【映画】「ぐるりのこと。」感想・レビュー・解説
ズバッと良かったってわけではないけど、じんわり良い感じの映画だった。しかし、リリー・フランキーってのは絶妙だよなぁ。普通にはなかなか出せない雰囲気をまとってるなと思う。
本作の中で一番好きなのが、木村多江演じる妻が台風の日に大暴れするシーン。状況としては、結構緊迫してる。なんだけど、そんなシーンで夫のリリー・フランキーがこんなことを言うのだ。
『手はさぁ、小さい方がいいんだよ。なんでって、ほら、こうやってチンポ握った時に、手が小さい方が大きく見えるだろ。』
あんな状況でこんなこと言って違和感のない人なんてそうそういないし、これがリリー・フランキーの凄さだよなぁと思う。この場面が成り立つっていうだけで、リリー・フランキーの特異さみたいなものが感じられるなと思う。
さて、観ながら感じていたのは、「『ちゃんと』ってのは難しいよね」ということだ。
本作でリリー・フランキーは、お世話になった人からの紹介で法廷画家の仕事をするようになる。写真撮影などが許されない法廷の様子を絵で伝える仕事だ。で、もちろんだが、その仕事の中で「ちゃんとしてない人」をたくさん目にすることになる。ある意味で、「『ちゃんとしてない』の極地」と言ってもいいだろう。
一方、妻の翔子は、「ちゃんとしたい人」だ。出版社で働く彼女の仕事ぶりからもその感じは伝わるが、一番印象的なのは「セックスの日を決めるやり取り」だろう。いや、「決める」というより、「決まっていることを夫・カナオに守らせようとする」ってシーンなのだが。
翔子は妊娠中も、安定期に入ったからと、週3回のセックスを望んでいる。で、あらかじめカレンダーに印をつけて、「する日」を決めているのだ。そして、「する日」は門限を22時に決めている。
なのだけど、カナオは門限も守らないし、「するって決めたよね」とセックスをしようとする翔子に乗り気な態度も見せない(ここでカナオが言ってた、「バナナ食いながら怒ってる女と〜」みたいな話はまあそうよねって感じだったけど)。
翔子は「カナオが約束を守らないからルールを決めたくなる」と言うが、カナオは「ルールで決めるもんかねぇ」みたいなスタンスだ。このシーンは、2人のなんとも言えない攻防が面白い場面なのだが、やはり「ちゃんとしようとする翔子」がかなり印象付けられるシーンでもある。
で、カナオは「ちゃんとしてない」と「ちゃんとしてる」の中間ぐらい、って感じだろうか。いや、裁判の被告と翔子を両極に置くなら中間ぐらいだが、世間一般的には「ちゃんとしてない」側に入るだろう。
そして本作では、そんな2人があーだこーだを経験しながら変わっていく様を描き出していく。
ある場面でカナオが「ちゃんとしなくていい」と言う。ホント、それはそうだなって思う。ただやっぱり、「『ちゃんと』って何?」みたいな部分が難しいよねって思う。翔子はたぶん、自分が特別「ちゃんとしてる」なんて思ってないはずだからだ。この感覚を合わせてくのって、ムズいよね。
それに、場面によっても「ちゃんと」は異なる。社会で求められる「ちゃんと」と、夫婦間の「ちゃんと」はやっぱり違うだろう。まあカナオは全般的にちゃんとしていないのだが(隙あらば女性を口説こうとするし)、それでも、彼ら2人の最終的な形を見れば、「カナオの『ちゃんとしてなさ』が、実は翔子にとっても良かったのではないか?」なんて風に考えられるはずだ。
だから「ちゃんと」は難しい。
僕も「ちゃんとしろよ」みたいに感じることはある。でも、僕はなるべく「誰にとっても明白なはっきりした判断基準がある場合」だけそう感じるように意識しているつもりだ。
例えば「法律」。法律は、個人の趣味趣向とか価値観とか思想とかに関係なく守らなきゃいけない。まあ時には、「法律」が時代に照らして古くなり、法律に則らない行動の方が正解なんて状況も起こり得るが、そういうことはやはり稀だ。基本的には、「法律は守るべきもの」として考えなくちゃいけない。
あるいは「会社」なんかも割とそうなんだよなぁ。会社で働いている以上、その会社が定めるルールや求められていることはやらなきゃいけない。よほどのブラック企業でもない限り、「このルールが呑めないなら辞めろよ」ってな話だし、だからやはりこれも「ちゃんと」って言っていい状況に含まれる。
でも多くの場合そうではない。「常識」や「倫理」や「道徳」みたいなものは「誰にとっても明白なはっきりした判断基準」ではないし、そういうものが誰かの行動を制約する状況は、僕にはとても腹立たしく感じられる。で、むしろ僕はそういう状況においては「積極的に『ちゃんとしていない』側でいたい」と考えてしまう。たぶん、実際にかなり意識的に「ちゃんとしてない」側にいるようにしていると思う。
なので、個人的な感覚では、本作におけるカナオのスタンスが結構嫌いじゃなかったりする。確かに全然ちゃんとしていないかもしれないが、だからこそ許容できる状況、成立する状況もある。僕はどちらかというと、そういうことに価値を感じたいなと考えるタイプの人間である。
ちゃんとしたい人はちゃんとすればいいが、「ちゃんとしなきゃいけない」という感覚に追い立てられてるなら止めた方がいい。「ちゃんと」には限界がないからだ。どれだけ「ちゃんと」しているつもりでも、永遠にそれ以上の「ちゃんと」が待ち構えているし、「ちゃんと」が終わることはない。
そんなクソみたいな評価基準の中で生きるぐらいなら、「ちゃんと」を諦めた方がいい。別に、それで死んだりしないしね。
で、繰り返しになるが、そういう雰囲気を醸し出すのに、やっぱりリリー・フランキーが絶妙だったんだよなぁ。良い存在感だった。本作が映画初主演らしい(木村多江も同じらしいが)。ホント、言い方は悪いかもしれないが、こういうチャランポランな雰囲気を出しつつも、同時にそれなりのまともさも醸し出せるみたいな役者はなかなか思いつかないんだよなぁ。凄く良かった。
本作が上手いのは、「状況の説明を映像だけで伝えてしまう」みたいな部分だろう。特に、カレンダーの使い方は凄く上手かった。カレンダーを移すだけで、夫婦の現状やその変化がざっくり伝わってくる演出は、まあよくあるっちゃあるのかもしれないけど、上手いなと思った。
そんなわけで、夫婦の絶妙な関係性を描き出した作品で、派手さこそないがじんわり染み入ってくるような作品だった。一瞬江口のりこが出てきて、当時はまだこんなちょい役だったのかぁ、とか思ったり。18年前の映画みたいだ。いやはや。
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