【本】小林よしのり「ゴーマニズム宣言 脱原発論」感想・レビュー・解説
原発に関して、僕の立ち位置を明らかにしておこう。このブログでも数年前、どこかに同じことを書いたはずだけど、僕の考えはこうだ。
【原発は、技術は素晴らしい可能性がある。しかし、それを使う人間がダメ過ぎるので、人類は原発を持ってはいけない】
僕は、原発という技術そのものは否定しない。色々問題はあるかもしれないが、研究を続ければ最適な原発に辿り着けるかもしれない(これは、原発を稼働させながら同時に改良していくべき、という意味ではなく、きちんと研究が進んでから発電用に稼働させるべき、という話です)。僕は、ある程度以上に科学に信頼を置いているので、原発という技術そのものは将来的に素晴らしいものになるかもしれない、という可能性は捨てない。
しかし、福島第一原発事故は、原発を使う人間のダメさ(これは、僕ら一般市民の無関心も含む)を否応なしに露呈させた。とにかく色んなことが起こったのだろうが、細部はとりあえずどうでもいい。僕が感じたことは、人間というのはアホだしミスをするしどうしようもない存在なので、原発を持つべきではない、ということだ。
そういう意味で、僕は原発に反対である。
さて、本書を読んで、僕はさらに問題を整理できたような気持ちになれた。本書を読みながら僕が再度考えなおした、人類が原発を持ってはいけない理由を以下に4つ挙げる。
1.科学は絶対ではない
2.低線量被曝の影響はまだ研究途上であり、どんな結論も出せない
3.他のエネルギーと比べて、敢えて原発を採用するメリットが存在しない
本書で著者の主張を読みながら、僕は原発反対の理由を上記3点にまとめた。本書では、それぞれの細部について詳しく書いているが、大枠で捉えればこの3点について主張しているはずだ(言論界の保守だとか左翼だとかの争いはとりあえず措くとして)。
小林よしのり氏は、反対派に対して煽るような言い方を繰り返していて、自分の主張を相手に受け入れてもらおうという態度ではない点が気になるところではあるが、しかし本書の中でも、脅迫を受けた事実など書かれているし、様々な人間とこれまでにもバトルしてきた歴史があってのことなのだろう。とはいえ、小林よしのり氏の主張していることは、僕には理解しやすいものに思える。僕自身、元々原発反対だからそう思えるのかもしれないし、小林よしのり氏がどれだけ相手の主張を(意識的にせよ無意識的にせよ)歪めているのかは僕には判断できない。
だから、小林よしのり氏とは反対のことを言っている人間の主張もいずれ読んでみなければいけないとは思うのだけど、本書を読む限り、反対派の主張は根本的に理屈として破綻しているとしか思えないので、なかなか読む気になれない。
さて、上記3点について詳しく触れていこう。
まず1.の「科学は絶対ではない」から。
小林よしのり氏は原発に反対する大きな理由として、こういう表現をしている。
『原発は、一度事故を起こせば、国家が終わってしまうかもしれないほど危険なのだ!』
その通りである。
僕は、「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」という本を読んだことがある。事故当時福島第一原発の所長だった吉田氏の奮闘を中心にして、その日何が起こっていたのかを明らかにする作品だ。
それを読むと、本当に日本はギリギリのところで助かったのだ、ということがよく分かる。吉田氏を初め、自らの命を顧みない必死の対処があったからこそ、福島第一原発はとりあえず持ちこたえ、日本の壊滅は回避できた。
しかし、それは本当に、ただただ幸運だっただけだ。
本書にも、福島第一原発がいかに幸運で持ちこたえたのかが描かれている箇所がある。
震災当時、たまたま4号機は、営業運転開始以来初めての大工事をしていた。その準備のため、4号機の上部は水で満たされていた。本来であれば作業は震災の前に終わる予定で、そうであればその水は抜かれていたのだが、補助器具の寸法違いというミスのため工期が遅れ、震災時にたまたま4号機の上部は水で満たされた状態のままだった。
この偶然のお陰で、4号機はなんとか持ちこたえたのだ。もし4号機の上部が水で満たされていなかったら、アウトだったかもしれない、と言う。
