【映画】「私をくいとめて」感想・レビュー・解説
実に、女優・のんを堪能できる映画だった。もちろん、内容的にも好きな映画だったんだけど、とにかく、のんが良かった。
まず感じることは、この映画、のんじゃなきゃ成立しないだろうな、ということ。原作がある映画だということはもちろん知ってるんだけど、まるでのんに当て書きしたかのような作品だなぁ、と感じた。いや、もちろん僕は、のんについて何か知ってるわけではないので、「僕のイメージするのん」と、この映画の主人公である「黒田みつ子」が、非常にダブる。
「黒田みつ子」というのは、31歳独身、普段は存在感の薄いOLとして、そして週末はお一人様ライフを満喫する、という女性。彼女の人物像については、映画の展開と共に様々明らかになるのだけど、とりあえず外から見ている限り、「孤独を楽しんでそうな人」という感じ。黒田みつ子の振る舞いから、「一人でいることが寂しい」とか、「誰かと一緒に来たかった」みたいな雰囲気はまったく感じられない。無理している感もなくて、ナチュラルに「孤独の方が向いてる」という雰囲気なのだ。
かと言って、社交性がないわけじゃない。仲の良い友人は決して多くないけど、親しくなった人とは砕けた感じの関わりになるし、そうでない人に対しても、そつなく当たり障りなく接することが出来る。もちろん、内面的には色々あるわけだけど、外面はきちんと整えることが出来る。よく言う「コミュ障」とか「引きこもり」という感じではない。ネガティブな面は当然あるけど、黒田みつ子の普段のスタイルからネガティブさは感じない。
というような人物。
そしてこの感じ、のんという女優が実に上手く体現するなぁ、と思う。
もちろん、言い方は悪いけど、そこまで美人ではない役者さんであれば、この黒田みつ子のような雰囲気は出せるんじゃないかと思う。というのはどういうことかというと、そこまで美人ではない役者さんが演じているのであれば、見る側が、「こんな感じのお一人様ライフを満喫していても納得感ある」と受け取ってくれるように思うのだ。なんかかなり酷い言い方をしているような気もするけど、この指摘はちょっと避けては通れないので続けよう。演じる側が殊更にそういう雰囲気を醸し出そうとしなくても、「恋愛には縁遠いかもしれない」「休みの日に一人で過ごす感じはイメージしやすい」というような見られ方が先行しそうな気がするのだ。
ただ、のんは、メチャクチャ美人だと思う。で、そんな美人の役者さんが、この黒田みつ子のような雰囲気を醸し出せるというのが凄いな、と思う。
美人の場合、「恋愛経験多そう」「友達多そう」「人生楽しそう」みたいなイメージがどうしても先行しがちだと思う(それはそれで、美人な人の苦労するポイントでもあると思うけど)。で、そういう人が、黒田みつ子のような役を演じるとしたら、「恋愛に臆病になった理由」「友達が少ない理由」「人生を面白がれない理由」をきちんと提示してあげないと、なかなか観客からの共感が得られないような気がする。
でも、のんの場合、それがない。あれだけ美人なのに、「恋愛には縁遠いかもしれない」「休みの日に一人で過ごす感じはイメージしやすい」という雰囲気を、特段説明を要さずに打ち出すことが出来ると思う。
そういう意味で、この映画、のんじゃなきゃ成立しなそうな気がするなぁ、と思う。
のんは、あれだけ美人だけど、どこか「その辺のどこにでもいそうな人感」がある。同じように美人でも、たとえばこの映画で共演している橋本愛には、そういう「その辺のどこにでもいそうな人感」はまったくない。
たぶんこの印象の違いは、顔の造りとか性格的な部分もきっと関係してると思うんだけど、僕の勝手な捉え方では、『あまちゃん』の影響が強い気がするなぁ、と思う。誰もがそうだと思うけど、のんと言えば『あまちゃん』だし、『あまちゃん』の主人公とのんを未だに重ねて見てしまうような人も多いんじゃないかと思う。たぶん僕も、無意識にそうしているように思う。だから、のんが実際に純真かどうかはともかくとして、僕らはのんを純真な存在として捉えがちだと思うし、そういう印象が、容姿の美しさよりも前面に出てくるから、「どこにでもいそうな人感」があるのかなぁ、と思う。
