【映画】「シンプル・アクシデント/偶然」感想・レビュー・解説

メチャクチャ面白かったわけではないのだが、引き込まれる作品だった。正直、冒頭からしばらくは状況がさっぱり理解できなかったのだが、状況把握が出来て以降は、そのカオスなドタバタっぷりに翻弄されたなと思う。

あと本作は、「映画『熊は、いない』の監督の人だよな?」と何となく思いながら観たんだけど、やっぱり合ってるみたいだ。イラン生まれで、映画を撮る度投獄される、みたいな結構ハードモードな人生を歩んでいる人で、その不屈の創作魂と、数々の作品が国際的な映画賞で評価されているという経歴などが、なかなか稀有な存在だなと思う。公式HPによると、「2025年、本作でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞、世界三大映画祭を制した史上4人目の快挙となった」のだそうだ。凄いものである。

というわけで、まずはざっくりと内容の紹介を。

物語は、主人公ではない男とその妻と娘が車に載っている場面から始まる。家では静かにしていなさいと言われている娘が、車中だからと爆音で好きな音楽を流している中、車に鈍い衝撃があった。降りてみると、どうやら犬を轢いてしまったようだ。飛び出してきた犬を避けるのは不可能だった。仕方ない。

しかし、その衝撃のせいだろうか、3人を乗せた車は動かなくなってしまった。辺りは暗く、自力では直せそうにない。たまたま近くに工場(なのかはよく分からない)があり、そこの従業員が「ざっと見るぐらいなら」と申し出てくれた。そして応急処置をしてもらいどうにか車を動かすことが出来た。

さて、この工場には、一家の対応に当たったのとは別に、ワヒドという男もいた。そして彼は、その故障した車の運転手に衝撃を受ける。彼は咄嗟に一家の車を追いかけ、家を突き止めた。そして翌朝、その男を拘束し、車に乗せ、そして砂漠まで連れて行った。

穴を掘って生き埋めにしようというのだ。

実はワヒドはかつて、反体制派と見做されて投獄させられた経験があり、そしてその時に自分を痛めつけた看守エグバルを見つけたと考えていたのだ。その復讐にと、拉致して生き埋めにしようとしているのだ。

しかし今まさに埋められかかっている男は「人違いだ」と主張し続ける。初めは聞く耳をもたなかったワヒドだが、次第に自信がなくなってきた。

というのも彼は、エグバルの姿を直接目にしたことがなかったのだ。

ではどうして、工場にやってきた男をあの時の看守だと判断したのか。それは、義足で歩く時の音である。投獄中、目隠しをさせられていたワヒドは、その義足の音を覚えていた。そして、まったく同じ音を立てて歩く人物を見つけ、エグバルだと判断したのである。

しかし、もしもエグバルじゃなかったら……。こうして彼は、友人であるサラルに紹介してもらった人物(彼女もまた、エグバルに酷い扱いを受けた人物だ)の元へと向かう。そしてそこから思いもよらない展開になっていき……。

というような話です。

さっきも書いたけど、まず冒頭の方で、「ワヒド、何で隠れてるん?」とか、「ワヒド、何でエグバルだって分かったん?」みたいなことが全然分からなくて(説明されないので)、結構戸惑ってたんだけど、次第にちゃんと状況が明らかになっていくので大丈夫。で、概ね情報が出揃ってからは、タイトル通り「シンプル」だ。「とっ捕まえたこの男は、俺らを痛めつけたエグバルなのか?」が最大の問題であり、そこを中心に関わる人間たちの人生模様が描かれていく。

僕の内容紹介では触れなかったが、色々あって、ワヒドは結果としていろんな人を巻き込むことになる。中にはエグバルと直接関係ない者もいるのだが、概ね「かつてエグバルに酷い扱いを受けた者たち」である。しかし彼らも決して一枚岩ではない。もちろん皆、エグバルへの強い恨みは抱いているのだが、彼らも今それなりに人生を立て直している。だから、過去のことは過去のこととして前を向こうと考えている人もいた。しかしもちろん、未だ消えない怒りを感じている人もいる。

じゃあどうするのか? というわけだ。

しかも、本作には色々とややこしい要素が詰まっている。まずそもそもだが、「怪しい人物を見つけたから、確証を得た上でこれから拉致しよう」みたいな話ではなく、先に拉致しちゃっているのだ。この時点で、相手がエグバルだろうがそうでなかろうが結構ヤバい状況だと言えるだろう。

