【映画】「なみのこえ 気仙沼」感想・レビュー・解説

「東北記録映画三部作」と呼ばれるドキュメンタリーのシリーズがあり、第一作の『なみのおと』は以前観たので、あと二作。そして今回はその内の『なみのこえ 気仙沼』を観てみた。もう一作の『なみのこえ 新地町』もどこかのタイミングで観たいと思っている。

さて、本作にはまず「映像的にあり得ない特徴」があるのだが、その話は『なみのおと』の方で書いたのでここでは省略する。「ドキュメンタリー映画で、どうやったらこんな映像が撮れるのか?」と、少なくとも僕個人は未だに謎が解けていない実に不可思議な映像である。

本作では、気仙沼で東日本大震災を経験した7組の人々が映し出される。ざっくりその7組について書いておこう(ちなみに、固有名詞に関しては表記が一切分からないので、すべてカタカナで統一する)。

・父の代から続く喫茶「マンボウ」の経営者と、厨房の担当者(「祖父の代から」という表現があったが、それは子ども視点でのことで、喋っている人にとっては父親なんじゃないかと判断した)
・着物屋の店主と、その従業員
・水道工事を行う会社経営(濱口竜介がインタビューイー)
・家業の水産加工会社「サイキチ」を手伝う妻と、婿養子に入り社長になった夫
・大阪出身かつ気仙沼で弁護士として働く女性(弁護士なのは夫かもしれない)と、その母親
・71歳の漁師(共同監督である酒井耕がインタビューイー)
・運送業を営む夫と、専業主婦の妻

109分の映画らしいので、時間が均等だと仮定して、1組辺り15~6分というところか。もう少し長く喋ってた印象だったが、そんなもんだったか。

さて、『なみのおと』でも印象的だった記憶があるが、カメラの前で語る者は皆、当時のことを楽しそうに喋る。『なみのおと』は2011年制作らしいが、『なみのこえ』2作は2013年制作らしく、震災からは多少時間は経過している。とはいえ、あるインタビュー中にかなり大きな地震が起こったし(これがいわゆる余震なのかはよく分からないが)、当然、復興などまだまだという時期である。そんなこともあり、楽しそうに喋っているのは印象的だった。

もちろん、「『カメラの前で喋ること』を決断した者がカメラの前で喋っている」わけで、この点は忘れてはいけない。東日本大震災を経験したすべての人が同じように振る舞えるわけではないというわけだ。しかし、「すべての人がしんどい(しんどい風に見られたい)わけではない」ということもまた理解しておくべきだろう。なんとなくイメージだけで東日本大震災を捉えてしまわないためにも、こういう作品に触れておくことは良いことだろうと思う。

では、それぞれについて少しずつ印象深かった話に触れていこう。

喫茶「マンボウ」の2人は、震災時のことを振り返りながら「これからの気仙沼」の話をしていた。「マンボウ」は地元に愛される店だったのだろう、仮説で仮営業が始まると、最初は「この味にまた会えて良かった」みたいに言っていた常連客が、しばらくすると、「やっぱり昔とは店の雰囲気が違うよねぇ」みたいに言ってくるようになったそうだ(もちろん愛故である)。

で、ここで2人の意見が割れる。

経営者は「元の店の雰囲気に戻したい」と考えているようだ。しかし厨房担当者は、「もちろんそうしたいけど、そんなこと出来る?」と言っていた。というのも、気仙沼の町がこれからどうなっていくか分からないからだ。住民が少なくなる(戻ってこない)となれば、どうしたって店は成り立たない。そうなる可能性がある中で、お金を掛けてそんなこと出来るのか? というわけだ。

そこで経営者が印象深いことを言う。彼には子どもが3人いるようなのだが、「子どもたちが、気仙沼に残ってもいいと思うならそう出来るような環境は作ってあげたいと思ってる」みたいなことを言っていたのだ。確かにこのままでは人口が減って、住民相手のサービスは続かなくなるかもしれない。しかしそうなれば、「気仙沼では仕事がないから出るしかない」となって、残りたいと思っていたとしても残れない状況になってしまう。別に気仙沼に残るかどうかの判断は子どもたちの自由だが、「残れる選択肢」は残してあげないと思っている、みたいな話だった。まあ確かに、そういう心意気でも持っていないと、なかなか続けようなんて気にはなれなかったりもするのかもしれない。

着物屋経営者は震災時京都にいたそうだ。で、翌日だったか、高速を14時間飛ばして帰ってきた。家に戻ると、2匹(言及はなかったと思うが、猫か犬だろう)がベッドの下で小さくなっていて、そして彼女が布団に入ると、普段は布団にまでは入ってこない2匹が布団に潜り込んできたという。

一方、従業員の女性は犬を飼っていたのだが、色々あって避難所には連れて行かない決断をした。で、避難所で津波の到来を知ったが、それでも「自宅は大丈夫だろう」と思っていたそうだ。しかし結局、自宅は流されてしまい、飼い犬もそれっきりになってしまった。

そんな2人は、震災後により仕事のやりがいを感じられるようになったそうだ。泥だらけになった着物を綺麗にクリーニングして渡すことでメチャクチャ感謝されるようになったからだ。「生活するためだったらどんな仕事をしていてもいいけど」みたいなことも言っていて、結果論ではあるが、震災によって自身の仕事の価値を一層確認出来たとも言えるかもしれない。

水道工事会社の経営者は、濱口竜介から「なんか凄く強いですね」と言われた時に、「別に強いわけじゃないけど、無くなっちゃったんだからしょうがないっていうだけ」みたいなことを言っていた。で、同じことを着物屋の従業員も言ってたなと思う。「私は状況を受け入れたわけじゃ全然ないけど、でも色んなものが無くなっちゃったんだから、もうしょうがない」と。また水道工事会社の経営者は、「経営者としても色々大変なこともあったし、浮き沈みもあったから、震災もそういう状況の1つ」みたいに捉えているみたいだった。

