【映画】「メイ・ディセンバー ゆれる真実」感想・レビュー・解説

なかなか奇妙な設定の物語だった。「実話を基にした映画」で、こんな構成の物語は、あまり見たことがないような気がする。

というわけでまずは、「本作で取り上げられている事件」と「本作の構成」について触れておこう。

本作で取り上げられるのは、一般的に「メイ・ディセンバー事件」と呼ばれている出来事である。1997年に発覚したもので、「前年に、36歳の女性教師が、12歳の少年と不倫関係に陥った」というものだ。女性はこの「情事」によって懲役7年の実刑判決を受けた。アメリカの法律のことはよく知らないが、当然のことながら「恋愛」とは認められなかったということだろう(僕の理解では、アメリカでも日本でも、「恋愛」であれば罪にはならないと思っているのだけど、どうなんだろう?)。ちなみに、「不倫」と書いた通り、女性は既婚者だった。

さて凄いのはここからだ。女性は服役中に獄中で出産し、さらに夫と離婚。その後、刑期を終えると、不倫相手だった少年と結婚したのである。これが「メイ・ディセンバー事件」の概要だ。僕は映画を観る前の時点で、この事件についてはほぼ知らなかった(予告で「年齢差のある恋愛」的なことだけは知っていた)。

さて、そんな事件の名前をタイトルに冠する作品なのだから、当然、この事件のことが扱われている、のだが、その扱われ方はちょっと普通ではない。本作では、事件そのものについては扱わないのだ。「かつてそのような事件があった」という事実を、「主人公が当時の新聞記事を眺める」みたいなシーンのみで紹介するのである。

では、本作では一体何が描かれるのか。それは、「60歳になった女性と、36歳になった元少年の今の日常生活」である。2人は今も結婚しており、まさに今、子どもたち(双子)の大学卒業を控えているタイミングである。

ちなみにだが、本作で描かれている事件は、実際のものとは少し違うようだ。少年の年齢は「13歳」になっているし、実際の事件では「女性教師と生徒」という関係だったのが、本作では「ペットショップの従業員とアルバイト」に変わっている。他にも恐らく、実際の事件と異なる箇所はあるだろう。そんなわけで、『メイ・ディセンバー』というタイトルではあるが、「メイ・ディセンバー事件」そのものを描くわけではないということが、この点からも理解できるだろう。

さて、そんな2人の日常にやってくるのが「女優・エリザベス」である。何故、一般人の日常生活の中に女優がやってくるのか。それは、エリザベスが「メイ・ディセンバー事件」の”加害者”である女性を映画の中で演じることになったからだ。本作では、”加害者”の女性はグレイシー、”被害者”の元少年はジョーという名前なのだが、エリザベスはグレイシーの人柄や周囲の人との関わり方を肌で感じながら役作りをしようという魂胆なのである。

というのが、本作の基本的な設定である。「『実際に起こった事件』を基にした映画の主演女優が、モデルとなった女性と関わりを深めることで、『事件の真相』に肉薄しようとする」という物語であり、なかなかこのような設定の作品に触れたことはないなと思う。

さて、本作は「実話を基にした物語」なのだが、ここには2つの階層が存在する。1つは、「実際に起こった『メイ・ディセンバー事件』をモチーフにしている」という階層で、これは、多少の改変はなされているようだが、割と事実に忠実に描いているようだ。そしてもう1つが、「『メイ・ディセンバー事件』をモデルにした映画の主演女優が事件の“加害者”にアプローチする」という点だ。恐らくだが、こちらは完全なフィクションだろうと思う。ただ、公式HPには、『なお、ケイト・ブランシェット、ジュディ・デンチによる『あるスキャンダルの覚え書き』は、本事件をモデルに映画化された。』と書かれているので、この事件をモデルにした映画が作られたことがあるというのは事実のようである。

というわけで設定を説明したところで内容にもう少し触れていくが、まずシンプルに「メイ・ディセンバー事件を知らない人間には状況把握が難しい」という問題がある。これは仕方ない点でもあるだろう。恐らくアメリカに住む人には「メイ・ディセンバー事件」は説明する必要のない事件だと思うので、その詳細が描かれないのは自然だ。しかし「グレイシーには元夫との間に子どもがいて、さらに孫もいる(その孫は、ジョーとの間に出来た子どもと同じぐらいの年齢である)」みたいなややこしさがあるので、結構状況把握に手間取るのではないかと思う。まあ、メインとなるのはエリザベス、グレイシー、ジョーの関係なので、その3人の関わりを追う分にはさほど問題はないのだが。

あと、これは僕の読解力の問題かもしれないけど、「エリザベスの動機」が掴みにくかった。もちろん、「演じる対象を深く理解したい」という気持ちは分からないでもない。にしたって、長いだろう。グレイシーに化粧を教わるとか、グレイシーと一緒にケーキを作るとか、あるいはジョーの職場に行くとかしている。なんなら、双子の卒業祝いの食事の場にもいたりするのだ。

作中では、エリザベスが卒業したジュリアード音楽院に招かれ、生徒からの質問を受けるシーンが描かれる。そこで彼女は、「どうやって役を選ぶのか?」と聞かれ、「幸運にも役を選べる時があるなら、理解できないぐらい複雑な人物を演じたい」みたいなことを返す。グレイシーも彼女にとって、そのような存在なのだろう。だから「知りたい」という気持ちが強くなり密着する気持ちも分からないではないが、それにしたってよ、という感じだ。

