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【本】岡根芳樹「オーマイ・ゴットファーザー」感想・レビュー・解説

本書で描かれる父親の考え方に、僕は凄く共感する。

僕自身は、本書の父親のような考え方(それは今の僕を形作っているものとかなり近い)に自力でたどり着いた。人生の色んな場面で違和感を覚え、周りとうまくやっていくことが出来ず、普通の人が普通に出来るはずのことが出来ず、自分の中でかなり苦労しながら生きてきた。そういう自分をなんとか自立させていくために、僕は自分の力で考えなければならなかった。自分が何を良いと感じ、何を悪いと感じるのか。何に喜びを感じ、何に苦痛を感じるのか。そういう様々なデータを収集しながら(別にそういう意識でやっていたわけではないが)、自分がどんな価値観を持っていて、どんな物事に対してどう感じるのかということを少しずつ理解していった。その過程は、世の中の「普通」から外れていく過程でもあったのだけど、でも外れれば外れるほど、僕は生きやすくなっていくのを感じていた。

本書で父親は、子どもたちに対して、様々な形で「あれをするな」「これをしろ」と言う。これだけ聞くと、自分の考えている方向に無理やり誘導しようとする教育に思えるだろう。しかし、本書を読んでみれば分かるが、それはまったくの誤解だ。逆にこの父親は、子どもたちを自由にするために「あれをするな」「これをしろ」と言う。

『しかし真と良樹は進んだ道こそ違いはあるが、どちらも誰かに選ばされた人生ではなく、自分で選んだ人生だから本人たちに悔いはないのだ。たとえ道に迷おうが失敗しようが自分で何とかするしかないし、なんともならなかったとしてもそれはそれでいいのだ。人生はある程度、適当であることが必要である』

僕たちは、何も考えないで生きていると、世間の「常識」とか「当たり前」みたいなものに自然と絡め取られて生きていくことになる。この父親は、それに抵抗する意識と手段を与えるための子育てをしているのだ。「あれをするな」「これをしろ」というのは、確かに何かの方向に誘導しようとしているような感じがするが、そうではなく、そのままにしていたら「常識」とか「当たり前」の方向に流されていってしまうのに抵抗する方向に力を向けることを教え込もうとしているのだ。

『良樹、人生はな、面白いかどうかが大事やぞ。どんな結果であってもやな、面白ければ人生は大成功なんや。
人生で最優先すべきことは、成功でも儲かることでもない。むしろ人生は失敗したほうが面白いんやぞ。変な人と言われることは光栄に思え。
ええか、「変なことをするな」って大人が子どもによく言うやろ。そんな言葉繰り返し聞かされ続けとったら、子どもたちは変なことができんようになるやろ。それはとんでもないことやぞ。
「平凡な人生が一番いい」なんて言う奴がおるが、世の中すべて平凡な人間しかおらんかったらこんなに人類は発展しとらんぞ』

僕は、こういうような発想に、大人になってから自力でたどり着いた。25歳は過ぎていただろう。もしもっと子どもの頃に、こういう考え方を知ることが出来ていたら、僕の人生は大きく変わっていたに違いない。今より良い人生になっていたかどうか、それは分からないが、少なくとも、無駄な苦労はせずに生きられただろう(必要な苦労はした方がいいが)。そういう意味で、子どもの頃どんな教育を受けるかということは、本当に大事だ。

『ずいぶん後で聞いた話だが、あの時比沙子は毎日貧しい食事をして、たまにとんでもない贅沢をするという岡根家の風習が無性に悲しくなり、貧乏ならば無理しないでもっと「普通」の生活がしたかったそうだ』

もちろん、この父親のような教育は、ある意味で劇薬だ。悪い方に作用する可能性もゼロではない。

『この本に含まれた毒は、希望が持てない不安な時代にこそ必要な価値観であり、いつしか精神を鍛え育てる術を無くしてしまった現代の日本の教育に必要な、健全なる哲学である。
その毒は、無難に収まろうとする人生に疑問を投げかけ、奇人変人と呼ばれようが異端児と言われようが、自分というかけがえのない個性に誇りを持って生きるための一つの道標となるだろう』