水産加工業の夫婦は、状況はよく理解できなかったが、かなり偶然的に生き残ったらしい。僕が聞いて理解できた範囲では、「従業員の車の後をついて避難していたが、工場の火を消したかどうか気になって引き返したのだが、あそこで引き返してなかったらたぶん津波に呑まれて死んでいた」みたいなことのようだ(ただ、僕の理解が合ってるかは分からない)。

でそんな夫婦の話で印象的だったのが、「今では社長の判断に全幅の信頼を置いている」という妻の発言だった。水産加工業は妻の実家の家業であり、夫は婿入りしてから社長になった。そんな経緯があったから、妻は当初「私が教えなきゃ」「自分の判断こそが正しいんだ」と考えていたという。しかし、インタビュー時点で結婚25年、社長就任から10年と言っていたが、妻はもはや社長である夫の判断を疑うことはないという。

さらに面白かったのが、「『夫にはこういう人がいいんだろうな』と思っていたタイプとは真逆」だと妻が言っていたことだ。彼女は高校生ぐらいの頃から、祖母や父から「こういう人がいいんじゃない?」と将来の旦那候補を勧められていたそうだが(メチャクチャ嫌だな)、祖母や父が勧めてくる男性たちとは夫は全然違うタイプなんだそうだ。だから余計に、夫の判断をここまで信頼できるようになったことが意外だったみたいだ。なんか、凄く良い関係の夫婦だなという感じだった。

大阪出身の母娘は、「建てたばかりの家が被災」「子どもたちを大阪に避難させて、自分は気仙沼に戻って1か月色々作業した」など大変だったようだが、終始楽しそうに話をしていた。また、娘の方が気仙沼に住み始めた際、「気仙沼に来た女性(夫の仕事の都合で一緒にきた妻)は、来た時に『こんなところに来ちゃった』と泣いて、帰る時に『ここから離れたくない』って泣く」と言われたなんて話をしていた。ちなみに、大阪に住んでいた母親は、娘夫婦が気仙沼に腰を下ろすと決め、その時小さな子どもを抱えていたため、「子どもの面倒をみてほしい」ということで両親も気仙沼に住んでもらうことにしたという。母親は「わたしらも別に大阪にこだわりがあるわけじゃなかったから」みたいに言っていたが、人生後半ではなかなか大きな決断だっただろう。ちなみに、2人とも全然大阪弁っぽい感じに喋り方じゃなくて、それも不思議だった。

漁師の男性は、ちょっと方言が強い(のか、滑舌の問題なのか)でちょっと上手く話が聞き取れない部分もあったが、まず、「震災で修理が必要になった船を直してもらおうと思ったら、その際の溶接の火で火事になってダメになった」みたいな話をしていて「えっ?」となった。不運すぎる。

また、彼はすぐに別の会社から雇用の話が来たのだが、部下の行き先がなかったので、結局部下にその立場を譲った、みたいなことも言ってたかな。結局そういうこともあって、1年もの間漁に出られなかったそうだ。

最後の夫婦は、今回の中で一番若く、夫が26歳、妻が23歳だった。震災がなければ結婚式を挙げる予定だったそうだが(夫は「僕はイヤイヤだったけどね」と言っていて、そういうことが言い合える良い感じの夫婦だなと感じた)、挙式をする予定だった場所が津波で流されてしまい、現在は無期限延期という状態だそう。

で、夫が最後に「あなたがさっぱり喋らないからね」と言っていたように、妻はなんか喋らない(喋りたくない、喋れない)ようで、夫から水を向けられても沈黙の時間が長かったりした。なんかそういう感じで成立している関係がなかなか良い風に見えて、個人的には素敵なやり取りだったなと思う。

さて、冒頭で少し触れた通り、本作は「どこから撮ってるのか分からない謎映像」なのだが、それに加えて、「カメラで撮られている一般の人たちが凄く自然体に見える」のも不思議なポイントだ。僕も、色々あって一時期テレビカメラの前で喋る機会がメチャクチャあった。で、何故か僕はそれが得意だったようで、普段と変わらずペラペラ喋れたのだが、とはいえやはり、「カメラを向けられている」という非日常にはちょっと緊張感を抱かされもした。

のだが、本作に登場する人たちは、なんかみんな「カメラが目の前に無い」みたいな振る舞いをするんだよなぁ。最後の若い夫婦の夫は喋ってる時に大あくびをしていたし、他の人たちもなんか凄くリラックスしてる感じがあった。こういう雰囲気が、本作の「特殊なカメラワーク」と関係しているのであれば、「奇妙な映像になる」以外のかなり実際的な効果をもたらしているとも言えるなと思う。

そもそもだが、本シリーズはどうも「インタビューイーが存在せず、2人だけでやり取りしている」ようで(濱口竜介、酒井耕がインタビューイーを務めているものは除く)、それも普通はかなりハードルの高い状況だと思う(もう終わっちゃったが、フジテレビでやっていた「ボクらの時代」というテレビ番組みたいなイメージをしてもらえたらいいだろう)。それが成立する状況をどう作り上げているのかは本当に謎だし、不思議なドキュメンタリー映画だなと感じる。

そんなわけで、色んな意味で印象深い作品だった。あと、最近あまりドキュメンタリー映画を観れていないので(アンテナはそれなりに張っているつもりなのだが、どうもドキュメンタリー映画の情報が引っかからない)、そういう意味でも興味深かったなと思う。

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