【映画】「奇麗な、悪」感想・レビュー・解説

いやー、これは凄かった。個人的にはメチャクチャ好きな作品である。

まあ、意味不明ではあるが。

予告を観た時から「これは絶対に観よう」と思っていた。その異様な雰囲気にメチャクチャ惹きつけられたのだ。

本作は、女優・瀧内公美の一人芝居である。登場人物は彼女のみ。ナレーションもなく、誰も彼女を呼ぶ者もいないので、役名さえ不明だ。

彼女は、人混みの中を通り抜け、墓地の横の坂を上り、洋館らしき建物に入っていく。しかし、入口には外から鎖のようなものが掛かっている。彼女は、勝手知ったるという感じで、別の入口から中に入る。

室内には誰もいない。時折電気が切れる照明、階段の踊り場に架けられた絵画、その上部で回転しているのだろうシーリングファンが影だけチラチラ見えている。ローテーブルの上には一体のピエロの人形。どうやら、何かスイッチを押すと口笛を奏でるようだ。本作の冒頭でも、そして作中の随所で、この印象的な口笛の音色が響く。しばらくして、別の机の上に「閉院のお知らせ」と書かれた紙が置かれているのが映る。どうやらここは、かつて精神科医院だったようで、何らかの事情で既に閉まっているようだ。

彼女は、やはり勝手知ったるといった雰囲気で椅子に座り、そして、目の前にまるで医師がいるかのように滔々と喋り始める。ただ独り言を言っているのではない。「聞いていますか? 先生」「こんな話、先生には退屈ですよね、きっと」など、「誰かに話を聞かせている」という雰囲気を醸し出しながら、何なら会話をしているとでもいう風に、彼女はひたすら話し続ける。

彼女の認識の中では、それは「治療の一環」のようである。映画の冒頭、こんな文章が表示される。

【すべて話してください。
治療になりません。
全てを、です。】

正確に書き留めたつもりなので、最初が「すべて」、そして最後が「全て」だったことは間違いない。その表記の違いに意味があるのかは分からないが、「全て」と漢字にすることで、なんとなく「念押し感」が強まる気がする。

彼女は話し始めてすぐ、「こんな風に頭に浮かんだことを喋ったことなんて、これまでないんですよ。でも、これが治療になるんですよね?」と口にしていた。状況はよく分からないものの、恐らく彼女はこの精神科医院に昔から通っており、そしてその当時は実際に精神科医がいて、「医師に聞かれたことに答える」みたいな形で話をしていたのではないかと思う。ただ今回は、彼女の脳内では「『一人語りをしてくれ』と言われた」という設定になっている。実際には医師がいないので対話が不可能なだけなのだが、それはともかく、彼女は「一人で滔々と喋り続けることが、医師から勧められた『治療』である」という認識でいるのだと思う。

正直なところ、「すべて話してください。治療になりません。全てを、です。」というのが誰の言葉なのか分からない。まだ医院がやっていた頃の治療の中で直接言われたことなのか、あるいは手紙か何かに書かれていたことなのか(その場合は、医師ではない別の人物が彼女をおびきだしたみたいな可能性も出てくる)、あるいは彼女の脳内に現れた妄想にすぎないのか。そういうことは一切説明されないので分からない。分からないまま、ひたすら彼女の独白だけが続いていくのである。

まずこの状況そのものが異様だと言っていいだろう。そして同時に、成り立たせるのが難しい状況であるとも言える。舞台などでも「一人芝居」というのは存在するわけで、それよりも「カメラワーク」など使える要素が増える映画の方が困難さで言えば高くはないかもしれない。しかしやはり、「観客が舞台に求めること」と「観客が映画に求めること」にだって差があるわけだから、「一人芝居で『観客が映画に求めること』を満たす」というのは、かなり難しいんじゃないかと思う。

しかし本作は、瀧内公美の圧倒的な存在感によって、完璧に作品として成立していると思う。ちょっとゾクゾクするぐらい凄かった。

彼女は、時折ひゅっと表情が変わる時以外は、ずっとうっすらと笑っている。彼女が話している内容は実に壮絶で、そもそも「6歳ぐらいの頃に、カーテンに火を付けて家を全焼させて、両親を死なせてしまった」みたいな話から始まる。ただこれは、彼女の口ぶりだと、既に医師には何度も話をしていたことのようで、「すべてを話して」と言われたから改めて説明しているだけ、みたいな雰囲気がある。

でまあとにかく、話の内容は最初から最後までずっとシリアスなのだが、彼女はほとんどうっすらと笑っている。まるで、「愛しい存在」について語っているかのように。凄いのが、それが「虚勢」には見えないことだ。「悲しみを押し殺すように笑顔を貼り付けている」でも、「心の底から楽しくて笑っている」でもなく、「こうやって洗いざらい話すのも確かに気持ちがいいものだね」みたいな雰囲気なのだ。まるで、自分が口にしている話の「異様さ」に気づいていないとでもいうような雰囲気なのだが、しかし時折、「典型的だと思いますか? でも、大体のことが典型的じゃないですか?」「分かりますよ。先生は、『どうして警察に相談しなかったんだ?』みたいに感じているでしょう」みたいな「客観性」が入り込む。彼女の中には、「自分の話がどう受け取られ得るのか」という「他者目線」もしっかり存在するようなのだ。そしてその上で、うっすらと笑いながらずっと喋り続けているのだ。

その雰囲気が実に狂気的で、そんな狂気に引き寄せられるようにして、78分の一人語りを成立させている。喋り方の抑揚が突然なくなったり、言い淀んだり、「。」をすっ飛ばすようにして喋ったりと、話の仕方の緩急も絶妙だった。「主人公が狂気的な存在である」という要素は確かにあるものの、「一人語り」でこれだけの時間惹きつけられるのは、かなり凄いことなんじゃないかと思う。もちろん、話の内容も興味深いわけだが、何よりも、瀧内公美が発する雰囲気・存在感みたいなものが、この78分間を成立させていたと思う。