先程も書いたように、僕は科学に対しての信頼がある。だからこそ、安全性を相当程度に高めた原発を開発することは出来ると思う。99.99999999%安全な原発、というのだって、頑張れば作れるかもしれない。
しかし、100%安全な原発は作れない。科学に「100%」というものは存在しないのだ。小林よしのり氏も本書の中で書いているが、科学は常に仮説である、というのは常識だ。どれほど実験で正しさが確認されている理論であっても、常にそれが間違っていると指摘される可能性を秘めている。
科学上、最も有名なのはニュートンだろう。ニュートンが作り上げた力学の理論は、300年間誰もその正しさを疑わなかった。世界中の人から、絶対に正しい理論だ、と信じられていたのだ。しかし、ニュートンの力学の理論は、結果的には正しくなかった。それを指摘したのが、あのアインシュタインである。もちろん、アインシュタインの理論だって、いずれ誰かに覆される可能性もある。
科学に「絶対」は存在しない。つまりこれは、確率はごく僅かかもしれないが、原発が制御出来なくなったり、崩壊したりする可能性がある、ということだ。
そして、ここが真に重要なポイントだが、小林よしのり氏が主張しているように、原発というのは、たった一度の事故で国が滅びる可能性があるのだ。事故が起こる確率がたとえ0.00000000001%であっても、起こってしまえば国は滅びる。あなたは、100万回に一回しかグーを出さないじゃんけんロボットと対決し、負けたら一族全員の命を奪われると言われたら、そのじゃんけんにチャレンジ出来るだろうか?そのロボットは、ほぼ確実にグー以外を出すから、自分はチョキを出せばほぼあいこか勝ちのどちらかで負けはない。しかし、100万回に一回の確率で相手はグーを出す。次の一回がそのグーの番かもしれない。そういうじゃんけんを、あなたは出来るだろうか?
原発に関しては、事故の確率の低さは問題ではない。事故が起こってしまった場合の被害があまりにも大きすぎるために、どれほど低い確率でも容認出来ないのだ。そして、科学は絶対ではない。つまり、100%安全な原発は作れない。であれば、原発という選択肢は手放さざるを得ないと僕は思う。
2.の「低線量被曝の影響はまだ研究途上であり、どんな結論も出せない」に移ろう。
本書では、この被爆に関して様々な点から主張が繰り広げられている。チェルノブイリ事故や原爆での健康被害のデータ、現状(執筆当時)の福島県の線量データ、ICRP(国際放射能防護委員会)の基準とその成立過程のウソ、日本政府による基準値の変更などなど、様々な方面から原発推進論者を責め立てる。原発推進論者には、「福島第一原発事故程度の線量では健康被害はない」という主張と、「むしろ低放射線は健康に良い」という主張があるようだ。後者は問題外として、前者については正直なかなか議論が難しい。
というのも、放射能汚染によるデータはほとんどないのが実態で、特に低線量被曝のデータはほぼ存在しないようだ。よく耳にする、「年間1ミリシーベルト」という、一般人の被爆限度は、ICRPという国際機関が決めているのだが、NHKの報道番組の中で、ICRPの中にいて年間1ミリシーベルトという基準を作った人間が、科学的な根拠はなく、ICRPの判断で決めた、と証言している。
つまり、年間1ミリシーベルトでさえ、健康被害が出るか出ないか誰も分からないのだ。それなのに日本政府は、この基準を引き上げ、福島に住んでも人体に影響はない、とやってのけた。壮大な詐欺だと僕も思う。
本書を読んでいて僕は、とにかくこの健康被害については、議論は困難だと感じました。何故なら、放射能による健康被害は、長い時を経て表面化するはずだからです。小林よしのり氏は、チェルノブイリ事故による健康被害でさえもまだ全貌が明らかになっていないだろう、というようなことを書いています。福島第一原発事故から数年の現段階で、健康被害について明確なことを主張するのはほぼ不可能だ、というのが僕の感想です。
しかし、様々な研究から、少なくとも「低放射線は体に良い」という意見は一蹴していいでしょう。そして僕は、原発事故から数年しか経っていないこの段階で「低放射線による健康被害はない」と主張している人(がいるとするならば)は信用しない。