とまああれこれ書いたけど、まず何よりものんが実に素晴らしかった。この映画は、同じく綿矢りさ原作の映画『勝手にふるえてろ』のチームが作ったようですけど、『勝手にふるえてろ』も、主演の松岡茉優が絶妙で好きでした。どちらも、女優のイメージと、主役のイメージが凄く重なる感じがあって、凄くいいなと思います。
内容に入ろうと思います。
31歳独身OLの黒田みつ子は、一人で食品サンプルを作る講座に出かけ、一人焼き肉にチャレンジするような、お一人様ライフを日々楽しんでいる。会社では気配を消しているが、最初から優しくしてくれたノゾミ先輩とは非常に仲が良くて、ノゾミ先輩のお陰でなんとか会社も続けられているし、お一人様の先輩としても日々情報交換をしている。学生時代に仲が良かった皐月は、2年前にイタリアに行ってしまい、基本的にはLINEでのやり取り。そんなわけでみつ子には、あんまり喋り相手がいない…
のだけど、実はいる。それが、脳内相談相手・Aだ。みつ子は日々、Aと会話している。失敗したこと、楽しかったこと、これからどうしたらいいかという相談事など、みつ子の日常は、Aに報告するような形で進んでいく。
ある日、会社にやってきた取引先の営業マンである多田君(年下)の家が近所だと判明し、そこから、「みつ子が作った料理を家まで受け取りに来る」という関係になる。恋愛に奥手なみつ子は、「家に料理を取りに来る男があなたのことを嫌いなはずがないし、きっと好きです」とAにそそのかされても、「彼女がいるかもしれない」「好きだけど、気持ちを伝えるだけの情熱が足りない」と、なかなか一歩を踏み出せない。
多田君との恋愛の行方にヤキモキしつつ、一方でみつ子は、Aとの関係にもモヤモヤを抱えてしまうことになり…。
というような話です。
面白かったなぁ。実に面白かった。僕としては、みつ子と多田君の恋愛模様は正直そこまで興味がなかったのだけど(家まで来て、料理を受け取って帰るっていう関係の方がなかなか難しくないか?と思ったけど、まあそれぐらい、みつ子にはなかなか近づけなかったということなんだろう)、みつ子の様々な葛藤の部分にはメチャクチャ共感してしまった。まあ、僕は女性ではないので、完全な共感というのは難しいのだろうけど、「分かるなぁ」と感じる場面が多かった。
共感してしまったのは、「一人でいること」についてと「他人との関わり」についてだ。
【こんなことなら、一人で孤独に耐えてる方がよっぽど楽だった】
正直僕はここまで重症ではないのだけど、気分的には凄く分かるなぁ、と思う。
僕自身も、基本スタンスは、一人でいる方が楽だ。確かに、「孤独だなぁ」と思うことはある。僕の場合、休みの日には誰とも喋らない生活は結構普通だし、日常的にLINEなんかでやり取りする人も別にいないし、当然脳内相談相手もいないから、休みの日は本当に「人間関係」というものが発生しない(コンビニでちょっとやり取りが発生するくらい)。別段それで、寂しいとか辛いとかってことはないのだけど、時々、「なかなかの孤独だよなぁ」と感じることもある。
とはいえ、じゃあ他人ともっと交流を広げようという感じになるかというと、やっぱりならない。というのは、「そもそも、他人と交流してさえすれば孤独じゃないのか」という問題があるからだ。
僕がよく思い浮かべるのは、渋谷のスクランブル交差点を歩いている時のことだ。渡っている時、周りにはメチャクチャたくさんの人がいる。確かに、そういう人たちと何か関わりを持っているわけではないから、正確な喩えではないけど、でも、あれだけ他人がたくさんいる空間の方が、より孤独感が強くなるような気がする。
また、誰かと関わりを持っていても、言葉なり感覚なりが「通じたな」という感じが持てないと、やっぱり孤独だなぁと思う。
だから、「誰かと一緒にいる状態」とか「誰かと喋っている状態」というのは、少なくとも僕にとっては、「孤独を回避するための十分条件ではない」ということになる。確かに、必要条件かもしれないけど、誰かと一緒にいたって、誰かと喋っていたって、「孤独だなぁ」と感じることがあるんだから、それだけじゃ不十分なのだ。
もちろん、一緒にいて孤独感を抱くことがない人と出会えると、それはとても嬉しい。でも、そうなる確率が、僕の場合かなり低い。
だったら、一人でいいかな、という気がしてしまう。
