐらいしか知らず、もちろん「どこかに国が民主化したんだろう」程度のことは知っていたが、その「プラハの春」の裏側でこんなことが起こっていたとは。これは凄い。どんな時代であっても「真実を報道すること」にはそれなりの危険が伴うが、「最大級の危険が迫る中」であっても、真実だけを報じようと奮闘した者たちの姿には圧倒させられる。
ちなみに、同じ映画館ではないが、昨日観た『エディントンへようこそ』よりも今回の方が客入りが多かった印象で、「アリ・アスター監督の最新話題作」よりも実話を基にした本作が注目されているとしたら、それは喜ばしいことだなとも思う。
ちなみに、本作では冒頭で「実在の人物に着想を得た物語であり、同名で出演する人物もいる」と表記された。この表記から察するに「全体の物語は実話というわけではないんだろう」という感じがした。場合によっては、主人公であるトマーシュ・ハヴリクが実在の人物ではない可能性もあるかもしれない(ラジオの国際報道部部長であるミラン・ヴァイナーは恐らく実在したんじゃないかと思うが)。さてその一方で、映画の最後には「この放送に関わった記者とその家族は、その後迫害され続けた」と字幕で表示されたので、個々の登場人物の物語はともかく、作品全体で描かれている事柄は事実ベースということなのだろう。
というわけで、まずは内容から。
物語は1967年10月31日から始まる。この日はストラホフ大学の学生が「我らに光を!」とシュプレヒコールしながら行っていたデモを警察が鎮圧した。チェコスロバキア放送の国際報道部のヴァイナーは、この件に関して「学生がモノを壊したので、警察が鎮圧した」と報じるよう国家から言われてたが(「義務報道」という、日本の大本営発表のようなものがあったようだ)、彼は裏取りをし、「壊されたものは何もなかったので、報じなかった」と上司に伝える。放送局としては、義務報道を行わなければどんな事態に陥るか分からない。そのため、その報道は国際報道部ではなく別のラジオ放送で報じられることになった。
当時は、ソ連が東欧諸国を支配下に置いていた。各国はクレムリンに服従、そして130万人が政治犯として拘束され、5800人が処刑された。そしてそれとは別に、戦闘などでだろう、数百万人の命が失われたのだ。自由の兆しが武力で封じされていた時代であり、当然、報道は検閲されていた。承認を得ない報道は許可されないのだ。しかしそんな中にあって、ヴァイナーは「正しい情報を伝えるべきだ」という信念を貫き続け、彼の部下もまたヴァイナーの考えに共鳴していた。
一方で、両親を亡くし、弟パーヤと2人でクラストマーシュはある日、弟が「ヴァイナーのオーディションに参加したい」と言い出したので止めた。詳しい事情は分からないが、当時のチェコスロバキアでは「養育に何か不備があると判断されたら施設に入れられる」という仕組みがあったのだろう。そしてトマーシュは、弟との生活を政府に取り上げられないように、弟の行動にも慎重さを求めていたのだと思う。
しかし弟はトマーシュの目を盗みオーディション会場へと向かった。そのことに気づいたトマーシュは、オーディションを受けたいわけではないのだが会場入りしてしまった。そしてなんと、結果的に合格することになったのだ。
しかし彼は、中央通信局で技術者として働いており、別に職を探しているわけではないと断った。のだが、その後中央通信局の局長であるホフマンから呼ばれ、ヴァイナーからのオファーを受けた方がいいと言われる。トマーシュは「言語に明るくない自分に国際報道部は向いていない」と断るが、ヴァイナーは記者ではなく技術者としてオファーしているので問題ないとのことだった。結局トマーシュは、悩んだ末に国際報道部で働くことに決めた。
国際報道部では、ヴァイナーを筆頭に、皆が真摯に報道と向き合っていた。その姿勢が結果に現れた例として、苦情の手紙がある。ヴァイナーは上司から「放送内容に関して学生から苦情が来ている」と忠告を受けるのだが、事実をきちんと把握したいヴァイナーは部下と共に大量の手紙すべてに目を通す。そしてトマーシュと記者のヴェラに、「手紙を送った学生の元を訪ねてほしい」というのだ。ヴァイナーは「手紙を送った真意を知りたい」という目的で2人を派遣したのだが、結果として驚くべき事実が判明する。なんと、手紙の送り主である学生が「手紙は送っていない」と断言したのだ。その後ヴェラは、同一の筆跡の手紙が多数あることに気づく。そう、批判の手紙は捏造されたのだ。