そう、その通りだと僕も思う。まさに今、「普通」では生きられない時代に突入しているように僕には感じられる。しかし、今の親世代は、子どもに「普通」を与える以外の教育が出来ないだろう。自分たちが、「世間から外れない普通の生き方をしていれば普通の幸せを手に入れられる」という価値観の中で育ってきたからだ。しかし、時代は変わった。あらゆる意味で生きにくい時代になった今、「普通」からどれだけはみ出せるかで人生が大きく変わっていく、そんな時代になっているのだと思う。そういう時代の変化を捉え、これからの世界を生きていく子どもたちに何を教えるべきなのか。それを本書から学ぶことが出来るのではないかと思う。

内容に入ろうと思います。
本書は、著者が自身の父親とのエピソードを書いた「小説」だ。「小説」とカッコで括ったのには理由がある。

『この物語は事実に基づいたフィクションである。フィクションを取り入れたのは、実際には父が酒を飲んだ時以外はあまりに無口だったため物語としては成立しそうにもないからだ。だから実在する岡根徹和の価値観と精神を引き継いだ「岡根哲和」なる架空の登場人物から、本人に代わって大いに教育という観点から物申してもらおう』

だそうである。ちなみに本書には「良樹」という人物が出て来るが、恐らくこれが著者である岡根芳樹氏だろうと思う。フィクションだということで、著者自身も別名で登場する。

本書は冒頭で、

『この物語はそんな「変」な父のでたらめで型破りな子育ての物語である』

と書かれている。まさにその通り、本書で描かれる父親は、ちょっとぶっ飛び過ぎている。
父親のぶっ飛んだ話として、本書の中で最もインパクトがあるのが、良樹が仲間と共にアルバイト先のファミレスに深夜忍び込み食べ物などを勝手に食べていたことがバレた時の話だ。父親は良樹と共に店まで行った。誰もが謝るものだと思ったはずだが、その予想は大きく外れた。父親は、こう言ってのけたのだ。

『お前が経営者か、俺の息子が何したか知らんが、警察に通報して退学でも何でも勝手にしろ!その代わりええか、未成年を夜十時行こう働かせた罪で訴えてこの店潰してやる!』


著者自身、『もちろん百パーセント良樹が悪く、哲和の言っていることは屁理屈であり、社会的にも決して許されることではないだろう』と書いている。そりゃそうだ。ただ、良樹はこの父親の姿を見て、『この人は、社会的とか世間体とかどうでもいいのだ。善も悪も損も得も関係ない。この人は、ただ命懸けで家族を守ろうとしているのだ』と感じ、さらに、『その哲和の強い思いに完全に打ちのめされ、良樹は自分のやった愚かな行動を心から強烈に反省した』と書いている。

こんな風に、この父親の言動は、決して手放しで褒められるようなものではない。しかし、父親の価値観を支えるベースとなる考え方は、厳しい子供時代をなんとか独力で乗り越えてきた父親ならではのシンプルで力強いものであり、完全に同じように子育てするのは無理にせよ、取り入れることが出来る部分はあるのではないかと思う。

僕は結婚するつもりがないが、もし自分に子どもが出来たら、この父親と同じようにしようと思っていることがある。それが、

『子どもを子ども扱いしていないということだ』

という父親のスタンスである。これは、子育てする上で一番重要なスタンスなのではないかと僕は考えている。子どもを一個の人格と認め、「子どもだから甘やかす」「子どもだから怒る」というのではなく、他の大人にするのと同じ判断基準によって子どもへの態度を決めるというのは、とても大事だと思うのだ。

また、

『岡根哲和は、まったく子どもに無関心な男である』

というのも示唆に富むスタンスだ。

『少なくとも関心を持たれなかった岡根家の子どもたちは、変なプレッシャーを受けることもなく、親の被害者になることもなく、のびのびと真直ぐに育つのであった』

『子どもに期待しない』

『親の期待に応えるために人生があるんじゃない』

哲和は、実際には子どもに無関心なわけではない。本書でも、それを示唆するエピソードが載っている。ただ彼は、意識的に関心を持たないようにしていた。自分が関心を持つことで、子どもが進むべき方向性に影響を与えてしまうからだ。それを何よりも恐れていたのだろう。だからこその、無関心なのだ。

