【映画】「美しい星」感想・レビュー・解説
『自然が美しいわけではない。自然を美しいと感じるんだ、人間が。しかしその人間は、自分たちを自然の中に含めない。その矛盾を解消する方法は一つしかない』
なるほど、と思いました。確かに僕たち人間は、自分を自然の一部だ、と感じることがとても少ない。
『人間は、自然の一部であるのに、自分たちは一段上に立って、自然を支配した気になっている』
確かに。
映画の中では、地球温暖化が一つ大きな問題として取り上げられている。地球温暖化については様々な仮説があるが、この映画の中では、「人為的な原因(排気ガスなど)」と「自然のサイクル」という二つの考え方が争われる。そして、「自然のサイクル」説を取る側が、
『自然の必然に対しても、人間は自分たちのせいだと罪悪感を覚える。愚かなことだ』
と吐き捨てるように言う。確かに、もし地球温暖化が自然のサイクルによって当然起こることなのであれば、人間がそこに介入する余地はない。
物理学の世界に、「人間原理」という考え方がある。これには、「弱い人間原理」と「強い人間原理」という二つの考え方があるようだけど、その辺りのことを正確に説明は出来ない。なので僕が知っている知識で説明すると、「人間原理」というのは、物凄く噛みくだいて言えば、「人間が生まれるように世界は調整されている」というものだ。
ンなアホな、と思う人もいるだろう。僕も、そう思う気持ちもある(とはいえ、僕は「多世界解釈」が結構好きで、「多世界解釈」を採用すればあまり無理なく説明が出来ると思っているのだけど)。ただ、そう考えるしか説明がつかないような事実がある。だから「人間原理」などというものが物理学の世界できちんと議論されているのだ。
宇宙には、6つの定数がある、と言われている。その一つは、光速だ。光の速度は、状況によらず一定だ。そしてそういう、状況によらず一定の値を取る定数というのが他にも5つある。その内の一つが確か、「0.006」という値だったと思う。そして、もしこの値が「0.005」でも「0.007」でも人類は生まれなかった、と考えられているという。こういう事実から、「人間原理」という考え方が生まれている。
もし「人間原理」が宇宙を支配する法則の一つであれば、人間という存在を自然から分離することは不可能ではないのかもしれない、とも思う。少なくとも、僕たち人間が生まれたこの宇宙では(今の宇宙論では、僕たちには観測は不可能だが、僕たちが生きている宇宙の外側に色んな宇宙がある、と考えられている)、人間という存在は何らかの特別さを持った存在である、と考えることが出来るのかもしれない。
などと書くと宗教っぽい話になってきてしまうし、天動説を信じていた大昔の人と同じような思考になってしまうような気もする。僕自身は別に人間を特別だと思いたいわけではないが、特別だったら面白いだろうとは思う。
宇宙人はいるのか、という問いは、よく見かける。この問いには、僕の好きな答えがある。それは、「確実にいるが、僕たち人間と同時代に存在する必然性はどこにもない」というものだ。
宇宙の歴史は138億年とも言われている。その138億年の歴史の中で、人類の歴史などほんの一瞬でしかない。138億年の歴史の中では、火星にも金星にも銀河系のどこかの星にも、知的生命体は存在したかもしれない。ただ、僕ら人類と同じ時間には生きていない、というだけで。そういう意味で、僕は宇宙人の存在を信じている。
まあ、宇宙人に会えたら面白いなって思いますけどね。
内容に入ろうと思います。
大杉重一郎は、気象予報士としてテレビに出ている。普段から空を見上げているのだが、ある時屋上で、UFOを探している若者と話をする機会があった。実は重一郎はつい最近、不思議な体験をした。愛人とホテルを出て車で帰る途中、強い光に晒され、気づいたら田んぼに車ごと埋まっていたのだ。若者は、それは宇宙人によるアブダクション(誘拐)だと言い、重一郎に関連する本を渡した。
重一郎の息子である一雄は、自転車で配達を行うメッセンジャーだ。ある日、危ない運転で一雄と接触しそうになった車を追跡したことがあった。その車に乗っていたのが、衆議院議員である鷹森紀一郎とその秘書である黒木だ。一雄はその一件の後、何故か黒木から連絡があり、鷹森事務所で働くことになった。
