【映画】「風たちの学校」感想・レビュー・解説
この映画はホント、Filmarksをやってなかったら出会えなかっただろうなぁ。公開されていることさえ知らない映画だったが、Filmarksでレビューがたまたま目に入り、面白そうだなと思ったのだ。しかしその時点ではもう公開から結構時間が経っており、映画館で観られるところはなかった。なので、調べて出てきた「山形ドキュメンタリー道場」というイベント(in専修大学)で鑑賞した。
これは観れて良かったなと思う。素敵な映画だった。
今日の上映では、鑑賞後に監督の田中健太と、「山形ドキュメンタリー道場」の1期生として同期だったという坂上香(映画『プリズン・サークル』の監督)によるトークイベントがあった(田中健太監督はメチャクチャ良い声をしている)。そして、そこで初めて知ったのだが(ただ公式HPにも書かれている)、本作の舞台となっている黄柳野高校は、監督の母校なのだそうだ。なるほど、それもあって、これほど距離の近い形で撮影が出来たのだなと思う。
愛知県の山奥にある黄柳野高校は、不登校になった生徒などが集まってくる全寮制の高校だ。監督もまた、中学時代に不登校だったそうだ。冒頭で、校長なのか誰なのか、保護者らしき人たちに学校の説明をしている場面が映し出されたのだが、その中で、「不登校の子たちにはやはり、人間関係がベースにある教育が必要だという理念で全寮制にしている」みたいなことが語られていた。
そしてその中で、2人の生徒に特に焦点が当てられている。1人は「ミノキ君」(作中に出てきた進路表に書かれていた苗字と、エンドロールで流れた苗字が違ったのが謎だったけど)。そしてもう1人が「コトミさん」である。トークイベントでは、他にも3人ほど焦点を当てていた生徒がいたそうだが、色々あってこの2人に絞っていく感じになったそうだ。
ちなみに、これもトークイベントで語られていた話だったが、本作の撮影は2013年から4~5年間行われていたという。そして、先述した「山形ドキュメンタリー道場」の第一回目が開かれたのが2018年。監督は、「その時点で映像素材はほぼ撮り終えていた」と話していたのだが、そこから編集やらなんやらで、公開が今年2025年になったという。足掛け12年も掛かっているというわけだ。ドキュメンタリー映画に限らず、映画制作というのは時間が掛かるものだと思ってはいるが、それにしてもやはり相当な時間を要しているのだなと思う。
さて、本作の中で個人的に最も印象的だったシーンが、本作中では最初の「ミノキ君」の三者面談のシーンである。そう、本作では、生徒だけではなく親にも焦点が当てられている。トークイベントでは、「自分が卒業生だったこともあると思うけど、撮影の交渉には特に苦労しなかった」と話していたのだが、やり取りは結構リアルな感じで(というかリアルなのだが)、「よくこんなものを撮らせてくれたな」なんて思ったりした。
で、その最初の三者面談のシーンなのだが、まず担任の教師(卒業式で「マキノ先生」と呼ばれてたかな)が親に通知表を渡す。のだが、その前に、学年主任か何かなのかな、マキノ先生の隣にいた男性教師がその通知表を見るのだが、そこで「おいミノキ、これヤバいぞ」みたいなことを言っていた(親の前でもかなりフランクな感じで、それだけでも、教師・生徒・親が良い関係性にあるんだろうなとなんとなく想像できる)。
実際に「ミノキ君」の評価は悪く、空白が多い。空白は「出席もテストも評価できない」という意味のようで、つまり「授業に出ていない」というわけだ。男性教師は、「お前、学校にいるのに授業に出てないのか」と「ミノキ君」を責めていたりした。そしてそれをマキノ先生が嗜める。「色々言いたいことはあると思うんですけど、ちょっと後に溜めといてください」みたいに。
そこまでの描かれ方的に、「ミノキ君」はちょっとヤンチャな感じだったし、その三者面談の前の場面でも「授業はサボるためにある」みたいに言って教室から出ていくシーンが使われていたりしたから、「そうか、ミノキ君は不真面目な生徒なんだなぁ」なんて風に誰もが感じると思う。