また、これは子どもの頃に誰かに教わりたかったと感じたことがある。

『せやから人間の心には、光も大事やけど同じように闇も必要なんや』

これは、僕は本当にもっと早く知りたかったと思う。確かに、その通りなのだ。今ならそのことがよく分かる。でも僕は子どもの頃は、闇を抱えながら、それは捨てたり手放したりしなければならないものなのだ、と思っていた。自分のマイナスな部分を、ダメだと感じてしまっていた。それで、無用な苦しみを抱えることになった。今では本当に思う。人間には、闇が必要なのだ、と。闇だけでは人生は成り立たないが、同時に、光だけでも人生はうまくいかないのだ。

『そんなクジラのようにや、ある時期は好きなだけ引きこもっとってもええやないか。いや、むしろそんな時間が誰にでも必要なんちゃうか。
無理に急いで闇から引きずり出すよりも、闇の中の面白さやら、遊び方やら、光の世界に戻ってくる方法やら、そんなことを子どもに教えてやることの方が重要なんちゃうか』

あぁ、本当にその通りだと思う。特に、「光の世界に戻ってくる方法」を教えるべき、という話には物凄く頷いてしまった。自分が闇に囚われている時、そこから出られるのかどうか、僕はずっと不安だった。光と闇は行き来できるんだ、片道切符ではないんだ、ということを教えてくれる大人がいたら、もっと楽に生きることが出来たのではないかと思う。

他にも、

『ええか、人間は好きなことばかりやっとったらあかん。』

『ええか良樹。勉強でもスポーツでも何かを成し遂げるためにはやな、やせ我慢が必要やぞ。自己責任において何かを犠牲にすることが交換条件ちゅうことや』

『そうやない。(本は)わかるために読むんやない。わからんようになるために読むんや』

など、含蓄に富んだメッセージが次々に放たれていく。今の僕は、これらの考え方をすんなり受け入れることが出来る。でも、子どもの頃、誰かからこういう意見だけを聞いて、「はいそうですね」と言って受け入れることが出来たかどうかは分からない。しかし岡根家では、父が口で言うばかりではなく、態度や行動や環境などによって、口で言ったことが実行されるような状況を可能な限り作り上げている。そこが凄いところだ。例えば岡根家は、つっかい棒が必要なほどのボロ屋だったそうだが、

『しかしそんなハイオク同然の岡根家の茶の間の薄汚れた壁には、カレンダーや画集を切り取ったものではあったが、ゴッホやシャガールやモディリアーニといった有名画家の作品が飾られ、ちょっとした美術館のようであり、いくつもの本棚には百科事典や図鑑や、少年探偵団シリーズ、怪盗ルパンシリーズ、芥川龍之介、夏目漱石、遠藤周作から世界名作分学習、さらにはドストエフスキーやニーチェに至るまで揃っていて、さならが小民間の図書室のようだった。
またステレオの棚んはクラシックやシャンソンやポルトガル民謡やフォルクローレのレコードがずらりと並んでいたり、おまけになぜか顕微鏡や天体望遠鏡まであり、さらには中古だがピアノまであった。
ピアノはいらないから、せめてつっかい棒がない家に住んだ方がいいのではないかと思うのだが、すべて主である哲和の「必需品より嗜好品を優先させる」というこだわりだった』

というように、ある意味では充実した環境を整えていた。父親の凄い点はまさにここで、決して言うだけではなく、それが実行できる状況を作り上げる点にある。それには相当の覚悟と努力が必要となるだろうが、うまく行けば子どもたちに最高の教育を与えることが出来るだろう。

そんな哲和の妻はどうかと言えば、こちらもなかなかぶっ飛んでいる。さすが、哲和と結婚するような女性である。一番好きなエピソードは、哲和が働いていた従兄の会社が倒産し、翌日差し押さえが来るという夜のことである。妻は、「家電まで取り上げられたらかなわん」と考え、一計を案じる。子どもたちにマジックを渡し(子どもたちは倒産のことなど何も知らない)、『今から落書き大会をやるよ!机でもテレビでも箪笥でも好きなだけ落書きしな!』と言ったのだ。これによって、倒産による陰鬱な時間となるはずだった夜は、子どもたちにとってとても印象深い楽しい夜になった。この夫にしてこの妻、という感じである。

本書は、自分の考えなしにただ形だけ真似しても火傷するような、ある種危険な子育ての考え方が描かれている作品だ。しかし、こういう教育こそが、生きづらい世の中を生き抜く子どもを育てることになるのではないかと思う。哲和のように振る舞うことはとても困難だろうが、本書で描かれている考え方を理解した上で、取り入れられそうなものは取り入れてみてはどうだろうか。


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