本書によれば、原発推進派にそういう人が多いようだ。まあそれはそうだろう。真っ当な医師や科学者であれば、現時点で結論が出せないことははっきり分かっているはずだから、「健康被害はない」と主張しているということは、原発をどうしても悪者にしたくない明確な理由があるということなのだろう。
僕自身の印象の話をすれば、低放射線による被爆が健康に影響を与えないわけがない、と思うのだが、それは研究者だってまだはっきりと分かっていない事柄であるので、あくまで僕の印象でしかない。印象をベースに是非を判断したくない。そうではなくて、現時点では影響の有無を判断できないはずなのに、それを「健康被害などない」と主張している、ということに信用を置くことは出来ない、という形で原発推進論者に反対したいと思います。
3.の「他のエネルギーと比べて、敢えて原発を採用するメリットが存在しない」について。
この点について本書では、様々な具体例を挙げながら、「原発がたとえ危険な発電装置でなかったとしても、原発を選ぶ理由がない」ということを主張します。つまり著者は、「原発は危ないからダメだ」という主張だけではなく、「そもそも原発を使わなくたって何も困らないんだ」ということを明らかにすることで、「原発によほどのメリットがなければ選ぶ価値がないのだ」という結論を導いています。
著者は冒頭で本書の主張を、『経済成長のための脱原発』という位置づけであると書いています。原発推進派は、原発がなくなれば電力が足りなくなり江戸時代の暮らしに戻るとか、エネルギーのほとんどを輸入に頼る状況で原発だけが準国産エネルギーとなりうるのだ、というような主張をしているそうです。しかし著者はこれらを、様々な具体例とデータで反論してみせます。
この項目について、さらにいくつか分けてみます。
a.原発がなくても電力は足りなくならない
b.原発では準国産エネルギーは目指せない
c.自然エネルギー分野で競争する方が世界で戦える
d.原発は動かすだけで大量の作業員を被爆させている
e.10万年先までツケを残すことになる
大体こんなところでしょうか。
a.の「原発がなくても電力は足りなくならない」について。
国は、原発が稼働しなければ電力が足りなくなるとマスコミを通じて脅して、原発の再稼働にこぎつけようとしている。しかし日本は、『原発を動かすために、わざわざ火力発電所を半分以上遊休させていた』らしい。さらに省エネや節電技術の向上(LEDの普及など)により、電力消費量は間違いなく減っていく。実際に日経新聞のコラムで、『近年、日本のエネルギー消費は政府の見通しを大幅に下回って推移している』と指摘されているらしい。
客観的なデータではないが、著者自身の経験も書かれている。著者は、まだ日本に原発がなかった頃の日本を記憶しているが、原発など一基もなくても、喫茶店などでガンガンクーラーはついていたし、電気が足りなくなることなどなかった。高度経済成長は、原発なしで達成したのだという。
現に福島第一原発事故があった年、日本中すべての原発が停止したが、それでも日本人は夏を乗り切った。「電気が足りなくなる」というのは、原発を動かしたい勢力による詐欺的な脅しだというのだ。
小林よしのり氏の主張が正しいのか僕には判断できないが、本書に載っているデータがすべて正確であるとすれば(本書の難点として、データの出典がないものが結構あって、マンガだから仕方ないのかもだけど、その辺りの信ぴょう性がどうなんだろうと感じる部分はあった)、著者の主張は真っ当だろうと思う。
確かに、日本の節電技術は相当なものだろうし、CMで見る度に家電はどんどん省エネタイプになっている。LEDライトは電力消費を大幅に抑えているはずで、ますます電力消費量が減るというのは確かにその通りだろう。必要な電力がそう多くないのだから、わざわざ原発を動かす必要はないのだ。
b.の「原発では準国産エネルギーは目指せない」について。
日本の原発政策は、当初からこの「準国産エネルギー」を目指して進められてきた。原発が「夢のエネルギー」と呼ばれるのは、使用済み核燃料から再度燃料を取り出せるからであって、確かにそれだけ捉えればコストも相当安そうに思える。
しかし、この計画は実現しそうにない。