しかも登場人物のほとんどがエグバルのことを直接見たことがない。で、作中で「一番エグバルに詳しい」とされているのがハミドという男なのだが(結局、彼がエグバルを見たことがあるのかはイマイチ良く分からなかった)、彼はムチャクチャ粗暴な男で、だから「『ハミドの言っていること』に全幅の信頼を置くことは難しい」みたいなところがある。実際作中でも、ハミドは「こいつは絶対にエグバルだ」と確信を持って主張するのだが、周囲はどうもそれを信じてはいないようだ。

さらに、「仮にこの男がエグバルだとして、じゃあどうするわけ?」みたいな部分も大いに問題である。登場人物の中には、「明日結婚式を挙げるカップル」もいて、この珍道中をタキシードとウエディング姿で進んでいる。そんな、これからまさに幸せが待っているという状況で、果たして「残酷なこと」が出来るのか?

またそもそも、エグバルだと思われる男を拉致して生き埋めにしようとしたワヒドも、一度冷静になって「こいつは本当にエグバルなのか?」を確かめようとしている間に、「エグバルだとしてどうすべきか?」に関しては揺れているように見えた。

そしてさらに言えば、具体的には書かないが、彼らをちょっと想像もつかないような事態が襲う。そして彼らは、「復讐しようと考えている相手」に対して普通しないんじゃないかと思うような行動を取る。この辺りは、物語的にはかなり整合性を感じにくい部分ではあるが、ただ「まあ人間ってそういう訳分かんないことするよね」と感じたりはするし、だから別に違和感があったというわけではない。

というようにいろんな要素が様々に絡まりあって、かなりカオス的な展開になっていく。「いろんな人間がいるよね」なんて雑なまとめ方をしていいような話じゃないけど、でもそういう「ある種の極限的な状況に置かれた場合の人間の多様な振る舞い」みたいなものがにじみ出ている作品だ。そしてその「多様な振る舞い」が、結果として「おかしみ」に繋がる部分もあり、だからシリアスな物語なのだけどコメディ的な要素も含まれているなと思う。

で、ラストシーン。全然どんな風に終わるのか分からなかったけど、これはなかなか印象深いラストシーンだった。様々な可能性を想像させるラストだし、頭に浮かぶそれぞれの可能性に対して観客は「これで良かったのか?」と自問させられるんじゃないかとも思う。「結末を観客に投げる系のラスト」は結構あるし、それ自体に奇抜さは別にないが、シンプルなのに「恐怖」と「可能性」を最大限に引き出すという意味でメチャクチャ秀逸なラストだったように思う。これは観た人に、どういう解釈をしたのか聞いてみたくなるなぁ。

作中で、「私たちが彼らと同じように暴力を行使すべきじゃない」という主張が出てくる。まあ、理想はその通りだろう。暴力の連鎖を自分のところで止められれば最高だ。しかし、そう簡単に割り切れないのもまた人間だろう。特に、エグバルは「3日間俺たちを吊るした」「30日間太陽を拝ませなかった」「死刑台で首に縄をかけられた」など、かなりえげつないことをしており、「人生最良の5年間を失った」なんて感じてしまうのもまあ当然だろう。

そういう状況において、今まさに目の前に「復讐すべき人物かもしれない男」がいるとしたら、果たして、自分の中の「暴力」を「理性」で抑え込めるものだろうか? 本作で描かれているのはまさに、「凄まじい暴力」を体験してきた監督だからこそ提示できる世界であり、観客も、そういう背景を知ることでより本作の見え方が深まるのだと思う。

「すべき」と「できる」の間には大きな溝がある。「すべきだと思っていること」すべてを実行に移せるならいいが、まずそんなことは不可能だろう。そして本作では、その間で葛藤する者たちが様々に揺れ動く姿を映し出していると言っていいだろう。

生まれてこの方、基本的に平和過ぎる世の中で生きてきた僕には、彼ら登場人物(や監督)の気持ちが分かるなどとは到底言えないが、それでも分かろうとする努力はやはり止めてはいけないし、そしてその努力を止めないためにも、このような作品がカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、広く観られる可能性を有していることは、とても良いことだなと思う。


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