またこんなこともあった。ある日リスナーから苦情の電話が届く。この頃には、ヴァイナーや国際報道部の放送は一定以上の支持を集めていたのだと思うが、その電話の主は「すべてのリスナーが賛成しているわけじゃない」「自分が最も忠実な共産党員のはずだから、ラジオで主張させてくれ」と言ってきたのだ。普通なら相手にしないだろうが、ヴァイナーは「反対の意見を持つ者の意見も聞くべきだ」と考え、ザールバという初老の男性を実際にスタジオに招き、ラジオ上で討論をするのである。
一方で、チェコスロバキアではアレクサンデル・ドゥプチェクという政治家が共産主義国家で初めて「言論の自由」に言及したという話が国内で話題になる。抑圧的な政治体制に不満を抱く学生や若者たちは、ドゥプチェクの写真をチラシに刷り街中に貼るようになったのだが、実はパーヤも兄トマーシュに隠れてこの活動に関わっていた。一方、その時のドゥプチェクの発言を収めたテープ(だと僕は理解したけど、違うかもしれない)を国際報道部は入手しており、しかし「StB(国家保安部)」に見つかるとマズイので、記者が交代で保管するようにしていた。
チェコスロバキアはアメリカやフランスなどから「チェコスロバキアは黄金比を見つけた(これは要するに、共産主義と民主主義の良いバランスを見つけたという意味だろう)」と評価されるようになった一方で、国家保安部が暗躍し情報統制などを行っていた。そしてそんな魔手はトマーシュの元にも迫る。彼にとっては弟の存在がウィークポイントであり、国家の匙加減1つですぐにでも弟が施設送りにされてしまう状況にあって、上手く身動きが取れなくなってしまう。
そしてそのような中で、後に「プラハの春」と呼ばれるようになる民主化の波が押し寄せるが、しかしそれもつかの間、ソ連が周辺国の軍隊を引き連れてチェコスロバキアに軍事侵攻することが決まる。そしてそのような状況にあっても、彼ら国際報道部の記者たちは決死の覚悟で放送を続けるのだが……。
というような話です。
本作の主人公はトマーシュだと思うのだが、まずは何よりもミラン・ヴァイナーがとても良かった。チェコスロバキア放送はたぶん国営放送じゃないかなと思うので、そんな中で彼がどうして国家の方針に反するようなやり方をしても左遷やら処罰やらされずに済んでいるのかは良く分からなかったが、とにかく「どんな理由であれ、嘘を報じるべきではない」という信念を貫いていて素晴らしいなと思う。上司からやいのやいの言われても、「情報の裏取りをすることの何が悪いんだ?」みたいなことを呟いていたりして、「もしかしたらこの人、シンプルに超純粋ってだけなんじゃないか?」みたいに思ったりもするけど、まあ実際のところはよく分からない。でもとにかく、「上司がこういう人だったら、部下は頑張るだろうな」って思ったし、凄く良い存在感だなと思う。
彼はまた、「また学生がラジオを聴かなくなってしまう」と危惧してもいた。少なくともヴァイナーは、「民主化のためには、学生・若者による運動は欠かせない」と考えていたはずだが、ラジオが「義務報道」を続ければ続けるほど、ラジオは学生によって「信頼に足る情報源」では無くなってしまう。そしてそうなれば、「正しい情報」「民主化を目指す者たちに利する情報」も伝わらなくなってしまうだろう。それは避けるべきだと彼は考えていたのだと思う。
ヴァイナーは、ラジオ放送を通じてリスナーと信頼関係を醸成していった。そして恐らくだが、そのような地道な振る舞いが実を結んで、いわゆる「プラハの春」に繋がったのだと思う。恐らく「プラハの春」には、本作では描かれていない様々な要素が絡んでくるのだと思うが、彼ら国際報道部の記者たちの貢献度合いはかなり大きかったんじゃないだろうか。
そしてそんな中で、本作の主人公は記者ではなく技術者のトマーシュである。彼が技術者であるという事実は物語の後半で大きな意味を持つのだが、それまではそこまで重要ではない。記者のヴェラと組んで何かする機会が時々あるぐらいで、「記者ではないが、記者の手伝いをしている」みたいなスタンスだろうか。
