【映画】「ガール・ウィズ・ニードル」感想・レビュー・解説

いやー、びっくりした。まさかそんな話だとは思わなかったから、「えっ!?」ってなったわ。

さて、いつものことではあるのだが、僕は本作についても基本的な情報を知らないまま映画館に行った。一応、「北欧史上最悪の連続殺人事件を基にした物語」みたいな情報だけは知っていたのだが、しかし、その実際にあったという事件のことも知らないし、「誰が殺されるのか」「誰が殺すのか」みたいなことも分からないままだった。公式HPには「実際の殺人事件について」というページがあるのだが、そこには「ネタバレ注意!」と書かれているので、基本的に観客は、それらの情報を知らないまま本作を観ることになるはずだ。だからたぶん、僕と同じように、結構驚くんじゃないかと思う。

というわけで僕も、この記事では、ネタバレをしないように感想を書くつもりだ。

物語は、第一次世界大戦集結直前から始まる。舞台は、デンマーク・コペンハーゲンだ。裁縫工場で働くカロリーネは、ある日突然、大家から「部屋を出てくれ」と告げられる。14週間も家賃を滞納していたからだ。大家は既に別の入居者を見つけていて、「3週間半分払う」という彼女の申し出も聞かない。カロリーネは、部屋を出るしかなかった。

新たに部屋を見つけるも、困窮している状況に変わりはない。そこでカロリーネは、工場の社長に寡婦年金の申請を申し出ることにした。そう彼女は結婚しているのだが、夫が長いこと行方不明なのだ。生きているのか死んでいるのか分からない。そしてそれ故に彼女は、「死亡証明書が無いと希望に添えない」と断られてしまう。しかし社長は彼女の境遇を心配し、「伝手があるから旦那さんの情報を調べてみよう」と言ってくれた。そしてそこから2人は関係を持つようになっていったのだ。カロリーネは、新しい生活が始まりそうな予感に浮足立っていた。

しかしそこに、思いがけない出来事が起こる。工場の前で彼女を呼び止める声がするのだ。なんとそれは、1年以上も行方不明になっていた夫だった。彼は顔を損傷しているのか、顔全体を覆うマスクのようなものを付けていた。カロリーネは夫を部屋まで連れて帰るが、彼女の心は既に社長のもとにある。社長の子どもも身ごもっているのだ。そのため彼女は、夫を追い出し、そして社長に「結婚すると言って」と抱きつき、晴れて2人は結婚することに決まった。

しかしその後彼女は、出産した赤ん坊を、里親探しをしている女性に預けざるを得なくなり……。

というような話です。

さて、ネタバレをせずに本作の感想を書くのは非常に難しいのだが、個人的に本作については「必要悪」の話をしたいと思っている。

そして僕は、賛否あるとは思うが、個人的には「彼女がしていたことはある程度許容したい」と考えているのだ。

というわけでまずは、本作で描かれるコペンハーゲンの状況について説明しておこう。映画を観ているだけでは分からない情報については適宜公式HPの記述を参考にした。

物語は、終戦の直前から終戦直後に掛けてが舞台であり、だから人々は基本的にとても貧しかった。そして当然だが、そういう世の中であればあるほど、立場の弱い者にその負担が重くのしかかりがちだ。そして本作においてそれは、カロリーネのようなシングルマザーである。

彼女は、妊娠する前から困窮していたわけだが(時代的にはやはり「女性は結婚し男性に養われるもの」という世の中だっただろうし、だから、夫が行方知れずだったカロリーネはかなり辛い状況に置かれていたのだと思う)、身重になってからはやはり相当厳しかった。カロリーネは、社長とのゴタゴタがあって工場を辞めさせられてしまったため、日銭を稼ぐような仕事に従事するしかなかったわけだが、やはりそれは重労働でキツいものである。彼女は、じゃがいもをバケツに入れて運ぶ仕事をしている時に産気づき、そのまま出産した。とても、休んでなんかいられないのである。

そして当時のコペンハーゲンには(というかおそらく世界中同じだったと思うが)、戦争で夫を失ったシングルマザーがたくさんいた。そして公式HPによると、政府はそんなシングルマザーをまったく支援しないどころか、彼女たちが抱えている問題を見ようともしなかったそうだ。それは一般市民も同様であり、公式HPには「シングルマザー達への蔑みの目や迫害」なんて表現が使われているほどだ。当時の常識では「シングルマザー」を許容しがたかったのは分からんではないが、カロリーネたちは「戦争」の都合でそうなってしまっただけであり、だからそんな彼女たちに「蔑み」とか「迫害」の目が向けられるのはちょっと理解しがたいが、まあそういう時代だったとしか言いようがないのだろう。