しかしその後、マキノ先生の説明で評価が一変する。
実は、マキノ先生のクラス(たぶん3-B)は、授業妨害をする生徒がかなりいるようで、相当良くない状況だったという。そして一方で、「ミノキ君」はクラスの子と仲良くしたいと思いつつもなかなかそれが出来ないでいた。で、そういう想いもあって(後は彼自身の元々の性格もあって)、「ミノキ君」は「メリケンサックをしている生徒」(とマキノ先生が表現していた)をクラスから連れ出して授業妨害をさせないようにしているというのだ。
もちろんそのせいで「ミノキ君」も授業に出られないことになってしまうのだが、父親曰く、「昔から自分のことは後回しだった」みたいなことを言っていたので、「ミノキ君」としては自然な行動だったのだろう。で、クラスメートも「ミノキ君」のそんな行動を評価しているのだそうだ。マキノ先生は「授業と正義感のどちらを優先すべきか凄く迷った」と話していて(こういうことを素直に両親に伝えるのも、個人的には好印象である)、さらに、「通知表は空欄が多いですけど、私としては満点をあげたいぐらいです」と言っていたのだ。
メチャクチャ良い奴じゃねぇか。
なんてシーンが結構早い段階で描かれるので、グッと惹き込まれる感じがある。
一方の「コトミさん」もまた、冒頭にかなり印象的なシーンがある。彼女は太鼓部の中で笛を担当しているのだが、練習しているのになかなか上手く吹けずに苦労していた。で、体育館で「あーもーだめだー」みたいな感じでうずくまっていたのだけど、しばらくすると全然動かなくなってしまったのだ。僕は、「悩みすぎて疲れて寝ちゃったのか?」と思った。
その後、太鼓部だろう女子生徒が「コトミさん」を起こして寮へと連れて帰ろうとするのだけど、身体から力が抜けているみたいに全然動かない。寝ているにしては明らかにおかしい。のだけど、助けに入った女子生徒は大して慌てるでもなく、一応声は掛けつつ割と平然としていた。僕は「全然状況が理解できねぇ」と思いながら観ていた。
そしてその次のシーンで、監督が「コトミさん」をインタビューするシーンが出てくるのだが、ここでようやく状況が掴める。この時、彼女の一人称は「俺」だったと思うのだけど、彼女は「解離性がある」と話していたのだ。恐らく「解離性障害」のことだと思うのだけど、彼女は「分かりやすくいうと、身体を乗っ取られたみたいな感じ」と言っていたので、なんとなく「多重人格」っぽいような状態なんだと思う。そういう感じになると、時には30分とか1時間とか身体が何も反応しない(記憶もない)そうで、あの時もそういう状況だったんだみたいなことを言っていた。
そんなわけで本作は、この「ミノキ君」「コトミさん」の2人に特に焦点を当てながら、「黄柳野高校」という「傷ついた者たち」が集まる場所の雰囲気を伝えようとする作品である。
学校が舞台になってはいるものの、授業シーンのような「学校らしい状況」が映し出されることはあまりない。部活のシーンはあるものの、「コトミさん」の個人練習みたいなシーンの方が多いし、「学校行事」という意味で言えば「学園祭」と「卒業式」ぐらいだろうか。なので印象としては、「学校の中にいる、個人としての『ミノキ君』『コトミさん』を映している」みたいな印象が強かった。
にも拘らず本作では「黄柳野高校」という存在が結構ちゃんと浮かび上がっている。この点に関してはトークイベントの中で坂上香が、「学校の礼賛みたいな内容になってないのがいいよね」みたいな表現をしていたのだが、この点には僕も賛同である。学校が舞台なのだが、学校の存在は決して強くはなく、しかし「ミノキ君」「コトミさん」という個人を追いかける中で確実に「黄柳野高校」の存在は浮かび上がってくる。この感じはとても絶妙だった。