重一郎の妻である伊余子は、普段から一人寂しく夕飯を食べる。主婦仲間に、「美しい水」と言う、パワースポットから汲み上げた水を勧められた。会員になって、周囲に勧めていけば、自分のグレードが上がり、安く買えるようになるのだ、と言われて伊余子は100ケース発注。家中が「美しい水」だらけになった。
暁子は、美しいが友人のいない大学生。学内でも、サークルにも入らず、いつも一人で行動している。ある日路上で弾き語りをしている男に衝動的に話しかけた。金沢から来ているという。その時に買ったCDの「金星」という曲を聞いて、暁子は金沢まで彼に会いに行った。そこで彼は、自分は金星人なのだ、と語り…。
というような話です。
いやー、変な話だったなぁ。最後まで観ても、正直なんのこっちゃよく分からないんだけど、でも面白かった。よく分からなさがちゃんと面白さに結びつく、珍しい映画だなと思いました。
とにかく、ストーリー的にはハチャメチャなんです。父親は火星人(太陽系惑星連合の所属でもある)と主張し、テレビ画面を通じて奇行を繰り返す。一雄は、意味不明な成り行きから政治家の秘書のような仕事をするようになり、さらにそこで水星人を名乗る男と出会う。暁子は、金星人だというミュージシャンと一緒にUFOを呼び、さらに自身も金星人であると言うようになる。妻の伊余子だけは地球人のままであるが、しかしどう見てもネズミ講としか思えない詐欺に絶賛引っかかり中である。そしてその後援として、何故かあの人物が絡んできたりするのだ。
この映画がどことなく落ち着きがないのは、火星人や金星人という設定を、どこまで信じていいのか、観客側が最後まで理解できないからだ。これが当たり前のSF小説であれば、父親が火星人、長男が水星人、長女が金星人であることを受け入れて、そういうものとして物語を追えばいい。あるいは、現実に即した物語なんであれば、火星人や金星人という妄想に取り憑かれた人として彼らを見ればいい。しかしこの映画は、最後の最後まで、その判断をはっきりさせない。彼らが異星人であるならそれでもいいし、そうじゃないならそれでもいいのだけど、それがまったくはっきりしないから、映画を見ている間中ずっと座りの悪い感覚を味わうことになる。
とはいえ、それが不快かというと、そうでもない。火星人だ水星人だなど主張し、さらに奇行を繰り返していく様は、なんともシュールでとらえどころがないのだけど、しかし同時に、彼らの真剣さも伝わってくるのだ。父親も長男も長女もそれぞれ、自分が異星人であることを受け入れ、地球における役割を真面目に果たそうと過ごすようになる。異星人として、自分がどんな役割を果たすべきなのか、明確に分かっているわけではないのだけど、それでも彼らが何らかの抑えがたい衝動に駆られているということは分かる。その必死さを垣間見ると、彼らの行動をただシュールなものだと捉えて捨て置くわけにもいかないと思えてしまう。
それに、映画全体で伝えたいメッセージが明確にある、ということが、彼らの必死さと相まってより強いメッセージとなって観客に届くように思う。構図としてはこの映画は、とても美しい地球という星を人間が無自覚に破壊しようとしているのを異星人がなんとか留めようとする、というもので、人間にその自覚を促そうとする奮闘だ。この映画の原作は三島由紀夫であり、僕は原作を読んでいるわけではないが、三島由紀夫が「美しい星」の中で描こうとしたのは東西冷戦による核戦争への危機感のようだ。それを映画では現代的な設定に作り変えている。どちらにせよ、その作品に触れるまさにその同時代の人間が直面いている問題こそが背景になっているといえるだろう。そういう背景をベースにして、奇妙な形でではあるが訴えかけるメッセージがある。シュールさで覆い隠されているが、力強いメッセージだ。
最初からずっと、何がなんだかわけの分からない展開で、それが最後の最後まで続く。捉えどろこのなさが半端ではないのだけど、なんとなく、良い映画を見たような気分になる。不思議な映画だ。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただけると励みになります!