【映画】「君の名は。」(二度目)感想・レビュー・解説

同じ映画を二度観ることは稀だ。
「君の名は。」は、一度目と二度目で、見方が大分変わる映画だった。

一度目は、ストーリーに注目して観ていた。
ネタバレはしないが、この映画は、そういうことだったのか、と思わせるような、ストーリー上の驚きがある。映画の前半と後半では雰囲気がガラリと変わる。前半は、ちょっとおかしな設定のあるラブコメという感じだが、ある部分からガラリと話が変わり、そしてその後、観客が驚くような展開が待っている。

一度目に観た時、一番僕を支配していた感覚は、「よくこんなストーリー考えたな」ということだった。絵もキレイだ。登場人物たちも良い。しかしそういう部分より何よりも、この映画のストーリーに惹き込まれた。

特殊な関係にある二人の男女が、未来を変えるために奮闘する、などと要約してしまえば陳腐にしか聞こえないが、手垢のついたような設定をいくつも組合せながら、これだけ芳醇な物語を生み出せるものなのかと、驚かされた。

二度目は、また違った見方をした。
二度目は、ストーリーは分かっている。彼らの物語がどう展開するのか知っている。
だから安心して、ストーリーを追うことを手放すことが出来た。
そうやって見えてきたのは、人間だ。登場人物たちだ。彼らのことが、一度目の時よりずっとくっきりと見えた。

僕は、映画の中でまだ何も起こっていない時から泣いていた。自分でも驚いた。僕は、彼らに起こることを知っている。この映画の前半、何も起こっていない時というのは、平和な時間だ。お互いが、どんな平和の中に生きているのか、それを確認する時間だ。

その時間が、平和な時間が、この先どうなるのか、僕は知っている。彼らを待ち受ける未来を知っているからこそ僕は、彼らを見て涙を流したのだと思う。

二度目故にストーリーを追わなくても安心して観れる僕は、一度目にはきちんと捉えきれていなかっただろう部分を熱心に見た。何も起こっていない時の様々な会話や発言が、一度目よりも深い意味を持って聞こえた。町長に向かっていく時の少女の顔に浮かんだ想いが、はっきりと見えたように思えた。時間の流れについての祖母の講釈が、映画全体を貫く背骨であるように感じられた。

そして、主人公の男女の決断と行動が、より強く胸に迫ってくるように感じられた。

多くの人の心を打つ物語は、何らかの普遍性を有しているのだろう。
この映画もまた、多くの人の心に何かを刻んでいる。
この映画は僕らに、どう生きるかを問いかけている。
人生に、正解はない。しかし、後から振り返った時に「正解だ」と思えるような生き方であればいいのだと思う。

彼らは、自分なりの正解を掴み取った。
これは、なかなか難しいことだ。何故なら、「正解である」と決めるのは、自分自身だからだ。誰かが決めてくれるわけではない。他ならぬ自分自身が、そう決断しなければいけないのだ。
「正解である」と決めるのには、覚悟がいる。彼らはその覚悟を、お互いを想う気持ちから振り絞った。そうやって二人は、困難な現実を乗り切り、不安定な未来を掴み取ったのだ。


久々に、文章を書くのに苦戦している。
映画館で自分が感じたことを、出来るだけ言葉にしたいと思うのに、いつものようには指が動いてくれない。
何を書いても、自分の感じたこととはズレてしまうような気がするからかもしれない。
あるいは、この映画には、まだ自分がうまく捉えきれていない部分が山ほど残っていると感じているからなのかもしれない。
自分自身のことも、映画のことも、もっとうまく捉えたいと思う。

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