もちろん最後まで見ると、「なるほど、そういう動機もあったのか???」と感じもするのだけど、僕にはちょっと「それもどうなんだ?」と感じてしまった。確かにそれまでの展開を振り返ってみれば、「そこに行き着くための伏線的展開」もあったなと思うけど、それにしても「これはリアリティのある展開なのか?」と感じてしまった。もちろん、「『メイ・ディセンバー事件』を基にした映画の主演女優がグレイシーの取材をした」という話が事実で、そして実際にこういう展開になったのだとしたら認めざるを得ないけど、個人的にはそんなことはないと思うんだよなぁ。

「動機が分からない」と言えば、ジョーもなかなかである。本作では先述した通り、「メイ・ディセンバー事件」そのものは描かれないので、「その当時、2人がどのような感覚で関わりを持っていたのか?」を真正面から描くことはない。しかし当然のことながら、エリザベスに問われるような形で、グレイシーとジョーが当時のことについて語る場面はある。

そしてその中でジョーが、「皆が僕のことを”被害者”みたいに扱う」みたいなことを口にしていた。これはつまり、「ジョー本人には、そんな感覚はない」という主張である。別の場面では「僕の方から誘った」みたいなことも言っていた。つまり、「グレイシーとの関係を積極的に望んだのは自分の方だ」と彼はエリザベスに伝えているのである(ちなみに繰り返すが、本作では実際の事件とは違う形で描かれているので、「メイ・ディセンバー事件」において元少年がどのように証言しているかは不明である)。

さて、しかしこれが彼の本心であるのかは検討が必要だ。その理由の1つは、「ジョーの心がグレイシーから離れているように感じられるシーン」の存在だ。はっきりと具体的には言及されないが、ジョーはどうやら別の女性にも気持ちが向いているようである。ただジョーは、「グレイシーが精神的に不安定である」と理解しており、だから「自分はグレイシーから離れてはいけない」とも感じているようだ。ジョーの内心が垣間見えるシーンはほとんど存在しないのだが、彼の中にはそのような葛藤があるように感じられる。

では何故ジョーはエリザベスに対して「グレイシーとの関係を積極的に望んだのは自分の方だ」みたいな言及をしたのだろうか。その理由については、彼がある場面でグレイシーに口にした、「映画が広く観られて、僕たちのことを理解してくれる人が増えれば、僕たちはもっと穏やかに生活できる」という言葉にあるように思う。もちろんここには、「皆が僕のことを”被害者”みたいに扱う」という想いも関係しているだろう。つまりジョーは、「エリザベスが作る映画をきっかけに、『世間からの見られ方』が好転することを期待している」というわけだ。そのように考えると、ジョーの動機は理解しやすくなるだろう。

しかし、ジョーが「映画が広く観られて、僕たちのことを理解してくれる人が増えれば、僕たちはもっと穏やかに生活できる」と口にしたシーンは、また別の示唆も与えてくれるだろう。最初ジョーは、「あなたはもっと穏やかに生活できる」と言ったのだ。その後、グレイシーから疑問符が飛んできたことで「僕たちは」と言い直したのだが、「あなたは」という方が恐らく本心なのだろう。

そして、このやり取りを曲解すればこうも捉えられる。映画によって見られ方が好転すれば、グレイシーが安定するかもしれない。となれば、仮にジョーがグレイシーの元を離れたとしても彼女が不安定にならない可能性も出てくるだろう。そしてそうなれば、ジョーには新たな別の道を歩んでいける可能性が出てくるだろう。

そういう意味もこめた「あなたは」だったのではないか。そんな風にも邪推したくなってしまう。

ただ、このように考えたのは正直、映画を鑑賞した後だ。この感想を書くのに公式HPを見たところ、実際に起こった「メイ・ディセンバー事件」について、「元少年からの申請によって2018年に離婚が成立」と書かれていたのである。もちろん、その決断に至った背景に何があったのかは分からない。しかし、本当に「元少年の方から誘った」のだとしたら、どこかのタイミングで女性に対する気持ちが変わったのだろう。あるいは、最初から偽りだったのか。その辺りのことはなんとも分からないが。

さて、何故事件が「メイ・ディセンバー(May December)」と呼ばれているのかもなかなか謎だが、どうやら「May December」というのは「年の差」を表すスラングなのだそうだ。「May(5月)」が「春(若さ)」、そして「December(12月)」が「冬(老い)」を表現しているとのこと。これもまた、なかなか日本人にはスルッと理解できない部分だろう。

正直なところ、なんとも言えない作品だった。とにかく「不安定な世界」をずっと捉え続けており、ゆらゆらと揺れ続ける船に乗っているみたいな感じだ。本作は、扱われている事件も奇妙であり、そしてフィクショナルな要素を入れ込みながら「大人になって彼女たち」を描く展開もなかなか狂気的なので、物語全体を「分かりやすい名前が付いた何かの箱」にボーンと突っ込むことが出来ない。だから、掴みにくいし、結論を出しにくいし、「分かった気分」になりにくい。そういう作品が苦手という人は観ない方がいいかもしれない。

しかし、実に奇妙な人間関係が描かれる物語であり、その「訳の分からなさ」はいくらでも深堀り出来るだろう。そういう興味関心を抱ける人には、かなり惹かれる作品ではないかと感じた。

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