ただこの点に関して監督は、「編集の秦さんのお陰」みたいなことを言っていた。僕は正直、映画制作における監督と編集マンの関係はよく分からないのだが、少なくとも本作『風たちの学校』に関しては、全体の方向性を秦さんがかなりディレクションしてくれたと監督は言っていた。
監督は、「自分の母校である黄柳野高校の良さを伝えたい」という思いは持っていたものの、「じゃあそれがどうしたら上手く伝わるのか」はずっと分からなかったそうだ。だからこそ、撮影が終わってあとは編集するだけという段階で、「山形ドキュメンタリー道場」に行ったりもしたのである。
坂上香に聞かれる形で監督は、「2人のインタビューは結構撮ったし、元々は、2人の過去なんかを交えながら作品を仕上げていくのがいいと思っていた」みたいに話していた。しかし道場に参加して他の人からのフィードバックをもらったりする中で考えが変わったり、秦さんの編集のディレクションに賛同出来たりという形で、最終的にはこのような形になっていったのだそうだ。
やはり「母校」という近すぎる関係性だからこそ見えているもの、見えていないものがあったということなのだろうし、それを、編集マンという第三者の目線が入ることで「黄柳野高校を知らない人たち」にも伝わりやすい形になったということなのだと思う。
ちなみに、田中健太監督は「原一男の弟子」らしいのだけど、以前『ゆきゆきて、神軍』を観に行った際のトークイベントの中で原一男が、「編集マンが全然自分の言うことを聞いてくれない人で、思ってたのとちょっと違った編集になった」みたいな話をしていたのを今も覚えている(確か、原一男はまだ駆け出しの監督で、そしてその編集マンはもの凄く大御所だったのだそうだ)。映画の世界に詳しくない僕はその時に初めて、「全体の方向性は監督じゃなくて編集マンが決めたりすることもあるんだな」なんて思ったのだが、そういう風に分業にしていることで作品の魅力が引き出されたり(あるいはその逆だったり)するのだなと思うと、奥が深いなと思う。
さて、そんな作品の中で、「あー、メッチャ分かるなぁ」と感じたのが、「コトミさん」の「忙しくしてないと気を紛らせられない」という発言である。僕も、10代20代の頃はまさにそういう状態だったので、メチャクチャ共感できてしまった。
「コトミさん」のことはあくまでも想像するしかないが、僕と同じだとしたら、「忙しくしていないと、頭の中に余計な思考が紛れ込んでウダウダしてしまうし、だからそういう風になりたくなかったらとにかくずっと忙しくしている方がメンタルが安定する」ということだと思う。実際「コトミさん」は作中で何度か、「メンタルが不安定になってるなぁ」と感じるシーンがあって、「そうならないために身体と頭の中を忙しくしているんだな」ということが伝わってきた。僕もそうだったので、凄くよく分かる。
そしてそのデメリットも彼女はちゃんと理解している。忙しくすることによって「心」は安定するけど、「身体」は悲鳴を上げるのだ。それで時々いっぱいいっぱいになってしまうのだ。個人的には、「そこまでちゃんと自覚出来てるなら全然問題ないな」と感じたりした。
そんな彼女についても、1度だけ三者面談の場面が映し出されるのだが、彼女は教師とのやり取りの中で、「このクラスの中で一番変わったんじゃない? 中身も見た目も」と自分で話していた。本作では、そんな彼女の数年間に渡る変化をぎゅぎゅっと凝縮して見ているわけで、そういう点もなかなか面白いんじゃないかと思う。
また「ミノキ君」に関しては、「父親に対する複雑な感情」が様々な場面で見え隠れする感じがあって、その点もとても興味深かった。
そんなわけで、状況説明があまりなされないこともあり(別に悪いことではないが)、「どんな状況にいるのか」がよく分からない場面も多いのだけど、いずれにしても「凄く良い環境の中で凄く良い形で過ごしている」ということが伝わってくるし、とても印象の良い映画だった。これは観れて良かったなと思う。
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