【映画】「箱の中の羊」感想・レビュー・解説
悪くはなかった。うん、「悪くはなかった」ぐらいのことしか言えない作品だったかなぁ。ちなみに、個人的には大悟は良かったと思う。演技が上手いのかどうかは分からないけど、本作にはハマってたんじゃないかな。恐らく、監督が大悟に当て書きしたみたいな役だろうし。
さて、観ながら考えていたのは、「『出来てしまうこと』の不幸ってあるよな」ということだった。
例えばパッと浮かんだのは「延命治療」だ。身体の色んな機能がダメになっていても、「胃に直接栄養を送り込む」みたいなやり方で「命を繋ぐ」ことは出来るようになった。しかしそれは、果たして「幸福」なのか?
技術的に不可能な状況であれば、「選択の余地」などない。目の前の状況を受け入れるだけだ。しかし、技術的に出来てしまう場合、そこに「選択の余地」が生まれる。出来ないままなら、複数の選択肢を前にして悩むなんてことをせずに済んでいたのに、出来てしまうからこそ、「どうすべきか?」と悩まされることになる。
そういうことがめんどくさいので、僕は常に「いかに選択肢を減らすか?」という発想で物事を考えている。僕は電子レンジを持っていないのだが、それは「電子レンジがないと食べれないもの」を買わなくて済むからだ。あるいは、映画も基本的には映画館でしか観ないと決めている。「今公開されている映画しか観ない」という風に選択肢を一気に絞り込むことで、「選択の余地」を減らそうとしているのだ。
「選択肢が多いこと」は、一般的には良いこととされているだろう(状況にもよるだろうが)。しかし、選択肢が増えれば増えるほど、「選ぶ悩み」も増えると言っていい。「今日何食べようか?」みたいなことなら、「選ぶ悩み」も幸せかもしれないが(僕にはそうではないが)、「そんなことで悩むような状況になりたくなかった」なんてことも多々あるだろう。
生成AIの進化は凄まじく、生成AIは僕らから様々な選択肢を奪ってもいるが、同時に選択肢を増やしてもいる。しかし果たして、その「増えた選択肢」は「悩む価値のある選択肢」なのか? 本作を観ながら、そんなことを考えさせられた。
僕には、「死んだ我が子そっくりのヒューマノイドと一緒に暮らすかどうか」なんて、「悩む価値のある選択肢」とは思えない。そんな選択肢は、未来永劫出てこない方がいいと感じる。ただ中国では、ヒューマノイドじゃないけど、画面上のAIで死者を再現する、みたいなサービスが実際に始まっている。そんなに荒唐無稽な話でもないんだよなぁ、というところがまた難しいところだなと思う。
内容に入ろうと思います。
音々と健介夫妻は、2年前に事件に巻き込まれて亡くなった息子・翔そっくりのヒューマノイドを迎え入れることにした。
音々は注文住宅を請け負う建築家として、そして健介は工務店の社長として日々働いている。パッと見は、幸せそうに見える夫婦だ。けれどやはり、翔を喪ったことは生活のあちこちで意識させられる。中庭のレモンの木は、翔が生まれた年に植えたものだ。また、今まさに住宅を設計している客夫婦から、「お子さんは何歳?」と聞かれたことが、音々にはショックだった。隣町に住む人とはいえ、たった2年前の事件のことを、もう忘れてしまっているからだ。健介は「他人の子のことなんか、そんなもんじゃろ」と言うのだが、音々はモヤモヤした気持ちを消せないでいる。
そんな時音々は、REbirthというサービスのことを思い出した。葬式の時に名刺を渡されたのだが、つい最近になってまた案内が届いたのだ。事件や事故で大切な人を亡くした方向けに、故人そっくりのヒューマノイドを無償で提供する、というものだった。健介は何度も「話を聞くだけだぞ」と念押ししつつ、音々と共にRebirthの本社へと向かった。
健介の方は、ヒューマノイドを迎え入れることに大きな抵抗を感じていたのだが、音々が乗り気だったこともあり受け入れた。後で分かるが、音々も健介も、翔の死に対して自責の念を抱いており、それもあって健介は、音々に強く反対することが出来なかったんだろうなと思う。
音々は翔そっくりのヒューマノイドをすぐに受け入れ、我が子のように可愛がる。一方健介は、「これは翔ではない」という感覚が強かったのだろう、「パパ」ではなく「おじさん」と呼ばせていた。
こうして始まった”奇妙な”生活は、音々と健介の関係を色々と変えていき……。
というような話です。
個人的に良かったなと思うのは、「後半でありきたりじゃない展開になっていったこと」だ。「死んだ息子そっくりのヒューマノイドと暮らす」みたいな設定を聞くと、「なんとなくこう展開して、こういう感じの話になるのかな」みたいな予想がぼやっと浮かぶんじゃないかと思う。しかし本作は、特に後半はそんな感じにならない。本作の後半の展開が良いのかどうかはちょっとまた別の判断になるが、少なくとも「ありきたりじゃない」という意味では良かったかなと思う。
ヒューマノイドとの関わりの中で、「翔の死に対して音々・健介それぞれが抱えていること」が少しずつ明らかになっていく。この点は「ヒューマノイド」という設定がとても活きているなと感じた。というのも、「翔だけど翔じゃない」という存在が目の前にいるからこそ口にしたり行動したりするような状況が多々あったからだ。「翔の存在」も「翔の不在」も、そのような機能を果たさないだろう。「翔だけど翔じゃない存在」のお陰で、内心を吐露したり、気持ちを整理したり、やるべきことが決断できたりしていると感じたし、そういうことを目的にするのであれば、こういうヒューマノイドにも存在価値があるだろうなと思う。
ただ、REbirthが説明しているように、「突然大切な人を奪われた心の空白を埋める存在」として機能させるのは、やっぱり反対だなぁ。先述した通り、「『出来てしまうこと』の不幸」であるように感じられる。まあそれは、大切な存在を突然喪うみたいな経験をしていないからこそ言えることなのかもしれないが。
ちょっとズバッとは来ない作品で、だから書くこともあまりないのだが、決して悪くはなかった。物語的にも映像的にも、色んな面で「もうちょっとなにかあると良かったなぁ」と感じてしまったかな。ただ、ヒューマノイドを演じた子役は、ヒューマノイド味があって良かったなと思う。あと、嶋田鉄太が嶋田鉄太って名前で出てきてて笑った。
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