そしてそういう時代だからこそ、彼女の行為はある種擁護の余地があると個人的には感じる。現代のような”ある程度は”支援が整った時代に同じことをすればもちろん許されるはずもないが、この時代には、彼女が繰り返し口にしていたように、「正しいことをした」という判断もあり得るんじゃないかと思う。

以前何かで観たある泥棒の話を思い出した(何かの映画かドラマのワンシーンだったと思うのだけど、まったく覚えていない)。墓場で供え物をしていた泥棒が、自分の行為について弁明する説明が興味深かった。その泥棒は、「お供え物が消えていたら、供えた人は『故人が食べてくれたのかも』と思えるし、そして俺は空腹を満たせる。ウィン・ウィンじゃないか」みたいなことを言っていたのだ。それを聞いて、ちょっと「なるほど」と思ってしまった。墓に供えたものは、供えた人は食べないだろうし、そのままにしておいてもどうせ鳥が持っていってしまうのが関の山だろう。そうであれば墓の周辺も汚れてしまうかもしれない。その代わり泥棒が持っていけば、鳥などに食い荒らされることもなく、供えた人の気持ちも潤い、さらに泥棒の腹も満たされる。行為としては確かに「泥棒」なのだけど、「墓地から供え物を盗む」というのは、捉え方次第では「善行」とも捉えられるんじゃないか。そんな風に感じた記憶があるし、今思い返してみてもその感覚は大きくは変わらない。

そして本作で彼女がしていたことも、それに近いことと考えられるように思う。もちろん全然違うと言えば違うし、許されざることをしていることは理解しているのだが、本質的な部分はこの「墓地泥棒」の話にかなり近いように感じないだろうか?

重要なポイントは、「自分の見えないところで、何か良いことが起こっているはずだ」という「希望」が生産されるということだ。そう、本作を観ていない人には何を言っているのか分からないだろうが、本作では、「殺人」がある種の「希望」を生むという構造になっているのである。その「希望」は、「罪悪感」を押し流してくれるようなものでもあるだろうし、自分がその後の未来を生きていく上での助けになるようなものでもあったと思う。そして「希望」は、多くのシングルマザーにとっては非常に重要なものだったんじゃないかと思う。

そんな「希望」は、誰も与えてくれなかった。政府からも市民からも見放されたシングルマザーには、それしか選択肢がなかったのだ。さらに、これは公式HPを読まないと分からなかった事実だが、この事件をきっかけに、社会制度が大きく変わったそうである。もちろん、この事件が無くたっていつかはその社会制度は出来ていたと思う。ただ、デンマークでは恐らく第一次世界大戦直後にその社会制度が出来たはずだし、だとしたら世界的に見てもかなり早かったんじゃないかと思う。ある意味では、後に社会福祉国家と呼ばれるようになるきっかけの1つだったとも言っていいんじゃないかと思うし、彼女がそんなことを考えて犯行を行ったわけはないが、結果論としては非常に重要な役割を果たしたと言ってもいいように思う。

それよりも僕には、事件が発覚した後の人々(特にシングルマザー)の反応の方にこそ醜悪さを感じさせられた。「お前にそんなこと言う権利ないだろ」と感じてしまったのだ。いや、僕は男なので「子どもを産んだ女性の気持ち」を永遠に理解できないし、だからそんな風に言うのは間違っているのかもしれないが、それでもそう感じてしまった。「確かに『希望』は打ち砕かれたかもしれないけど、でも、あなたは救われたんじゃない?」と僕には感じられてしまったのだ。

そういうことを口にしていたシングルマザーたちが、「自分よりもさらに立場の弱い存在に負担を押し付ける」みたいなスタンスを持っていたのだとしたら、結局それは、社会が自分に向けてきた視線と同じである。もちろん、苦しい状況にあっては、「自分よりも下」を探したくなる気持ちは分からなくはないが、彼女と関わったシングルマザーには、もう少しもう少し「高潔」であってほしかったなと感じてしまった。

映画の最後に「実話から着想を得た物語」と表示されるので、実話そのものではないようだが、起こった事件はきっとそのまま描かれていると思うので、「その事件が起こった背景」も含めてちょっと圧倒されてしまった。いやしかし、ネタバレをせずにあれこれ書くのは大変だ。

さて最後に。本作には、「裁縫工場から従業員が出てくる」という場面があるのだが、これは、以前観た「最初の映画」と言われているリュミエールの『工場の出口』のオマージュなんかな、と思ったりした。前に映画『リュミエール!リュミエール!』で観たんだけど、構図が結構似てる感じしたんだよなぁ。

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