みつ子の、脳内相談相手と会話する、っていう解決策は、正直絶妙だなぁ、と思う。他人と関わるのはしんどいし、合わないことの方が多いけど、結局脳内相談相手は自分自身だから「合わない」ってことはないし、他人じゃないから喋ってても疲れない。物語の展開的にも、脳内相談相手Aの存在は重要なわけだけど、それ以上に、「黒田みつ子」という存在を的確に表現する存在として、脳内相談相手Aという設定は見事だなぁ、という感じがしました。
さらに、物語の展開と共に、当初は「お気楽にお一人様ライフを満喫している女性」としか見えていなかった「黒田みつ子」の背景が色々見えてくる。
そして、みつ子が度々吐き出すことになる、他人との関わりにおけるどす黒い記憶が、「黒田みつ子」という存在を重層的に見せることになる。
一番好きだったのは、ノゾミ先輩からもらった温泉旅行券で旅行中、お笑いライブを見ている時のこと(実はこのお笑いライブには、今年の「THE W」で優勝した吉住が出ている)。どんな場面なのかは具体的には書かないけど、その場面の後、「私には何も出来なかった」と泣き崩れるみつ子の姿は印象的だ。
そしてここで、「黒田みつ子」という人物が、「確かにお一人様ライフを心の底から楽しんでいる」のだけれども、「その背景には、他人との関わりで嫌な記憶が多々あったから、他人と関わりたくなくなった」という背景があることが明らかになる。先程も書いたように、この情報を後出し出来るのが、のん主演の強みだと思う。他の美人な女優さんの場合、もっと早い段階でこの情報を出さないと、なかなか共感を得られない可能性があると僕は思っています。
みつ子は、彼氏がいないこととか、結婚していないこととか、そういうことに対して卑屈になるようなことはない(少なくとも、映画の中ではない)のだけど、「自分が人生を”ちゃんと”生きられていない感じがすること」とか、「他人との関わりの中で自分が”ちゃんと”振る舞えなかったこと」などに対する後悔は持ち続けている。普段はAとの会話によって忘れている(封印している)ような記憶が、ちょっとした出来事をきっかけに吹き出してしまう。
そして、そういう怒りとか悲しみを表出する時ののんの演技が、凄く好きなんだよなぁ。
これは、敢えてそういう演技をしているのか、それとも、のんという女優のデフォルトなのかは分からないのだけど、怒りや悲しみを表出しているのに、何故かトゲトゲしていない。美人美人言って申し訳ないけど、あれだけ美人だと、怒ったり泣いたりすると、普通の人以上にトゲトゲしくなってしまいがちだと思う。なのにのんの場合、トゲトゲしくなるどころか、怒ったり泣いたりしてるのに、雰囲気が丸い。だからと言って、怒りや悲しみの切実さがないわけじゃない。切実さはちゃんと伝わるのだけど、でも全体の雰囲気が丸い。これは凄いよなぁ、と観ていて強く感じました。この感じは、「黒田みつ子」という、他人に対して強く出られないとか、思った通りに振る舞えないとか、そういう「頑張って克服しようとしてもどうにもならなかった(だろう)こと」を抱えた人の振る舞いとして凄く自然な気がするのだけど、なかなか演技でこの感じ出すのは難しいような気がするんだよなぁ。
黒田みつ子というのは決して、他人との関わりを諦めたいわけではない。Aには、「そこにいるだけで話し掛けられるような親しみを醸し出すにはどうしたらいいか」という相談をしているし、Aとの会話中に、「いっそ子供でもいたら生きやすかったんだけどな!(まあ、この表現だけ抜き出すと、ちょっと炎上しそうな感じだけど)」と言ったりするなど、他者との交流は決して諦めていない。多田君との恋も、なかなか踏み出せないでいるけど、進展したらいいなという感覚はあるわけだし。
でもやっぱり、他人の存在はしんどいし、一人が楽。そしてその葛藤の狭間に、Aがいるわけです。そういう意味でみつ子にとって、Aの存在は非常に重要なもので、だからこそ、「Aとの関係性がどうなるか」という点も、多田君との恋がどうなるかというのと同じくらい、みつ子にとっては重要な案件になるわけです。
とまあ色々書いたし、まだまだ書けそうな気もするけど(みつ子と皐月の関係にも触れてないし)、この辺で終わりにしましょう。たぶん観ないけど、もう一回観てもいいなぁと思えるぐらい、好きな映画だなぁ。繰り返しですが、女優・のんを存分に堪能できる映画です。
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