では、彼女はどんな話をしていたのか。メチャクチャざっくり書くと、「火をつけ両親を死なせた後、施設に入り、いじめられ、高校を中退して働き始めるも、カレシが警察に捕まり、その後結婚・出産。夫や義母との関係が悪化して離婚、クラブで働くも上手くいかず、身体を売るようになる。その客として出会ったTやSと関わる中で、夫の元に置いてきた娘との関わりが再開するのだが……」みたいな感じである。

で、先程も書いたが、内容そのものも確かに興味深い。ただ、そもそも本作の場合、「彼女が話していることは真実なのか?」という疑問がつきまとうことになる。「廃病院の中で、誰もいないのに語りかけるように一人語りをしている」という主人公には、きっと何らかの精神疾患があるはずだし、であれば「虚言癖」みたいなものがあってもおかしくない。そしてそもそも、彼女以外誰も出てこないので、それが真実でも嘘でも、それを証明する手段は一切存在しないことになる。

そして、これは解釈次第にはなるが、どうやら彼女は「『嘘をついている』という自覚を持ちつつ話している」ようなのだ。まあこれに関しては「クレタ人は嘘つきだ」みたいな話に似ていて、「『嘘をついている』という発言が嘘かもしれない」みたいな捉え方も可能なので、もはや何がなんだか分からない。

しかしまあ、とりあえず言葉通り受け取ってみることにすると、彼女は「まったくの嘘を長々と淀みなく喋り続けている」わけで、その事実もまた「狂気的」だと言えるのである。

そんな風に本作には、「振る舞い」「話の内容」「『嘘』を淀みなく喋っている可能性」など、様々な「狂気」が内包されており、その異様な濃密さに圧倒されてしまった。なかなかここまで「狂気づくし」にするのは難しいように思う。「共感」みたいなものとは一切無縁になってしまうからだ。

しかしそういう意味で言えば、僕は珍しく、本作を観ながら「このまま終わってくれ」みたいに感じていた。

本作のような作品の場合、「最後どうやって終わらせるんだろう?」みたいに感じることがある。映画でも小説でも、「大風呂敷を広げてはみたものの、上手く畳みきれなかった」みたいな作品は結構ある。人を惹きつける設定・状況・人物を造形してみるのはいいが、「じゃあそれをちゃんと着地させられるか?」となると、やはりそれはかなり難しいと言っていいだろう。

だから、冒頭から結構ぶっ飛んだ感じで進んでいく物語に対しては、「後は終わらせ方次第だよなぁ」みたいに思いながら観ていることが多い。

しかし、本作もそういう「冒頭からぶっ飛んだ感じで進む物語」にも拘らず、本作に対して僕は「このまま終わってくれ」と感じていた。「『絶妙な着地』みたいなのはいいから、この雰囲気のまま物語を閉じてくれ」と思っていたのだ。そして、これはもじかしたら若干のネタバレと言えるかもしれないが、本作は僕の願い通りそのまま終わる。その点も素晴らしかった。最後の最後まで、「真っ当な説明」も「共感」も一切排し、「何も分からせない」という構成のまま突っ切ったことが、本作には凄く合っていたと僕には感じられたのだ。

意味ありげなものが置かれた誰もいない部屋に、嘘かもしれない言葉が滔々と紡がれ、それらが「解釈」みたいなものを拒絶したまま透明な堆積として空間を埋めていく。目には見えないそれらが、なんとなく「息苦しさ」をもたらすみたいな感じもあって、スクリーンで隔てられた「向こう側」の世界のことなのに、どことなく「圧迫される」みたいな雰囲気さえ感じさせられた。いや、ホント、凄いものを観たなぁという感じだった。

というわけで、本編そのものの話はこれぐらいにして、あとはいくつか余談を。

まず、冒頭とラストは「瀧内公美演じる主人公が、街中の雑踏の中を真っ直ぐ歩く」のをカメラで捉えた映像(体感では共に1分ぐらいだっただろうか)なのだが、これ、なんとなく「ゲリラ撮影」、つまり「人混みはエキストラではなく、実際の人混み」なんじゃないかと感じた。そう思った理由は、ラストの方の雑踏のシーンで、瀧内公美の傍を通り過ぎた女性が二度見する場面が映っていたからだ。あれはエキストラの動きじゃなかった気がする。まあ、だから何だよって話なんだけど。

あと、エンドロールに「企画協力:桃井かおり」って表記されて、「ん?」ってなった。調べてみると、どうやらこういうことみたいだ。本作『奇麗な、悪』は、中村文則の『火』という短編が原作のようなのだが、同作は2016年に監督・脚本・主演が桃井かおりで『火 hee』として映像化されているのだそうだ。恐らくその絡みで、何かしら関わりがあったということなのだろう。

そして最後に。これは映画を観終わって、Filmarksの感想をチラ見していて知った事実である。本作の監督は「奥山和由」で、何となく見覚えのある雰囲気の名前だなと思っていたのだが、なんと、映画『ぼくのお日さま』の奥山大史監督と、映画『アット・ザ・ベンチ』の奥山由之監督の父親なのだそうだ。僕は、本作を含めたこの3作がメチャクチャ好きなので、凄い親子だなと思う。ちなみに、奥山和由の父親は、松竹の元社長だそうだ。凄まじい一家である。

まあそんなわけで、そんな外側の情報も含めてびっくりだった、ちょっと凄まじい作品である。とにかく、瀧内公美の一人語りは圧巻で、必見だと思う。

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