よくニュースで耳にする「高速増殖炉もんじゅ」。これは、この「核燃料サイクル」に必要不可欠な施設なのだけど、1980年代に実用化されるはずだったもんじゅは、現在では2050年が完成予定になっている。このもんじゅに既に1兆円近く注ぎ込んでいるがまだ完成しないし、もんじゅがもし完成したとしても、さらに次のステップをクリアしないと増殖炉は実用化されないのだ。
さらに使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す青森県六ケ所村の再処理工場もトラブル続きで、2兆2000億円を費やして未だに完成していない。
この増殖炉と再処理工場が揃わなければ「核燃料サイクル」は実現しないのだが、到底完成しそうにない。自前の「準国産エネルギー」を持つという夢は、絵に描いた餅でしかないのだ。
c.の「自然エネルギー分野で競争する方が世界で戦える」について
本書では、自然エネルギーの可能性についてかなり触れられている。自然エネルギーというのは、地熱・太陽光・風力などを使ったエネルギーのことだ。既に欧米では自然エネルギーへのシフトが進んでいるようで、ドイツでは自然エネルギーの割合が既に20%を突破、今後10年で40%に増やすという。一方日本では、自然エネルギーは僅か9%。大規模水力を除けばたった1%。圧倒的な低さである。
世界が自然エネルギーへとシフトしていく中で、原発にしがみつきたい日本はその波に遅れた。日本の技術力をもってすれば、この分野でも先導できたはずなのに、国の無策によって実現しなかった。
しかし日本でも、自然エネルギーを研究している人は様々に存在し、風力発電などはかなり実用に近いレベルまで研究が進んでいるらしい。著者が福岡まで行き、実際にその風力発電を研究している研究者に取材に行っている。
試算によれば、風力発電の能力だけで、日本の電力のすべてを賄えるほど、風力発電には可能性があるという。自然エネルギーはどれも、原料となるものが自然由来であり、しかも使用済み核燃料のような副産物を残さない。
世界が原発から撤退しつつある今、原発の技術を高めても国際的な競争力はもはや望めない。自然エネルギー分野で技術力を磨き世界に打って出る方が、企業にとっても国の経済成長にとっても有益である。そういう意味で、原発を選択するメリットはまったくない。
d.の「原発は動かすだけで大量の作業員を被爆させている」について
これまで原発労働者で労災認定を受けたのは、たった10人だと言う。しかし原発労働者の被爆者は40万人を超えると主張する人もいる。原発は、最先端技術によってすべて自動で行われているようなイメージ操作がされているが、実際には、防護服を着た作業員が泥臭く原発内で作業してようやく動かすことが出来る代物なのだ。大量の、使い捨て作業要員の犠牲があらかじめ前提として組み込まれている、と言える。
もちろん国は、原発労働者の様々な障害は、原発とは無関係として取り合わない。下請けの会社では労働者に、怪我などしても労災の申請はしないでくれと言われるというような驚くべき実態があるそうだ。人間を使い捨てのように組み込まないと動作しない装置の存在は許容できない。
さらに追加で書けば、原発労働者というのは素人集団であり、原発に関する知識もほとんどないまま作業させられているという。いくら設計がパーフェクトでも、中に入って作業する人間がド素人なのだから、何が起こるか分からない。
さらに原発労働者は、なり手が少ないために、偽名でも働けるというような状態だ。だから、原発労働者の派遣がヤクザのシノギになっていたり、犯罪者が働けてしまうなど悪事の温床となっている。さらに、テロリストでさえ容易に作業員として侵入出来てしまうのだから、テロの標的にされた場合防ぎようがない、とも主張する。確かにその通りだ。そういう意味でも、原発を選択する理由がない。
e.「10万年先までツケを残すことになる」について
使用済み核燃料の放射能レベルが害のないレベルまで下がるのに、10万年掛かるという。そして、この使用済み核燃料の最終処分場は、未だに世界中のどこにも存在しない。
僕が原発推進論者に対して最も理解できない点はここだ。どんな条件で原発を動かそうが、使用済み核燃料は生み出され、これをどうにか処分しなくてはいけない。
原発推進論者は、一体これをどうするつもりでいるのだろうか?
