【映画】「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」感想・レビュー・解説

僕は、いつ死んでもいい、と思っている。
この映画を見終わった今も、それは変わらない。

ただそれは、幸せなことなんだろうなぁ、と思う。
「死」というものが、僕の日常からかけ離れているからこそ、「いつ死んでもいい」という感覚になる、という側面は否定できないだろう。
いや、僕は、僕自身はこう思っている。たとえ「死」が僕の日常に忍び込むようになっても、「いつ死んでもいい」という感覚は変わらないはずだ、と。
でも、結局それは、そうなってみないと分からない話だし、今の僕がどれだけ主張したところで、何の説得力もない。

この映画を観ていて、ふと思い出したことがある。
「痴漢は死ね」だ。
これは、ある小説のラストで読者を泣かせるキーワードとして登場するのだが、ネタバレになるので、その小説については触れない。

この「痴漢は死ね」は、「私はあなたのことを大切に思っている」というメッセージだ(未読の方には意味不明だろうが)。そして、この映画の主人公である鹿野が母親に向けて放つ「帰れ」も、同じ意味を持っている。
鹿野が母親に向ける「帰れ」の意味を理解した時、鹿野の凄さを改めて感じさせられた。

筋ジストロフィーというのは、病院を離れて生活しようと思えば、24時間常に誰かの手助けを必要とする病気だ。そこはもちろん大前提。そう生きざるを得ない鹿野が、「じゃあ誰の助けを得るか」という選択肢から、親を外した勇気は、凄まじいものがある、と感じる。やはり僕らは、「誰かの助けを得なければならないのであれば、助けを得やすい人に頼みたい」と思ってしまうだろうし、そうだとすれば親族が真っ先に選択肢に上がるはずだ。しかし、鹿野はそれを選択しなかった。そして、親族ではない人に、膨大な助力を求めた。

これは、とても大変なことだ。

鹿野は、小学六年生の頃に筋ジストロフィーと診断され、20歳まで生きられないだろう、と言われた。しかし、この映画の舞台である1994年、鹿野は34歳だった。鹿野は、病院を離れて一般の生活がしたいと主張し、まだ身体の機能がそこまで衰えていない頃に、たった一人でボランティア集めを始め、1994年の時点では、動かせるのは口と指先程度であるにも関わらず、多くのボランティアの助けを借りて、自宅で生活し続けている。

「命の責任は自分で持ちます」

そう主張する鹿野は、しかし自分ではほとんど何も出来ない。しかし、そんな鹿野の周りには、多くの人が集まる。最終的には、延べ500人のボランティアが鹿野と関わったという。

鹿野は、パッと見には「善人」と呼びたいと思えない存在だろう。しかし、彼には圧倒的な武器がある。それが、諦めない強さだ。彼は、常にボランティアたちと対等の立場であると感じ、少しでも自分に出来ることがありそうだと思えば全力を尽くす。夢を持ち、努力を続け、他人を励まし、未来を諦めない。

まあ、正直言って、カッコイイじゃねぇか、と思ってしまうような人間だ。

内容に入ろうと思います。
安堂美咲はある日、マンションの一室にいた。そこでは、たくさんの女性がある男性の身体を洗っていた。そこにやってきたのには理由がある。最近付き合い始めた医大生の彼氏(田中)が、ボランティアを理由に自分とあまり会ってくれないからだ。二股ではないかと疑って、偵察に来たのだ。
しかし美咲はそこで、筋ジストロフィー患者である鹿野に見初められてしまう。ボランティアに来たわけではないのに、勝手にボランティアのシフトに組み込まれ、彼氏にも無理やり頼まれて嫌々ボランティアをすることになった。
しかし、尊大で図々しくて口が悪い鹿野の有り様に、美咲はキレてしまう。二度とこんなとこ来ない―そう言って飛び出していった。
その後、仲直りの機会があり、ボランティアに復帰した美咲。しかし今度は、美咲がついていたとある嘘から、彼氏との関係が悪くなってしまう。そのこともあって、むしろ美咲の方が鹿野のボランティアに力を入れるようになっていく。
最悪な出会い方をした鹿野だったが、関わってみると不思議な魅力がある。美咲は、自分が感じている気持ちがなんなのかうまく理解できないまま、鹿野ボランティアの中心メンバーへとなっていく…。
というような話です。

