【映画】「片思い世界」感想・レビュー・解説
これは良い映画だったなぁ。僕は今回、ライブビューイングで舞台挨拶が観れる上映回に行ったのだけど、その中で主演の1人である杉咲花が、本作の劇中歌(合唱曲)である『声は風』の歌詞の中で、
【花が忘れても 種はおぼえてる
生きるよろこびを】
という部分が好きだという話をしていたのだけど、まさに「生きるよろこび」みたいなものを強く実感させる作品じゃないかと思う。ここで言う「生きる」には、悲しい意味も含まれているのだが、しかしそういうことも全部ひっくるめて「生きることのよろこび」みたいなものを内包している感じがあって、とても素敵だった。
また、脚本の坂元裕二が別名義でこの『声は風』の作詞をしているそうなのだが、舞台挨拶の中で「脚本を書き終える前に作詞をすることになり、つまり同時並行だった」みたいなことを言っていた。そう考えると、「作詞が終わってから登場人物の名前を考えた可能性もある」なんて風にも感じた。主人公3人は「相楽美咲」「片石優花」「阿澄さくら」と、すべて「花」を連想させる名前になっているからだ。
『声は風』のサビのフレーズである「声は風 風は夢 飛んでけ」も恐らく「種」のことも含んでいるのだろうし、「咲き直した花は厳密には元の花とは違うけれども、枯れては咲いてを繰り返すことで生命が続いていく」みたいなことが、この『声は風』にも、本作『片思い世界』にも貫かれているのだと思う。監督の土井裕泰が言っていたように、本作は『片思い世界』というタイトルしかあり得ない作品であり、タイトルやテーマ性など全部ひっくるめた上での「作品としてのまとまり」みたいなものが凄く良かったなと思う。
さて、本作は色々あって書けることが少ないのだが、ネタバレをせずに感想を書いていくつもりなのでその点は安心してほしい。
というわけで、まずは内容の紹介から。
苗字も年齢も違う3人は、1つ屋根の下で暮らしている。今日は、一番年下のさくらの誕生日。美咲と優花は部屋中を飾り付けサプライズでお祝いしようとするが、サプライズが好きじゃない我が道を行くさくらは、「毎回驚いたフリをしないといけないこっちの身にもなってみて」と苛立っている様子だ。しかし実はそんなことはなく、逆に美咲と優花が感動するような展開が待っている。
朝、バタバタと起き、一番年長の美咲が3人分の弁当を作り、柱に背の高さを記録する恒例のやつをやってからそれぞれの場所へと向かう。美咲はオフィスへ、優花は大学へ、そしてさくらは水族館へ。3人はいつも一緒にいて、食べて寝て映画を観て、楽しそうに生活している。
美咲とさくらが乗るバスに、さくらが「アホ毛」と呼んでいる男性がいる。どうやら、美咲は彼のことが気になっているようだ。そこで、そういう正確なのだろう、さくらが凄まじいお節介を働き、その「アホ毛」がラフマニノフのピアノコンサートで女性とデートする予定だと突き止める。なんと2人は、2人のデートを追いかけるようにしてコンサート会場まで押しかけるのだ。
一方優花は、大学の近くで花屋のバンに乗った女性を見ている。ちょっと驚いたような表情だ。そう彼女は実は、思いがけない人を見つけてしまったのだ……。
というような話です。
本作においてはまず、冒頭からしばらくの間の展開(というか見せ方)がとても上手い。先程少し触れたが、その展開を先導するのは一番年下のさくら。そしてここで効いてくるのが、冒頭の誕生会のシーンである。さくらのぶっ飛んだ雰囲気が炸裂する、なかなかインパクトのある始まり方だ。そしてだからこそ、冒頭からしばらくの間の「違和感」があまり目立たないことになる。観客の誰もが、ある時点以降、「なるほど、さくらの見せ方上手いなぁ」と感じたんじゃないだろうか。
冒頭からしばらくの間、気になるっちゃ気になるけど、気にならないっちゃ気にならない違和感がちょっとずつ積もっていく。そして本作は、その違和感が一気に解消される瞬間から物語が本格的に始まっていくことになるわけだが、そこに至るまでの3人の関係性やさくらの変わってるっぷりが見事で、それも上手かったなと思う。違和感解消以降の展開は、演じる上での別種の難しさが出てくるわけだが、違和感を積み上げていく過程もまた、なかなか繊細な演技が必要で難しかったんじゃないかという気がする。
あと本作は、「予告編が絶妙に機能している映画」とも言えるように思う。予告編だけ観ていても特に何の違和感も覚えないが、作中で違和感が解消された瞬間から、今度は別の疑問、つまり「予告編のあのシーンは、本作においてどのように成立するのだろうか?」という不思議が生まれることになる。この点もよく出来てるなぁ、と思う。別に予告編を観なくても全然楽しめる作品だが、予告編を先に観ておくと、「今後何がどういう展開になったらこのシーンが成立するのか?」みたいに感じるはずだ。それはそれでまた、面白い見方になるんじゃないかと思う。
そう、本作はとにかく、「これ以降、何がどう展開するんだろうか?」と強く感じさせる作品である。「設定は理解した。なるほど、そういうことね。でも、じゃあこっからどうなるわけ?」と多くの人が思うはずだ。
そのことについては監督も言及していた。そもそも本作は最初、坂元裕二が提出した紙1枚、20行程度の文章(「プロット」と呼べるほどでもないだろう)から始まっているそうなのだが、それを読んだ監督は、「面白いけど、じゃあここからどうなっていくんだろう?」と感じたと話していた。その時点で脚本は全然仕上がっていなかったわけだが、「なかなか難しい制約の中、よくもまあここまで素敵な物語に仕上げたものだ」と感心させられた。