10万年先のことなんて知らねーから、というような感覚は、許容は出来ないけど、そういう風に思考する人間がいることは理解できる。しかしだ、そもそも、使用済み核燃料を処分する場所が世界中のどこにもないのだ。未だに、処分されないままただ貯めこまれている使用済み核燃料がどんどん増えている。原発を動かせば動かすほど、この使用済み核燃料は増えていくのだ。10万年という数値を無視したとしても、処分先がまだ決まっていない状態で、原発だけ動かしちゃおう!と言える人間の神経は、僕にはまるで理解できない。
もちろん、事故があった場合の対応とか、健康被害とかそういうものも重要だ。しかしそれらは、福島第一原発事故があったからこそきちんと議論の俎上に載ったとも言える。もちろん本来であれば、事故の場合の話も先に議論しておくべきだが、原発がこれほどの事態を引き起こすとは誰も予想していなかっただろう(予想していた人がいても、その予想を周囲に信じさせるだけの力を持ち得なかっただろう)。だからそれらの議論が、事故後になってしまったことは、非常に残念なことではあるが一定の範囲内で理解は出来る。
しかし、使用済み核燃料の処分先を決めないまま原発を稼働している、という状態は、どう考えても異常だと思う。これは、事故が起こる起こらないというようなこととは無関係で、純粋にプロジェクトのアウトラインの問題である。使用済み核燃料の処分先を決めないままの原発稼働は、プロジェクトとしての形を成していないと僕は思う。
僕は原発推進論者に対して、この点を強く問いただしたいと思う。一体どうするつもりなんだ?と。これについて明確に答えることが出来ない人間は、原発推進を主張するべきではないだろう。
さて、本書を読んだ上で、僕がさらに原発反対に傾いた理由は、上記の通りである。もちろん、小林よしのり氏の主張に一定の疑いを持つようにしている。一方の意見を鵜呑みにするだけでは、正しい判断は出来ないと思うからだ。しかし、僕がここで書いたこと(つまり、小林よしのり氏が本書で書いていること)について、きちんと正しく反論できる原発推進論者はそうそういないだろう。
また、小林よしのり氏は、「原発が安全だと主張するなら東京に原発を作れ(ただの厭味ではなく、その方が送電ロスがないために発電効率が良くなるという利点がある)」「低放射線が健康に良いというなら飯舘村の土地を買って移住しろ」と主張する。
過激な言い方はともかく、言っている内容は確かにその通りだと感じる。結局そういう主張をする人間は、自分が安全な場所にいることが分かっているからそんなことが言えるのだ。それが自分の身に降り掛かっても同じことを主張し続けられるだろうか?
多少原発の本を読んだことはあるが、まだまだ知らないことばかりで、本書を読んで初めて知ったことも多々あった。著者は原発反対論者ではあるが、本書は、原発に反対でも賛成でも一読してみる価値があるだろう。
基本的に小林よしのり氏は、事実やデータに重きを置いて主張をするので、客観的な情報を元に原発問題を整理することが出来る。また、批判している相手であっても、真っ当なことを言っていればその主張はきちんと取り上げるなど、事実とは違って主観が入り混じる主張に対してもフェアに接しているように感じられる。僕はよく知らないが、毀誉褒貶の渦巻く人なのだろう。小林よしのり氏が言っているというだけで、何らかの色がついてしまうのかもしれない。でも僕は、本書は一人でも多くの人に読んでもらいたいと思う。
結局のところ、どんなトンデモな主張をしようが、無関心な人間よりはマシかもしれないのだ。福島の人を傷つけるような無神経な主張を繰り返す人よりも、福島の現状に、原発の未来に関心を持たない人間の方がより罪が重い可能性があるのだ。
だから、本書でも本書じゃなくてもいいから、何か読んでみて関心を持って、自分なりの意見を持とう。それが、僕らの第一歩だ。誰の意見を信じてもいい。誰の意見を批判してもいい。とりあえず、自分で考えて、自分なりに結論を出してみよう。そうやって関心を持つ人間が増えていくことが、結局良い未来に繋がっていくのだ。そう信じなければやっていけないだろう。
僕は本書の内容は客観的に捉えられた良い内容だと思うけど、そう感じない人がいてもいい。そう感じなかった、と思うことが大事なのだ。国民が関心を持たなければ、国も東電もやりたい放題である。それだけは避けなければならないだろう。僕らがまともな未来を手にできるように、そして下の世代にロクでもない未来を押し付けないように、僕らに出来ることは僕らがやらなくてはいけない。そんなことを考えさせられる一冊だった。
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