いやー、超良かった!メチャクチャ良かった!いい映画だったなぁ。見てよかった。

映画館で見てたんだけど、周りが大分鼻をすすってたり、泣いてるような雰囲気があった。気持ちは分かる。僕も結構色んな場面でウルッときた。

とにかく、鹿野のキャラクターが抜群に良い。彼には、ある種の「哲学」がある、と感じる。「障害者だから」みたいな卑屈な感覚もなければ、「みんなに迷惑を掛けているから少しは自重しないと」みたいな弱々しい感覚もない。彼は、自分にも人生を楽しむ権利があるはずだと感じているし、命に期限があることが分かっているから、自分の主張を全力でする。もちろん、そこに感謝がないわけではない。ないのだけど、それを出しすぎない。恐らく長いことボランティアと関わる中で体得していったのだろう。卑屈さや弱々しさではなく、対等であろうとする気持ちにこそ、人を動かす力があるのだ、と。

もちろん鹿野の振る舞いは、すべての人に快く受け入れられるわけではない。美咲も当初は鹿野に苛立ちしか感じていなかったし、「本当に困っている人のためにボランティアがしたかったけど、鹿野さんは人生を楽しんでいるから」という理由でボランティアを辞める人もいた。まあ、そうなる気持ちも分かる。世の中のすべての人が、鹿野を好きになるわけがないだろう。この映画を見て、「鹿野っていいじゃん!」と思っても、正直実際のボランティアは相当大変だと思う。どれだけ鹿野に人間的魅力を感じていても、そういう大変さについて行けないことは当然あるだろうし、そのこと自体は責められるようなことではないと思う。


ただまあ、それでいい。鹿野と関わって人生が変わる人もいるし、鹿野と関わることに生きがいを感じる人もいる。別に、鹿野を好きになるから良い人なわけでも、鹿野を嫌いだから悪い人なわけでもない。「障害者だから」というのではなくて、鹿野を一人の人間として見ている自分がいるし、ボランティアの多くもきっとそうなんじゃないかと思う。鹿野を人間的に尊敬できなかったら、大変なボランティアに従事出来ないだろうし、そういう人が結果的に残っていった、ということなんだと思う。

しかしこの映画、高畑充希がメッチャ良かったなぁ。凄く良かった。正直、役者の演技についてあれこれ言えるだけの語彙力がないのだけど、なんというか、演技をしてないような感じだった。自然な演技だった、とかそういうことではなくて、なんて言えばいいんだろうなぁ、高畑充希が演じる「安堂美咲」という人物が、どこにでもいそうな女の子でいて実は全然違う、というちょっと特異さがある感じがあって、その雰囲気が凄く良く出ていたと思う。つまり、「日常生活の中にこんな人いそう!」っていうような自然さを打ち出す演技というわけではなくて、「日常生活の中にこんな人いなさそうなんだけど、でもいるんだとしたらこんな感じかも」と思わせるような演技だなと思いました。なんかそれが、凄く良かった。

もちろん、大泉洋もメッチャ良かった。すげぇハマり役って感じしたなぁ。演じていた鹿野っていうキャラクター、割と大泉洋に近いんじゃないかって思いました。大泉洋も、表向き割と、もちろん冗談だって分かるような感じでだけどキレたり声を荒げたりすることがあるし、その裏側は心根がちゃんとしてる、って感じで、鹿野と大泉洋は僕の中で結構ダブりました。そんな部分も、この映画が凄くよく感じられた理由かなと思います。

いやー、ホントにいい映画だった!

「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」を観に行ってきました

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