それにしても、まさか本作に「スーパーカミオカンデ」が出てくるとは思わなかった。別に名前だけ登場するとかではなく、本作の物語を成り立たせる上でちょっと重要な要素として出てくるわけで、驚きである。「スーパーカミオカンデ」というのは岐阜県にある物理学の実験施設であり、この実験施設で世界で初めて「ニュートリノ」という素粒子を観測したことで、小柴昌俊がノーベル物理学賞を受賞したことも記憶に新しい。そう、「素粒子」である。広瀬すず・杉咲花・清原果耶の3人がワチャワチャ楽しそうに生活している物語に関係するとは思えない要素だろう。ただ、別に難しい話になるわけじゃないので安心してほしい。作中で出てくる単語や理屈が理解できなくても、別に問題はない。
ちなみに、本作の脚本を思いついた時のことについて聞かれて坂元裕二は、「設定などをすべて思いついて書き始めた後で、『そう言えばこの物語は、子どもの頃の自分が布団の中でずっと考えていたものだった』と気付いた」みたいな話をしていた。本作を観終えた人なら、坂元裕二のこの感覚はなんとなく理解できるんじゃないかと思う。具体的なことに触れずに書くのは難しいのだが、誰もが「そうであってほしい」みたいに思ってしまうような状況であり、具体的な物語として考えていないとしても、多くの人が同じような発想を何かしらで思い浮かべていたりするんじゃないかと思う。だからこそ本作は多くの人に届くんじゃないかと思うし、本作を観た多くの人(主演3人のファン層を考えると「若い世代の人」が多いだろう)が、むしろこれから「そうであってほしい」と実感するんじゃないかという感じがした。
そして、「そうであってほしい」と願ってしまうような世界観が、最後までちゃんと”リアル”に展開したことも良かったなと思う。この”リアル”は、ネタバレをせずに本作を観ていない人に伝えるのは無理なのだが、「やっぱりそうだよね」というある種の残酷さと、その残酷さをちょっとした偶然で和らげていく物語の展開は凄く良かった。
特に個人的には、「車がぶつかるシーン」にどことなく救いを感じた。描き出されている状況だけをシンプルに捉えるなら「救い」という表現を使うのは適切ではない側面もあるのだが、それでも、本作に内包される「どうにもしようがない無力感」の中で観客が望む展開を用意するという意味では絶妙だったなと思う。
ちなみに本作は、先に話をした「紙1枚、20行程度の内容」を提出した時点では既に、主演3人が決定していたそうだ。そのため司会者が坂元裕二に、「この3人が演じることを知って、脚本を書く上で何か影響がありましたか?」と質問していた。坂元裕二は、「普段はそうするのですが、今回はこの3人にキャラクターを与えるような書き方をしてはいけないんじゃないかと思った」みたいに言っていた。
そしてさらにその上で、「これは監督とも一致しているのですが、3人のキャラクターを1人の人間であるかのように書くイメージでいた」とも話していたのである。これに関しては監督も言及していて、その発言内容に触れると作品のネタバレに絡んでくるので避けるが、監督もやはり、「1人の人間を3人のキャラクターに分けて描いていく」ようなイメージでいたそうである。そういう見方をしてみるのも面白いかもしれない。
あと、舞台挨拶での話で印象的だったのは、「完成しないかもしれないと思っていた」というもの。これは、土井裕泰監督も坂元裕二も言及していた。理由については触れられなかったが、途中撮影が止まってしまった期間もあるそうで、監督が「役者はその間も役を継続しなければいけなかっただろうし、苦労をかけた」みたいなことを言っていた。本作は、監督・脚本が映画『花束みたいな恋をした』のタッグであり、主演3人も超豪華である。そんな映画が「完成しないかもしれない」なんて状況にどうやったら陥るのか謎だが、まあ何かあったのだろう。映画制作も大変だなと思わされた。
本作には、先程言及した「車がぶつかるシーン」とそこに至るまでの一連の流れ以外は、「残酷なシーン」はほぼ存在しないと思う。しかし作品全体にはずっと、拭いきれない「残酷さ」みたいなものが付きまとっている。それらは基本的に、広瀬すず・杉咲花・清原果耶の3人が織りなす楽しげな雰囲気にかき消されているわけだが、彼女たちが笑顔でいられない状況になると、今まで蓋をされて出てこられなかったそんな「残酷さ」が一気に噴出して、思った以上の悲しさに包まれる感じがある。「こういう世界で生きざるを得ない人たちだからこその苦しみ」みたいなものを、受け取る側が増幅して感じ取ってしまうのだ。
そういう部分も含め、設定も展開も演技もとても良かったなと思う。
僕の文章を読んだだけの人はきっと、どんな話なのか全然想像出来ないと思うが、それでいい。何も知らないまま映画館へ行こう。そんな風に観るのが一番良い作品だと思う。前にネットで見かけたのだが、「愛する犬(あるいは猫)が死ぬシーンがあったりしたら無理だから、『何も知らずに映画を観る』なんて不可能」みたいな意見もあるようだ。そういう人向けに、「犬も猫もカメ(予告編に登場する)も死なないから大丈夫」とも書いておこう。
とても素敵な映画だったなと思う。
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