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拡大するシュルレアリスム(@オペラシティ)の話

少し前に、オペラシティでやってた「拡大するシュルレアリスム」展を観た。それまで、名前は聞いたことあったけど、シュルレアリスムのことは良く分からなかったのだけど、本展を観て「なーんとなく分かったかなぁ」という感じがする。

最初に「オブジェ」という説明があって、そこに書かれていたことが結構分かりやすかった。


ここで改めて確認する必要があるのは、シュルレアリスムであるところの超現実主義とは、前述した一般的認識の逆を意味するということです。シュルレアリスムが目指すのは、「主観」を持つ私から離れ、目の前にある現実を「客観=object/オブジェクティブ」により見つめなおすこと。さらに一歩踏み込んでいえば、「主体」を離れて「客体、物=object/オブジェ」に至ろうとすることで、私たちが疑う余地なく現実だと認識しているものの中から、より上位の現実である「超現実」を露呈させようとしているのです。私たちが普段認識する現実とは主体から見つめた姿でしかなく、その現実の中に含まれる「超現実」は、主体から離れて客体として認識した時初めてたち現れるのだ、ということを前提としているのがシュルレアリスムです。

まあなんともややこしい文章ですけど、僕はこれを「それをそれとして見ない」という風に受け取りました。

入口付近に、「現代アートの始まり」と言われるマルセル・デュシャンの帽子掛けの展示がありました。


これは帽子掛けなんですけど、支柱の部分がなくなっていて、さらにそれが天井高くから吊るされているので、「帽子を掛ける」という機能を奪われてしまっています。つまりこれは、「帽子掛け」だが「帽子掛け」ではない、という状態にあるというわけです。

僕らは「帽子掛け」を見れば「帽子を掛ける機能を持つものなんだな」と想います。ただそれは「『主観』を持つ私から離れ、目の前にある現実を『客観=object/オブジェクティブ』により見つめなおすこと」とは言えません。「主観」を持つ私が「帽子掛けだな」と思って見ているからです。

だから、「帽子掛け」から「帽子を掛ける」という機能を取り去ることで、この「帽子掛け」をより客観的に見ることができるようになる。みたいなことを目指しているのが「シュルレアリスム」、なんだと思います。

僕はこのような発想から、ある本に書かれていた話を思い出しました。『講義ライブ だから仏教は面白い!』(魚川祐司)の中の文章です。

この本の中では、「人間は『渇愛』を無くさなければならず、その『渇愛』をなくすために行うのが仏教の修行だ」という話が出てきます。そしてその例として「おっぱい問題」の話が出てくるのです。

これは男性目線の話だと思ってもらいたいのですが(女性は女性で何か良き例を思い浮かべて下さい)、男目線ではやはり「おっぱい」は「ムラムラさせるもの」に見えてしまいます。しかし、その実体は単なる「脂肪の塊」でしょう。だから仏教の修行というのは、「おっぱい」を「ムラムラさせるもの」ではなく「ただの脂肪の塊」に見えるように認知を変えようという目的で行われるのだそうです。

この話、まるきりシュルレアリスムの話と同じだなと思いました。

展示の最初の方には、同じくマルセル・デュシャンのこんな作品もあります。


これも「何?」って感じですが、キャプションを読むと、「ふむ、なるほどねぇ」と感じたりするんじゃないかと思います。

というわけで、シュルレアリスム、なかなか面白かったなと思います。



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