そしてだからこそ、しばらくの間トマーシュは「国際報道部の一員」としてよりも、「パーヤの兄」としての側面の方が強く描かれる。そして彼はこの点においてかなり葛藤させられることになる。
例えば、彼がヴァイナーの下で働くと決めたのにも、実は弟が関わっている。中央通信局のホフマンから「人員整理が予定されていて、恐らく君も候補に入る。もし無職になったら弟が施設行きになってしまう」と言われるのだ。ホフマンは「脅しではないんだ。君を助けたいんだ」と言っていて、僕はこれを最後まで真に受けていたのだが、どうやらホフマンは自分の手飼いをヴァイナーの下へと送り込むことが目的だったようで、恐らく「人員整理」の話も嘘だったんだろうなと思う。
そしてそんな風に、誰よりも弟のために行動しようと考えているにも拘らず、当の弟は、逮捕・拘束されるようなリスクのある学生運動に身を投じているのだ。もちろん「自分だって何かしたい」というパーヤの気持ちも分からないではないが、トマーシュからすれば「頼むから静かにしていてくれ」という感じだっただろう。
そんなわけで、トマーシュは「正義のために闘う」か「弟を守るために行動するか」みたいな選択を常に突きつけられ続けるわけで、そういう苦労にも直面させられているというわけだ。
そしてそのような流れの中で、まずは民主化の波が押し寄せる。もちろん、「放送を通じて多くの人に連帯を促す」というだけではない直接的な貢献を国際報道部は果たしたようだ。しかし、歓喜に湧いたのも束の間、チェコスロバキアはソ連らによる軍事侵攻を受け(ウクライナ侵攻と同様、ソ連の名目は「チェコスロバキアを支援する」だったようだ)、プラハの街中に戦車がなだれ込んでくるのだ。
ここからの展開には詳しくは触れないが、とにかくトマーシュを始めとする国際報道部の面々は、自らの危険を顧みずにとにかく放送を続ける。凄かったのが、チェコスロバキア放送の建物が占拠された後も放送を続けたことだ。中央通信局のホフマンはその状況に「そんな馬鹿な」と声を挙げていた。ラジオ局の建物を掌握したのに放送が続けられるはずがないと考えていたのだろう。この辺りの事情については、予告編の中で「リレー方式で放送を続けよう」みたいなセリフが紹介されていたが、まさにそこで技術者であるトマーシュの手腕が重要になるというわけだ。
さらにこのシーンでは、「ラジオ放送を止めようと建物に向かってくる軍隊を、武器を持たない市民が必死で止める」という状況も描かれていて、これも凄く良かったなと思う。まさに、国際報道部を始めとするチェコスロバキア放送がどれだけ市民から支持されていたかが如実に明らかになった場面だと思う。
現代では、正しい情報に「フェイクニュース」というレッテルを貼って事実ではないかのように誤認させようとしたり、あるいは「明らかな間違い」がさも正しい情報であるかのように一人歩きしていく時代であり、色んな形で「情報の信頼性」みたいなものが失われつつあるように思う。これは本当に危惧すべき状況だと個人的には感じる。何故なら、メディア人が命を懸けてでも真実を報じようとするのは、「それを受け取る人間に何かプラスになるはずだ」と信じていられるからだと思う。
しかし現代では、情報の受け手である我々が「真実であるか否か」みたいなことに重きを置かなくなってしまった。「真実かどうか」より「バズるかどうか」「より届きやすいかどうか」みたいなことによる重点が置かれているように思う。そういう世の中では、「真実を伝えるために命を懸ける」なんてこと、なかなか出来ないだろう。
別に「記者はすべからく命を懸ける覚悟を持て」なんて話をしているわけではないのだが、私たちが「情報の正しい受け手」にならなければ「真実」の価値が薄れてしまう。本作を観ながらそんなことを感じさせられもした。
とにかく、何となく名前だけしか知らなかった「プラハの春」の背景が知れたのが良かったし、その中で名もなきメディア人が命を懸けて奮闘していたということも知れて、その凄まじさに圧倒させられた。
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